2022年6月16日木曜日

賢者の目は頭の中にあり

 『自助論』は「賢者の目は頭の中にあり」と言います。

(引用) ビジネスの名著を読む「リーダーシップ編」、著者:高野研一、編者:日本経済新聞社、発行:株式会社日経BP,日本経済新聞出版、発売:日経BPマーケティング、2022年、92

働き方改革、Z世代の採用、非正規雇用の増加…。私は、働き始めて30年が経過しようとしているが、その間、職場環境が激変したと思う。それに加え、新型コロナウイルスの感染症拡大による影響により、テレワーク、郊外への移住などにより、社会環境も激変した。

そのような不透明な時代だからこそ、新たなリーダーシップを謳った書籍が店頭に並んでいる。しかしながら、いつの時代においても、リーダーシップの考え方の根底にあるものは、古来より、不変ではないだろうか。その根底にあるものは何か。それが知りたくて、本屋に出向いたら、一冊の本に出会った。その書籍は、「ビジネスの名著を読む リーダーシップ編(株式会社日経BP、日本経済新聞出版、2022年)である。この本を数ページめくってみると、単なるビジネスの名著を紹介しただけではなさそうだ。本の「まえがき」には、「本書の中では、こうしたカリスマ経営者ならではのモノの見方や、そのカリスマ性が発揮された経営判断の場面を題材として取り上げ、エクササイズに仕立てています」とある。これは面白いと思い、早速、拝読させていただくことにした。

まず、目次を見ると、本書には、20冊のビジネス書が紹介されている。その中身は、デール・カーネギーの「人を動かす」や、サミュエル・スマイルズの「自助論」、スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」や稲盛和夫の「アメーバ経営」、松下幸之助の「道をひらく」に至るまで、贅沢とも言える名著がずらりと並ぶ。そういえば、私の大好きなトム・ピーターズも登場する。かつて、私は、この20冊のうち9冊を読んだことがある。

本書に登場するデール・カーネギー著の「人を動かす」は、PwC Japan 執行役常務の森下幸典氏が紹介している。本書では、「人を動かす3原則」から始まり、デール・カーネギーによる人を動かすための極意が森下氏の視点を踏まえて紹介されている。そしてケーススタディとして、「もし、上司が誤った発言をしたら」との質問が用意されていた。皆さんなら、この質問にどう回答されるのだろう。この回答は、「人を動かす」を何度も読んで見えたかたなら、すんなりとできるようになっている。このように本書では、ずらりと並ぶ名著の理解を深めるためにケーススタディが用意されているのみならず、20冊の名著を紹介する一流の経営者らがどのように読み、どのように理解し、どのように感じたのかといったことが理解できる。名著を紹介するカリスマ経営者の視点は、自分と異なっていたところもあり、さらに名著の奥深さを知ることになる。

冒頭の引用文は、英国の作家、サミュエル・スマイルズが著した「自助論」からである。「自助論」といえば、「天は自ら助くる者を助く」という序文があまりにも有名である。この序文の印象があまりにも強く、精神論的な意味合いが強い書籍だと思いがちである。しかしながら、本書で「自助論」を紹介しているベイン・アンド・カンパニー・ジャパンの日本法人会長である奥野慎太郎氏は、「自助論」をビジネスへの活用事例を組み合わせ、分かりやすく解説してくれる。その中で、私が印象に残った言葉は、冒頭に引用した言葉だ。奥野氏によれば、「賢者の目は頭の中にあり」とは、「思慮の浅い人間には何も見えなくても、聡明な洞察力を持つ人、独力で活路を開こうと努力を続ける人は、目の前の事物に深く立ち入り、その奥に横たわる真理にまで達し、好機を手にできる(本書、92)」と言われます。

私は、困難に出会ったとき、諦めるのではなく、しっかりと現実を見て、受け入れ、その出来事が起こった真理まで達したとき、解決策が見つかるといったことを過去に経験したことがある。奥野氏によって、自分の経験とスマイルズとの言葉を重ねたとき、私は「自助論」の理解がさらに深まったことを認識した。

不安定でありながら、世の中のスピードが加速していく現代社会。しかし、私も改めて読み直したが、過去の名著には、不変とも言うべきリーダーシップの原則が根底にある。いつの時代においても変わらない一流の教えは、現代を生きる私にも有益なものであった。私は、これからの時代を生き抜く、新しいリーダーたちにこそ、本書をおすすめしたいと思った。

2022年5月21日土曜日

だから僕たちは、組織を変えていける

 すべてのものにはクラック(ヒビ)があり、そこから光が差し込む。
There is a crack in everything and that's how the light gets in.
(引用)だから僕たちは、組織を変えていける、著者:斉藤徹、発行:株式会社クロスメディア・パブリッシング、2021年

