2022年4月30日土曜日

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

 オガールプロジェクトの斬新さは、「稼ぐインフラ」という異名をとるほどのファイナンスの構造にある。
(引用)町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト、著者:猪谷千香、発行所:株式会社幻冬舎、2016年、106

皆さんが町長なら、10年間も塩漬けにされ、一銭も生み出していない町有地をどのように活用していくだろうか。岩手県盛岡駅から電車に揺られること20分ほどで紫波中央駅に着く。まだ、自動改札機が導入されていない駅をくぐり抜け、目の前の信号を渡ると、眼前に「オガール」が広がる。

「オガール」とは、紫波(しわ)の言葉で「成長する」を意味する「おがる」と、紫波中央駅前(紫波の未来を創造する出発駅とする決意)とフランス語で駅を意味する「Gare」(ガール)を合わせた造語だ。私がオガールを知ったのは、10年ほど前になるだろうか。既にオガールの存在は、全国のまちづくり関係者に知られる存在であった。なぜ、オガールは、まちづくりの成功事例として注目されるのだろうか。当時、私は、オガールプロジェクトのキーパーソン、岡崎氏の講演を拝聴したことがある。講演の内容を聞いて、衝撃を受けたことは、「行政からの補助金に頼らない施設運営」であった。その衝撃から10年ほど経ったが、未だ、オガールは全国から注目されている。今一度、何故オガールが注目されているのか。改めて、猪谷氏による「町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト(幻冬舎)」を拝読させていただくことにした。

本書を読んで、まず気づかされるのは、「公民連携」である。行政は、公平性・公正性の立場から民間との連携に後ろ向きであった経緯がある。しかし、現在はPPP、つまり行政(Public)が行う各種行政サービスを、行政と民間( Private )が連携( Partnership )し、民間の持つ多種多様なノウハウ・技術を活用することにより、行政サービスの向上、財政資金の効率的使用や行政の業務効率化等を図ろうとする考え方や概念が主流となっている。

その公民連携の先駆けとして、当時の藤原町長をはじめ、オガールのキーパーソンである岡崎氏は、他の自治体に先んじて、いち早く行政と民間との連携に目をつけた。そして、紫波町の職員とともに、岡崎氏は東洋大学大学院経済学研究科に通うことになった。その東洋大学で、岡崎氏は、「恩師」と呼ぶ人物と出会うことになる。客員教授の清水義次(よしつぐ)氏である。そして、紫波町にオガールが誕生するに至ることになる。

以前、私は、清水氏にもお会いしたことがある。お会いしたのは、東京の千代田区にある3331 Arts Chiyoda。ホームページによると、この施設は、旧千代田区立練成中学校を改修して誕生したアートセンターである。2010年の開館以来、現代アートに限らず、建築やデザイン、身体表現から地域の歴史・文化まで、多彩な表現を発信する場として、展覧会やトークイベント、ワークショップなどを定期的に開催している。また、地域住民や近隣の子どもたちとのアートプロジェクトの実践や地域行事への参加なども当館の重要な活動のひとつとなっている。実際、3331 Arts Chiyodaを訪れてみると、中学校の手洗い場などを残しつつ、懐かしさと新しさが同居するような、新たな空間が誕生していた。その清水氏から、私は「リノベーション」という言葉を教わった。「リノベーション」とは、既存の建物に対して新たな機能や価値を付け加える改装工事を意味し、単なる「改築」とは異なる。清水氏は、リノベーションにこだわったまちづくりを進め、当時から行政の補助金に頼らない運営をしてきた。

当時、紫波町におけるオガールプロジェクトは、議会を始め、公民連携手法で町の広大な空き地を活用していくという理解が得られなかったという。しかし、潮目が変わったのは岩手県フットボールセンターの誘致ではなかろうか。当初、岩手県サッカー協会からは、盛岡市、遠野市などが手を挙げており、紫波町は5番目であった。しかし、岡崎氏と当時の藤原氏の戦略により、最終的に紫波町に誘致することができた。その誘致は、人を呼び込むことによって賑わいをもたらし、「エリア価値」を高めることにつながる。そう、清水氏や岡崎氏らは、「エリア価値を高める」ことを最重要視する。

