2021年1月31日日曜日

デザイン思考の教科書

 毎朝目を覚ますたびに、世界が変わりつつあるという健全な不安を抱きます。そして「競争に勝ち抜くには誰よりも早く変化を遂げ、機敏にならなければならない」という信念を胸に刻み込むのです。

                       ペプシコ会長兼CEO インドラ・ヌーイ
(引用)ハーバード・ビジネス・レビュー デザインシンキング論文ベスト10 「デザイン思考の教科書」、編者:ハーバード・ビジネス・レビュー編集部、訳者:DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部、発行所:ダイヤモンド社、2020年、214

この「デザイン思考の教科書」の表紙カバーには、「デザイン・シンキングの真髄を『ハーバード・ビジネス・レビュー』の名著論文で習得する!」と書いてある。本書を読み終えて、そのとおりだと実感した。本書には、IDEOのデイビッド&トム・ケリー、「Jobs to Be Done」の論文を書き上げたクレイトン・M・クレイトン・M・クリステンセン、ペプシコ 会長兼CEOのインドラ・ヌーイなど、錚々たるメンバーが登場する。

クリステンセンといえば、「イノベーションのジレンマ」が有名だ。先日、拝読させていただいた「両利きの経営」にもクリステンセンが登場する。イノベーションのジレンマとは、巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業理論である。1)この「デザイン思考の教科書」では、偉大な企業は、すべて正しく行うがゆえに失敗する」と提唱したクリステンセンによる「Jobs to Be Done」という論文を拝読することができる。このクリステンセンの論文と接することができるだけでも、私にとって、大変刺激的なことだった。何十年にもわたり、いわゆる”大企業病”を観察してきたクリステンセンらは、本当に狙いを定めるべきこととして、ある状況下で顧客が進歩を遂げようとしていること、つまり、彼らが達成したいと望んでいることとしている。これをクリステンセンらは、”Jobs to Be Done”(片付けるべき用事)と呼んでいる(本書、107-108)。この、「片付けるべき用事」というキーワードは、非常に的を得ているものだと感じた。人々は商品などを購入する際、その動機として「片付けるべき用事」がある。この「片付けるべき用事があるか」ということを問い続け、「顧客が求める進歩を支援する」ことを実践していく。そうすることによって、真のイノベーションが生まれる。クリステンセンは、「片付けるべき用事」が万能のキャッチフレーズではないとしながらも、”大企業病”に立ち向かうべく武器を与えてくれる。その武器を使いこなすためには、デザイン思考が大いに有効だということが理解できた。

そもそも、「デザイン思考」とはなんだろうか。うん十年前、当時、大学の商学部に在籍してた私は、デザインといえば、商品のパッケージングの一部ぐらいしか考えられていなかった。しかし、近年、「デザイン思考」なるものが流行ってきた。この「デザイン思考の教科書」に掲載されている、IDEOによる「デザインシンキング」、「創造性を取り戻す4つの方法」、「実行する組織のつくりかた」などの論文を拝読すると、おぼろげながら「デザイン思考」の輪郭がはっきりしてくる。私は、「デザイン思考」の必要性として、大きく3つあげれると思う。まず、現代は、あらゆる商品やサービスの市場が飽和状態になりつつあり、人々はモノやコトに満たされ、豊かな生活を享受できつつある。そのような状況下において、いかに人々の感性に訴えることが必要かが問われる。その感性に訴えることは、まさにデザインの力を駆使した「デザイン思考」が有効であると言えるだろう。2点目は、機能や性能だけでは、顧客に選んでもらえなくなったということだ。これは、ペプシコの会長兼CEOのインドラ・ヌーイ氏も言われている。より「顧客の視点に迫る」ことは、デザイン的要素が必要不可欠なものになる。3点目は、従業員や職員の働き方にもデザイン思考は有効だということだ。働く人たちも、当然ながら人間である。非効率的でルール化されていなかった仕事の仕組みがデザイン思考によって効率的なものになる。そこには、新しいサービスやプロセス、IT技術などを駆使した総合的なデザイン力によって、全体最適化を目指し、働く人達に快適さをもたらす。本書を読んで、私はデザインについて、従来の”戦術的”な一つの役割に過ぎなかったものではなく、もはや”戦略的”な役割を果たす、その戦略的なポジションの中でも、さらに上位に位置づけられるものだと感じた。

