2021年12月4日土曜日

いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている

 行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。       大平正芳 

(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253

本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。

このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。

本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。

本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。

ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。

では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。

本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。

本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。

冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。

本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。

私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。

本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。

危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。


2021年11月23日火曜日

公民連携 まちづくりの実践

 自治体が失敗を許容できるかというマインドセットの転換が求められている。重要なのは、このマインドセットの転換を自治体職員のメンタリティの問題に帰着させるのではなく、失敗を許容できるシステムをつくることである。
(引用) 公民連携まちづくりの実践 公共資産の活用とスマートシティ、著者:越直美、発行所:株式会社学芸出版社、2021年、156-157

このたび、2012年から2020年まで大津市長を務められた越直美氏が本を出版された。越直美氏といえば、大津のいじめ問題が真っ先に思い浮かぶ。その後、いじめ再発防止として、2013年度から市立小中学校にいじめ対策担当教員を配置したり、いじめまたはその疑いを発見した場合には、24時間以内に「いじめ事案報告書」を24時間以内に教育委委員会に提出したりすることとした(本書、175)ことは記憶に新しい。そんな越氏は、市長最後となる記者会見において、「自己評価は100点で、やりきったという思いだ」と語っていた。その記者会見の中において、確か、民間を活用したまちづくりの成果についても触れられていたと思う。越氏は、なぜ公民連携のまちづくりを進めたのだろうか。またどのような成果をもたらしたのだろうか。さらには首長としてどのようなリーダーシップを発揮したのだろうか。疾風のごとく、2期8年という短い在任期間において、大津の市政に変革をもたらしたとされる越氏の行政手腕が知りたくなり、越直美氏による「公民連携まちづくりの実践 公共資産の活用とスマートシティ(学芸出版社)」を拝読させていただくことにした。

恐らくだが、地方自治体のトップの座に就くと、誰もが共通の課題に頭を抱える。

それは、人口減少、少子高齢化、施設老朽化という難問が立ちはだかるからだ。越氏も市長在任期間中は、この3点の課題解決のため奔走した。これらの課題解決には、当然、相応の予算確保をしなければならない。越氏は、その解決策を公民連携という形で見出した。

大津市では、1950年から続いていた「おおつびわこ競輪場」が2010年度末に廃止された。この広大な跡地の利活用については、自治体にとって頭が痛い課題である。特に、公共のみで単独予算を確保し、新たな公共施設を建設したり公園整備したりすることは、住民や市議会の同意が得られるかなど、ハードルが高い。そこで、大津市は、競輪場跡地について、定期借地による民間事業者主導の施設・広場整備を実施した。そして、2019年、公園と一体化した複合商業施設「ブランチ大津京」がオープン。「ブランチ大津京」では、まちづくりスポットやママスクエア、ボルタリング施設、スポーツと飲食の複合施設などを兼ね備える空間が創り出された。
この公民連携手法により、市民は賑わい・憩い・集いの場が得られ、大津市は解体費を支出せず、公園や借地料が得られ、事業者や社会も潤う構図が生まれた。これは、越氏も触れているが、近江商人の商売の心得、「売り手良し、買い手良し、社会良し」の「三方良し」に繋がる。この三方良しは、民間資金を用いるため、自治体の予算軽減が主目的に思えるが、そうでもない。行政の政策は、時として、独りよがりなものになってしまうこともある。そこで「民」と連携することにより、市民ニーズ(顧客ニーズ)に敏感な「民間ノウハウ」を「公の政策」として取り入れることが可能となる。つまり、行政思考の限界を突破し、新たなアイデアによってまちが創り上げられていく。公共だけでは成しえない、民間アイデアを公共政策に持ち込むことこそ、公民連携の醍醐味があるのだと感じた。

越氏が本気だなと思ったのは、リノベーションによるまちづくりである。リノベーションスクールは、かつて、私も仕事で関わったことがある。私は、その第一人者である木下斉氏が「補助金は麻薬」と言われたことが頭から離れない。つまり、地方自治体は、まちづくりをしようと地元と連携するために「補助金」を支出する。しかし、地元は、継続的な自治体からの補助金を当て込み、本格的なまちづくりに繋がらなくなる。その負のスパイラルを脱すべく、公共空間のリノベーションについては、民主導で実施し、行政は側面支援することが求められる。その中で、私が本気だと思ったことは、まちづくりの担当部署である都市再生課を、リノベーションが進む街中の町家に移転させたことだ。