冒頭、オガールが「稼ぐインフラ」と異名をとると紹介した。「稼ぐインフラ」とは、これまでの補助金ありきだった公共事業をファイナンス主導に切り替え、公共インフラに「稼ぐ機能」を付加して、公共サービスの充実を図るという新しい考え方だ。

本書では、ファイナンスのスキームについても一部紹介されているが、私が感心したのは、絶対家賃の考え方であった。絶対家賃とは、どんなに立派な建物を造っても、借り手側はこれだけしか払わないという基準だ。紫波町の絶対家賃は、市場調査により、共益費込みで坪単価6,000円であった。そこで岡崎氏らは、坪単価6,000円の家賃で10年以内に配当金を出せる投資額を見つけること。そして6,000円以内の家賃ではじき出される建設単価が税込で1坪38万円。つまり、38万円以内で建物を造ることを目指したという。よく公共の事例では、そこまで計算できていないケースが多々見受けられる。例えば、オガール紫波の隣の県、青森市の青森駅東口前に立地する複合施設「アウガ」の経営破綻は、私達の記憶に新しいところだ。公民連携とは、単なる民間資金を活用することではない。私は、民間マインドを取り入れ、民間スキームや資金を活用し、新たな公共的サービス価値を生み出すものだと再認識させられた。

以前、オガール紫波にも携わった日本の社会起業家、まちづくり専門家の木下斎氏に言われたことがある。その言葉とは、「補助金は麻薬」であるということだ。つまり、行政からの補助金頼みでは、まち全体が“甘え”に走り、上手くいかない。財政難で多くの自治体が苦しむ中、あまりにも先駆的な取り組みであったオガールプロジェクトは、まちづくりをする上で、他の自治体にも認知されはじめ、ようやく一つのスタンダードに成り得た。

実際、紫波中央駅の北上・一ノ関方面のホームに佇んでみると、八角形屋根の形をした駅舎のシンボル越しにオガールが見える。まさに、オガールの名の由来のとおり、ここから紫波の未来を創造し、出発するのだという決意を感じることができる。いつかまた、訪れてみたいと思った。

2022年4月9日土曜日

この国の危機管理 失敗の本質

 防災対策とは、人々の命や財産、地域を守る対策のことだ。議論の余地もないくらい自明のことだが、国や自治体の防災対策の実態を見ると、この自明のことがなされているとはとても言えない。
(引用)この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ、著者:柳田邦男、発行2022年3月、毎日新聞出版、309-310

不安定な国際情勢、新型コロナウイルスによる感染拡大、多発する自然災害・・・。我が国を取り巻く環境は、常に「危機」に晒されている。この危機に対して、私たちは、日頃から備えをすることができるのだろうか。その答えは、かつての寺田寅彦氏が指摘したとおり、私たちの祖先が経験してきた「過去の危機」から学ぶことができているかである。では、敗戦や東日本大震災における福島の原発事故など、我が国の危機管理は、過去の経験からどの程度、活かされてきたのだろうか。
このようなことを思っていたとき、私は一冊の本に出会った。災害や事故、戦争や生死、言葉と心の危機などの問題について積極的に発言している作家、柳田邦男氏による「この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ(毎日新聞出版)」である。手にとって見ると400ページを超える厚さの本であるが、一読の価値がありそうなので、拝読させていただくことにした。

本書は、序章から惹き込まれていく。そのタイトルは「欠陥遺伝子の源流-ミッドウェー海戦、虚構の戦略」である。私の尊敬する野中郁次郎氏らによる「失敗の本質 日本軍の組織論的研究(ダイヤモンド社、1984年)」なども紹介されているが、日米戦史研究をビジネスに活用していくことは、とても興味深い。序章では、ミッドウェー海戦における5つのシーンから、山本司令官を始めとした日本軍の”失敗の本質”に迫る。柳田氏によれば、ミッドウェー海戦における日本側の作戦失敗の要因として、情報戦の問題と慢心の問題を掲げる。特に、山本長官が自分たちの都合の良い想定をし、内なる慢心に勝てなかったところは興味深かった。大にして、危機管理の備えをするとき、私たちは、「自分たちは助かる」といった勝手な思いから、中途半端なものになっていないだろうか。このミッドウェー海戦の事例からも、危機管理の要諦をしっかりと学ぶことができる。