今回の論文では、HBSのエドモンドソン教授による「失敗に学ぶ経営」も掲載されている。少し、デザイン思考とかけ離れている気もしたが、この”失敗学”に触れるとき、いつも私は、松下幸之助氏の次の言葉を思い出す。

「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。」

それよりもひどいのは、最初から”チャレンジ”しないことである。私の尊敬する武田信玄は次のようにいう。

「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業(わざ)を成らぬと捨つる 人の儚(はかな)き」

デザイン思考では、プロトタイプ(試作)という言葉がよく登場する。「片付けるべき用事」をプロトタイプしていくことで、関係者同士の具体的なイメージがしやすく、モチベーションを上げていくという。ただ、気をつけなければならないのは、本書では触れていないが、集団の意思決定は、極端な方向に振れやすいということだ。集団が堅実さを忘れてリスクをとる方に大きく振れるときは、リスキー・シフトが起きたといわれる。2)リスキー・シフトが起きる原因の代表的なものが「責任の分散」である。事業の規模が大きくなればなるほど、集団での意思決定がなされ、責任の分散がなされ(集団でいるとリスクに鈍感になる)、リスキー・シフトが起きやすくなる。事業化には、健全な失敗が必要だが、リスキー・シフトに注意しつつ、エドモンドソン教授がいわれる「フロンティア領域での知的失敗」を繰り返していくことこそが、偉大なイノベーションの誕生につながっていくのだと感じた。

その意味では、冒頭に紹介したペプシコ会長兼CEO インドラ・ヌーイの言葉を胸に刻みたい。「両利きの経営」では、進化論を唱えたダーウィンの言葉、「唯一生き残ることができるのは、変化できるものである」が紹介されていた。インドラ・ヌーイも同じことをいわれている。生物の進化と深化、そして企業等の深化と探索は、スピードが勝負だ。変化を遂げるには、誰よりも早く着手することだ。そこには、失敗がつきものである。その失敗を乗り越えるため、私達が従来より考えていた「デザイン」が持つ潜在的な能力を最大限に生かし、顧客や従業員のために変化を遂げ、イノベーションを生み出して行く必要があると感じた。

1)出典:フリー百科事典「ウィキベディア(Wikipedia)」

2)2021年1月21日 朝日新聞「経済季評」危機の時代の意思決定 責任の分散が招く鈍感さ 竹内幹

2021年1月21日木曜日

両利きの経営

成熟事業の成功要因は漸進型の改善、顧客への細心の注意、厳密な実行だが、新興事業の成功要因はスピード、柔軟性、ミスへの耐性だ。その両方ができる組織能力を「両利きの経営」と私たちは呼んでいる。
(引用)両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く、著者:チャールズ・A・オライリー/マイケル・L・タッシュマン、監訳・解説者:入山章栄、解説者:冨山和彦、訳者:渡部典子、発行所:東洋経済新報社、2019年、29
 
20年ほど前、私は、フィルムで写真を撮るのが好きだった。フィルムには、ネガとポジがあり、私は、お気に入りのコンタックス一眼レフに富士フィルムのベルビアというポジフィルムを突っ込み、プロカメラマン気分でよく風景写真を撮影した。
しかし、時代の変遷とともに、写真の世界では、フィルムからデジタルへと大きく移行し、フィルム写真は忘れられつつある。この写真が本業であったコダックと富士フィルムは、急速に襲ってきたデジタル化という大きな波に対し、明暗を分けることとなった。なぜ、本業である写真事業に固執したコダックは破綻し、富士フィルムは、今まで培った技術資源や経営資源を武器に、新しい製品・サービスに応用する新たなビジョンを打ち出せることができたのだろうか。その解は、この「両利きの経営」に書かれている。

両利きの経営とは、知の「探索」と「深化」によって成り立つ。知の深化とは、自身・自社の持つ一定分野の知を継続して深堀りし、磨き込んでいく行為だ。先ほどのコダックにもあったとおり、一定の成果を収め、技術や経営資源が充実してくると、企業は、さらなる知の深化を求めるようになる。一方、知の探索とは、自身・自社の既存の認知の範囲を超えて、遠くに認知を広げていこうとする行為である。これは、富士フィルムのように、時代の流れを察知し、新たなイノベーションを創出し、企業を発展的に存続させることを意味する。現在、富士フィルムでは、医薬品、化粧品、半導体材料、再生医療等の分野まで展開している。写真フィルム市場の縮小という逆風の中、従来の科学技術や人的資源を生かし、富士フィルムは、古森重隆氏の采配下で見事に息を吹き返した。本書では、チャールズ・ダーウィンの有名な言葉、「生き残るのは、最も強い種でも、最も賢い種でもない。最も敏感に変化に対応する種である」を掲載している。まさに、富士フィルムは、イノベーションを創出し、変化することで、新たな活路を開いた。