これは、越氏がリノベーションに関する書籍で「まちづくりの部署は、街にあるべき」という見出しに触発されたことによる。自治体の首長が市の行政組織の一部を切り離し、空洞化した市の中心市街地に配置するのは相当の勇気がいる。その組織の管理はどうするのか、市として無駄な組織配置になっていないかなど、行政の一挙一投足について、住民や議会に対して説明責任を問われることになるからだ。幸いにも、大津市では、都市再生課を街中に配置したことは、功を奏したようだ。この件から私は、まちづくりについて、民に近いところにいることの重要性を教えていただいた。

最近、私は、「MaaSが地方を変える(森口将之著、学芸出版社)」を読んだばかりだが、大津市もMaaSや自動運転の取り組みをしていたのは、意外であった。MaaSとは、Mobility as a Serviceの略で、「地域住民や旅行者1人ひとりのトリップ単位での移動ニーズ対比に対応して、複数の公共交通やそれ以外の移動サービスを最適に組み合わせて検索・予約・決済等を一括で行うサービスである(本書、149-150)」。大津市も移動の利便性向上と地域経済の活性化を目的とし、MaaSアプリ「ことことなび」をリリースした。この事業ももちろん、民間である京阪バスなどとともにアプリを配信している。また、バス運転手の不足から、自動運転バスにも果敢に挑戦している。弁護士でもある越氏は、自動運転バスの事故が発生した際の許容をどのように定めていくのかと指摘する。高齢化社会を迎え、免許返納など、住民の「足」確保がより深刻な課題となってくる。限られた資源で、どのように公共交通(場合によっては自家用有償旅客運送登録制度等も含む)を確保していくのか、またストレスなく人々が移動できるようにしていくのかは、各自治体の喫緊の課題であろう。特に、高齢者は、街中に出向くと医療費が減少したという自治体もある。生活だけではなく、健康を維持させていくためにも、各自治体にとって、交通政策は、大きな課題と言える。その意味で、公民連携をしながら、新たな自動運転やMaaSにも力を入れた越氏の功績は大きいと感じた。

冒頭、越氏の言葉を引用した。行政は、税金を使う以上、失敗が許されない。しかし、松下幸之助氏など、民間の優れた経営者は、失敗を推奨する。最近では、後発ながらビール事業などを軌道に乗せてきたサントリーの「やってみなはれ」精神も注目されている。失敗して、次に活かす。また、チャレンジしてみないとわからないという精神が難局に立った自治体にも求められるのだろう。その意味で、滋賀県は、近江商人発祥の地ということもあり、行政のトップの資質にもよるが、民間的な感覚で行政運営しているようにも見受けられる。越氏は、行政が失敗しても説明できるような具体策も本書で紹介している。そのキーワードも「公民連携」である。

自治体の長として、2期8年で成果を出すことは難しい。それは、あまりにも行政の動きが遅いことも起因している。議会や住民説明など、スローに進む行政サイクルに抗し、民間による“スピード”を取り入れたことも「公民連携」の優れた点と言えるのではないだろうか。

市政を率いてきた越氏は、「公民連携」することの意義について、市長時代の実績をもとにエビデンスを示してくれた。今後、「公民連携」は、各自治体にとって益々広がりをみせていくのだろうと感じた。


2021年11月14日日曜日

MaaSが地方を変える

 どこがMaaSの本なんだ。本書を読んでいただいた方の中には、そんな感想を抱いた人がいるかもしれない。

(引用)MaaSが地方を変える 地域交通を持続可能にする方法、著者:森口将之、発行所:株式会社学芸出版社、2021年、198

私は、森口さんの「MaaSが地方を変える」を読んで、正直、MaaSの定義がわからなくなってしまった。MaaS(Mobility as a Service)の定義は、「ICTを活用して多様なモビリティをシームレスに統合し、単一のサービスとして提供すること(本書、198)」である。MaaSを語るなら、先進であるフィンランドなどの事例が参考となることだろう。しかし、本書にも先進自治体の事例が紹介されているが、我が国のMaaSは、未だ完全に定義を満たしていないものも存在する。