長年、自分が働いて思っていることは、「チーム」の重要性である。特に、自分が管理職になるにつれ、「チーム」としての成果が求められるようになってきた。

なぜなら、私は、「チーム」の中に大谷翔平選手のようなスター選手がいても、他の球団に移籍(人事異動)してしまったことを経験している。その際、残されたメンバーで、今までどおりの水準を維持し、さらなる向上を目指していくために、何が必要だろうと考えたことがあるからだ。

私が考える良い「チーム」とは、
部下たちが自由闊達な意見を言ってくれること、
「チーム」内でメンバーが協力しあい、成果をあげていけること、
その「チーム」を率いていくリーダーは、トップダウン型ではなく、サーバントリーダーシップ型であることだと感じていた。

では、今までの経験から、良い「チーム」の条件は、これで良いのだろうか。また、より良い「チーム」を築き上げていくために、何が足りないのだろうと思い、斉藤徹氏による「だから僕たちは、組織を変えていける」を拝読させていただくことにした。

本を読み終えた感想としては、
著者の斎藤氏は、自分と嗜好が似ているなということ、
また斎藤氏は、とても親切な人だなということである。

まず、自分と嗜好が似ているということは、指揮者を置かないオルフェス管弦楽団からはじまり、サイモン・シネックの「WHYから始めよ!」、ガンジー、「7つの習慣」のスティーブン・コヴィー、さらには野中郁次郎のSECI(セキ)モデルに至るまで、幅広いビジネス書を読み、クラシック音楽に親しんでいることがわかる。これは、今までの自分の嗜好と合っていた。そして、斎藤氏はこれらの豊富な知見を、組織論のエビデンスとして用い、読者にわかりやすく解説してくれていた。
また、著者の斎藤氏が親切であるというのは、本書の巻末にQRコードが掲載されており、本書の章ごとのサマリーやイラスト・図などがダウンロードできることである。本書を振り返り、もう一度読み直すとき、サマリーなどは役に立った。

本書では、グーグルが発見した5つのチーム成功因子が紹介されている。その中で、「心理的安全性」というキーワードが登場した。この「心理的安全性」というタイトルの書籍も数多く存在している。良いチームを築き上げるには、メンバーが「心理的安全性」の上に置かれた状態にいることが重要であると再認識した。
そして本書には、このメンバーの「心理的安全性」の確保を前提として、リーダーはどうあるべきか、組織のモチベーションをどのようにあげていくのか、更には組織をどのように良い方向に持っていくべきなのかが書かれている。

そのためには、人と支えあいたいという関係性、自分自身の行動は自分で選択したいという自律性、そして最適な課題に挑戦し、達成感を味わいたいという有能感。これら3つの心理的欲求を同時に満たしていくことがメンバーの「意味のある人生」につながることを意識しなければならない。
そして、自分は1990年代にギャラップ社が実施した組織の生産性を測る「12の質問(本書245)」がとても役に立った。私は、自身の組織構築のため、この12の質問をメンバーの気持ちになり、そして投げかけ、組織を変えていきたいと感じた。

本ブログの冒頭の言葉は、カナダのシンガソングライター・レナード・コーエンの名曲「Anthem」の一節である。その言葉を新型コロナ対策で一躍有名になった台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンは大切にしていて、本書でも最初と締め括りに紹介されている。

もし、自分がなにかの正義に焦り、怒っているのなら、それを建設的なエネルギーに変えてみる。こんなおかしいことが、二度と起きないためにできることはなんだろうと自問自答を続ける。そうすれば、新しい未来の原型をつくる道にとどまることができる。自分たちが見つけたクラックに他の人達が参加し、そこから光が差し込む。


一見、理不尽と思える出来事にも意味がある。その出来事に、意味を置き換え、前向きに、そして建設的に取り組んで行けば未来が開ける。閉塞感に愚痴をこぼすのではなく、自分たちが組織を変えていき、社会を変えていく。本書を読み、私は、オードリ・タンが大切にしている言葉を噛み締めながら、組織を、そして社会を変えていこうと思うに至った。


本書は、自分が自身の仕事を通じて感じていた良いチームの考えについて、エビデンスを持って説明してくれた。今までの自分のメンバーに対する態度を振り返り、組織を見直す良い機会にもなった。


2022年4月30日土曜日

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

 オガールプロジェクトの斬新さは、「稼ぐインフラ」という異名をとるほどのファイナンスの構造にある。
(引用)町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト、著者:猪谷千香、発行所:株式会社幻冬舎、2016年、106