なぜ、コダックと富士フィルムは、明暗を分けたのだろう。成功している企業ほど知の深化に偏って、つまるところイノベーションが起こらなくなるとする。これを本書では、「サクセストラップ」としている。では、このサクセストラップから抜け出すためには、どのようにしたら良いのだろうか。本書の後半では、富士フィルムの古森氏のようなリーダーシップにおける5つの原則について触れている。
そのリーダーシップの5原則の中で、私は第4原則「『一貫して矛盾する』リーダーシップ行動を実践する」が気に入った。詳細は、本書に譲るが、両利きの経営のリーダーは、あるユニットでは利益と規律を求め、別のユニットではベンチャー的な要素を求める。言い方を変えれば、「安定」と「挑戦」の二面性を有していることがリーダーには求められるということだと理解した。
この第4原則に触れたとき、私は、P.F. ドラッカーの次の言葉を思い出す。「集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである」1)
ドラッカーの書籍を読むたび、「廃棄」という言葉を多く目にする。事業は立ち上がった瞬間に陳腐化する。そして、企業は事業の陳腐化に気づかず、その事業にしがみついたり過去の成功にとらわれたりして、そこから抜け出せなってしまう。そのため、各企業は、現在行っている事業に「価値はあるのか」を問い、常に「廃棄」を念頭において置かなければならない。これは、何も企業に限ったものではない。公的機関にも言えることだろう。そのうえで、次の「挑戦」に集中し、イノベーションを創出する。まさに、両利きの経営は、ドラッカーの考えにも通づるものだと思った。

本書には、触れていないが、現在、あのトヨタも変わろうとしている。「自動車メーカーからモビリティカンパニーへ」ということで、従来のモノづくり企業からの脱却を試みる。一例として、静岡県裾野市で展開しようとするウーブンシティの取り組みがあげられる。このウーブンシティでは、ロボットやAI、自動運転、MaaSなど、先端技術を駆使し、人々のリアルな生活環境の中に導入、検証できる実験都市を立ち上げることを目的とする。まさに、これは、「両利きの経営」ではないかと感じた。トヨタの豊田章男社長は、近年、「100年に一度の大変革期」ということを口にすると言う。これは、アマゾンやグーグル、アップルといったデータ産業が自動車メーカーを飲み込むかもしれないという危機感があるからだと言われている。車は誕生して日が浅いため、100年に一度というのは、自動車が誕生して初めての大きな危機が到来していることを意味する。

「両利きの経営」は、危機に立ち向かう経営手法である。「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざがある。しかし、「二兎追わなければ」未来を切り拓くことはできない。本書を読んで、二兎を追いつづけるリーダー、そしてイノベーションを創出しつづける組織が求められていることを理解した。

1)プロフェッショナルの条件 ーいかに成果をあげ、成長するかー、著者:P.F.ドラッカー、編訳者:上田惇生、発行所:ダイヤモンド社、2000年、139

2021年1月9日土曜日

ネゴシエーション3.0

問題の内側からは問題を解決できない、ということである。アイデンティティの戦いに”勝つこと”から、人間関係を再構築することへと目標を変えなければならない。
(引用)決定版 ネゴシエーション3.0 ー解決不能な対立を心理学的アプローチで乗り越える、著者:ダニエル・L・シャピロ、監訳者:田村次朗/隅田浩司、訳者:金井真弓、発行所:ダイヤモンド社、2020年、242

コンフリクト(対立)は、どの世界にも存在する。家族や友人をはじめ、ビジネスや政治、そして国際的な紛争に至るまで、コンフリクトに悩まされている人は多い。事実、私も仕事上でコンフリクトを抱えている。本書では、なぜコンフリクトが起こるのかという根本的なアプローチから始まる。これは、人間がアイデンティティ的な存在であり、そのアイデンティティを構成する5つの柱のうち、どれかが危険にさらされるとコンフリクトが激化すること明らかにしている。多くの書店の棚には”問題解決法”なるものが多く並ぶ。それだけコンフリクトによる問題解決の解を求める人たちは多い。しかし、本書のようにコンフリクトの発生要因まで迫ったものは少なく、テクニカル的なものに走っているものが多いように思う。なぜコンフリクトが起こるのかというところまで辿り着けるのは、シャピロ博士が心理学博士ということもあり、人間の潜在的なところからのアプローチを試みているからだと思った。