森口氏によれば、我が国のMaaSの先進事例は、富山市であると言われる。富山市のコンパクトシティと交通政策については、あまりにも有名だ。森雅志前市長の強力なリーダーシップのもと、「お団子(地域拠点)と串(公共交通)のまちづくり」をすすめ、2006年、日本初の本格的LRTとして運行を始めた。現在、富山市は、公共交通を基軸にコンパクトなまちづくりをすすめている。
2020年には、ハード整備が一段落したこともあり、公共交通のソフト整備に重きをおいている。ここで興味深いのは、筆者の森口氏が「アナログMaaSの代表『おでかけ定期券』」という言葉を使っていることである。MaaSとは、冒頭に述べたICTを活用して多様なモビリティをシームレスに統合することである。しかしながら、富山市の「おでかけ定期券」は、市内65際以上のかたが市内各地から中心市街地へおでかけになる際、公共交通期間を1乗車100円で利用できる定期券である。森口氏によれば、フィンランドでMaaSの概念が誕生する前から、複数の交通で割引が受けられ、沿線の商店や施設との連携を果たし、定額制を導入した富山市の事例は先進的であるとし、「アナログMaaS」と名付けた(本書、50)と言われる。

確かに、富山市の事例もMaaSに通じている。では、アナログでもMaaSを活用した事例から得られるメリットは何であろうか。その解も富山市から得ることができる。さきほどの富山市の「おでかけ定期券」によって、高齢者が外に出歩くことが増えたという。そして、「おでかけ定期券」を所持していたかたたちは、所持していないかたたちと比較して、約8万円、医療費が安く済んでいるという(本書、52)。

その後、富山市では、モビリティやまちづくり関連の政策として、「とほ活」というスマートフォンのアプリを開発した。現在、我が国は、高齢化社会を迎え、免許返納などの課題が生じている。しかし、自家用車を運転しなければ生活できないかたたちもいる。まず、まちづくりとは、高齢者にあまり負荷をかけず、必要な生活物資が揃うことが必要なのだろう。また、自然に街にでかけて生きたくなる仕掛け作りをする中で、人々の幸福と安心感、健康が実現できるのだろう。その結果として、中心市街地に人が集うようになることが必要なのだろうと感じた。富山市の事例から、私は、この正のスパイラルが公共交通政策を活用しながら生み出していくことが大事ではないかと考えるに至った。

そのほか、森口氏による「MaaSが地方を変える」には、様々な各自治体の取り組みが紹介されている。私が興味を持ったのは、京都府の最北端に位置する京丹後市の公共交通の取り組みである。こちらは、高速バスの運行などで知られるWILLER(ウィラー)グループが京都丹後鉄道の運行を始めたり、自家用有償旅客運送制度とUberのアプリを活用した「ささえ合い交通」を導入したりしている。外資の資金力やノウハウを取り入れ、それぞれ地方の特性にあったMaaSを構築していく。このたび、初めて私も知ったのだが、自家用有償旅客運送とは、公共交通の整備が行き届いていない過疎地域に自家用車を用い、一般ドライバーの運転で旅客の移動を支えるサービスのことだ。普通、乗客(旅客)を運ぶ目的で、旅客自動車を運転するときには、2種免許が必要となる。しかし1種免許保有+自家用有償旅客運送の種類に応じた大臣認定講習の受講により、他にも条件があるが、一般運転ドライバーの運転で旅客を乗車させることが可能になった。1)しかし、この自家用有償旅客運送についても、限定的なものしか認められないことに留意しなければならない。

京丹後市の事例は、WILLERやUberなどの外資とノウハウが上手く取り入れられた格好だ。本ブログの冒頭に記したが、著者は、「どこがMaaSの本なんだ」と思われる読者もみえることを想定していた。それは、MaaSの歴史が浅いこと、また必ずしも先進諸外国の事例を真似しなくてもよいことが理由として挙げられるのではないだろうか。我が国の、我が地域の公共交通政策があっていい。それが結果的に地方版のMaaSといえるようになっていくのだと感じた。本書では、先進自治体の事例も豊富に紹介されている。これらの事例を参考に、各自治体は、自分たちのまちに即したMaaSを構築してくことになるといえる。高齢化社会を迎え、どの自治体も交通政策は、早急に解決したい課題である。より一層、私たちの住むまちを便利であり、幸福であり、健康的であるものにしていくために各自治体は、知恵を絞って自分なりのMaaSを構築していかなければならないと感じた。

