2022年3月6日日曜日

「大学」に学ぶ人間学

 大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り。
民(たみ)に親(した)しむに在り。
至善(しぜん)に止(とど)まるに在り。
(引用)「大学」に学ぶ人間学、著者:田口佳史、発行所:致知出版社、2021年、16

私は、東洋思想研究家である田口佳史氏による前作、「『書経』講義録(致知出版社、2021年)」を拝読し、すっかり中国古典の世界に魅せられてしまった。特に、「書経」の世界では、現代でも十分通用するリーダ-シップ論や組織論、さらには政治の要諦が記されていた。また、中国の古典では、天の道義あるいは道理という宇宙観にも迫っており、スピリチュアル的というか、”宇宙の法則“を学ぶことができる。このたびの田口氏によって著された「『大学』に学ぶ人間学」にも登場するが、「書経」には、私も座右の銘としている「天工(てんこう)は人其(そ)れ之に代(かわ)る」との一文がある。この意味は、「本来、政治は天が行うべきなのだが、人間が天の代理として政治を司るポジションに就いている」と書かれている。まさに、リーダーとは、宇宙の法則に則って、天より選ばれた人たちなのであると感じることができる。そして、儒家の思想では、壮大な宇宙の摂理に従い、私たち人間は地球をより良いものにしていくという使命感を感ずることができる。ビジネスで成功に関する書籍は、書店に山積しているが、私たち日本人が学ぶのは、モチベーションアップを主目的とした西洋的なリーダーシップではなく、儒学にしたほうがしっくりくる。

さて、「大学」とは、孔子より46歳年下の曾子が著したとされ「論語」「中庸」「孟子」とともに「四書」として位置づけられている。そして「大学」は、江戸時代の小学校一年生の一学期の一時間目から学んだとされている。このように、昔から「大学」は、「初学徳に入る門」と言われてきた。つまり、儒学の入門書的位置づけが「大学」である。このたび、私も田口佳史氏による「『大学』に学ぶ人間学」を拝読させていただいたが、江戸時代の小学生がいきなり「大学」を学んでいたことに驚かされた。儒学の入門書といえども内容の濃い「大学」について、江戸時代の子どもたちは、どのように理解を深めていったのだろうか。私は、当時の「大学」を学ぶ意義とあわせ、どのように学校で教えていったのか、興味を抱いた。

四書は、巻頭の一文に重きを置いていると言われる。本ブログの冒頭、「大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り」から始まる「大学」の巻頭部分を記した。この引用文は、三鋼領(さんこうりょう)と呼ばれ、人間が生きる上で最も大切にしなくてはならないものである。江戸時代の子どもたちは、この三鋼領、そしてその次に登場する八条目を徹底的に頭に叩き込まれていったと推察される。田口氏によれば、「徳」とは、宇宙の大原則に即して生きていくことであり、そのために言葉や立ち振舞として表現することが徳だと言われる。そして、自己の最善を他者に尽くし切ることが徳であると言われる。

江戸時代の寺小屋は異学年で構成されており、年上の子たちが年下の子たちを教えてきた。現在においても、例えば4人が1組となり「チーム学習」を取り入れる自治体もある。普段の授業の中で”チーム”を編成し、チーム内の”分かる子“が”分からない子“を教える。これにより、”分かる子“は、徳を明らかにし、自分の最善を出し切って”分からない子“に教える。”分からない子“は、友達から教えてもらうことにより、感謝の念を抱く。人と人との繋がりの中で、子どもたちは学び合い、自己肯定感が生まれ、社会が安定していく。江戸時代は一般的に「太平」とされ、治世期間がかなり長いことが特徴である。その長きに渡り、社会を維持・安定させたのは、小学校1年生のときに「大学」を学び、人々が儒学を実践していったからではないだろうかと思うに至った。現代の社会に忘れていた”人間としての心“の教育が、「大学」を通じて培われていたのではないだろうか。

田口氏による前作の「書経」といい、このたびの「大学」といい、名言の宝庫であり、読み進めるたびに新たな発見がある。「大学」では、「心誠(こころまこと)に之を求むれば」という一節が紹介されている。これは、「誠心誠意ほど強いものはない」ということを言っているのだが、田口氏による解説がなければ、それで終わってしまう一文である。しかし、田口氏は、本書の中で、官公庁のミドルクラスの職員の人事異動の例をあげ、責任ある地位のまま、新たな部署に配属されたリーダーには、誠心誠意で対応することの心構えを説いている。このように、古典からいただいた“知識”は、今を生きる多くのビジネスマンのワークスタイルに当てはめることにより、“知恵”へと変わっていく。

