2022年3月19日土曜日

信念の奇跡

 あなた方の心の中の考え方や思い方が、あなた方を現在あるがごときあなた方にしてるんですぜ。
(引用) 信念の奇跡、述者:中村天風、発行所:日本経営合理化協会出版局、2021年、346


京セラ創業者の稲盛和夫氏やメジャーリーガーの大谷翔平氏らが心酔する中村天風。このたび、中村天風の講演録をまとめた「信念の奇跡(発行所:日本経営合理化協会出版局、2021年)」が刊行された。定価本体が一冊9.800円(税別)もする「信念の奇跡」は、本当に一読の価値があるのだろうか。それとも、巷(ちまた)にあふれる中村天風の書籍と同様のレベルだろうか。高価な本だけに、投資すべきかどうか迷う一冊である。しかし、読んでみなければ始まらない。そんなことを思いながら、「信念の奇跡」を拝読させていただくことにした。

「信念の奇跡」は、大きく3篇から成る。

第1篇は「何ものをも恐れず」

第2篇は「天命と宿命」

第3篇は「宿願達成」

である。


第1篇は、人間の一生の一大事、死生観から始まる。

私は、中村天風の書籍を数多く読破してきた自負がある。しかし、天風が死生観について語っている書籍は、希少であるように思う。一方、この「信念の奇跡」では、天風の死生観について、多く語られている。死は、誰にでも訪れる。そして、死は、生きている人間にとって恐怖でもある。しかしながら、天風が語る死生観は、今を生きる大切さを教えてくれる。そして、死への恐怖を拭い去ってくれる。


第2篇は、「天命と宿命」である。

この篇では、主として、天風が天風式坐禅法(安定打坐法:あんじょうだざほう)を教えてくれる。ブザーの音を用いた坐禅法は、とても分かりやすく実用的である。私もネットで調べてみたのだが、安定打坐法のYoutubeやアプリなどは、いとも簡単に利用できる。これらのツールを用いれば、天風式の坐禅を実践することができる。では、なぜブザーを用いた坐禅法が有効なのか、そして心をフッと霊的境地にもっていくべきなのか。なぜ、私たちの心のなかに煩悩や雑念妄念(ざつねんもうねん)があってはいけないのか。天風は、そんなことを分かりやすく解説し、宇宙にもつながる壮大な話の中に、安定打坐法から悟りを開く実践法を紹介してくれている。

第3篇は、「宿願達成」である。

天風は、宿願達成について、「ああなりたい」、「こうなりたい」と考えるだけでは駄目だと言われる。よく、宿願達成については、顕在意識と潜在意識との関係性が語られる。つまり顕在している意識で「ああなりたい」、「こうなりたい」と思っているだけで、宿願達成は成りえない。天風は、心の中に常にイメージすることや自己暗示の重要性を話される。そして、本ブログの冒頭に記した、絶えず心のなかでイメージする考え方や思いの結果が、今の自分であるということを思い知らされる。


「信念の奇跡」は、大きく3篇、11の章から構成されている。この一冊は、どの部分においても、人が生きていく上で大切な箇所ばかりである。

信念を強くし、いかなるときも感謝と歓喜の日々をおくること。そうした日々の積み重ねが、自分の運命を好転させ、創りあげていくということ。端的にいえば、私は天風の考え方をこのようなことだと理解した。

本書は、天風会の会員しか聞けなかった珠玉の講話集である。この講話集を読めば、巷にあふれる天風本では得られない、天風先生の真髄に触れることができる。その結果、読破して感じたことは、本書に10,000円を投資する価値はあるとの結論に至ったことだ。

巻末には、付録として「日常の心得」も掲載されている。人間は、順風にいっているときは、積極的思考になる。ただ、なにか病やら悲運なるものが訪れた際、私たちは「もうダメだ」と思ってしまうのではないだろうか。しかし、天風は、その病やら悲運なるものが訪れた際にどう対処すべきかを分かりやすく教えてくれる。

この「信念の奇跡」は、私たちの一生の宝になる。これからは、天風先生が言われるように、どんなことが起きようとも、恬淡明朗(てんたんめいろう)に溌剌颯爽(はつらつさっそう)と生きよう。この「信念の奇跡」は、これからの人生に希望と勇気を与えてくれる一冊であった。


2022年3月6日日曜日

「大学」に学ぶ人間学

 大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り。
民(たみ)に親(した)しむに在り。
至善(しぜん)に止(とど)まるに在り。
(引用)「大学」に学ぶ人間学、著者:田口佳史、発行所:致知出版社、2021年、16