1)自家用有償旅客運送ハンドブック(平成30年4月、令和2年11月改定、国土交通省自動車局旅客課)


2021年10月30日土曜日

アフター・コロナの学校の条件

 提言3-1 小さな足で通える小さな学校の小さな学級をつくろう
(引用)アフター・コロナの学校の条件、著者:中村文夫、発行所:株式会社岩波書店、2021年、185

現在、学校を取り巻く環境については、大きく変化している。特に、学校の全国一斉休業や国により急速に進めた児童・生徒1人1台タブレット端末整備は、今後の学校のあり方を根本から変えるものであったと思う。

コロナを契機として、学校はどのように変化したのか。そして、新型コロナウイルス感染症を契機として、今後の学校は、どのようにあるべきなのか。そんな思いから、長年、学校事務員の立場から学校を見てきた中村文夫氏による「アフター・コロナの学校の条件((株)岩波書店、2021年)」を拝読させていただくことにした。中村氏による書籍では、学校の防災拠点、国によるGIGAスクール構想による教育情報化、学校の統廃合、学校給食、義務教育の保護者負担について論じている。その中で、自分の興味のあった部分は、教育情報化と学校給食、そして学校の統廃合であった。

まず、国によるGIGAスクール構想の実現は、主として、児童生徒1人1台タブレット端末の整備であった。この構想は、新型コロナウイルス感染症を契機として、前倒しされた。具体的には、当初、令和5年度までに段階的に整備するはずであったが、オンライン学習を見据え、一気に令和2年度中に整備を終えてしまうというものであった。これを受け、各市町の教育委員会は、昨年度、仕事に忙殺され、学校の通信インフラ整備とタブレット端末購入に明け暮れた。

中村氏は、本書において学校情報化の課題を5点に纏めている。その中で、ICTを活用した指導に対する教師の資質・能力を挙げている。タブレット端末自体は、スマホも含めて老若男女問わず使いこなしている。しかし、オンライン授業への活用となると、教師の負担(特に授業の事前準備)は計り知れないものだろうと感じた。そもそも、タブレット端末を導入する際は、どのようなビジョンを持ち、セキュリティ対策を含めた活用をイメージし、教師へのマニュアル作りも含めて導入しなければならない。ただ、「子供たちにタブレット端末を配備しました」だけでは、実際の授業現場で活用されない。タブレット端末を配備する際における教育委員会の「戦略」と「戦術」が何より重要であると感じた。

続いて、学校給食についてである。学校給食費は、学校給食法によって、食材費相当分は保護者負担とされている。また、学校給食は、世界でも珍しく、給食自体が食育の教材としての役目も果たしている。そのため、各給食センターなどには、栄養教諭が配置され、献立作成をはじめ、子供たちの成長・生育費必要な栄養バランス、地場産物の活用などに力を入れている。その学校給食の無償化についても、中村氏は提言をしている。教育行財政研究所による調査(2021年)によると、全国で1割近くの自治体が学校給食費の無償化を実施。さらに一部補助を含めると3割近くの自治体が独自の財政負担によって保護者負担を軽くしているという(本書、109)。
小規模自治体なら学校給食無料化は、実現がしやすいだろう。しかし、中核市以上の自治体は、財政負担が膨大なものとなり、遅々として無償化が進まないのが現状である。学校給食無料化であれば、現状の食材費相当は保護者負担であるという学校給食法の改正とあわせ、国の財源措置が求められる。子供たちの健康は、安全・安心で美味しい学校給食の実現で成り得るものだ。現在、子どもの貧困の問題も深刻化している。新型コロナウイルス感染症拡大により、貧富の格差はさらに拡大している。どのような生活環境であっても、国民は教育を受ける権利がある。学校給食が教材であるならば、中村氏が主張するように給食費を無料化するといった議論も盛んになるのだろうと感じた。

