2022年1月22日土曜日

幸福なる人生

天風会説くところの心身統一法という教義のねらいは、万物の霊長としての本当に尊い生命を生かすのに必要な資格条件たる体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力という6つの力を現実につくりあげることだ。
(引用)幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録、著者:中村天風、発行所:株式会社PHP研究所、2011年、62-63

先日、中村天風真理瞑想録「力の結晶(発行所:PHP研究所、2020年)」を拝読した。前ブロクにも記したが、私は、天風といえば「誦句(しょうく)」で勇気づけられたこともある。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。・・・」
あまりにも有名なこの誦句は、あらゆる天風にまつわる書籍で紹介されている。しかし、なぜ天風の思想は人々を惹きつけるのか。また、なぜ積極的思考が必要なのか。誦句だけでは、その天風の真髄まで触れることができなかったが、「力の結晶」を拝読すると、天風会の会員しか許されなかったであろう、その誦句の意味する深い理解を得ることができた。

このたび、私は、大変感銘を受けた「力の結晶」と同シリーズの「幸福なる人生」を拝読させていただいた。こちらも中村天風の講演テープを書籍化したものである。
あの大谷翔平や稲盛和夫らが心酔する中村天風。どうすれば、幸福なる人生が送れるのか。人間としての永遠のテーマについて、中村天風は、どのような解をもたらしてくれるのか。とてもワクワクしながら拝読させていただくことにした。

まず天風によると、幸福なる人生を送るためには、冒頭に記した体力から始まる6つの力を豊富にすることが必要だと説く。この6つの力のところで感じたことは、新型コロナウイルスが猛威を振るう現代においても十分通用するということだ。本文中、天風は、「悪い風邪が流行って、ワクチンがないなんていうふうに生きてやせんか」と聴衆に語りかけている。まさにワクチンを奪い合い、有効な治療薬も存在しない。まるで、現在のコロナに怯える私達を見据えたかのような場面である。そして、天風先生は、"悪い風邪”に対しても、体力に自信があれば「びくともしない」と言われる。天風自身も大病を患い、克服した経験から、講演内容にも説得力が増す。まさに天風は、「新型コロナに怯えるな」と、私たちに語りかけてくれているようだ。

また、私は、ヨガのクンバハカ密法についても興味深く読ませていただいた。天風自身がインドで1年7ヶ月もかかって悟った密法だ。このクンバハカについては、天風関連の書籍で多く紹介されている。しかし、天風の講演を書き起こした本書では、クンバハカの目的、方法を分かりやすく説明してくれる。そして、クンバハカを実践することにより、肉体も精神も驚くべき強さを増してくる。ぜひ、天風直伝のクンバハカは、実生活に取り入れたいヨガの秘法であった。

本書を読んで、一番参考になったのは、第7章「正しい食事の基準」であった。私は、人間ドックを受けるたび、尿酸の数値が少し高いことが悩みの種である。かつて、医師にも勧められた方法で尿酸値の改善を試みたこともあったが、なかなか功を奏しない。これは、親からの遺伝なのかと諦めたこともあった。しかし、第7章の部分では、尿酸値を抑えることに多くのページが割かれている。「贅沢病」とも言える痛風にもならないため、尿酸値を抑える秘訣の部分は、多くの現代人にとって必読の箇所であると感じた。今後の食事バランスの考え方ついても、大変参考になるものであった。

この本の帯には、「人間は、この世に煩悶しに来たり、病を患いに来たりしたのではない。この世に生まれたのは、進化向上という偉大な使命を全うするためだ。心を積極化して、幸福を嘆美する人間になれ!」と書かれている。

私は、「力の結晶」そして本書、「幸福なる人生」を拝読して、この帯に書かれている意味が理解できるようになった。天風哲学、イコール積極的思考と捉えられがちだが、違う。ときに天風哲学は、壮大な宇宙根源にも迫る。宇宙のなかにおける人間の存在。そう考えると、自分の悩みすらちっぽけなものに思えてしまう。そして、人間は、宇宙の進化向上に寄与し、そのためには積極的思考をし、幸福なる人生を送ることが大切だということに集約されていく。

本書は、一部のかたしか知り得なかった天風の貴重な講演会記録であり、人生の指針と成りうるものであった。「力の結晶」、そして「幸福なる人生」を刊行したPHP研究所に感謝申し上げたい。

