2021年12月18日土曜日

戦略質問

 「戦略コンサルティングに3カ月もかけているが、そのうちの8割は、お客様の経営者にお会いして40分で浮かんでいた。」
(引用)戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく、著者:金巻龍一、発行所:東洋経済新報社、2021年、1

私たちは、戦略を練るとき、コンサルの力を借りることも多いのではないだろうか。しかし、本来ならコンサルの力を借りず、自分たちの手で戦略を練っていきたいものだ。どのようにしたら、戦略やビジネスモデルを発想するためのスタートにおいて「ひらめき」を得ることができるのだろうか。また、コンサルは、どのようにして戦略を顧客に提案していくのだろう。そんなことを思い描いていたら、一冊の本に出会った。その書籍は、「戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく」である。著者の金巻氏は、アクセンチュア、PwCコンサルティング、IBM戦略コンサルティンググループなど、20年超にわたり、戦略コンサルティングに従事されてきた。とても興味が湧いたので、拝読させていただくことにした。

本書では、巻末にも纏められているが10のセントラルクエスチョンが登場する。書籍のタイトルにもなっている「質問」、つまりコンサルから顧客への問いかけが戦略を練り上げることにつながっていく。冒頭、戦略などには、「ひらめき」を得ることが大切だと書いた。本書には、金巻氏が「あなたの会社のあるべき姿はなんですか?」とポピュラーな質問をするのではなく、「(経営トップである)あなたの個人的な野心はなんでしょうか?」と言う問いかけをすることがあるという(本書、30)。私は、この「野心(アンビション)」と言う単語が気に入った。本書では、金巻氏自身の経験により、PwCコンサルティングが突如、IBMから買収を受けたときのエピソードを紹介している。その際、私は、日本のPwCコンサルティング代表だった倉重英樹氏が「この統合の野心を語ろう」と言われたことに感銘を受けた。その結果、IBM対PwCが「IBM+PwC」対「競合」という図式になったのかなと金巻氏は語っている。この「野心」という単語には、敵対すると思われる相手に対しても、ともに共通の思いを駆り立てるということに有効であると感じた。

冒頭に紹介したのは、金巻氏が事業会社の経営者からコンサルティング会社の代表に転身されたかたがふと口にされた言葉であるという。金巻氏も、かなりの衝撃を受け、心のどこかに同じような感覚を覚えたと言われる。

そこから本書はスタートしているのだが、本当にコンサルがそのように思っていたとしたら、クライアントからすれば高いフィーをコンサルに支払い、時間も無駄にしていることになる。このたび、金巻氏が本書では、惜しげもなく、コンサルの質問について披露してくれている。それぞれ、10のセントラルクエッションは、なぜこの質問をするのかと言った背景まで説明してくれている。本書で紹介されている質問にそって解を見つけていけば、戦略のコアにたどり着く。自社が競争優位に立つべきには、どのような発想、ひらめきが必要なのだろうかという戦略のコアに向かって。

さらに本書では、ビジョンと戦略は結びつかなければならないのか、また経営戦略と経営計画の違いなど、ベーシックな部分にも触れられている。また、当然ながら、それを実現させるためのミッシングパーツ(不足する機能や能力)を洗い出す質問も忘れていない。

本書の最後では、金巻氏が尊敬するという経営者から教えていただいた静止画と動画の話が登場する。これは、会社の野心とその道筋をシンプルに語る上で有効だと感じた。

金巻氏によれば、誰にでも「戦略策定の機会がある」と言われる。
本書は、立案された戦略が、本当に戦略になっているのか、また「選択と集中」が行われているかを問うことができる。そして、何かと膨張しやすい戦略は、少人数、短期決戦で戦略を立案するときに集中して討議していくことが重要だと理解した。

時に「戦略」という言葉が独り歩きし、なんのために「戦略」を立てているのか、また有効に機能しているのか分からなくなるときもある。しかしながら、ここに紹介された「戦略質問」によって、読者は、優れた打ち手がひらめき、真の戦略を手に入れることができると実感した。

今後、私も実際の仕事において、戦略質問を活用していきたいと思うに至った。


2021年12月4日土曜日

いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている

 行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。       大平正芳 

(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253

本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。

このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。

本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。

本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。

ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。

では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。

本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。

本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。

冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。

本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。

私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。

本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。

危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。