2022年3月6日日曜日

「大学」に学ぶ人間学

 大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り。
民(たみ)に親(した)しむに在り。
至善(しぜん)に止(とど)まるに在り。
(引用)「大学」に学ぶ人間学、著者:田口佳史、発行所:致知出版社、2021年、16

私は、東洋思想研究家である田口佳史氏による前作、「『書経』講義録(致知出版社、2021年)」を拝読し、すっかり中国古典の世界に魅せられてしまった。特に、「書経」の世界では、現代でも十分通用するリーダ-シップ論や組織論、さらには政治の要諦が記されていた。また、中国の古典では、天の道義あるいは道理という宇宙観にも迫っており、スピリチュアル的というか、”宇宙の法則“を学ぶことができる。このたびの田口氏によって著された「『大学』に学ぶ人間学」にも登場するが、「書経」には、私も座右の銘としている「天工(てんこう)は人其(そ)れ之に代(かわ)る」との一文がある。この意味は、「本来、政治は天が行うべきなのだが、人間が天の代理として政治を司るポジションに就いている」と書かれている。まさに、リーダーとは、宇宙の法則に則って、天より選ばれた人たちなのであると感じることができる。そして、儒家の思想では、壮大な宇宙の摂理に従い、私たち人間は地球をより良いものにしていくという使命感を感ずることができる。ビジネスで成功に関する書籍は、書店に山積しているが、私たち日本人が学ぶのは、モチベーションアップを主目的とした西洋的なリーダーシップではなく、儒学にしたほうがしっくりくる。

さて、「大学」とは、孔子より46歳年下の曾子が著したとされ「論語」「中庸」「孟子」とともに「四書」として位置づけられている。そして「大学」は、江戸時代の小学校一年生の一学期の一時間目から学んだとされている。このように、昔から「大学」は、「初学徳に入る門」と言われてきた。つまり、儒学の入門書的位置づけが「大学」である。このたび、私も田口佳史氏による「『大学』に学ぶ人間学」を拝読させていただいたが、江戸時代の小学生がいきなり「大学」を学んでいたことに驚かされた。儒学の入門書といえども内容の濃い「大学」について、江戸時代の子どもたちは、どのように理解を深めていったのだろうか。私は、当時の「大学」を学ぶ意義とあわせ、どのように学校で教えていったのか、興味を抱いた。

四書は、巻頭の一文に重きを置いていると言われる。本ブログの冒頭、「大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り」から始まる「大学」の巻頭部分を記した。この引用文は、三鋼領(さんこうりょう)と呼ばれ、人間が生きる上で最も大切にしなくてはならないものである。江戸時代の子どもたちは、この三鋼領、そしてその次に登場する八条目を徹底的に頭に叩き込まれていったと推察される。田口氏によれば、「徳」とは、宇宙の大原則に即して生きていくことであり、そのために言葉や立ち振舞として表現することが徳だと言われる。そして、自己の最善を他者に尽くし切ることが徳であると言われる。

江戸時代の寺小屋は異学年で構成されており、年上の子たちが年下の子たちを教えてきた。現在においても、例えば4人が1組となり「チーム学習」を取り入れる自治体もある。普段の授業の中で”チーム”を編成し、チーム内の”分かる子“が”分からない子“を教える。これにより、”分かる子“は、徳を明らかにし、自分の最善を出し切って”分からない子“に教える。”分からない子“は、友達から教えてもらうことにより、感謝の念を抱く。人と人との繋がりの中で、子どもたちは学び合い、自己肯定感が生まれ、社会が安定していく。江戸時代は一般的に「太平」とされ、治世期間がかなり長いことが特徴である。その長きに渡り、社会を維持・安定させたのは、小学校1年生のときに「大学」を学び、人々が儒学を実践していったからではないだろうかと思うに至った。現代の社会に忘れていた”人間としての心“の教育が、「大学」を通じて培われていたのではないだろうか。

田口氏による前作の「書経」といい、このたびの「大学」といい、名言の宝庫であり、読み進めるたびに新たな発見がある。「大学」では、「心誠(こころまこと)に之を求むれば」という一節が紹介されている。これは、「誠心誠意ほど強いものはない」ということを言っているのだが、田口氏による解説がなければ、それで終わってしまう一文である。しかし、田口氏は、本書の中で、官公庁のミドルクラスの職員の人事異動の例をあげ、責任ある地位のまま、新たな部署に配属されたリーダーには、誠心誠意で対応することの心構えを説いている。このように、古典からいただいた“知識”は、今を生きる多くのビジネスマンのワークスタイルに当てはめることにより、“知恵”へと変わっていく。

「大学」は、人間学のみならず、組織を繁栄に導くためのリーダー像、社会に秩序をもたらす政治的な思想、そして大宇宙の摂理に至るまで、人間の天命とは何かを明らかにしながら、私たちは地球上で(もしくは人間として)何を為すべきかを教えてくれる。孔子の「遺書」ともされた「大学」の貴重な教えは、江戸時代の小学校の必須科目であったとおり、コロナや海外情勢が不安定な今を生きる私たちにとっても必須科目になるのだと感じた。

「学び直し」という意味で、リカレント教育という言葉がある。かつて我が国の子どもたちが学んできた「大学」を学び直すことは、江戸時代のような安定した社会基盤を構築するのにつながる。つまり混沌とする現代社会において、「大学」を学び直すことは、とても意義があることだと感じた。まず個人が“徳”を明らかにし、社会を安定させ、国民全体に幸福をもたらす世界を創造していく。そのために必要な一冊が「大学」ではないかと思うに至った。