2022年1月8日土曜日

力の結晶

 常に何事にも歓喜し、何事にも感謝してごらん。宇宙の造物主の心がそのままあなた方の心になったことになっているのと同様になるんだ。
(引用) 力の結晶 中村天風心理瞑想録、著者:中村天風、発行所:株式会社PHP研究所、2020年、171

あの大谷翔平や稲盛和夫らが心酔する中村天風。
天風が亡くなってから50年以上経つのに、なぜこれほどまでに支持されているのだろうか。かつて私は、天風の「誦句(しょうく)」で勇気づけられたこともある。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。・・・」
この誦句は、あらゆる天風の書籍で紹介されている。

しかしなぜ天風の思想は人々を惹きつけるのか。また、なぜ積極的思考が必要なのか。誦句だけでは、その天風の真髄まで触れることができなかった。
このたび、中村天風真理瞑想録となる「力の結晶」が刊行された(以下、「本書」という)。多くの著名人を魅了して止まない天風の真髄に触れるべく、本書を拝読させていただくことにした。

この書籍は、中村天風の講演テープを書籍化したものである。今まで、「幸福なる人生(講習会編)」、「心を磨く(研修科編)」に続く第三弾として発刊された。本書は、過去2冊の講演とは異なり、まさに「積極的思考」を焦点にあてたものといえるだろう。講演テープを書籍化したとのことで、今まで一部のかたしか触れることができなかった貴重な資料とも言える。本書では、講演テープをそのまま書き起こしているため、あたかも天風先生の講演を聞いているような感覚を覚える。書籍を読み進めていくうちに、私はすっかり天風ワールドに惹き込まれていった。

積極的思考といえば、古くはフロイトやジョセフ・マーフィーによる潜在意識やナポレオン・ヒルによる「思考は現実化する(きこ書房、1999年)」などが有名である。私もこれらの書籍に触れたことがあるが、なぜ潜在意識が人生を一変させる力を持つのかが理解できなかった。しかし、天風は、心と宇宙との関係、宇宙と同化することの大切さを説く。そして、心の態度、心一つの置きどころというものが、人生をつくるという真理について、天風のユーモアや皮肉を交えた江戸っ子らしいべらんめえ口調で、分かりやすく解説してくれる。西洋の潜在意識の書籍も貴重であるが、私は、同じ日本人として、天風先生の教えが腑に落ちることが多かった。

また、天風は、言葉の力を大切にする。これは、実在意識から潜在意識に感化させるために必要である。言葉に生活を左右させる力があるということを教えてくれる。本書を読み進めていくと、私たちの生命が宇宙霊と結びついていることが理解できる。そこで天風は、宇宙霊の心である「真・美・善」を教えてくれる。美とか善とかは、漢字のイメージから意味を理解しやすいが、これらの漢字には、表層的な理解に留まらない意味があると天風先生は言われる。本書では12もの誦句が紹介されているが、私は、この「真・美・善」ということも意識して生活していこうと思うに至った(この真・美・善の考え方が含まれた誦句も本書で紹介されている)。

積極的、勇気、感謝、信念。本書では、人生どんなに困難に陥ろうとも、その心は断固として積極的に把持(はじ)しなければならないという人間に与えられた宇宙真理が紹介されている。本書では、11日間にわたる天風先生の講演を書き起こしたものである。そのライブ感をそのままに、読者は、深遠なる人生哲学を学ぶことができる。

誦句では、まず天風が読み上げ、そして聴衆者が一同についていく様子も伺える。まず、誦句を読み上げた天風が「さあ、これを一緒についておいで」と聴衆に誦句を唱えることを促すシーンも書き起こされている。天風先生についていけば、人生が一変する。そのことを確信させる一冊となった。

令和4年がスタートした最初の一冊として、本書を読んだ。まだ、新型コロナウイルスの完全なる終息がみえない。いや終息どころか、第6波とも言われるオミクロン株が猛威を振るいはじめてきた。しかし、私は心の持ちよう、そして日々の仕事に熱誠(ねっせい)を持って赴くことが何より大切だと考えるに至った。

私も中村天風に惹かれた一人となった。

2021年12月18日土曜日

戦略質問

 「戦略コンサルティングに3カ月もかけているが、そのうちの8割は、お客様の経営者にお会いして40分で浮かんでいた。」
(引用)戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく、著者:金巻龍一、発行所:東洋経済新報社、2021年、1

