2022年10月30日日曜日

論語と孫子

 彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず(謀攻篇)
(引用)世界のビジネスエリートが身につける最高の教養 論語と孫子、著者:守屋洋、発行所:株式会社PHPエディターズ・グループ、2022年、191

著述家、中国文学者の守屋洋氏の最新刊が刊行された。私は、洋氏の息子、淳氏による「最高の戦略教科書 孫子(2014年、日本経済新聞出版)」を拝読したことがある。なぜ、孫子の兵法がビジネスに役立つのか。当時、感銘を受けたことを覚えている。

その淳氏も大いに影響を受けたであろう父親の洋氏による「論語と孫子(2022年、株式会社PHPエディターズ・グループ)」は、サブタイトルに「世界のビジネスエリートが身につける最高の教養」とある。今年90歳になられる洋氏(1932年生まれ)が、中国古典を通じて、私たち現役のビジネスマンに伝えたいこととはどんなことであろうか。私は、心して、拝読させていただくことにした。

本書は、そのタイトルどおり、「論語」と「孫子」のエッセンスを抜き出してまとめたものと言えるだろう。まず、「論語」とは、洋氏によれば、「あっさり言うと孔子という人物の言行録(本書、1)、」であり、「孫子」は、「孫武(そんぶ)という名将によってまとめられた兵法書(本書、2)」である。数ある中国古典から洋氏がこの2冊を選んだということは、大変興味深い。そして、本書の構成は、第1章として、「論語の人間学」、第2章として「孫子の兵法学」から成る。

本書は、すぐに読み終えることができる。それは、「論語」や「孫子」を読んだことがない人でも、まず、わかりやすい現代語訳が載っているからだ。

第1章の論語では、私の好きな言葉、「弘毅(こうき)」が登場する。これは、論語に登場するが、孔子の弟子である曾子(そうし)の言葉であり、あまりにも有名な「士は以って弘毅ならざるべからず」という一句である。洋氏は、「弘毅」という言葉を「広い視野と強い意志力」と訳す。この「弘毅」は、指導的な立場にある人物が持つべきものだ。なぜならリーダーは、「任重くして道遠し(責任が重いし、道も遠いからである)」と続いている。これは、徳川家康公の遺訓とされる「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。」を彷彿させる。

また、論語では、弟子たちが孔子について語っていることも興味深い。孔子は、1.主観だけで憶測していないか、2.自分の考えを押し通していないか、3.一つの考え方にこだわっていないか、4.自分の都合しか考えていないかという4つの欠点を免れていたという。この4つは、私も反省すべき点が多いと感じた。リーダーになればなるほど、自分の考えを求められる。しかし、私は、リーダーになっても、自分の考えを押し通そうとすると間違えることも知っている。そのため、私は、「自分はこう考えるが、どう思う?」と周りの人たちに聞くことが肝心だと思っている。また、自分の考えを押し通そうとすることは、どこかに私利私欲があるということだ。私の尊敬すべき、故稲盛和夫氏は、大きな役職を引き受けたり、また新たな事業を進めたりするとき、次の言葉を自問自答したという。「動機善なりや、私心なかりしか」。自分の都合ではなく、社会全体の公益を考える。そこに自分の都合(私利私欲)がなく、利他の心で行うこと。その考えのもとは、論語にあったのではないかと思うほど、世の中の成功法則は、長い間不変のものであり、共通しているものであると感じた。

第二部は、「孫子」である。本ブログの冒頭には、孫子の有名な句を引用した。この句は訳すまでもないが、守屋流に訳すと「敵を知り、己を知った上で戦えば、絶対に負けることはない」となる。では、敵を知り、己を知るとは、具体的にどのようにすることだろうか。守屋氏によれば、調査不足、希望的観測、思い込みなどの原因が重なり合って、判断を誤ることが多いと言われる。この句に触れるたび、私は、SWOT分析を思い浮かべる。SWOT分析は、自社の事業の状況等を、強み(Strengths)、弱み(Weaknesses)、機会(Opportunities)、脅威(Threats)の4つの項目で整理して、分析する方法である。これは、自社のみならず、自分自身、そして他社にも使えるものであり、「敵」と「己」を知るのに有効であると感じている。また孫子には、「敵も知らず、己も知らなければ、必ず敗れる」ともある。なにか物事を決断するとき、新規事業を立ち上げるとき、そして他社と競うとき、「敵」と「己」を事前に知っておく必要の大切さを改めて孫子は教えてくれる。

また、「孫子」には、武田信玄が好んで旗印として使用した「風林火山」が登場する。「疾(はや)きこと風の如(ごと)く、その静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し」。この風林火山について、守屋氏は、作戦行動における「静」と「動」の対比にほかならないと説く。つまり、「林」と「山」は「静」、「風」と「火」は「動」ということであろう。「孫子」では、短期決戦を目指せとある。その短期決戦の中においても、「天の時」と「地の利」を得る必要がある。まさに「天の時」という好機が訪れたとき、一気に疾風のように行動し、燃え盛る火のように攻撃をしかける。その「天の時」と「地の利」は、現在のビジネスにおいても、リーダーはしっかり見極めなければならない。かつて、私のリーダーであったかたも多数の前で挨拶をする時、「天の時」「地の利」という言葉を多用していた。なにごとにも「勝つ」には、時機があることを改めて認識させられた。

