2023年6月25日日曜日

災害ケースマネジメント

 「災害ケースマネジメント」は、被災者一人ひとりに必要な支援を行うため、被災者に寄り添い、その個別の被災状況・生活状況などを把握し、それに合わせてさまざまな支援策を組み合わせた計画を立てて、連携して支援する仕組みのことである。
(引用)災害ケースマネジメント◎ガイドブック、著者:津久井進、発行所:合同出版株式会社、2020年、6

いま、自治体の防災分野では、「災害ケースマネジメント」が注目されている。では、なぜ注目されているのか。それは、大規模災害が発生して、概ね1カ月ほど経過すると、行政支援が行き届かない被災者が浮き彫りになる。この要因として、発災直後から、次の復旧・復興へのフェーズに移行した際には、主として行政による施策がハード対策に置かれ、被災者に寄り添った支援が行き届かなくなることが考えられる。それ以外にも、被災者は、各支援制度の狭間に位置して支援が受けられなかったり、「生活再建」という行政から用意された多層的な支援メニューを理解することが被災者にとって困難であったりすることも要因として考えられる。

「災害関連死」という言葉がある。これは、災害の生活上の影響で亡くなる社会死のことである。せっかく震災で助かった尊い命が、その後の災害後の生活によって亡くなっていく。内閣府では、「災害関連死事例集」を公表している。この事例集によれば、災害関連死されたかたの年代別では、東日本大震災で約 87%。熊本地震で約 78%のかたが、70歳以上の高齢者となっている。また、災害関連死の区分別では、「避難生活の肉体的・精神的負担(被災のショック等によるものを含む)」、「電気、ガス、水道等の途絶による肉体的・精神的負担」による死亡が約7割にものぼる。また、2016年に発生した熊本地震では、医療機関の機能停止等による初期治療の遅れも目立った。

本書によれば、復興のプロセスで新たな苦難を背負った人々の二次被害を「復興による災害」という意味で「復興災害」と呼ぶ。いま、行政としては、この「復興災害」対策にも力点を置くことが求められるようになった。

その「復興災害」の解決策として注目されるのが、「災害ケースマネジメント」であろう。この災害ケースマネジメントの発祥は、アメリカである。アメリカの危機管理マネジメントについては、大にして学ぶべき点が多い。例えばFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)による災害対応マネジメント、いわゆるICSは、一元的な指揮統制と目標管理型の導入といった特徴があげられる。特に、目標管理型については、行政の縦割り組織も一因となり、我が国における危機管理対応で最も不得手とするところではないだろうか。このICSでは、標準化された業務に対して、発生した災害を情報分析し、その対応について目標を掲げて対処する。ここでは詳細に触れないが、アメリカの危機管理マネジメントは、今後我が国の災害対策において、大いに参考になるものばかりだ。

その先進的な災害対応をしているアメリカを例とし、我が国においても、災害ケースマネジメントが注目されつつある。この6月(2023年6月)には、国による自治体に向けた災害ケースマネジメントの研修会を開催した。ただ、それより先んじて、鳥取県や仙台市などでは、既に災害ケースマネジメントが取り入れられている。特に、鳥取県は、ホームページ上で災害ケースマネジメントの手引きを公開している。まさに、この手引き書は、鳥取県内の市町村のみならず、これから災害ケースマネジメントに取り組む自治体にも大いに参考になる。特に、手引きの市町村版は、〇〇課と書かれたところを自身の自治体の担当課名に変えていくだけだ。津久井氏による著書とあわせ、鳥取県の手引きを組み合わせると、災害ケースマネジメントをスタートさせるための格好の材料となる。

災害ケースマネジメントが求められる背景として、本書でも指摘しているが、私は次の2点あると思う。1点目は、役所による「申請主義」だ。被災者は、自分の家の片付け等があるにも関わらず、役所に行って罹災証明などの交付を受けるための申請しなければならない。つまり、普段、私たちがよく手にするスマートフォンでは、プッシュ型通知があり、ニュースの速報や届いたばかりのLINEなどがトップに表示される。しかし、役所は、申請主義のため、被災者が自分の該当する手続きを「漏れなく」探し出し、それぞれの窓口に出向いて申請を行わなければならない。高齢化が進む現在、役所の手続きが複雑すぎて鬱陶しがる人たちも多い。一方、役所では、高齢で役所まで行けないという方々の声を聞いても、「申請がなければだめだ」と判断する担当者がいることも事実だ。そのような状況下の中、被災者と行政や支援機関を「繋ぐ」役割を果たすことが、災害ケースマネジメントの求められる要因の一つであろう。

