2022年7月10日日曜日

ディストピア禍の新・幸福論

 心はないー。心はすべて、幻想である。

(引用)ディストピア禍の新・幸福論、著者:前野隆司、発行所:株式会社プレジデント社、2022年、48

まず、本のタイトルに惹かれた。

「ディストピア禍」。そうか、今の時代は、ディストピアなんだということに、改めて気付かされた。ディストピアは、ユートピアの反対語であり、暗黒世界という意味がある。資本主義による格差拡大、新型コロナウイルス感染拡大、紛争、そして失敗が許されない(セーフティネットが用意されていない)社会の構築は、まさにディストピアともいうべきであろうか。「幸福論」といえば、私は真っ先にアランの「幸福論」を思い浮かべる。一見、不運に思えることも積極的に考えるといったアランの世界とは異なり、慶應義塾大学SDM教授の前野隆司氏が描くディストピア禍の新幸福論とは、どのような世界なのであろうか。早速、拝読させていただくことにした。

本書は、一気に読み終えることができる。そして、読んだ感想としては、「50歳を過ぎた私にとって、知りたかったことが書かれていた」ということだ。

まず、本書では、人間が避けて通れない「死」についても多くのページを割いて紹介されている。著者による深い死生観から得られるものは、死の不安を「生」のエネルギーへと反転させる手がかりを探るためである。そして、冒頭に記した著者の「心は全て幻想」ということから、過去も未来も全て「幻想」というこが理解できる。そのため、著者は言われる。「いまを幸せに生きると決めれば、幸せに生きることができる」と。その一言が、死を意識して今を生きる私たちに最適な言葉だと感じた。

著者、幸福学を提唱し、個人と人類の幸せを追求していると言う。その著者が発見した幸せの4因子は、実に興味深い。具体的に4因子とは、

第1因子「やってみよう!」自己実現と成長の因子、

第2因子「ありがとう!」つながりと感謝の因子、

第3因子「ありのままに!」独立と自分らしさの因子、

第4因子「なんとかなる!」前向きと楽観の因子

である。

人と自分を比べない、自己決定できる、楽観的である、なにかを成し遂げるなど、この4つの因子に全てが詰まっている。

幸福かどうかは、往々にして私たちを取り巻く人間関係で決まる。興味深かったのは、著者と著者の息子のエピソードである。これは、人間関係において必要となる手法、つまり相手を信じて「対話」するときに役立つ「アコモデーション」が紹介されている。ゲームばかりしている著者の息子に対して、著者は息子に対して「健康には悪いと思うが、それも自分の責任だ」と話し、息子に伝えていた。そして、息子の価値観を認めながら信頼関係を築き、人間関係を構築していく。このエピソードは、スティーブン・コヴィーによる名著「7つの習慣」でも似たようなことが論じられており、説得性のあるエピソードであった。

イギリスのシューマッハ・カレッジには、「Deep time walk」というワークがあるという。それは、地球が生まれてから46億年の歴史を4.6キロメートに例えて歩く活動だという。そうすると、私たちが100年生きたとしても、たった0.1ミリに過ぎないという。

壮大な宇宙の歴史の中で、私たち人間がそれぞれ一瞬しか存在しない。その儚き時間の中で、私たちは、いがみ合うのではなく、個人や世界が協調し、幸せを追求すべきではないだろうか。

本書の最終章には、Ikigai(生きがい)ペン図なるものが登場する。この円の中心に存在する「Ikigai」を全ての地球人が広げる活動をすれば、まさに世界で勃発する紛争などのリスクもなく、幸せな世界が築けることだろう。

奇しくも、このブログを書いているとき、安倍晋三元首相が選挙の応援演説中に銃弾で命を奪われたという報道に接した。安倍氏は生前、2007年に長崎市長が暴力団組員に拳銃で撃たれてなくなった際、「これは民主主義に対する挑戦であり、断じて許すわけにはいかない」と語った。まさに、我が国においても、本書で言う「すべての人を愛すること」はできていない。この本では、最後に最も述べたいこととして、「世界人類を愛そう」ということである。その前野氏の理想郷は、いつになったら到達できるのだろうか。

今を生きる私たちにとって、生きがいとはなにか。そして幸福とはなにか。ディストピア禍とも言える現代において、私たちがどのように幸福を追求して生きるべきかを教えてくれる一冊であった。今後は、この教えてに従い、私たちが生きがいを持って、真の幸福を掴む実践をしていかなければならないと感じた。