「大学」は、人間学のみならず、組織を繁栄に導くためのリーダー像、社会に秩序をもたらす政治的な思想、そして大宇宙の摂理に至るまで、人間の天命とは何かを明らかにしながら、私たちは地球上で(もしくは人間として)何を為すべきかを教えてくれる。孔子の「遺書」ともされた「大学」の貴重な教えは、江戸時代の小学校の必須科目であったとおり、コロナや海外情勢が不安定な今を生きる私たちにとっても必須科目になるのだと感じた。

「学び直し」という意味で、リカレント教育という言葉がある。かつて我が国の子どもたちが学んできた「大学」を学び直すことは、江戸時代のような安定した社会基盤を構築するのにつながる。つまり混沌とする現代社会において、「大学」を学び直すことは、とても意義があることだと感じた。まず個人が“徳”を明らかにし、社会を安定させ、国民全体に幸福をもたらす世界を創造していく。そのために必要な一冊が「大学」ではないかと思うに至った。



2022年2月20日日曜日

人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか

 最後に、私が国民の皆様にお伝えしたいのは、将来世代は、私たちが何を為すのかを見つめている、ということです。この将来世代とは、今はまだこの世に生を受けていない日本人も含めてです。
(引用)人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか、著者:山崎史郎、発行:日経BP 日本経済新聞出版本部、2021年、505

本の帯には、次の言葉が書かれている。
「本書はフィクションである、だが語られるのは、すべて現実だ。」
このたび、小説スタイルの新しい解説書が誕生した。その本のタイトルは、「人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか(日本経済新聞出版)」である。人口減少問題は、我が国における最大の課題である。

日本の人口は、このままいけば、2110年には約5300万人になると推計され、今から約100年前と同水準の人口になる。
なぜ、人口減少が問題なのか。ただ、約100年前に戻るだけではないのか。

本書によると、今から約100年前の1915年頃の日本は、高齢化率5%の若々しい国であった。これに対して予想されている将来の日本は、高齢化率が40%に近い年老いた国になるという。では、高齢化率が高まるとどのような課題があるのか。これは、一般論として、高齢化率が高まると、経済成長や社会保障制度に大きな問題が発生することが容易に想定される。本書では、急速に人口減少が進む我が国の未来について、日本商工会議所の三村明夫会頭が政府の委員会において行われた議論の一部を紹介している。三村氏の主張する人口減少に伴う経済への悪影響については、私も納得させられる部分が多かった。「人口減少は、100年前の日本に戻るだけ」という楽観論は、いとも簡単に私の頭から吹っ飛んでいった。

本書では、多角的に人口減少問題に迫る。かつて、これほど人口減少問題を纏めた書籍があっただろうか。この「人口戦略法案」さえ読破すれば、我が国における人口減少問題のすべてを把握できると言っても過言ではない。具体的には、出生率低下の構造・要因の分析から不妊治療、若者たちのライフプランや結婚支援の現状と問題提起、若者の東京一極集中による課題の多い「移民政策」に至るまで、我が国の少子高齢化の現状と要因分析が本書一冊ですべて理解できる。我が国でなぜ少子化が進展しているのか。出生率低下の構造・要因分析は、国際比較を含めた豊富なデータに裏付けされている。そして、本書に登場する人口戦略検討本部事務局の百瀬亮太次長を始め、野口淳一参事官など、国の役人とともに我が国の人口戦略を練り、どうしたら我が国の出生率を向上させていかといった議論に、私たち読者は惹き込まれていく。まさに、小説スタイルの新しい解説書により、政策立案のプロセスに対する理解が深まっていく。

そのような中、百瀬らは、恒久的財源のある分配政策、「子ども保険」構想に辿り着く。私が勉強になったのは、各国の産休・育休制度のスタンスの違いである。スウェーデンでは、1974年に「両親保険」を導入した。この保険は、すべての親を対象に出産·子育てを支援するという『家族政策』の視点、さらに、父親にも育休取得を認める『男女平等政策』の視点も加えて、新たな制度として再構築したものだ。ここで、重要なのは、スウェーデンが社会保険方式、日本は広義で言えば社会保険方式だが、狭義で言えば労働政策の視点から実施されている「労働保険」であることだ。我が国では、労働保険であるが故に対象者が限定されてしまう。一方、スウェーデンでは、 就業の有無や形態を問わず、すべての親を育休制度の対象としていることだ。我が国においても非正規雇用が増加する中で、スウェーデンをはじめフランス、ドイツのように、少子化を克服してきた国が証明するように、すべての親を育休制度の対象とすることの意義は大きいと感じた。