最後は、学校の統廃合についてである。少子高齢化の進展に伴い、どの教育委員会も頭が痛い課題である。この学校統廃合の課題は、2015年に一つの転機を迎えたと考えられる。文科省は、2015年の通知で、1学年1学級未満の複式学級が存在する小規模学校は、へき地、離島などの特別な事情がない限り統合すべきだという見解を出した(本書、66)。また、通学範囲についても、小学校で4㎞、中学校で6㎞という従来の範囲に加え、概ね片道1時間以内という時間設定の目安がなされた(本書、68)。
ここで課題となるのは、学校統廃合が国や自治体の予算削減のためということである。
本来の目的は、中村氏が指摘するように子供たちのためであると思う。特に、小学校低学年の児童が片道1時間もかけて通学を余儀なくされるとなれば、それだけで体力が奪われてしまうだろう。また、学校とは、地域のコミュニティ的な役割を果たしている。子どもたちは、身近な存在の学校を失うことで、生まれ育った地において、将来の自分の姿を描くことができるのだろうか。学校の統廃合については、国や行政の都合だけではなく、慎重に議論していく必要があるのだと感じた。

本書の最後では、中村氏によるアフター・コロナの学校の提言が8つ並ぶ。冒頭に紹介したのは、そのうちの一つだ。繰り返すが、教育とは、次代を担う子供たちのためにあるべきである。中村氏による書籍は、そのことを再認識させていただくものであった。

2021年10月23日土曜日

福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法

 これからの時代は、「データ」と「感染症」が大きなキーワードとなります。そして残念ながら、この2つは、現在の日本が最も苦手とする分野であるといえます。
(引用)福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法、著者:高島宗一郎、発行:日経BP、発売:日経BPマーケティング、2021年、15

現在、地方公共団体は、少子高齢化や所得格差といった課題を抱え、一様に、福祉対策、教育、防災、スマートシティやコンパクトシティなどの政策に力点を置いていると見受けられる。しかしながら、人口規模が大きくなるにつれて、地方公共団体は、各部局のセクショナリズムが際立つようになってくる。その結果、行政組織特有の縦割り意識がより強固なものとなり、各々が自分の所属する部局の仕事だけに集中するようになる。その結果、地方公共団体の目指すべき姿が見失われ、都市としての魅力が薄れていってしまう。

では、各地方公共団体は、どのようなビジョンを持って、政策を実行していくべきなのか。このたび、福岡市長の高島氏は、「福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法」を著された。令和2年に人口160万人を突破した福岡市を率いる高島氏は、どのようなビジョンを持ち、都市戦略に挑んでいるのか。2010年以来、10年以上にわたり福岡市長を務めている高島氏の描く新たな地方公共団体のあり方を学ぶべく、本を拝読させていただくことにした。

高島氏による福岡市のビジョンは、明快であった。冒頭に紹介した「データ」と「感染症」である。このブログでは、「データ」に絞って感想を述べたい。
まず、「データ」といえば、国のデジタル庁創設が思い出される。デジタル庁は、2021年9月に発足。組織の縦割りを排し、国のデジタル化を推進するという。1)
なぜ、「デジタル化」の推進なのか。高島氏の本を拝読して、私は、デジタル化の意義を「スピード化」「エビデンス」「市民サービスの向上」と理解した。

まず、「スピード化」については、新型コロナ感染拡大の際、課題として露呈している。本書でも紹介されているが、新型コロナ感染拡大の際、台湾では、デジタル担当の閣僚オードリー・タン氏が個人番号とひもづいたマスク在庫管理システムを活用して、国民のマスク買い占めを防いだ。一方、我が国では、マスクを購入したい人たちが薬局・薬店の開店前から並び、混乱を招いた。また、我が国による10万円の給付事業においても、デジタル化の遅れにより、各自治体は混乱し、速やかな給付が叶わなかった。

また、「エビデンス」については、データを活用しながら地方公共団体の政策に反映させていくことが可能となる。例えば、保育所は、近年、福祉的な意味合いではなく、共働き世帯が増加しているのであれば、どのような政策が必要だろうかということになる。このようなデータ取得は、どの部局でも共通して取得することが可能である。

最後は、「市民サービスの向上」である。高島氏は、エストニア共和国の例を挙げ、申請主義からプッシュ型の行政を提案する。我が国の行政の手続きは、複雑・多様化しており、例えば「引っ越し」しただけでも、自分の力で、複数の公的機関を回らなければならない。そのほか、電話、ガス、電気などの各事業所にも変更手続きが必要となる。例えば自治体のHPに「引っ越し」というボタンをクリックし、必要事項を入力すれば、一気にすべての手続きが完了したらどうだろうか。当たり前だが、私は、とても便利で、随分楽になると感じた。