もう一つは、先にも述べたが、被災者に対して、行政支援の行き届かない人が発生するということだ。こちらも本書で指摘されているが、被災者再建支援法では、「半壊」や「一部損壊」の世帯には、支援金が全く支給されない。また、指定避難所が開設されている間しか行政支援が被災者に届かないという声もよく聞く。

大規模震災後における被災者の生活再建は、概ね震災発生から1カ月を超えてからになるケースがほとんどだ。災害関連死を防ぐためにも、中・長期的に多層的な課題を抱えた被災者に寄り添うためには、行政のみならず、福祉関係機関、弁護士、ファイナンシャルプランナー、工務店などが連携して、被災者の生活再建をしていく必要がある。それこそが、本ブログの冒頭に記した、災害ケースマネジメントが求められる所以である。

SDGsの理念である「誰一人取り残さない」というフレーズは、よく見かけるようになった。このフレーズは、災害ケースマネジメントの導入によって、防災分野でも当てはめることができる。行政による防災施策は、ややもするとハード整備などに目が向けられがちだ。しかし、真の防災施策といえば、私は良好な避難所を整備したり、被災者に寄り添った支援をしたりする地道なものだと思う。

災害ケースマネジメントという施策に、派手さはない。しかし、私は、津久井進氏による書籍を拝読し、市民や県民、そして国民が求めている防災施策の今後の大きな柱として、災害ケースマネジメントは、これから我が国の防災施策の根幹を担っていくものだと感じた。



2023年6月3日土曜日

逆境リーダーの挑戦

 自ら返(かえり)みて縮(なお)くんば千万人と雖(いえ)ども吾(われ)往(ゆ)かん

(引用)逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ、著者:鈴木直道、発行所:株式会社PHP研究所、2023年、127

著者の鈴木直道氏は、1981年生まれで埼玉県三郷市出身。その彼の経歴は、東京都庁、353億円の赤字を抱えて財政破綻した夕張市長に30歳で就任、そして38歳からは北海道知事に就任している。当時としては、本書のタイトルになっている「最年少市長、最年少知事」であった。現在は、芦屋市の高島崚輔氏が全国歴代最年少26歳で市長就任している。

鈴木氏は、夕張市におけるコンパクトシティなどの手法を用いた再生、そして北海道知事に就任してからは新型コロナウイルス対策で注目を浴びた。

この若きリーダーの施策はもちろんのこと、なぜ、彼はここまでの信念を持ち、北海道のトップとして、道政を担う人物になり得たのか。私は、大変興味をそそられ、鈴木直道氏による「逆境リーダーの挑戦(PHP新書、2023年)」を拝読させていただくことにした。

まず、本書では、新型コロナウイルスを題材として、彼の考える危機管理論に話が及ぶ。鈴木氏が本書で淡々と語られる言葉には、危機管理の要諦が詰まっている。例えば、「前例なき対策を打ち出すときは、誰かが腹をくくらなければならない」、「手さぐりの状態でもやれることはすべてやる」といったリーダー論から、「組織のトップはまさに広報マンとして伝える力が求められている」といったリーダーの役割に至るまで、参考になる言葉が並ぶ。北米大停電の際、当時のニューヨーク市長は、復旧の見通し、安心感をもたらす情報、二次災害への呼びかけなど、戦略的に市民への広報を実施し、高い評価を得た。危機管理時は、このようなトップによる戦略的な広報が重要なアウトプットになる。まさに、北海道から全国にまん延した新型コロナウイルスの対策に迫られた鈴木知事は、マスコミの前においてもわかりやすく道民に状況を伝え、感染拡大防止のお願いをした。まさに、危機管理時における戦略的広報が功を奏した新たな事例になったと思う。