皆さんが町長なら、10年間も塩漬けにされ、一銭も生み出していない町有地をどのように活用していくだろうか。岩手県盛岡駅から電車に揺られること20分ほどで紫波中央駅に着く。まだ、自動改札機が導入されていない駅をくぐり抜け、目の前の信号を渡ると、眼前に「オガール」が広がる。

「オガール」とは、紫波(しわ)の言葉で「成長する」を意味する「おがる」と、紫波中央駅前(紫波の未来を創造する出発駅とする決意)とフランス語で駅を意味する「Gare」(ガール)を合わせた造語だ。私がオガールを知ったのは、10年ほど前になるだろうか。既にオガールの存在は、全国のまちづくり関係者に知られる存在であった。なぜ、オガールは、まちづくりの成功事例として注目されるのだろうか。当時、私は、オガールプロジェクトのキーパーソン、岡崎氏の講演を拝聴したことがある。講演の内容を聞いて、衝撃を受けたことは、「行政からの補助金に頼らない施設運営」であった。その衝撃から10年ほど経ったが、未だ、オガールは全国から注目されている。今一度、何故オガールが注目されているのか。改めて、猪谷氏による「町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト(幻冬舎)」を拝読させていただくことにした。

本書を読んで、まず気づかされるのは、「公民連携」である。行政は、公平性・公正性の立場から民間との連携に後ろ向きであった経緯がある。しかし、現在はPPP、つまり行政(Public)が行う各種行政サービスを、行政と民間( Private )が連携( Partnership )し、民間の持つ多種多様なノウハウ・技術を活用することにより、行政サービスの向上、財政資金の効率的使用や行政の業務効率化等を図ろうとする考え方や概念が主流となっている。

その公民連携の先駆けとして、当時の藤原町長をはじめ、オガールのキーパーソンである岡崎氏は、他の自治体に先んじて、いち早く行政と民間との連携に目をつけた。そして、紫波町の職員とともに、岡崎氏は東洋大学大学院経済学研究科に通うことになった。その東洋大学で、岡崎氏は、「恩師」と呼ぶ人物と出会うことになる。客員教授の清水義次(よしつぐ)氏である。そして、紫波町にオガールが誕生するに至ることになる。

以前、私は、清水氏にもお会いしたことがある。お会いしたのは、東京の千代田区にある3331 Arts Chiyoda。ホームページによると、この施設は、旧千代田区立練成中学校を改修して誕生したアートセンターである。2010年の開館以来、現代アートに限らず、建築やデザイン、身体表現から地域の歴史・文化まで、多彩な表現を発信する場として、展覧会やトークイベント、ワークショップなどを定期的に開催している。また、地域住民や近隣の子どもたちとのアートプロジェクトの実践や地域行事への参加なども当館の重要な活動のひとつとなっている。実際、3331 Arts Chiyodaを訪れてみると、中学校の手洗い場などを残しつつ、懐かしさと新しさが同居するような、新たな空間が誕生していた。その清水氏から、私は「リノベーション」という言葉を教わった。「リノベーション」とは、既存の建物に対して新たな機能や価値を付け加える改装工事を意味し、単なる「改築」とは異なる。清水氏は、リノベーションにこだわったまちづくりを進め、当時から行政の補助金に頼らない運営をしてきた。

当時、紫波町におけるオガールプロジェクトは、議会を始め、公民連携手法で町の広大な空き地を活用していくという理解が得られなかったという。しかし、潮目が変わったのは岩手県フットボールセンターの誘致ではなかろうか。当初、岩手県サッカー協会からは、盛岡市、遠野市などが手を挙げており、紫波町は5番目であった。しかし、岡崎氏と当時の藤原氏の戦略により、最終的に紫波町に誘致することができた。その誘致は、人を呼び込むことによって賑わいをもたらし、「エリア価値」を高めることにつながる。そう、清水氏や岡崎氏らは、「エリア価値を高める」ことを最重要視する。

冒頭、オガールが「稼ぐインフラ」と異名をとると紹介した。「稼ぐインフラ」とは、これまでの補助金ありきだった公共事業をファイナンス主導に切り替え、公共インフラに「稼ぐ機能」を付加して、公共サービスの充実を図るという新しい考え方だ。

本書では、ファイナンスのスキームについても一部紹介されているが、私が感心したのは、絶対家賃の考え方であった。絶対家賃とは、どんなに立派な建物を造っても、借り手側はこれだけしか払わないという基準だ。紫波町の絶対家賃は、市場調査により、共益費込みで坪単価6,000円であった。そこで岡崎氏らは、坪単価6,000円の家賃で10年以内に配当金を出せる投資額を見つけること。そして6,000円以内の家賃ではじき出される建設単価が税込で1坪38万円。つまり、38万円以内で建物を造ることを目指したという。よく公共の事例では、そこまで計算できていないケースが多々見受けられる。例えば、オガール紫波の隣の県、青森市の青森駅東口前に立地する複合施設「アウガ」の経営破綻は、私達の記憶に新しいところだ。公民連携とは、単なる民間資金を活用することではない。私は、民間マインドを取り入れ、民間スキームや資金を活用し、新たな公共的サービス価値を生み出すものだと再認識させられた。