私たちは、戦略を練るとき、コンサルの力を借りることも多いのではないだろうか。しかし、本来ならコンサルの力を借りず、自分たちの手で戦略を練っていきたいものだ。どのようにしたら、戦略やビジネスモデルを発想するためのスタートにおいて「ひらめき」を得ることができるのだろうか。また、コンサルは、どのようにして戦略を顧客に提案していくのだろう。そんなことを思い描いていたら、一冊の本に出会った。その書籍は、「戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく」である。著者の金巻氏は、アクセンチュア、PwCコンサルティング、IBM戦略コンサルティンググループなど、20年超にわたり、戦略コンサルティングに従事されてきた。とても興味が湧いたので、拝読させていただくことにした。

本書では、巻末にも纏められているが10のセントラルクエスチョンが登場する。書籍のタイトルにもなっている「質問」、つまりコンサルから顧客への問いかけが戦略を練り上げることにつながっていく。冒頭、戦略などには、「ひらめき」を得ることが大切だと書いた。本書には、金巻氏が「あなたの会社のあるべき姿はなんですか?」とポピュラーな質問をするのではなく、「(経営トップである)あなたの個人的な野心はなんでしょうか?」と言う問いかけをすることがあるという(本書、30)。私は、この「野心(アンビション)」と言う単語が気に入った。本書では、金巻氏自身の経験により、PwCコンサルティングが突如、IBMから買収を受けたときのエピソードを紹介している。その際、私は、日本のPwCコンサルティング代表だった倉重英樹氏が「この統合の野心を語ろう」と言われたことに感銘を受けた。その結果、IBM対PwCが「IBM+PwC」対「競合」という図式になったのかなと金巻氏は語っている。この「野心」という単語には、敵対すると思われる相手に対しても、ともに共通の思いを駆り立てるということに有効であると感じた。

冒頭に紹介したのは、金巻氏が事業会社の経営者からコンサルティング会社の代表に転身されたかたがふと口にされた言葉であるという。金巻氏も、かなりの衝撃を受け、心のどこかに同じような感覚を覚えたと言われる。

そこから本書はスタートしているのだが、本当にコンサルがそのように思っていたとしたら、クライアントからすれば高いフィーをコンサルに支払い、時間も無駄にしていることになる。このたび、金巻氏が本書では、惜しげもなく、コンサルの質問について披露してくれている。それぞれ、10のセントラルクエッションは、なぜこの質問をするのかと言った背景まで説明してくれている。本書で紹介されている質問にそって解を見つけていけば、戦略のコアにたどり着く。自社が競争優位に立つべきには、どのような発想、ひらめきが必要なのだろうかという戦略のコアに向かって。

さらに本書では、ビジョンと戦略は結びつかなければならないのか、また経営戦略と経営計画の違いなど、ベーシックな部分にも触れられている。また、当然ながら、それを実現させるためのミッシングパーツ(不足する機能や能力)を洗い出す質問も忘れていない。

本書の最後では、金巻氏が尊敬するという経営者から教えていただいた静止画と動画の話が登場する。これは、会社の野心とその道筋をシンプルに語る上で有効だと感じた。

金巻氏によれば、誰にでも「戦略策定の機会がある」と言われる。
本書は、立案された戦略が、本当に戦略になっているのか、また「選択と集中」が行われているかを問うことができる。そして、何かと膨張しやすい戦略は、少人数、短期決戦で戦略を立案するときに集中して討議していくことが重要だと理解した。

時に「戦略」という言葉が独り歩きし、なんのために「戦略」を立てているのか、また有効に機能しているのか分からなくなるときもある。しかしながら、ここに紹介された「戦略質問」によって、読者は、優れた打ち手がひらめき、真の戦略を手に入れることができると実感した。

今後、私も実際の仕事において、戦略質問を活用していきたいと思うに至った。


2021年12月4日土曜日

いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている

 行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。       大平正芳 

(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253

本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。

このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。

本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。

本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。

ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。

では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。

本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。

本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。

冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。

本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。

私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。

本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。

危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。


2021年11月23日火曜日

公民連携 まちづくりの実践

 自治体が失敗を許容できるかというマインドセットの転換が求められている。重要なのは、このマインドセットの転換を自治体職員のメンタリティの問題に帰着させるのではなく、失敗を許容できるシステムをつくることである。
(引用) 公民連携まちづくりの実践 公共資産の活用とスマートシティ、著者:越直美、発行所:株式会社学芸出版社、2021年、156-157