また、男女協働という観点から、父親の育児参加を推進させる仕組み、さらに保育制度との連携·分担をしていることは興味深い。保育制度との連携分担とは、子どもが1歳までは育休で対応し、保育は原則として1歳児以降を対象とする。我が国では、「0歳児保育」による課題も指摘されている。例えば保育所であれば、0歳児の場合、保育士が配置されるべき人数は概ね子ども3人につき保育士1人以上と定められている。そして1歳児と2歳児の場合は子ども概ね6人につき保育士1人以上、3歳児は概ね20人につき1人以上、4歳と5歳児は概ね30人につき1人以上を配置しなければならないとされている。待機児童の課題とともに、保育士不足を解消させるため、保育は原則として1歳児以降を対象とする意義は大きいと感じた。このような先進的な諸外国の事例を踏まえ、本書の中で、百瀬らは「子ども保険」構想の精度を高めていく。

本書では、小説スタイルの解説書というスタンスを取りながらも、真剣に「子ども保険」の是非について議論している。介護保険制度があるように、子ども保険制度は、現実的に我が国の人口減少問題の解決策に成りうるのではないかと感じた。本ブログの冒頭には、本書に登場する佐野内閣総理大臣の言葉を引用した。このまま、人口減少が続き、我が国の未来に希望が持てなくなった若者たちは、年上の世代への不満の矛先として高齢者に向かう。だからこそ、今、真剣に人口減少問題に取り組まなければならないとする佐野内閣総理大臣の言葉は、胸に響いた。

本書では、戦略立案に有効な「世代アプローチ」が紹介されており、指標としてコーホート合計特殊出生率を用いている。このアプローチでは、人口減少を解決する時間的猶予がないことを思い知らされる。国をはじめ、各自治体は、すでに千葉県流山市や福井県のような「仕事と子育ての両立支援」の成功事例も出始めている。特に、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でテレワーク化が進む中、地方都市への関心が高まっている。人口減少問題は東京圏のみの課題ではなく、地方創生の流れとも相まって、地方都市は人減少問題に向けた施策を本格的に進めていく必要があると感じた。

我が国の人口減少を食い止めるために残された時間は少ない。これはフィクションではないが、著者の山崎史郎氏は、2022年(令和4年)4月1日付で内閣官房参与(社会保障・人口問題)に任命された。いよいよ、本書の内容がフィクションからノンフィクションに変わる時がきた。ここで、我が国の人口減少を食い止めることができるかどうか。今一度、人口減少問題を最重要課題として掲げ、我が国は、国や自治体、そして国民が一体となって取り組んでいかなければならない。そのことを痛感させられる一冊であった。

2022年2月5日土曜日

落合陽一34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長

 「介護の世界で何がしたいのか?」
そう聞かれたとき、僕は必ず「介護を自動化するのではなく、介護を”補助“するためのテクノロジーを研究したいと思っている」と答えてきました。
(引用)落合陽一 34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長、発行所:中央法規出版株式会社、2021年、186-187

まず、本のタイトルに惹かれた。自分が34歳の時、「老い」と向き合った時間があったのだろうか。まだ、自分の子どもが小さく、夫婦共働きで、子育てと仕事に奔走していた。そんな34歳の落合陽一氏が「老い」と向きあった書籍を刊行した。我が国は、少子化が進展し、超高齢社会を迎えている。このような社会環境では、「老い」が身近になりつつある。その若き天才が「老い」について、どのように向き合うのか。また、なぜいま「老い」なのか。そして「老い」に対して、テクノロジーはどのように関わってくるのか。そのことに興味を抱き、拝読させていただくことにした。