以前、オガール紫波にも携わった日本の社会起業家、まちづくり専門家の木下斎氏に言われたことがある。その言葉とは、「補助金は麻薬」であるということだ。つまり、行政からの補助金頼みでは、まち全体が“甘え”に走り、上手くいかない。財政難で多くの自治体が苦しむ中、あまりにも先駆的な取り組みであったオガールプロジェクトは、まちづくりをする上で、他の自治体にも認知されはじめ、ようやく一つのスタンダードに成り得た。

実際、紫波中央駅の北上・一ノ関方面のホームに佇んでみると、八角形屋根の形をした駅舎のシンボル越しにオガールが見える。まさに、オガールの名の由来のとおり、ここから紫波の未来を創造し、出発するのだという決意を感じることができる。いつかまた、訪れてみたいと思った。

2022年4月9日土曜日

この国の危機管理 失敗の本質

 防災対策とは、人々の命や財産、地域を守る対策のことだ。議論の余地もないくらい自明のことだが、国や自治体の防災対策の実態を見ると、この自明のことがなされているとはとても言えない。
(引用)この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ、著者:柳田邦男、発行2022年3月、毎日新聞出版、309-310

不安定な国際情勢、新型コロナウイルスによる感染拡大、多発する自然災害・・・。我が国を取り巻く環境は、常に「危機」に晒されている。この危機に対して、私たちは、日頃から備えをすることができるのだろうか。その答えは、かつての寺田寅彦氏が指摘したとおり、私たちの祖先が経験してきた「過去の危機」から学ぶことができているかである。では、敗戦や東日本大震災における福島の原発事故など、我が国の危機管理は、過去の経験からどの程度、活かされてきたのだろうか。
このようなことを思っていたとき、私は一冊の本に出会った。災害や事故、戦争や生死、言葉と心の危機などの問題について積極的に発言している作家、柳田邦男氏による「この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ(毎日新聞出版)」である。手にとって見ると400ページを超える厚さの本であるが、一読の価値がありそうなので、拝読させていただくことにした。

本書は、序章から惹き込まれていく。そのタイトルは「欠陥遺伝子の源流-ミッドウェー海戦、虚構の戦略」である。私の尊敬する野中郁次郎氏らによる「失敗の本質 日本軍の組織論的研究(ダイヤモンド社、1984年)」なども紹介されているが、日米戦史研究をビジネスに活用していくことは、とても興味深い。序章では、ミッドウェー海戦における5つのシーンから、山本司令官を始めとした日本軍の”失敗の本質”に迫る。柳田氏によれば、ミッドウェー海戦における日本側の作戦失敗の要因として、情報戦の問題と慢心の問題を掲げる。特に、山本長官が自分たちの都合の良い想定をし、内なる慢心に勝てなかったところは興味深かった。大にして、危機管理の備えをするとき、私たちは、「自分たちは助かる」といった勝手な思いから、中途半端なものになっていないだろうか。このミッドウェー海戦の事例からも、危機管理の要諦をしっかりと学ぶことができる。

本書にて、柳田氏は、5つの危機管理の原理を掲げている。第一の原理は、「平常時において最悪の事態をリアルな形で想定し、その事態を乗りきる具体的な対策に全力をあげて取り組む」ことだ。この5つの原理は、危機管理をしていく上で、とても参考になる。第一の原理の中で、私は、この「最悪の事態」という表現を用いていることに着目した。先程のミッドウェー海戦における楽観論では、どうしても自分の都合の良いように解釈をしてしまう。東日本大震災では、「想定外」という言葉が使われた。しかし、東日本大震災は、本当に「想定外」であり、あの惨烈な福島の原発事故は避けられなかったのだろうか。

このことについて柳田氏は、様々な公的な議事録などから検証を試みている。そして、財政的理由や、(被害を矮小化して)国民を安心させることなどが優先され、東京電力福島第一原発に対して、日頃から万全な対策を講じてこなかったことが浮き彫りになる。つまり、科学者や学識有識者らが予見した甚大なる東日本大震災の被害想定が見事に消され、ご都合主義の防災対策になってしまったといっても過言ではなかろう。その結果、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う福島県外への避難者数は、2012年年5月時点で、16万4865人にまで上り詰め、多くの福島県民の方々が長期間、故郷を離れざるを得なくなった。