このたび、2012年から2020年まで大津市長を務められた越直美氏が本を出版された。越直美氏といえば、大津のいじめ問題が真っ先に思い浮かぶ。その後、いじめ再発防止として、2013年度から市立小中学校にいじめ対策担当教員を配置したり、いじめまたはその疑いを発見した場合には、24時間以内に「いじめ事案報告書」を24時間以内に教育委委員会に提出したりすることとした(本書、175)ことは記憶に新しい。そんな越氏は、市長最後となる記者会見において、「自己評価は100点で、やりきったという思いだ」と語っていた。その記者会見の中において、確か、民間を活用したまちづくりの成果についても触れられていたと思う。越氏は、なぜ公民連携のまちづくりを進めたのだろうか。またどのような成果をもたらしたのだろうか。さらには首長としてどのようなリーダーシップを発揮したのだろうか。疾風のごとく、2期8年という短い在任期間において、大津の市政に変革をもたらしたとされる越氏の行政手腕が知りたくなり、越直美氏による「公民連携まちづくりの実践 公共資産の活用とスマートシティ(学芸出版社)」を拝読させていただくことにした。

恐らくだが、地方自治体のトップの座に就くと、誰もが共通の課題に頭を抱える。

それは、人口減少、少子高齢化、施設老朽化という難問が立ちはだかるからだ。越氏も市長在任期間中は、この3点の課題解決のため奔走した。これらの課題解決には、当然、相応の予算確保をしなければならない。越氏は、その解決策を公民連携という形で見出した。

大津市では、1950年から続いていた「おおつびわこ競輪場」が2010年度末に廃止された。この広大な跡地の利活用については、自治体にとって頭が痛い課題である。特に、公共のみで単独予算を確保し、新たな公共施設を建設したり公園整備したりすることは、住民や市議会の同意が得られるかなど、ハードルが高い。そこで、大津市は、競輪場跡地について、定期借地による民間事業者主導の施設・広場整備を実施した。そして、2019年、公園と一体化した複合商業施設「ブランチ大津京」がオープン。「ブランチ大津京」では、まちづくりスポットやママスクエア、ボルタリング施設、スポーツと飲食の複合施設などを兼ね備える空間が創り出された。
この公民連携手法により、市民は賑わい・憩い・集いの場が得られ、大津市は解体費を支出せず、公園や借地料が得られ、事業者や社会も潤う構図が生まれた。これは、越氏も触れているが、近江商人の商売の心得、「売り手良し、買い手良し、社会良し」の「三方良し」に繋がる。この三方良しは、民間資金を用いるため、自治体の予算軽減が主目的に思えるが、そうでもない。行政の政策は、時として、独りよがりなものになってしまうこともある。そこで「民」と連携することにより、市民ニーズ(顧客ニーズ)に敏感な「民間ノウハウ」を「公の政策」として取り入れることが可能となる。つまり、行政思考の限界を突破し、新たなアイデアによってまちが創り上げられていく。公共だけでは成しえない、民間アイデアを公共政策に持ち込むことこそ、公民連携の醍醐味があるのだと感じた。

越氏が本気だなと思ったのは、リノベーションによるまちづくりである。リノベーションスクールは、かつて、私も仕事で関わったことがある。私は、その第一人者である木下斉氏が「補助金は麻薬」と言われたことが頭から離れない。つまり、地方自治体は、まちづくりをしようと地元と連携するために「補助金」を支出する。しかし、地元は、継続的な自治体からの補助金を当て込み、本格的なまちづくりに繋がらなくなる。その負のスパイラルを脱すべく、公共空間のリノベーションについては、民主導で実施し、行政は側面支援することが求められる。その中で、私が本気だと思ったことは、まちづくりの担当部署である都市再生課を、リノベーションが進む街中の町家に移転させたことだ。

これは、越氏がリノベーションに関する書籍で「まちづくりの部署は、街にあるべき」という見出しに触発されたことによる。自治体の首長が市の行政組織の一部を切り離し、空洞化した市の中心市街地に配置するのは相当の勇気がいる。その組織の管理はどうするのか、市として無駄な組織配置になっていないかなど、行政の一挙一投足について、住民や議会に対して説明責任を問われることになるからだ。幸いにも、大津市では、都市再生課を街中に配置したことは、功を奏したようだ。この件から私は、まちづくりについて、民に近いところにいることの重要性を教えていただいた。