高島氏の口癖は、「支点・力点・作用点を見極めるべき」であるという(本書、55)。目的(作用点)を最小限のパワーで動かすために、アプローチするべきポイント(力点)を見定め、力を加える。この「てこの原理」で弱い力でも重いものを動かせるようになる。そのアプローチすべきポイントを見極めるには、データによるエビデンスを重要視することが何より大切であろうと感じた。

では、なぜ政策立案過程において、エビデンスを重要視することが必要なのか。それは、市民や県民ニーズが多様化していて、行政ニーズが把握しづらいこと。行政改革のもと、どの地方公共団体も職員が減少し、コロナ禍における税収減によって、資源が限られていること。さらには、変化が激しい現代社会において、スピードを重視した政策が求められることによるものではないだろうかと感じた。このような背景のもと、客観的事実に基づくデータを駆使することは、大変有用であると感じた。

そのほか、本書では、データ活用以外にも、魅力的な政策が数多く紹介されている。本書を拝読し、私は、高島氏の政策の根底において、市民に対して、「快適さ、便利さ、安全安心、チャンレジ精神」をもたらそうとしているのではないかと感じた。厳しい時代ではあるが、各地方公共団体は、リーダーがビジョンを示し、持続可能な都市戦略が求められている。その戦略に必要なビジョンである「データ」と「感染症」というキーワードは、今後、どの地方公共団体も最重要視していくテーマであると確信した。

1)首相官邸HPより。


2021年10月17日日曜日

危機管理広報

危機管理広報の要諦は、「初動が大切である」の一言に尽きる。

危機発生直後は、危機の全容が分かっていないことが多い。
しかし、なんとなく、断片的な情報や事実から、憶測が立ち始める。
そして、状況が判明するにつれ、当事者の不安が広がる。

では、危機の全容が明らかになる前に報道機関に公表すべきであろうか。
自分の答えは、絶対に「イエス」である。

なぜ、危機の全容が明らかになる前に報道すべきか。
それは、当事者の身を守ることにつながるからだ。
報道の第一報は、「いま、このような状況が発生しています」と伝えるだけでいい。
客観的な事実のみを伝え、「原因は今のところ不明です」でもよい。
そして、いま、私たちがどのような対処をしているのかを伝えるだけで、立派な危機管理広報と言える。

偶発的かどうかを問わず、危機に遭遇したとき、速やかに報道機関に公表することは、マスコミからの追撃を最小限に抑えることができる。そして、包み隠さずに早い段階で公表することは、「当事者側は紳士的に危機に対処していくんだな」という安心感にもつながり、ニュースを受け取る側の感情も和らいでいく。その後は、続報というかたちで、報道機関に公表すれば良い。

ここで間違いを犯しやすいのは、憶測と再発防止だ。
まず、第一報のときは、憶測を立てて報道機関に発表してはならないということだ。

「いまは、ここまでしか分かっていません」
「なんで、こんなことが発生したのか、現在調査中です」
第一報は、こんな感じで良い。
極力、憶測を排除して、客観的な事実のみ、報道機関に伝えることが肝要だ。

次に、再発防止についてである。
危機管理広報は、再発防止策とセットで考える人が多い。
しかし、原因も特定できていない段階では、再発防止策は必要ない。
再発防止策を考えて報道発表しようとすると、いたずらに時だけが流れていく。
また、もしかしたら当事者側に瑕疵がないのかもしれないのに、なぜ再発防止策が必要なのかといったマスコミ側の質問にもつながる。
再発防止策は、原因が明らかになった段階で、公表すれば良い。
ただ、普段からの対策で、危機が未然に防げた場合もある。
その際は、普段からの対策について、しっかりと報道機関にアピールすることが必要だ。

自分たちの組織を守ろうとして、報道機関へ公表することを躊躇うリーダーも多い。しかし、速やかに公表しないと、危機発生から現在に至るまで、自分たちの組織が隠蔽していたとも受け取れられかねない。

実際に危機が発生したときは、勇気がいる。しかし、リーダーは、勇気を振り絞って、適切な時期に適切な内容を公表しないことのほうが、ダメージが大きいと心得たい。
このことは、今までの私の経験から、そう言える。