一方、本書では、様々な過去の危機事例とともに、m-SHEL(エム シエル)モデルなどの危機管理分析手法も紹介している。私も初めてm-SHELモデルを知ったのだが、このモデル分析方法では、わかりやすく、使いやすく、事故の構造的な問題点を浮かび上がらせるのに有効であると感じた。具体的に、本書では福島第一原発の発電所対策本部である吉田所長の判断と行動などについて、m-SHELモデルを用いて分析を試みている。そこから浮かび上がることは、福島原発事故が「組織事故」であるということだ。詳細は本書に譲るが、分析結果から、個人のヒューマンエラーというだけでは片付けられない事案であるということが理解できた。

冒頭、本書で印象に残った言葉を記した。この言葉は、今もなお、過去の災害からの反省が活かされていないことを意味する。そして、本書では、災害直後の危機管理のみならず、「災害関連死」についても多くのページを割いている。ややもすれば、災害関連死対策は、各自治体において希薄になっているのではないだろか。それは、各自治体の防災担当者は、震災発災時の対策に忙殺され、震災後の心のケア対策まで至らないことが考えられる。しかし、柳田氏が指摘するとおり、せっかく震災で助かった命が、その後のケアの悪さで亡くなっていく。私は、あまり防災対策として着目されにくい災害関連死対策について、これからの自治体の防災対策として、力を入れていくべきテーマであると感じた。

最後に、本書では、安倍元首相や菅前首相のなど、リーダーの言葉について触れている。私は、柳田氏が提唱した危機管理の5つの原理に加え、リーダーの“コトバ“を第6の原理としても良いのではと感じた。
それは、まさに今、世界に目を向けると、自国の民を救おうと、必死に声を上げ、国民を勇気づける若きリーダーが奮闘している。そして、そのリーダーは、自身の危険を顧みず、諸外国に向け、自国の現状を切実に訴えかけている。今もなお、終息の見えない危機に立ち向かい、ある時は防弾チョッキを着用しながら惨状と化した現場に出向き、またある時は世界に向けSNSで発信し続けるリーダーの姿に、国民は励まされ、世界中の多くの人たちが感銘を受けていることだろう。危機が発生した際、リーダーがどのように立ち振る舞い、周囲の人達と難局を乗り越えていくことができるのか。本書に書かれている、危機に立ち向かう真の政治家、真のリーダーのあるべき姿は、まさにこの若きリーダーのことを言うのだと思うに至った。勇敢に「危機」に立ち向かっていくために、本書では、危機管理の原理、そしてリーダーとしてのあるべき姿を学ぶことができた。

2022年3月19日土曜日

信念の奇跡

 あなた方の心の中の考え方や思い方が、あなた方を現在あるがごときあなた方にしてるんですぜ。
(引用) 信念の奇跡、述者:中村天風、発行所:日本経営合理化協会出版局、2021年、346


京セラ創業者の稲盛和夫氏やメジャーリーガーの大谷翔平氏らが心酔する中村天風。このたび、中村天風の講演録をまとめた「信念の奇跡(発行所:日本経営合理化協会出版局、2021年)」が刊行された。定価本体が一冊9.800円(税別)もする「信念の奇跡」は、本当に一読の価値があるのだろうか。それとも、巷(ちまた)にあふれる中村天風の書籍と同様のレベルだろうか。高価な本だけに、投資すべきかどうか迷う一冊である。しかし、読んでみなければ始まらない。そんなことを思いながら、「信念の奇跡」を拝読させていただくことにした。

「信念の奇跡」は、大きく3篇から成る。

第1篇は「何ものをも恐れず」

第2篇は「天命と宿命」

第3篇は「宿願達成」

である。


第1篇は、人間の一生の一大事、死生観から始まる。

私は、中村天風の書籍を数多く読破してきた自負がある。しかし、天風が死生観について語っている書籍は、希少であるように思う。一方、この「信念の奇跡」では、天風の死生観について、多く語られている。死は、誰にでも訪れる。そして、死は、生きている人間にとって恐怖でもある。しかしながら、天風が語る死生観は、今を生きる大切さを教えてくれる。そして、死への恐怖を拭い去ってくれる。


第2篇は、「天命と宿命」である。

この篇では、主として、天風が天風式坐禅法(安定打坐法:あんじょうだざほう)を教えてくれる。ブザーの音を用いた坐禅法は、とても分かりやすく実用的である。私もネットで調べてみたのだが、安定打坐法のYoutubeやアプリなどは、いとも簡単に利用できる。これらのツールを用いれば、天風式の坐禅を実践することができる。では、なぜブザーを用いた坐禅法が有効なのか、そして心をフッと霊的境地にもっていくべきなのか。なぜ、私たちの心のなかに煩悩や雑念妄念(ざつねんもうねん)があってはいけないのか。天風は、そんなことを分かりやすく解説し、宇宙にもつながる壮大な話の中に、安定打坐法から悟りを開く実践法を紹介してくれている。