最近、私は、「MaaSが地方を変える(森口将之著、学芸出版社)」を読んだばかりだが、大津市もMaaSや自動運転の取り組みをしていたのは、意外であった。MaaSとは、Mobility as a Serviceの略で、「地域住民や旅行者1人ひとりのトリップ単位での移動ニーズ対比に対応して、複数の公共交通やそれ以外の移動サービスを最適に組み合わせて検索・予約・決済等を一括で行うサービスである(本書、149-150)」。大津市も移動の利便性向上と地域経済の活性化を目的とし、MaaSアプリ「ことことなび」をリリースした。この事業ももちろん、民間である京阪バスなどとともにアプリを配信している。また、バス運転手の不足から、自動運転バスにも果敢に挑戦している。弁護士でもある越氏は、自動運転バスの事故が発生した際の許容をどのように定めていくのかと指摘する。高齢化社会を迎え、免許返納など、住民の「足」確保がより深刻な課題となってくる。限られた資源で、どのように公共交通(場合によっては自家用有償旅客運送登録制度等も含む)を確保していくのか、またストレスなく人々が移動できるようにしていくのかは、各自治体の喫緊の課題であろう。特に、高齢者は、街中に出向くと医療費が減少したという自治体もある。生活だけではなく、健康を維持させていくためにも、各自治体にとって、交通政策は、大きな課題と言える。その意味で、公民連携をしながら、新たな自動運転やMaaSにも力を入れた越氏の功績は大きいと感じた。

冒頭、越氏の言葉を引用した。行政は、税金を使う以上、失敗が許されない。しかし、松下幸之助氏など、民間の優れた経営者は、失敗を推奨する。最近では、後発ながらビール事業などを軌道に乗せてきたサントリーの「やってみなはれ」精神も注目されている。失敗して、次に活かす。また、チャレンジしてみないとわからないという精神が難局に立った自治体にも求められるのだろう。その意味で、滋賀県は、近江商人発祥の地ということもあり、行政のトップの資質にもよるが、民間的な感覚で行政運営しているようにも見受けられる。越氏は、行政が失敗しても説明できるような具体策も本書で紹介している。そのキーワードも「公民連携」である。

自治体の長として、2期8年で成果を出すことは難しい。それは、あまりにも行政の動きが遅いことも起因している。議会や住民説明など、スローに進む行政サイクルに抗し、民間による“スピード”を取り入れたことも「公民連携」の優れた点と言えるのではないだろうか。

市政を率いてきた越氏は、「公民連携」することの意義について、市長時代の実績をもとにエビデンスを示してくれた。今後、「公民連携」は、各自治体にとって益々広がりをみせていくのだろうと感じた。


2021年11月14日日曜日

MaaSが地方を変える

 どこがMaaSの本なんだ。本書を読んでいただいた方の中には、そんな感想を抱いた人がいるかもしれない。

(引用)MaaSが地方を変える 地域交通を持続可能にする方法、著者:森口将之、発行所:株式会社学芸出版社、2021年、198

私は、森口さんの「MaaSが地方を変える」を読んで、正直、MaaSの定義がわからなくなってしまった。MaaS(Mobility as a Service)の定義は、「ICTを活用して多様なモビリティをシームレスに統合し、単一のサービスとして提供すること(本書、198)」である。MaaSを語るなら、先進であるフィンランドなどの事例が参考となることだろう。しかし、本書にも先進自治体の事例が紹介されているが、我が国のMaaSは、未だ完全に定義を満たしていないものも存在する。

森口氏によれば、我が国のMaaSの先進事例は、富山市であると言われる。富山市のコンパクトシティと交通政策については、あまりにも有名だ。森雅志前市長の強力なリーダーシップのもと、「お団子(地域拠点)と串(公共交通)のまちづくり」をすすめ、2006年、日本初の本格的LRTとして運行を始めた。現在、富山市は、公共交通を基軸にコンパクトなまちづくりをすすめている。
2020年には、ハード整備が一段落したこともあり、公共交通のソフト整備に重きをおいている。ここで興味深いのは、筆者の森口氏が「アナログMaaSの代表『おでかけ定期券』」という言葉を使っていることである。MaaSとは、冒頭に述べたICTを活用して多様なモビリティをシームレスに統合することである。しかしながら、富山市の「おでかけ定期券」は、市内65際以上のかたが市内各地から中心市街地へおでかけになる際、公共交通期間を1乗車100円で利用できる定期券である。森口氏によれば、フィンランドでMaaSの概念が誕生する前から、複数の交通で割引が受けられ、沿線の商店や施設との連携を果たし、定額制を導入した富山市の事例は先進的であるとし、「アナログMaaS」と名付けた(本書、50)と言われる。