2021年10月16日土曜日

モンク思考 自分に集中する技術

 愚かな者は自分の利益のために働き、賢明な者は世界の幸福のために働く。
                 『バガヴァッド·ギーター』第3章25節
モンク思考 自分に集中する技術、著者:ジェイ・シェティ、訳者:浦谷計子、発行所:東洋経済新報社、2021年、467

昨今、「マインドフルネス」という言葉をよく聞く。ウィキペディアによれば、マインドフルネスとは、「現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる」と書かれている。しかし、ストレスフルな社会において、どのような瞑想が良いのだろうか。そして、瞑想をすれば、本当に心が整っていくのだろうか。

最近、マインドフルネスをいち早く取り入れたGoogleやMicrosoft、さらにはNetflixなどの先進米国企業らが注目するモンク(僧侶)思考なる本が出版されたという。その本のタイトルは、「モンク思考 自分に集中する技術(東洋経済新報社刊)」である。この本は、著者のジェイ・シェティが大学時代に僧侶の話を聞いたことがきっかけで、僧侶への道を目指すようになった経緯とともに、瞑想などの実践的なメソッドが紹介されている。本のカバーには、「迷いや不安、ストレスが消える 正しいキャリアが描ける」とも書かれている。私は、正しい瞑想法なども知りたかったので、この本を読んでみることとした。

この本は、「手放す」、「成長する」、「与える」という3つのパートで構成されているが、その根底には、古代の教えである「バガヴァッド·ギーター」をもとにしている。この古代の貴重な教えがシェティによって分かりやすく解説されていることは、ありがたいと感じた。

まず、「手放す」では、恐怖との向き合い方が役に立った。私自身、最近緊張することも少なくなってきたが、それでも緊張する場面に遭遇することもある。その際、恐怖にも似た感情に襲われる。その恐怖とどう立ち向かい、自分の心を整えていくのか。その実践的なメソッドが紹介されており、私も実生活に取り入れていくこととした。

「成長する」のパートでは、「自分のダルマを生きる」ことに力点が置かれている。「ダルマ」とは、その人にとって大好きであり、得意なこと(ヴァルナ)が世の中のニーズを理解し、無私の心で奉仕する(セーヴァ)と結びついて人生の目的となったとき、自分のダルマを生きていると言えるという(本書、191)。シェティによれば、このダルマを生きることこそ、人生を充実させる確実の道であると言われる。このダルマを目指すべく、シェティは、朝や夜のルーティンについても紹介している。貴重な1日をどのように過ごすのかは、前日の夜から始まり、次の朝につながる。これらのルーティンついても、私の実生活に取り入れていこうと思った。

最後は、「与える」である。このパートでは、感謝や奉仕といった言葉が頻出する。人生の最高の目的は奉仕にいきることだとシェティは言われる(本書、471)。なぜ、人は、奉仕をすれば、人生の最高の目的に至るのか。シェティは、優しい口調で奉仕の大切さ、そしてモンクへの道を教えてくれる。このパートを読み終えるころ、私は、冒頭に紹介した『バガヴァッド·ギーター』の教えが心に染みていた。

「モンク思考 自分に集中する技術」は、500ページ以上の分厚い本である。この500ページにも及ぶモンクの旅を終えると、いよいよ「まとめ」に達する。最終到達点に達すると、読者は、「モンク・メソッド」と言われる瞑想法を授かることができる。モンク・メソッドの詳細は本書に譲るが、基本的には、4カウントで息を吸い、4カウントで息を吐く深呼吸によって、心を整っていく。また、パート3の最後でもマントラが紹介されており、マントラの意味を知るとともに、瞑想にも取り入れることができる。

仏教僧マチウ・リカールの脳をスキャンした研究者たちは、彼を「世界で一番幸せな人」と呼んだという。これは、集中、記憶、学習、幸福感に関連するガンマ波がこれまでに科学的に記録された中で最高の値を示したからだ(本書、19)。

瞑想のもつ魔法の力は、人間の心を整え、超越した存在へと向かわせることができる。モンク・メソッドは、忙しすぎる現代人にとって、必須のアイテムになるのだろうと感じた。情報科学技術が進展する現代社会だからこそ、モンク・メソッドを多くのかたにおすすめしたい。