第3篇は、「宿願達成」である。

天風は、宿願達成について、「ああなりたい」、「こうなりたい」と考えるだけでは駄目だと言われる。よく、宿願達成については、顕在意識と潜在意識との関係性が語られる。つまり顕在している意識で「ああなりたい」、「こうなりたい」と思っているだけで、宿願達成は成りえない。天風は、心の中に常にイメージすることや自己暗示の重要性を話される。そして、本ブログの冒頭に記した、絶えず心のなかでイメージする考え方や思いの結果が、今の自分であるということを思い知らされる。


「信念の奇跡」は、大きく3篇、11の章から構成されている。この一冊は、どの部分においても、人が生きていく上で大切な箇所ばかりである。

信念を強くし、いかなるときも感謝と歓喜の日々をおくること。そうした日々の積み重ねが、自分の運命を好転させ、創りあげていくということ。端的にいえば、私は天風の考え方をこのようなことだと理解した。

本書は、天風会の会員しか聞けなかった珠玉の講話集である。この講話集を読めば、巷にあふれる天風本では得られない、天風先生の真髄に触れることができる。その結果、読破して感じたことは、本書に10,000円を投資する価値はあるとの結論に至ったことだ。

巻末には、付録として「日常の心得」も掲載されている。人間は、順風にいっているときは、積極的思考になる。ただ、なにか病やら悲運なるものが訪れた際、私たちは「もうダメだ」と思ってしまうのではないだろうか。しかし、天風は、その病やら悲運なるものが訪れた際にどう対処すべきかを分かりやすく教えてくれる。

この「信念の奇跡」は、私たちの一生の宝になる。これからは、天風先生が言われるように、どんなことが起きようとも、恬淡明朗(てんたんめいろう)に溌剌颯爽(はつらつさっそう)と生きよう。この「信念の奇跡」は、これからの人生に希望と勇気を与えてくれる一冊であった。


2022年3月6日日曜日

「大学」に学ぶ人間学

 大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り。
民(たみ)に親(した)しむに在り。
至善(しぜん)に止(とど)まるに在り。
(引用)「大学」に学ぶ人間学、著者:田口佳史、発行所:致知出版社、2021年、16

私は、東洋思想研究家である田口佳史氏による前作、「『書経』講義録(致知出版社、2021年)」を拝読し、すっかり中国古典の世界に魅せられてしまった。特に、「書経」の世界では、現代でも十分通用するリーダ-シップ論や組織論、さらには政治の要諦が記されていた。また、中国の古典では、天の道義あるいは道理という宇宙観にも迫っており、スピリチュアル的というか、”宇宙の法則“を学ぶことができる。このたびの田口氏によって著された「『大学』に学ぶ人間学」にも登場するが、「書経」には、私も座右の銘としている「天工(てんこう)は人其(そ)れ之に代(かわ)る」との一文がある。この意味は、「本来、政治は天が行うべきなのだが、人間が天の代理として政治を司るポジションに就いている」と書かれている。まさに、リーダーとは、宇宙の法則に則って、天より選ばれた人たちなのであると感じることができる。そして、儒家の思想では、壮大な宇宙の摂理に従い、私たち人間は地球をより良いものにしていくという使命感を感ずることができる。ビジネスで成功に関する書籍は、書店に山積しているが、私たち日本人が学ぶのは、モチベーションアップを主目的とした西洋的なリーダーシップではなく、儒学にしたほうがしっくりくる。

さて、「大学」とは、孔子より46歳年下の曾子が著したとされ「論語」「中庸」「孟子」とともに「四書」として位置づけられている。そして「大学」は、江戸時代の小学校一年生の一学期の一時間目から学んだとされている。このように、昔から「大学」は、「初学徳に入る門」と言われてきた。つまり、儒学の入門書的位置づけが「大学」である。このたび、私も田口佳史氏による「『大学』に学ぶ人間学」を拝読させていただいたが、江戸時代の小学生がいきなり「大学」を学んでいたことに驚かされた。儒学の入門書といえども内容の濃い「大学」について、江戸時代の子どもたちは、どのように理解を深めていったのだろうか。私は、当時の「大学」を学ぶ意義とあわせ、どのように学校で教えていったのか、興味を抱いた。