まず、冒頭の養老孟司氏との対談が面白い。
この対談の印象として、テニスで言えば、落合氏は若さゆえにアグレッシブに攻め、養老氏はベテラン選手のように落ち着いて、的確にロブを返しているような問答であった。
その中で、不可避的な「老い」が迫る中、どのように時間を過ごしていくのか。養老氏は、「やっていることや周囲に対し切実な関心がないと、時間が無駄に過ぎていってしまいますよね(本文、54)」と言われる。
「切実な関心」という言葉に、私はハッとさせられた。いま、私たちの周りに存在する出来事や人々について、切実な関心を持って生きることは、人生の豊かさにつながっていく。いま、自分はどれだけ切実な関心を持って暮らしているのだろうか。私は、養老氏の一言から、地球上にいられる有限的な時間を無駄に使わないようにしようと思った。この対談では、「老い」に留まらず、「死生観」にまで迫る。いかに「第二人称の死」を「第三人称の死」に置き換えるか。養老氏の発する一言に重みを感じ、私も納得させられる内容であった。

高齢化が進み、生産年齢人口が減少していくのに伴い、介護現場においてもテクノロジーとの共存が求められてくる。落合氏は、「デジタルネイチャー」という言葉を用いる。「デジタルネイチャー」とは、コンピューターとそうでないものが親和することで再構築される、新たな「自然環境」のことだ(本書、9)。
デジタルネイチャーを考えていくうえで、何が重要であろうか。本書では、落合氏が関わっている様々な介護のための補助道具などが紹介されている。本ブログの冒頭では、落合氏が介護現場においてテクノロジーを導入する際の考え方を紹介した。
つまり、落合氏が、「介護を自動化するのではなく、介護を”補助“するためのテクノロジーを研究したいと思っている」ということ。この一文から、落合氏が実際に介護現場で働かれるかたに寄り添った開発を心掛けてみえるのだと感じた。

本書では、「介護が成長分野である」ことを主張する落合氏の意見に、我が国の将来に希望が持てる。我が国は高齢化社会を迎え、介護に対するニーズもより一層高まる。しかし、3K(きつい、汚い、危険)のイメージがつきやすい介護については、これから就職を目指す若者にとって、魅力ある職業分野でなければならない。
折しも2022年2月1日、NHK番組「クローズアップ現代+ AI搭載ロボが介護?デジタル介護最前線!」が放映された。番組の中では、AI搭載の介護支援ロボが夜間の見回りで活用したり、施設内のアルコール消毒をしたりしていた。また、各入所者のベッドのマットレス下にはセンサーが設置してあり、介護ステーション内のパソコンモニターでは入所者の睡眠状態が一目でわかる仕組みになっていた。さらには、各入所者の天井には「見守りセンサー」が設置してあり、利用者が転倒や転落などを検知すると、前後1分だけ自動録画すると同時に、介護する人に介助が必要なことを知らせていた。

その番組の中で印象的であったのは、介護する人のインタビューの中に「テクノロジーによって、私たちの業務が効率化され、時間に余裕が生まれた。その分、入所者に寄り添う時間が割ける」といった旨の発言があった。NHKの番組では、介護者が夜勤中、見守りセンサーに反応した入所者のところに出向くシーンが放映された。そして、介護者は、真夜中であるというのに、一緒に車いすで寄り添いながら施設内を”散歩”するシーンが放映されていた。それが本来の”人間しかなし得ない“介護者の姿”だと感じた。このことからも、テクノロジーは介護職が本来の業務を遂行するための補助すべきものであり、介護職は本来の業務である”人間らしく”介助者に寄り添うことが重要なのだと理解した。

そのほか、本書では、英語で分身や化身を意味するアバターのロボット。つまり、パソコンなどを操作し、離れた場所で作業や会話ができるロボットであるOrihimeについて触れられている。私は、アバターロボットを上手く活用することにより、介助者が「行きたくても行けない場所」の空間を共有できるなど、テクノロジーの無限性を知ることとなった。

一般的に、2030年の日本の社会におけるキーワードは、多様性(ダイバーシティー)といわれる。 多様性社会とは、人種・性別・年齢などに一切関係なく、すべての人々が自分の能力を活かし、生き生きと働けることが実現していることを指す。落合氏は、「多様性がある」から「多様性を受け入れる」という包摂的(インクルージョン)な社会の構築を目指す。