著者であるシャピロ博士は、ハーバード大学准教授であり、ダボス会議のGlobal Agenda Councilにおける「交渉と紛争解決委員会」の委員長を務められていた。そのため、国際的な難題をも解決に導く最高峰の「コンフリクト・マネジメント」が本書で学べることは、大変ありがたく思う。ややもすると、シャピロ博士が提唱される「コンフリクト・マネジメント」は、国際的な紛争解決などに通じるもので、私たちの身近なコンフリクトに役立たないと思われるかたもみえるかもしれない。事実、私もそう思いながら、自身の抱えるコンフリクトを思い浮かべ、今後どのように解決に導いていくかを考えながら、本書を読み進めていった。

本書で一番面白かったのは、第14章「人間関係を再構築する(本書、241ページ~)である。ここでは、読者自身がニューヨーク市長から電話をもらい、「パーク51の論争(ワールド・トレード・センター跡地の近くにイスラム教のモスクを建設する可否についての論争)を解決する方法を見つけてほしい」と依頼されたと仮定したところから始まる。9.11(イスラム過激派がワールドトレードセンターのビルに2機の飛行機を衝突させた)を知っている人なら、自分自身がニューヨーク市長からそのようなオーダーをいただいたと想像してみると、あまりにもコンフリクトの壁が高く、尻込みしてしまいそうだ。しかし、このような難題もシャピロ博士は、”解決できる”とする。実際、シャピロ博士は「SASシステム」というフレームワークを用いながら、この難題を乗り越えていくことを提案する。この「SASシステム」は、私たちの日常にも活用できるものだ。特に、企業におけるマーケティング・リサーチや、行政機関における市民ワークショップなどにも活用できるフレームワークだと感じた。

私も仕事や私生活で、多くの交渉をしてきた。そして、コンフリクトを乗り越えてきた。シャピロ博士の本を読了し、大部分間違っていなかったように思う。それは、例えば「もし、相手が対話を拒んだら」といった際、「コンフリクトのみ焦点を当てない」ことや、「対話に加わるように働きかけてくれる共通する協力者を探す」ことなどは、大変共感できた。実際に今、私も部署間を超えて、共通する協力者にコンフリクトの仲介役をお願いしている。

自分の最も根本的な価値観が危機にさらせているとき、見解の相違にどうやって折り合いをつけるか。その解は、シャピロ博士によって明らかにされている。
これからも、私は仕事上で抱えているコンフリクトに立ち向かおうと思う。このシャピロ博士の教えは、実践しなければ意味がないからだ。そして、この本を通じて、コンフリクトに立ち向かう私たちの背中を、シャピロ博士が押してくれるような感覚に陥ったからだ。
個々の人間、そしてトライブ(部族)によってもたらされるコンフリクトは、常に私たちの身近に存在する。しかし、シャピロ博士からいただいた”武器”を手にし、私たちのコンフリクトへの”挑戦”は続けていけると確信に至った。
シャピロ博士自身が室内実験を行い、何千もの調査記事に目を通し、何百人もの専門家にインタビューするなどして到達した「ネゴシエーション3.0」をビジネスパーソンに限らず、多くのかたにオススメさせていただきたい。

2021年1月3日日曜日

地域公共交通の統合的政策

 本書の基本的な問いは、地域公共交通に対してどのような制度や政策が必要なのか、というものである。
(引用)地域公共交通の統合的政策 日欧比較からみえる新時代、著者:宇都宮浄人、発行所:東洋経済新報社、2020年、240

 地域公共交通に対してどのような制度や政策を講じていくのか。これは、国や自治体にとって、悩ましい課題となっている。本書でも触れているが、まず、地域公共交通政策に対して、国の財源措置が乏しい。このことは、各自治体の政策にも影響を及ぼすことを意味する。本書でも分析を試みているが、地域公共交通の確保は、その地域の住民や事業者のQOL(生活の質)を最大化することに繋がる。宇都宮氏によって著された「地域公共交通の統合的政策」では、海外の事例や我が国における動向などを踏まえて、新たな時代の地域公共交通のあり方を探っている。