私は、東洋思想研究家である田口佳史氏による前作、「『書経』講義録(致知出版社、2021年)」を拝読し、すっかり中国古典の世界に魅せられてしまった。特に、「書経」の世界では、現代でも十分通用するリーダ-シップ論や組織論、さらには政治の要諦が記されていた。また、中国の古典では、天の道義あるいは道理という宇宙観にも迫っており、スピリチュアル的というか、”宇宙の法則“を学ぶことができる。このたびの田口氏によって著された「『大学』に学ぶ人間学」にも登場するが、「書経」には、私も座右の銘としている「天工(てんこう)は人其(そ)れ之に代(かわ)る」との一文がある。この意味は、「本来、政治は天が行うべきなのだが、人間が天の代理として政治を司るポジションに就いている」と書かれている。まさに、リーダーとは、宇宙の法則に則って、天より選ばれた人たちなのであると感じることができる。そして、儒家の思想では、壮大な宇宙の摂理に従い、私たち人間は地球をより良いものにしていくという使命感を感ずることができる。ビジネスで成功に関する書籍は、書店に山積しているが、私たち日本人が学ぶのは、モチベーションアップを主目的とした西洋的なリーダーシップではなく、儒学にしたほうがしっくりくる。

さて、「大学」とは、孔子より46歳年下の曾子が著したとされ「論語」「中庸」「孟子」とともに「四書」として位置づけられている。そして「大学」は、江戸時代の小学校一年生の一学期の一時間目から学んだとされている。このように、昔から「大学」は、「初学徳に入る門」と言われてきた。つまり、儒学の入門書的位置づけが「大学」である。このたび、私も田口佳史氏による「『大学』に学ぶ人間学」を拝読させていただいたが、江戸時代の小学生がいきなり「大学」を学んでいたことに驚かされた。儒学の入門書といえども内容の濃い「大学」について、江戸時代の子どもたちは、どのように理解を深めていったのだろうか。私は、当時の「大学」を学ぶ意義とあわせ、どのように学校で教えていったのか、興味を抱いた。

四書は、巻頭の一文に重きを置いていると言われる。本ブログの冒頭、「大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り」から始まる「大学」の巻頭部分を記した。この引用文は、三鋼領(さんこうりょう)と呼ばれ、人間が生きる上で最も大切にしなくてはならないものである。江戸時代の子どもたちは、この三鋼領、そしてその次に登場する八条目を徹底的に頭に叩き込まれていったと推察される。田口氏によれば、「徳」とは、宇宙の大原則に即して生きていくことであり、そのために言葉や立ち振舞として表現することが徳だと言われる。そして、自己の最善を他者に尽くし切ることが徳であると言われる。

江戸時代の寺小屋は異学年で構成されており、年上の子たちが年下の子たちを教えてきた。現在においても、例えば4人が1組となり「チーム学習」を取り入れる自治体もある。普段の授業の中で”チーム”を編成し、チーム内の”分かる子“が”分からない子“を教える。これにより、”分かる子“は、徳を明らかにし、自分の最善を出し切って”分からない子“に教える。”分からない子“は、友達から教えてもらうことにより、感謝の念を抱く。人と人との繋がりの中で、子どもたちは学び合い、自己肯定感が生まれ、社会が安定していく。江戸時代は一般的に「太平」とされ、治世期間がかなり長いことが特徴である。その長きに渡り、社会を維持・安定させたのは、小学校1年生のときに「大学」を学び、人々が儒学を実践していったからではないだろうかと思うに至った。現代の社会に忘れていた”人間としての心“の教育が、「大学」を通じて培われていたのではないだろうか。

田口氏による前作の「書経」といい、このたびの「大学」といい、名言の宝庫であり、読み進めるたびに新たな発見がある。「大学」では、「心誠(こころまこと)に之を求むれば」という一節が紹介されている。これは、「誠心誠意ほど強いものはない」ということを言っているのだが、田口氏による解説がなければ、それで終わってしまう一文である。しかし、田口氏は、本書の中で、官公庁のミドルクラスの職員の人事異動の例をあげ、責任ある地位のまま、新たな部署に配属されたリーダーには、誠心誠意で対応することの心構えを説いている。このように、古典からいただいた“知識”は、今を生きる多くのビジネスマンのワークスタイルに当てはめることにより、“知恵”へと変わっていく。

「大学」は、人間学のみならず、組織を繁栄に導くためのリーダー像、社会に秩序をもたらす政治的な思想、そして大宇宙の摂理に至るまで、人間の天命とは何かを明らかにしながら、私たちは地球上で(もしくは人間として)何を為すべきかを教えてくれる。孔子の「遺書」ともされた「大学」の貴重な教えは、江戸時代の小学校の必須科目であったとおり、コロナや海外情勢が不安定な今を生きる私たちにとっても必須科目になるのだと感じた。

「学び直し」という意味で、リカレント教育という言葉がある。かつて我が国の子どもたちが学んできた「大学」を学び直すことは、江戸時代のような安定した社会基盤を構築するのにつながる。つまり混沌とする現代社会において、「大学」を学び直すことは、とても意義があることだと感じた。まず個人が“徳”を明らかにし、社会を安定させ、国民全体に幸福をもたらす世界を創造していく。そのために必要な一冊が「大学」ではないかと思うに至った。