高齢化社会を迎え、生産年齢人口が減少する中、人種や性別、年齢にとらわれない多様な人間が集い、誰もが自然に豊かに暮らせる理想の社会を構築していくこと。そのためには、私たちの暮らしにテクノロジーを溶け込ませ、快適に、いつまでも人間らしく、豊かに生きていくことが求められる。落合氏の提唱されるデジタルネイチャーという考え方は、介護の分野のみならず、Society5.0の時代の根幹となる部分ではないだろうかと感じた。
本書を拝読し、誰にも等しく訪れる「老い」と向き合うことは、「人間」と「テクノロジー」が上手に関係性を築くことの重要性を再認識させられた。
超高齢化社会を迎え、ネガティブに捉えられがちな我が国の将来に、本書は一筋の光をもたらすものであった。

2022年1月22日土曜日

幸福なる人生

天風会説くところの心身統一法という教義のねらいは、万物の霊長としての本当に尊い生命を生かすのに必要な資格条件たる体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力という6つの力を現実につくりあげることだ。
(引用)幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録、著者:中村天風、発行所:株式会社PHP研究所、2011年、62-63

先日、中村天風真理瞑想録「力の結晶(発行所:PHP研究所、2020年)」を拝読した。前ブロクにも記したが、私は、天風といえば「誦句(しょうく)」で勇気づけられたこともある。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。・・・」
あまりにも有名なこの誦句は、あらゆる天風にまつわる書籍で紹介されている。しかし、なぜ天風の思想は人々を惹きつけるのか。また、なぜ積極的思考が必要なのか。誦句だけでは、その天風の真髄まで触れることができなかったが、「力の結晶」を拝読すると、天風会の会員しか許されなかったであろう、その誦句の意味する深い理解を得ることができた。

このたび、私は、大変感銘を受けた「力の結晶」と同シリーズの「幸福なる人生」を拝読させていただいた。こちらも中村天風の講演テープを書籍化したものである。
あの大谷翔平や稲盛和夫らが心酔する中村天風。どうすれば、幸福なる人生が送れるのか。人間としての永遠のテーマについて、中村天風は、どのような解をもたらしてくれるのか。とてもワクワクしながら拝読させていただくことにした。

まず天風によると、幸福なる人生を送るためには、冒頭に記した体力から始まる6つの力を豊富にすることが必要だと説く。この6つの力のところで感じたことは、新型コロナウイルスが猛威を振るう現代においても十分通用するということだ。本文中、天風は、「悪い風邪が流行って、ワクチンがないなんていうふうに生きてやせんか」と聴衆に語りかけている。まさにワクチンを奪い合い、有効な治療薬も存在しない。まるで、現在のコロナに怯える私達を見据えたかのような場面である。そして、天風先生は、"悪い風邪”に対しても、体力に自信があれば「びくともしない」と言われる。天風自身も大病を患い、克服した経験から、講演内容にも説得力が増す。まさに天風は、「新型コロナに怯えるな」と、私たちに語りかけてくれているようだ。

また、私は、ヨガのクンバハカ密法についても興味深く読ませていただいた。天風自身がインドで1年7ヶ月もかかって悟った密法だ。このクンバハカについては、天風関連の書籍で多く紹介されている。しかし、天風の講演を書き起こした本書では、クンバハカの目的、方法を分かりやすく説明してくれる。そして、クンバハカを実践することにより、肉体も精神も驚くべき強さを増してくる。ぜひ、天風直伝のクンバハカは、実生活に取り入れたいヨガの秘法であった。

本書を読んで、一番参考になったのは、第7章「正しい食事の基準」であった。私は、人間ドックを受けるたび、尿酸の数値が少し高いことが悩みの種である。かつて、医師にも勧められた方法で尿酸値の改善を試みたこともあったが、なかなか功を奏しない。これは、親からの遺伝なのかと諦めたこともあった。しかし、第7章の部分では、尿酸値を抑えることに多くのページが割かれている。「贅沢病」とも言える痛風にもならないため、尿酸値を抑える秘訣の部分は、多くの現代人にとって必読の箇所であると感じた。今後の食事バランスの考え方ついても、大変参考になるものであった。

この本の帯には、「人間は、この世に煩悶しに来たり、病を患いに来たりしたのではない。この世に生まれたのは、進化向上という偉大な使命を全うするためだ。心を積極化して、幸福を嘆美する人間になれ!」と書かれている。

私は、「力の結晶」そして本書、「幸福なる人生」を拝読して、この帯に書かれている意味が理解できるようになった。天風哲学、イコール積極的思考と捉えられがちだが、違う。ときに天風哲学は、壮大な宇宙根源にも迫る。宇宙のなかにおける人間の存在。そう考えると、自分の悩みすらちっぽけなものに思えてしまう。そして、人間は、宇宙の進化向上に寄与し、そのためには積極的思考をし、幸福なる人生を送ることが大切だということに集約されていく。