四書は、巻頭の一文に重きを置いていると言われる。本ブログの冒頭、「大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り」から始まる「大学」の巻頭部分を記した。この引用文は、三鋼領(さんこうりょう)と呼ばれ、人間が生きる上で最も大切にしなくてはならないものである。江戸時代の子どもたちは、この三鋼領、そしてその次に登場する八条目を徹底的に頭に叩き込まれていったと推察される。田口氏によれば、「徳」とは、宇宙の大原則に即して生きていくことであり、そのために言葉や立ち振舞として表現することが徳だと言われる。そして、自己の最善を他者に尽くし切ることが徳であると言われる。

江戸時代の寺小屋は異学年で構成されており、年上の子たちが年下の子たちを教えてきた。現在においても、例えば4人が1組となり「チーム学習」を取り入れる自治体もある。普段の授業の中で”チーム”を編成し、チーム内の”分かる子“が”分からない子“を教える。これにより、”分かる子“は、徳を明らかにし、自分の最善を出し切って”分からない子“に教える。”分からない子“は、友達から教えてもらうことにより、感謝の念を抱く。人と人との繋がりの中で、子どもたちは学び合い、自己肯定感が生まれ、社会が安定していく。江戸時代は一般的に「太平」とされ、治世期間がかなり長いことが特徴である。その長きに渡り、社会を維持・安定させたのは、小学校1年生のときに「大学」を学び、人々が儒学を実践していったからではないだろうかと思うに至った。現代の社会に忘れていた”人間としての心“の教育が、「大学」を通じて培われていたのではないだろうか。

田口氏による前作の「書経」といい、このたびの「大学」といい、名言の宝庫であり、読み進めるたびに新たな発見がある。「大学」では、「心誠(こころまこと)に之を求むれば」という一節が紹介されている。これは、「誠心誠意ほど強いものはない」ということを言っているのだが、田口氏による解説がなければ、それで終わってしまう一文である。しかし、田口氏は、本書の中で、官公庁のミドルクラスの職員の人事異動の例をあげ、責任ある地位のまま、新たな部署に配属されたリーダーには、誠心誠意で対応することの心構えを説いている。このように、古典からいただいた“知識”は、今を生きる多くのビジネスマンのワークスタイルに当てはめることにより、“知恵”へと変わっていく。

「大学」は、人間学のみならず、組織を繁栄に導くためのリーダー像、社会に秩序をもたらす政治的な思想、そして大宇宙の摂理に至るまで、人間の天命とは何かを明らかにしながら、私たちは地球上で(もしくは人間として)何を為すべきかを教えてくれる。孔子の「遺書」ともされた「大学」の貴重な教えは、江戸時代の小学校の必須科目であったとおり、コロナや海外情勢が不安定な今を生きる私たちにとっても必須科目になるのだと感じた。

「学び直し」という意味で、リカレント教育という言葉がある。かつて我が国の子どもたちが学んできた「大学」を学び直すことは、江戸時代のような安定した社会基盤を構築するのにつながる。つまり混沌とする現代社会において、「大学」を学び直すことは、とても意義があることだと感じた。まず個人が“徳”を明らかにし、社会を安定させ、国民全体に幸福をもたらす世界を創造していく。そのために必要な一冊が「大学」ではないかと思うに至った。



2022年2月20日日曜日

人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか

 最後に、私が国民の皆様にお伝えしたいのは、将来世代は、私たちが何を為すのかを見つめている、ということです。この将来世代とは、今はまだこの世に生を受けていない日本人も含めてです。
(引用)人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか、著者:山崎史郎、発行:日経BP 日本経済新聞出版本部、2021年、505

本の帯には、次の言葉が書かれている。
「本書はフィクションである、だが語られるのは、すべて現実だ。」
このたび、小説スタイルの新しい解説書が誕生した。その本のタイトルは、「人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか(日本経済新聞出版)」である。人口減少問題は、我が国における最大の課題である。

日本の人口は、このままいけば、2110年には約5300万人になると推計され、今から約100年前と同水準の人口になる。
なぜ、人口減少が問題なのか。ただ、約100年前に戻るだけではないのか。

本書によると、今から約100年前の1915年頃の日本は、高齢化率5%の若々しい国であった。これに対して予想されている将来の日本は、高齢化率が40%に近い年老いた国になるという。では、高齢化率が高まるとどのような課題があるのか。これは、一般論として、高齢化率が高まると、経済成長や社会保障制度に大きな問題が発生することが容易に想定される。本書では、急速に人口減少が進む我が国の未来について、日本商工会議所の三村明夫会頭が政府の委員会において行われた議論の一部を紹介している。三村氏の主張する人口減少に伴う経済への悪影響については、私も納得させられる部分が多かった。「人口減少は、100年前の日本に戻るだけ」という楽観論は、いとも簡単に私の頭から吹っ飛んでいった。

