2022年7月23日土曜日

国防/感染症/災害 リスク大国 日本

 日ごろからの防災・減災の取り組みが必要となる。加えて知災・備災も含めた「4つの災」(防災・減災・知災・備災)が、生命を守るうえでは必要となってくるだろう。

(引用)国防 感染症 災害 リスク大国日本、著者:濱口和久、発行所:株式会社グッドブックス、2022年、36

2022年の梅雨は、全国的に早く明けたが、その後の“戻り梅雨”は、全国で大気が非常に不安定になり、各地で浸水被害が多発している。この時期(7月上旬)の雨は、地球温暖化の影響からか、昨年の熱海市伊豆山土石流災害のとおり、各地で甚大な被害をもたらすようになってきた。
また、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、我が国においても対岸の火事ではなくなってきた。
さらに新型コロナウイルスについては、新規感染者が全国で5ヵ月ぶりに10万人を超すなど(2022.7.16)、第7波ともいうべき状況になっている。

これらの脅威をどのように理解し、私たちは行動すべきか。私たちの身に迫りくる3つの大きな危機(国防、感染症、災害)をどのように乗り越えていくべきなのか。そう考えていたときに、書店で拓殖大学大学院教授の濱口和久氏による「国防 感染症 災害 リスク大国日本(グッドブックス、2022年)」というタイトルの書籍に出会った。

私も仕事で防災に携わっている一人であるが、濱口氏による書籍の「はじめに」から感銘を受けた。「戦後、日本国内では戦争による日本人の犠牲者は1人も出していないが、自然災害による犠牲者は5万人を超えている(本書、2)」。

なるほど。

冒頭から説得力のある言葉であり、書籍では我が国のおかれた災害リスクとともに暮らしていかなければならないということが実感できる。
特に、戊辰戦争の敗北だけで徳川幕府が終焉したわけではなく、幕末期に日本を襲った地震や風水害、感染症の流行などのくだり(本書、26)は参考になる。我が国の歴史においても、国家を脅かす危機が一度に襲い、幕府の財政が逼迫してしまったことは、私たちも過去の歴史から学ぶべきことであろう。事実、本書では、平成30年に土木学会が公表した「首都直下地震や南海トラフ巨大地震が起きた後の長期的な経済被害の推計」の数字を紹介している。その経済被害は、最悪の場合1410兆円にものぼるという衝撃的な数字であった。

本書では、災害対策の分野に限っても、我が国のおかれた現状、災害の歴史から学ぶ行動原理、ハザードマップは万全か、消防団や自衛隊、そして政府・自治体の危機管理の現状など、多岐にわたる角度から学ぶことができる。この内容は、とてもベーシックなものであり、国民であれば最低限知っていなければならない内容であろう。

また、書籍は、自治体防災担当者にも役に立つものである。例えば、本書には、「日本の避難所環境は世界最低レベル」という項目が登場する。国では、平成25年8月に「避難所における良好な生活環境の確保に向けた取組指針」を公表している。しかし、近年の災害による避難所の実態は、どうであろうか。相変わらず、学校の体育館や公民館が圧倒的に多い。また、昨今の新型コロナウイルス感染拡大により、避難所における3密を避けなければならない(自治体によっては、新型コロナウイルス陽性者専用の避難所を設けているところもある)。この避難所の項目では、イタリアの事例とともに、国際基準の「スフィア基準」が紹介されている。この基準では、1人あたりの居住スペースは3.5平方メートル以上、天井の高さは2メートル以上などが示されている。

国家や自治体は、防災対策に予算を費やすことが少ない。しかし、これだけの災害大国日本において、避難所は、国による指針のみならず、ベッドやトイレを充実させたものにしていくべきではないだろうか。特に近年、災害が甚大化し、避難生活も中・長期化する傾向にある。たしかに、中・長期的には仮設住宅を建設すれば済む話かもしれないが、それよりも頻度の高い、短期の災害にも備えた、真の良好な避難所のあり方を国や自治体は真剣に考えていくべき時期が来たのだと感じた。

また、本書では、サブタイトルにあるように、自然災害のほか、国防、感染症についても話が及ぶ。特に国防については、中国の国防動員法の危うさが勉強になった。果たして、我が国は、国防を強化する近隣諸国に対して、守ることができるのだろうかと不安になった。

本書では、1854年の安政南海地震のとき、今の和歌山県で村の高台に住む濱口梧陵(はまぐちごりょう)は、海の遠方に見える津波の来襲に気づく。そして、村人たちに危険を知らせるため、自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明(たいまつ)で火を付けた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。この実話は、「稲むらの火」として有名である。本書の著者である濱口和久氏は、最終章においても濱口梧陵について触れており、その功績をたたえている。

濱口梧陵は、「稲村の火」にまつわるエピソードのみならず、ヤマサ醤油7代目当主ということもあってか、私財をなげうって堤防建設を行ったり、村の存亡をかけた救済策(人口流出対策、緊急雇用対策など)をしたりしている。そして、オールハザード型(自然現象や感染症、自己、紛争などすべてを含む概念)防災の先駆者として活躍された。

本書では、濱口梧陵が著した「支那経営論」についても紹介されている、平常時には、得意の地理学を活かし、あらゆるリスクに備え、そして先見性のある分析をして、その後の日本の行く末を分析していた。