本書は、一部のかたしか知り得なかった天風の貴重な講演会記録であり、人生の指針と成りうるものであった。「力の結晶」、そして「幸福なる人生」を刊行したPHP研究所に感謝申し上げたい。

2022年1月8日土曜日

力の結晶

 常に何事にも歓喜し、何事にも感謝してごらん。宇宙の造物主の心がそのままあなた方の心になったことになっているのと同様になるんだ。
(引用) 力の結晶 中村天風心理瞑想録、著者:中村天風、発行所:株式会社PHP研究所、2020年、171

あの大谷翔平や稲盛和夫らが心酔する中村天風。
天風が亡くなってから50年以上経つのに、なぜこれほどまでに支持されているのだろうか。かつて私は、天風の「誦句(しょうく)」で勇気づけられたこともある。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。・・・」
この誦句は、あらゆる天風の書籍で紹介されている。

しかしなぜ天風の思想は人々を惹きつけるのか。また、なぜ積極的思考が必要なのか。誦句だけでは、その天風の真髄まで触れることができなかった。
このたび、中村天風真理瞑想録となる「力の結晶」が刊行された(以下、「本書」という)。多くの著名人を魅了して止まない天風の真髄に触れるべく、本書を拝読させていただくことにした。

この書籍は、中村天風の講演テープを書籍化したものである。今まで、「幸福なる人生(講習会編)」、「心を磨く(研修科編)」に続く第三弾として発刊された。本書は、過去2冊の講演とは異なり、まさに「積極的思考」を焦点にあてたものといえるだろう。講演テープを書籍化したとのことで、今まで一部のかたしか触れることができなかった貴重な資料とも言える。本書では、講演テープをそのまま書き起こしているため、あたかも天風先生の講演を聞いているような感覚を覚える。書籍を読み進めていくうちに、私はすっかり天風ワールドに惹き込まれていった。

積極的思考といえば、古くはフロイトやジョセフ・マーフィーによる潜在意識やナポレオン・ヒルによる「思考は現実化する(きこ書房、1999年)」などが有名である。私もこれらの書籍に触れたことがあるが、なぜ潜在意識が人生を一変させる力を持つのかが理解できなかった。しかし、天風は、心と宇宙との関係、宇宙と同化することの大切さを説く。そして、心の態度、心一つの置きどころというものが、人生をつくるという真理について、天風のユーモアや皮肉を交えた江戸っ子らしいべらんめえ口調で、分かりやすく解説してくれる。西洋の潜在意識の書籍も貴重であるが、私は、同じ日本人として、天風先生の教えが腑に落ちることが多かった。

また、天風は、言葉の力を大切にする。これは、実在意識から潜在意識に感化させるために必要である。言葉に生活を左右させる力があるということを教えてくれる。本書を読み進めていくと、私たちの生命が宇宙霊と結びついていることが理解できる。そこで天風は、宇宙霊の心である「真・美・善」を教えてくれる。美とか善とかは、漢字のイメージから意味を理解しやすいが、これらの漢字には、表層的な理解に留まらない意味があると天風先生は言われる。本書では12もの誦句が紹介されているが、私は、この「真・美・善」ということも意識して生活していこうと思うに至った(この真・美・善の考え方が含まれた誦句も本書で紹介されている)。

積極的、勇気、感謝、信念。本書では、人生どんなに困難に陥ろうとも、その心は断固として積極的に把持(はじ)しなければならないという人間に与えられた宇宙真理が紹介されている。本書では、11日間にわたる天風先生の講演を書き起こしたものである。そのライブ感をそのままに、読者は、深遠なる人生哲学を学ぶことができる。

誦句では、まず天風が読み上げ、そして聴衆者が一同についていく様子も伺える。まず、誦句を読み上げた天風が「さあ、これを一緒についておいで」と聴衆に誦句を唱えることを促すシーンも書き起こされている。天風先生についていけば、人生が一変する。そのことを確信させる一冊となった。

令和4年がスタートした最初の一冊として、本書を読んだ。まだ、新型コロナウイルスの完全なる終息がみえない。いや終息どころか、第6波とも言われるオミクロン株が猛威を振るいはじめてきた。しかし、私は心の持ちよう、そして日々の仕事に熱誠(ねっせい)を持って赴くことが何より大切だと考えるに至った。