現在、鈴木氏も直面しているのが行政の縦割りではないだろうか。鈴木氏は、夕張市長時代、国・北海道、そして夕張町の三者が年に1~2回、夕張に集い、その実情をその目で見た上で課題を出し合い、方向性を決めていった。鈴木氏は、「異なる環境で起きている問題を、異なる環境にいる人間の感覚で理解するのは難しい(本書、109)」と言われる。まさに、実際に現場を見て、「当事者」として必要な具体策を考え、方向性を共有する仕組みが必要だと鈴木氏は説く。まさに、いま、行政は、多様化する行政ニーズに対応するため、横串の対策に迫られる。その際、大にして、それぞれのセクションがそれぞれの立場で主張して、纏まらないケースが多々ある。それは、夕張であれば市民を見るべきなのに、自分のセクションを守ろうとする意識が強いことも要因の一つとしてある。まさに、鈴木氏が指摘する一つの課題解決のため、複数の関係機関が関係してくる場合、現場を知らないそれぞれの立場からモノを言われても、現場から一番近い立場の意見が伝わりにくい。すべての関係者が「当事者意識を持つ」ということ。その意識がないと、一つの課題でも多様化する現代においては、行政サービスが機能しないのだと感じた。

では、鈴木氏は、どうしてこのようにして一介の都庁職員から北海道知事まで登りつめることができたのだろうか。私は、本書を拝読して、2人の師匠の存在が大きいと感じた。その二人とは、鈴木氏が都庁時代に知事であった石原慎太郎氏と北海道で彼を財政面でも支えたニトリの会長、似鳥昭雄氏の二人の存在であろう。

まず、似鳥氏がよく口にする言葉は、「ロマンとビジョン」だと言われる。「ロマン」とは、世のため、人のために人生を懸けて「志」を持つことが「ロマン」。「ビジョン」とは、ロマンを持って仕事に向き合い、それを実現するために必要な目標や計画を持つことが「ビジョン」だと言われる。私は、「なるほど」と思った。「ロマン」とは、私たちが抱いている甘いムード漂う「ロマン」のイメージとは違う。似鳥氏の言われる「ロマン」とは、まさに男性的な意味合いであり、ビジネスで成功するための秘訣であった。

また、鈴木氏の父親的な存在が石原慎太郎氏であろう。都庁職員であった鈴木氏が「夕張市長に立候補する」と報告した際、石原氏は「裸ひとつで挑戦する若者を、俺は、殺しはしない」と言われたという。地方公務員が市長選に立候補とすることは、地方公務員を離職することを意味する。安定した都庁職員という立場を捨て、背水の陣で夕張市挑戦に挑んだ鈴木氏は、石原氏の応援が何より響いたことだろう。

また、冒頭、石原氏の座右の銘を紹介した。これは、孟子の言葉を引用したとのことだが、「自分自身を省みて、自らの行いが間違っていないと信念が持てるなら、たとえ相手が千万人いようとも敢然と突き進んでいく」という意味だ。ここで「信念」とある。鈴木氏も言われているが、リーダーは、孤独でありながら、決断を迫られることがある。その際、情報を収集し、自分自身の能力を最大限に生かし、その決断が間違いないという「信念」を持つ。そこまで確信をした信念であれば、あとは突き進んでいくだけだ。私は、孟子から石原氏、そして鈴木氏に引き継がれた言葉の重みを知った。

鈴木氏は、「良きリーダーは、人を勇気づけ、行動に駆り立て、周囲をも巻き込んでいく言葉を知っています(本書、127)」と言われます。

まさに、私もそのとおりだと思う。リーダーとは、決して、個人で何かを成し遂げようとしない。先ほどの「ロマン」を語り、周りの部下たちを”資源”と思いながら鼓舞し、「ビジョン」に沿って周囲を巻き込んでいく。そのようなリーダーこそが、これからの時代に必要だと感じた。まさに、財政破綻した夕張を変え、北海道を変えようと奮闘している鈴木直道氏、そのものだ。

裸一つで、誰一人知る者がいない北海道に乗り込んだ若者は、広大な大地に住む道民を巻き込み、リーダーとして率いるまでになった。

その鈴木氏の偉大なる足跡は、リーダーシップが何かを教えてくれる。

鈴木直道氏の書籍は、とても学ぶべきことの多い一冊であった。

ニューリーダーの今後ますますの御活躍を御祈念申し上げたい。