確かに、富山市の事例もMaaSに通じている。では、アナログでもMaaSを活用した事例から得られるメリットは何であろうか。その解も富山市から得ることができる。さきほどの富山市の「おでかけ定期券」によって、高齢者が外に出歩くことが増えたという。そして、「おでかけ定期券」を所持していたかたたちは、所持していないかたたちと比較して、約8万円、医療費が安く済んでいるという(本書、52)。

その後、富山市では、モビリティやまちづくり関連の政策として、「とほ活」というスマートフォンのアプリを開発した。現在、我が国は、高齢化社会を迎え、免許返納などの課題が生じている。しかし、自家用車を運転しなければ生活できないかたたちもいる。まず、まちづくりとは、高齢者にあまり負荷をかけず、必要な生活物資が揃うことが必要なのだろう。また、自然に街にでかけて生きたくなる仕掛け作りをする中で、人々の幸福と安心感、健康が実現できるのだろう。その結果として、中心市街地に人が集うようになることが必要なのだろうと感じた。富山市の事例から、私は、この正のスパイラルが公共交通政策を活用しながら生み出していくことが大事ではないかと考えるに至った。

そのほか、森口氏による「MaaSが地方を変える」には、様々な各自治体の取り組みが紹介されている。私が興味を持ったのは、京都府の最北端に位置する京丹後市の公共交通の取り組みである。こちらは、高速バスの運行などで知られるWILLER(ウィラー)グループが京都丹後鉄道の運行を始めたり、自家用有償旅客運送制度とUberのアプリを活用した「ささえ合い交通」を導入したりしている。外資の資金力やノウハウを取り入れ、それぞれ地方の特性にあったMaaSを構築していく。このたび、初めて私も知ったのだが、自家用有償旅客運送とは、公共交通の整備が行き届いていない過疎地域に自家用車を用い、一般ドライバーの運転で旅客の移動を支えるサービスのことだ。普通、乗客(旅客)を運ぶ目的で、旅客自動車を運転するときには、2種免許が必要となる。しかし1種免許保有+自家用有償旅客運送の種類に応じた大臣認定講習の受講により、他にも条件があるが、一般運転ドライバーの運転で旅客を乗車させることが可能になった。1)しかし、この自家用有償旅客運送についても、限定的なものしか認められないことに留意しなければならない。

京丹後市の事例は、WILLERやUberなどの外資とノウハウが上手く取り入れられた格好だ。本ブログの冒頭に記したが、著者は、「どこがMaaSの本なんだ」と思われる読者もみえることを想定していた。それは、MaaSの歴史が浅いこと、また必ずしも先進諸外国の事例を真似しなくてもよいことが理由として挙げられるのではないだろうか。我が国の、我が地域の公共交通政策があっていい。それが結果的に地方版のMaaSといえるようになっていくのだと感じた。本書では、先進自治体の事例も豊富に紹介されている。これらの事例を参考に、各自治体は、自分たちのまちに即したMaaSを構築してくことになるといえる。高齢化社会を迎え、どの自治体も交通政策は、早急に解決したい課題である。より一層、私たちの住むまちを便利であり、幸福であり、健康的であるものにしていくために各自治体は、知恵を絞って自分なりのMaaSを構築していかなければならないと感じた。

1)自家用有償旅客運送ハンドブック(平成30年4月、令和2年11月改定、国土交通省自動車局旅客課)


2021年10月30日土曜日

アフター・コロナの学校の条件

 提言3-1 小さな足で通える小さな学校の小さな学級をつくろう
(引用)アフター・コロナの学校の条件、著者:中村文夫、発行所:株式会社岩波書店、2021年、185

現在、学校を取り巻く環境については、大きく変化している。特に、学校の全国一斉休業や国により急速に進めた児童・生徒1人1台タブレット端末整備は、今後の学校のあり方を根本から変えるものであったと思う。