我が国においては、2013年に交通政策基本法が施行された。この法律は、交通政策に関する基本理念やその実現に向けた施策、国や自治体等の果たすべき役割などを定める基本法である。また、2014年には、改正都市再生特別措置法が施行された。我が国の地方都市では、今後30年間で2割から3割強の人口減少が見込まれる。これにより、国土交通省によれば、医療や福祉、商業施設や住居等がまとまって立地すること。また、高齢者をはじめとする住民が自家用車に過度に頼ることなく、地域公共交通により医療・福祉施設、商業施設にアクセスできるなど、「多極ネットワーク型コンパクトシティ」を目指すとしている。

ただ、地域公共交通に先進的な取り組みをしているのは欧州である。我が国でも地域「公共」交通と「公共」の文字が入っているが、各輸送事業者の独立採算制となっている。一方、欧州では、地域公共交通を「公共サービス」として位置づけており、公的資金で支えられている。また、2013年、我が国において交通政策基本法が施行されたが、同年EUでは、アクセシビリティの改善と質の高い持続可能なモビリティ交通を提供することを目的として、SUMP(持続可能な都市モビリティ計画)を提示した。本書においてもSUMPの各項目が紹介されているが、我が国における地域公共交通政策にも多いに役立つものであると感じた。

一方、2020年、我が国においても改正地域公共交通活性化再生法が施行されることとなる。ここで特筆すべき点は、新モビリティ事業の創設によるMaaS(Mobility as a Service)の推進であろう。MaaSは、世界で初めて、フィンランドのヘルシンキで導入されたが、我が国においても「一元的なサービス」であり、「自家用車を利用する生活と対等あるいは同等以上の利便性を感じられるようにすること」1)と定義されている。現在、静岡県伊豆地域では、東急とJR東日本が手を組み、MaaSの実証実験を開始している。今後、日本版MaaSの展開も含め、地域公共交通を確保させ、利用者の利便性の向上や運送事業者の効率化を図っていくことが重要であると感じた。

また、本のタイトルに「統合」という文字が入っていることから、著者の宇都宮氏が「統合」することに、次代の地域公共交通への希望を見出していることが理解できる。事実、本書も1章分のページを割き、地域公共交通の「統合」について述べられている。そして本書では、統合を4つのカテゴリーに分類し、モードや運輸業者を超え、より緊密で効率的な相互作用をもたらすことについて力説している。統合においての意義は、まず、利用者の利便性向上に繋がることだと思う。利用者は容易に複数の運輸業者の情報を得ることが可能となり、運賃統合されて初乗り運賃を支払わずに済むなどの恩恵を受ける。また、「統合」することは、都市計画や社会政策にも良い影響をもたらしていく。新しい時代における地域公共交通の幕開けとして、「統合」は大きな効果をもたらすものだと感じた。

さらに本書では、CBA(費用便益分析)についても触れている。CBAとは、社会的便益と社会的費用と貨幣換算し、その差額によって投資プロジェクトの採否の参考となる指標を提供するものである。我が国では、CBAが多く使われているが、社会的便益には、ソーシャル・キャピタルのような社会的効果が考慮されていないという課題もある。先日、日本経済新聞に「自動運転バス 地域の足に」という記事が掲載された。2)人口減で地方の公共交通が縮小する中で、人手がかからない新たな地域の足として、バスの自動運転が期待されるという。既に茨城県境町では,全国で初めて公道で定常運行する自動運転バスを運行させた。高齢化が進む我が国において、バス路線を維持するには、今後自動運転バスも大きな選択肢の一つになる。これは、まさに社会的効果を考慮した政治判断ではないだろか。しかし、自動運転バスについては、車両費等の導入コストや維持管理がかさむなどが課題としてもあげられる。自動運転バスが地域公共交通の救世主だとしても、各自治体が旗振り役となる以上、財政面での限界がある。国や都道府県、運送事業者や民間事業者、住民が一体となって、地域公共交通の維持を感がていく必要があると感じた。

宇都宮氏は、本書の最後で、欧州との比較分析を踏まえ、我が国における地域公共交通における抜本的な変革を提言している。地域公共交通には、地域住民の移動手段の確保にとどまらず、まちの賑わい創出や健康増進、人々の交流など、様々な役割がある。この地域公共交通を確保すべく、どのような制度や政策が必要なのか、また住民や事業者のQOLをどのように高めていくのか。本書を読了し、今後の地域公共交通を考える一つの重要なきっかけを掴むことができた。

1)国土交通省:都市と地方の新たなモビリティサービス懇談会(2019)

2)2020年12月28日付 日本経済新聞朝刊記事 25面 「自動運転バス 地域の足に」