私も中村天風に惹かれた一人となった。

2021年12月18日土曜日

戦略質問

 「戦略コンサルティングに3カ月もかけているが、そのうちの8割は、お客様の経営者にお会いして40分で浮かんでいた。」
(引用)戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく、著者:金巻龍一、発行所:東洋経済新報社、2021年、1

私たちは、戦略を練るとき、コンサルの力を借りることも多いのではないだろうか。しかし、本来ならコンサルの力を借りず、自分たちの手で戦略を練っていきたいものだ。どのようにしたら、戦略やビジネスモデルを発想するためのスタートにおいて「ひらめき」を得ることができるのだろうか。また、コンサルは、どのようにして戦略を顧客に提案していくのだろう。そんなことを思い描いていたら、一冊の本に出会った。その書籍は、「戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく」である。著者の金巻氏は、アクセンチュア、PwCコンサルティング、IBM戦略コンサルティンググループなど、20年超にわたり、戦略コンサルティングに従事されてきた。とても興味が湧いたので、拝読させていただくことにした。

本書では、巻末にも纏められているが10のセントラルクエスチョンが登場する。書籍のタイトルにもなっている「質問」、つまりコンサルから顧客への問いかけが戦略を練り上げることにつながっていく。冒頭、戦略などには、「ひらめき」を得ることが大切だと書いた。本書には、金巻氏が「あなたの会社のあるべき姿はなんですか?」とポピュラーな質問をするのではなく、「(経営トップである)あなたの個人的な野心はなんでしょうか?」と言う問いかけをすることがあるという(本書、30)。私は、この「野心(アンビション)」と言う単語が気に入った。本書では、金巻氏自身の経験により、PwCコンサルティングが突如、IBMから買収を受けたときのエピソードを紹介している。その際、私は、日本のPwCコンサルティング代表だった倉重英樹氏が「この統合の野心を語ろう」と言われたことに感銘を受けた。その結果、IBM対PwCが「IBM+PwC」対「競合」という図式になったのかなと金巻氏は語っている。この「野心」という単語には、敵対すると思われる相手に対しても、ともに共通の思いを駆り立てるということに有効であると感じた。

冒頭に紹介したのは、金巻氏が事業会社の経営者からコンサルティング会社の代表に転身されたかたがふと口にされた言葉であるという。金巻氏も、かなりの衝撃を受け、心のどこかに同じような感覚を覚えたと言われる。

そこから本書はスタートしているのだが、本当にコンサルがそのように思っていたとしたら、クライアントからすれば高いフィーをコンサルに支払い、時間も無駄にしていることになる。このたび、金巻氏が本書では、惜しげもなく、コンサルの質問について披露してくれている。それぞれ、10のセントラルクエッションは、なぜこの質問をするのかと言った背景まで説明してくれている。本書で紹介されている質問にそって解を見つけていけば、戦略のコアにたどり着く。自社が競争優位に立つべきには、どのような発想、ひらめきが必要なのだろうかという戦略のコアに向かって。

さらに本書では、ビジョンと戦略は結びつかなければならないのか、また経営戦略と経営計画の違いなど、ベーシックな部分にも触れられている。また、当然ながら、それを実現させるためのミッシングパーツ(不足する機能や能力)を洗い出す質問も忘れていない。

本書の最後では、金巻氏が尊敬するという経営者から教えていただいた静止画と動画の話が登場する。これは、会社の野心とその道筋をシンプルに語る上で有効だと感じた。

金巻氏によれば、誰にでも「戦略策定の機会がある」と言われる。
本書は、立案された戦略が、本当に戦略になっているのか、また「選択と集中」が行われているかを問うことができる。そして、何かと膨張しやすい戦略は、少人数、短期決戦で戦略を立案するときに集中して討議していくことが重要だと理解した。

時に「戦略」という言葉が独り歩きし、なんのために「戦略」を立てているのか、また有効に機能しているのか分からなくなるときもある。しかしながら、ここに紹介された「戦略質問」によって、読者は、優れた打ち手がひらめき、真の戦略を手に入れることができると実感した。

今後、私も実際の仕事において、戦略質問を活用していきたいと思うに至った。


2021年12月4日土曜日

いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている

 行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。       大平正芳 

(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253

本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。

このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。

本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。

本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。

ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。

では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。

本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。

本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。

冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。

本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。

私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。

本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。

危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。