本書にて、柳田氏は、5つの危機管理の原理を掲げている。第一の原理は、「平常時において最悪の事態をリアルな形で想定し、その事態を乗りきる具体的な対策に全力をあげて取り組む」ことだ。この5つの原理は、危機管理をしていく上で、とても参考になる。第一の原理の中で、私は、この「最悪の事態」という表現を用いていることに着目した。先程のミッドウェー海戦における楽観論では、どうしても自分の都合の良いように解釈をしてしまう。東日本大震災では、「想定外」という言葉が使われた。しかし、東日本大震災は、本当に「想定外」であり、あの惨烈な福島の原発事故は避けられなかったのだろうか。

このことについて柳田氏は、様々な公的な議事録などから検証を試みている。そして、財政的理由や、(被害を矮小化して)国民を安心させることなどが優先され、東京電力福島第一原発に対して、日頃から万全な対策を講じてこなかったことが浮き彫りになる。つまり、科学者や学識有識者らが予見した甚大なる東日本大震災の被害想定が見事に消され、ご都合主義の防災対策になってしまったといっても過言ではなかろう。その結果、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う福島県外への避難者数は、2012年年5月時点で、16万4865人にまで上り詰め、多くの福島県民の方々が長期間、故郷を離れざるを得なくなった。

一方、本書では、様々な過去の危機事例とともに、m-SHEL(エム シエル)モデルなどの危機管理分析手法も紹介している。私も初めてm-SHELモデルを知ったのだが、このモデル分析方法では、わかりやすく、使いやすく、事故の構造的な問題点を浮かび上がらせるのに有効であると感じた。具体的に、本書では福島第一原発の発電所対策本部である吉田所長の判断と行動などについて、m-SHELモデルを用いて分析を試みている。そこから浮かび上がることは、福島原発事故が「組織事故」であるということだ。詳細は本書に譲るが、分析結果から、個人のヒューマンエラーというだけでは片付けられない事案であるということが理解できた。

冒頭、本書で印象に残った言葉を記した。この言葉は、今もなお、過去の災害からの反省が活かされていないことを意味する。そして、本書では、災害直後の危機管理のみならず、「災害関連死」についても多くのページを割いている。ややもすれば、災害関連死対策は、各自治体において希薄になっているのではないだろか。それは、各自治体の防災担当者は、震災発災時の対策に忙殺され、震災後の心のケア対策まで至らないことが考えられる。しかし、柳田氏が指摘するとおり、せっかく震災で助かった命が、その後のケアの悪さで亡くなっていく。私は、あまり防災対策として着目されにくい災害関連死対策について、これからの自治体の防災対策として、力を入れていくべきテーマであると感じた。

最後に、本書では、安倍元首相や菅前首相のなど、リーダーの言葉について触れている。私は、柳田氏が提唱した危機管理の5つの原理に加え、リーダーの“コトバ“を第6の原理としても良いのではと感じた。
それは、まさに今、世界に目を向けると、自国の民を救おうと、必死に声を上げ、国民を勇気づける若きリーダーが奮闘している。そして、そのリーダーは、自身の危険を顧みず、諸外国に向け、自国の現状を切実に訴えかけている。今もなお、終息の見えない危機に立ち向かい、ある時は防弾チョッキを着用しながら惨状と化した現場に出向き、またある時は世界に向けSNSで発信し続けるリーダーの姿に、国民は励まされ、世界中の多くの人たちが感銘を受けていることだろう。危機が発生した際、リーダーがどのように立ち振る舞い、周囲の人達と難局を乗り越えていくことができるのか。本書に書かれている、危機に立ち向かう真の政治家、真のリーダーのあるべき姿は、まさにこの若きリーダーのことを言うのだと思うに至った。勇敢に「危機」に立ち向かっていくために、本書では、危機管理の原理、そしてリーダーとしてのあるべき姿を学ぶことができた。