いま、国や各自治体を始め、自主防災組織などの地域においても、濱口梧陵のような共助の精神を持ち、あらゆるリスクを予見し、我が国の進むべき道を示し、行動し続けた、オールハザード型のリーダーが求められていると感じた。

冒頭では、防災の4つの「災」。つまり、著者の濱口氏による防災・減災・知災(災害を知る)・備災(災害に備える)の言葉を引用した。この4つの「災」は、リスク大国日本に住む私たちに必要な「災」である。私たちヒトは、自然の脅威や感染症の発生を抑えることができない。しかし、これらのリスクに日頃から知って備えることで、リスクを減らすことができる。本書を読み終え、このリスクを減らすことは、私たち日本人の使命なのかもしれないということに、思い至った。






2022年7月10日日曜日

ディストピア禍の新・幸福論

 心はないー。心はすべて、幻想である。

(引用)ディストピア禍の新・幸福論、著者:前野隆司、発行所:株式会社プレジデント社、2022年、48

まず、本のタイトルに惹かれた。

「ディストピア禍」。そうか、今の時代は、ディストピアなんだということに、改めて気付かされた。ディストピアは、ユートピアの反対語であり、暗黒世界という意味がある。資本主義による格差拡大、新型コロナウイルス感染拡大、紛争、そして失敗が許されない(セーフティネットが用意されていない)社会の構築は、まさにディストピアともいうべきであろうか。「幸福論」といえば、私は真っ先にアランの「幸福論」を思い浮かべる。一見、不運に思えることも積極的に考えるといったアランの世界とは異なり、慶應義塾大学SDM教授の前野隆司氏が描くディストピア禍の新幸福論とは、どのような世界なのであろうか。早速、拝読させていただくことにした。

本書は、一気に読み終えることができる。そして、読んだ感想としては、「50歳を過ぎた私にとって、知りたかったことが書かれていた」ということだ。

まず、本書では、人間が避けて通れない「死」についても多くのページを割いて紹介されている。著者による深い死生観から得られるものは、死の不安を「生」のエネルギーへと反転させる手がかりを探るためである。そして、冒頭に記した著者の「心は全て幻想」ということから、過去も未来も全て「幻想」というこが理解できる。そのため、著者は言われる。「いまを幸せに生きると決めれば、幸せに生きることができる」と。その一言が、死を意識して今を生きる私たちに最適な言葉だと感じた。

著者、幸福学を提唱し、個人と人類の幸せを追求していると言う。その著者が発見した幸せの4因子は、実に興味深い。具体的に4因子とは、

第1因子「やってみよう!」自己実現と成長の因子、

第2因子「ありがとう!」つながりと感謝の因子、

第3因子「ありのままに!」独立と自分らしさの因子、

第4因子「なんとかなる!」前向きと楽観の因子

である。

人と自分を比べない、自己決定できる、楽観的である、なにかを成し遂げるなど、この4つの因子に全てが詰まっている。

幸福かどうかは、往々にして私たちを取り巻く人間関係で決まる。興味深かったのは、著者と著者の息子のエピソードである。これは、人間関係において必要となる手法、つまり相手を信じて「対話」するときに役立つ「アコモデーション」が紹介されている。ゲームばかりしている著者の息子に対して、著者は息子に対して「健康には悪いと思うが、それも自分の責任だ」と話し、息子に伝えていた。そして、息子の価値観を認めながら信頼関係を築き、人間関係を構築していく。このエピソードは、スティーブン・コヴィーによる名著「7つの習慣」でも似たようなことが論じられており、説得性のあるエピソードであった。

イギリスのシューマッハ・カレッジには、「Deep time walk」というワークがあるという。それは、地球が生まれてから46億年の歴史を4.6キロメートに例えて歩く活動だという。そうすると、私たちが100年生きたとしても、たった0.1ミリに過ぎないという。

壮大な宇宙の歴史の中で、私たち人間がそれぞれ一瞬しか存在しない。その儚き時間の中で、私たちは、いがみ合うのではなく、個人や世界が協調し、幸せを追求すべきではないだろうか。

本書の最終章には、Ikigai(生きがい)ペン図なるものが登場する。この円の中心に存在する「Ikigai」を全ての地球人が広げる活動をすれば、まさに世界で勃発する紛争などのリスクもなく、幸せな世界が築けることだろう。

奇しくも、このブログを書いているとき、安倍晋三元首相が選挙の応援演説中に銃弾で命を奪われたという報道に接した。安倍氏は生前、2007年に長崎市長が暴力団組員に拳銃で撃たれてなくなった際、「これは民主主義に対する挑戦であり、断じて許すわけにはいかない」と語った。まさに、我が国においても、本書で言う「すべての人を愛すること」はできていない。この本では、最後に最も述べたいこととして、「世界人類を愛そう」ということである。その前野氏の理想郷は、いつになったら到達できるのだろうか。

今を生きる私たちにとって、生きがいとはなにか。そして幸福とはなにか。ディストピア禍とも言える現代において、私たちがどのように幸福を追求して生きるべきかを教えてくれる一冊であった。今後は、この教えてに従い、私たちが生きがいを持って、真の幸福を掴む実践をしていかなければならないと感じた。