本書では、多角的に人口減少問題に迫る。かつて、これほど人口減少問題を纏めた書籍があっただろうか。この「人口戦略法案」さえ読破すれば、我が国における人口減少問題のすべてを把握できると言っても過言ではない。具体的には、出生率低下の構造・要因の分析から不妊治療、若者たちのライフプランや結婚支援の現状と問題提起、若者の東京一極集中による課題の多い「移民政策」に至るまで、我が国の少子高齢化の現状と要因分析が本書一冊ですべて理解できる。我が国でなぜ少子化が進展しているのか。出生率低下の構造・要因分析は、国際比較を含めた豊富なデータに裏付けされている。そして、本書に登場する人口戦略検討本部事務局の百瀬亮太次長を始め、野口淳一参事官など、国の役人とともに我が国の人口戦略を練り、どうしたら我が国の出生率を向上させていかといった議論に、私たち読者は惹き込まれていく。まさに、小説スタイルの新しい解説書により、政策立案のプロセスに対する理解が深まっていく。

そのような中、百瀬らは、恒久的財源のある分配政策、「子ども保険」構想に辿り着く。私が勉強になったのは、各国の産休・育休制度のスタンスの違いである。スウェーデンでは、1974年に「両親保険」を導入した。この保険は、すべての親を対象に出産·子育てを支援するという『家族政策』の視点、さらに、父親にも育休取得を認める『男女平等政策』の視点も加えて、新たな制度として再構築したものだ。ここで、重要なのは、スウェーデンが社会保険方式、日本は広義で言えば社会保険方式だが、狭義で言えば労働政策の視点から実施されている「労働保険」であることだ。我が国では、労働保険であるが故に対象者が限定されてしまう。一方、スウェーデンでは、 就業の有無や形態を問わず、すべての親を育休制度の対象としていることだ。我が国においても非正規雇用が増加する中で、スウェーデンをはじめフランス、ドイツのように、少子化を克服してきた国が証明するように、すべての親を育休制度の対象とすることの意義は大きいと感じた。

また、男女協働という観点から、父親の育児参加を推進させる仕組み、さらに保育制度との連携·分担をしていることは興味深い。保育制度との連携分担とは、子どもが1歳までは育休で対応し、保育は原則として1歳児以降を対象とする。我が国では、「0歳児保育」による課題も指摘されている。例えば保育所であれば、0歳児の場合、保育士が配置されるべき人数は概ね子ども3人につき保育士1人以上と定められている。そして1歳児と2歳児の場合は子ども概ね6人につき保育士1人以上、3歳児は概ね20人につき1人以上、4歳と5歳児は概ね30人につき1人以上を配置しなければならないとされている。待機児童の課題とともに、保育士不足を解消させるため、保育は原則として1歳児以降を対象とする意義は大きいと感じた。このような先進的な諸外国の事例を踏まえ、本書の中で、百瀬らは「子ども保険」構想の精度を高めていく。

本書では、小説スタイルの解説書というスタンスを取りながらも、真剣に「子ども保険」の是非について議論している。介護保険制度があるように、子ども保険制度は、現実的に我が国の人口減少問題の解決策に成りうるのではないかと感じた。本ブログの冒頭には、本書に登場する佐野内閣総理大臣の言葉を引用した。このまま、人口減少が続き、我が国の未来に希望が持てなくなった若者たちは、年上の世代への不満の矛先として高齢者に向かう。だからこそ、今、真剣に人口減少問題に取り組まなければならないとする佐野内閣総理大臣の言葉は、胸に響いた。

本書では、戦略立案に有効な「世代アプローチ」が紹介されており、指標としてコーホート合計特殊出生率を用いている。このアプローチでは、人口減少を解決する時間的猶予がないことを思い知らされる。国をはじめ、各自治体は、すでに千葉県流山市や福井県のような「仕事と子育ての両立支援」の成功事例も出始めている。特に、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でテレワーク化が進む中、地方都市への関心が高まっている。人口減少問題は東京圏のみの課題ではなく、地方創生の流れとも相まって、地方都市は人減少問題に向けた施策を本格的に進めていく必要があると感じた。

我が国の人口減少を食い止めるために残された時間は少ない。これはフィクションではないが、著者の山崎史郎氏は、2022年(令和4年)4月1日付で内閣官房参与(社会保障・人口問題)に任命された。いよいよ、本書の内容がフィクションからノンフィクションに変わる時がきた。ここで、我が国の人口減少を食い止めることができるかどうか。今一度、人口減少問題を最重要課題として掲げ、我が国は、国や自治体、そして国民が一体となって取り組んでいかなければならない。そのことを痛感させられる一冊であった。