コロナを契機として、学校はどのように変化したのか。そして、新型コロナウイルス感染症を契機として、今後の学校は、どのようにあるべきなのか。そんな思いから、長年、学校事務員の立場から学校を見てきた中村文夫氏による「アフター・コロナの学校の条件((株)岩波書店、2021年)」を拝読させていただくことにした。中村氏による書籍では、学校の防災拠点、国によるGIGAスクール構想による教育情報化、学校の統廃合、学校給食、義務教育の保護者負担について論じている。その中で、自分の興味のあった部分は、教育情報化と学校給食、そして学校の統廃合であった。

まず、国によるGIGAスクール構想の実現は、主として、児童生徒1人1台タブレット端末の整備であった。この構想は、新型コロナウイルス感染症を契機として、前倒しされた。具体的には、当初、令和5年度までに段階的に整備するはずであったが、オンライン学習を見据え、一気に令和2年度中に整備を終えてしまうというものであった。これを受け、各市町の教育委員会は、昨年度、仕事に忙殺され、学校の通信インフラ整備とタブレット端末購入に明け暮れた。

中村氏は、本書において学校情報化の課題を5点に纏めている。その中で、ICTを活用した指導に対する教師の資質・能力を挙げている。タブレット端末自体は、スマホも含めて老若男女問わず使いこなしている。しかし、オンライン授業への活用となると、教師の負担(特に授業の事前準備)は計り知れないものだろうと感じた。そもそも、タブレット端末を導入する際は、どのようなビジョンを持ち、セキュリティ対策を含めた活用をイメージし、教師へのマニュアル作りも含めて導入しなければならない。ただ、「子供たちにタブレット端末を配備しました」だけでは、実際の授業現場で活用されない。タブレット端末を配備する際における教育委員会の「戦略」と「戦術」が何より重要であると感じた。

続いて、学校給食についてである。学校給食費は、学校給食法によって、食材費相当分は保護者負担とされている。また、学校給食は、世界でも珍しく、給食自体が食育の教材としての役目も果たしている。そのため、各給食センターなどには、栄養教諭が配置され、献立作成をはじめ、子供たちの成長・生育費必要な栄養バランス、地場産物の活用などに力を入れている。その学校給食の無償化についても、中村氏は提言をしている。教育行財政研究所による調査(2021年)によると、全国で1割近くの自治体が学校給食費の無償化を実施。さらに一部補助を含めると3割近くの自治体が独自の財政負担によって保護者負担を軽くしているという(本書、109)。
小規模自治体なら学校給食無料化は、実現がしやすいだろう。しかし、中核市以上の自治体は、財政負担が膨大なものとなり、遅々として無償化が進まないのが現状である。学校給食無料化であれば、現状の食材費相当は保護者負担であるという学校給食法の改正とあわせ、国の財源措置が求められる。子供たちの健康は、安全・安心で美味しい学校給食の実現で成り得るものだ。現在、子どもの貧困の問題も深刻化している。新型コロナウイルス感染症拡大により、貧富の格差はさらに拡大している。どのような生活環境であっても、国民は教育を受ける権利がある。学校給食が教材であるならば、中村氏が主張するように給食費を無料化するといった議論も盛んになるのだろうと感じた。

最後は、学校の統廃合についてである。少子高齢化の進展に伴い、どの教育委員会も頭が痛い課題である。この学校統廃合の課題は、2015年に一つの転機を迎えたと考えられる。文科省は、2015年の通知で、1学年1学級未満の複式学級が存在する小規模学校は、へき地、離島などの特別な事情がない限り統合すべきだという見解を出した(本書、66)。また、通学範囲についても、小学校で4㎞、中学校で6㎞という従来の範囲に加え、概ね片道1時間以内という時間設定の目安がなされた(本書、68)。
ここで課題となるのは、学校統廃合が国や自治体の予算削減のためということである。
本来の目的は、中村氏が指摘するように子供たちのためであると思う。特に、小学校低学年の児童が片道1時間もかけて通学を余儀なくされるとなれば、それだけで体力が奪われてしまうだろう。また、学校とは、地域のコミュニティ的な役割を果たしている。子どもたちは、身近な存在の学校を失うことで、生まれ育った地において、将来の自分の姿を描くことができるのだろうか。学校の統廃合については、国や行政の都合だけではなく、慎重に議論していく必要があるのだと感じた。

本書の最後では、中村氏によるアフター・コロナの学校の提言が8つ並ぶ。冒頭に紹介したのは、そのうちの一つだ。繰り返すが、教育とは、次代を担う子供たちのためにあるべきである。中村氏による書籍は、そのことを再認識させていただくものであった。