論語において、孔子は「年長者から安心され、友人からは信頼され、年少者からは懐(なつ)かれる、そんな人間に私はなりたい」と弟子に言っている。この一文に触れ、私は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出してしまった。孔子と宮沢賢治に共通することは、人に対して謙虚であり、尽くすことであり、信頼を得ることであると思う。「雨ニモマケズ」も最後は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と締めくくられている。私も、人生の行き着く先として、孔子のような人間に少しでも近づきたいと思った。

本書の「はじめに」に書かれているが、守屋氏は人生の締めくくりをつける時期にきたと言われる。その長きにわたる中国古典の研究のなかから守屋氏が選んだのは、「論語」と「孫子」であった。つまるところ、この洋氏がセレクトした2冊のエッセンスを学ぶことができることは、読者として、なんと幸せなことであろう。生き方、リーダーシップ、君主たるものの心構え、そして兵法から導き出される戦略。現代は、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムによって開かれるsociety5.0の時代と言われている。しかし、このたび「論語と孫子」を拝読して、AIとかIoT、メタバースといわれる現代社会においても、中国古典は私たちビジネスマンが身につけるべき最高の教科書であり、時代の流れに左右されることのない、不変の教えであると改めて感じた。

2022年10月16日日曜日

エフォートレス思考

 知識はチャンスの扉を開いてくれる。
自分だけのユニークな知識は、永続的なチャンスを与えてくれる。
(引用)エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する、著者:グレッグ・マキューン、訳者:高橋璃子、発行所:株式会社かんき出版、2021年、221

「エフォートレス」とは、直訳すれば「努力を要さない」ことである。マーケティングや経営戦略に精通している人ならば、「エフォートレス」とは、CX(顧客体験価値)を高め、顧客満足度を向上させる要素のひとつとして注目されているキーワードだと思うことだろう。例えば、お客様がパソコン関連の商品を購入した際、その購入者が専門知識を有さずとも、努力を要さず(簡単な手順で)、接続させて利用できることを指す。また、コールセンターの社員は、いかにお客様がエフォートレスに問題を解決するかが求められる。

しかし、このたび発刊された「エッセンシャル思考(かんき出版、2014年)」で有名なグレッグ・マキューンによる「エフォートレス思考(かんき出版、2021年)」は、私たち個人が努力を最小化して、成果を最大化することに焦点をあてる。昨今、「働き方改革」やコロナ禍における「リモートワーク」の推進など、ビジネスシーンでは、いかに労働時間を短縮させ、効率化が求められるように感じる。しかも、今までの質をキープし、いやそれ以上の質向上を求められる成果を意識しながら。この反比例とも言えるテーマは、ビジネスシーンにおいて、永遠のテーマともいうべきものであろう。
では、このグレッグ・マキューンが提唱する「エフォートレス思考」を身につければ、どのように自分自身が変化し、最小の努力で最大の成果が得られるのか。私は、惹きつけられるように「エフォートレス思考」を拝読させていただくことにした。

本書は、まず、PART1「エフォートレスな精神」から始まる。
戦後、我が国が奇跡的な経済成長を遂げたのは、私たちの祖父や父の世代の活躍。つまり、高度経済成長期には、会社への忠誠心が高く、私生活は二の次でガムシャラに働く社員、いわゆる「モーレツ社員」の存在が大きかったのではないだろうか。本書では、「頑張りすぎは失敗のもと」と言い切り、「もっといいやり方を探し、余裕で成果を出す」ことに終始している。

エフォートレスな精神は、「どうしたらもっと簡単になるのだろう?」と考えたり、仕事と遊びを共存させたりすることによって養われる。そして、「感謝」の力によって、ネガティブな感情から力を奪い、ポジティブな環境が広がりやすいとしている。不満を一つみつけたら、感謝を一つ見つけるといった、グレッグ・マキューンが提唱する手法は、とても実践的だ。さらには、彼の日課、すなわち1静かな場所を見つけ、2体の力を抜き、3頭を落ち着かせ、4心を解放し、5感謝の呼吸することは、マインドフルネス的な実践法にもつながる。以前、私が読んだある書籍では、感謝の心を持って瞑想すると、脳波がアルファ波になると書かれていた。我が国では、「平常心(びょうじょうしん)」という言葉がある。アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズが“禅(ZEN)”に魅せられたように、本書を読み勧めていくうちに、エフォートレスな精神とは、まさに「平常心」を養うものだと気づかされた。

PART2は、「エフォートレスな行動」である。ゴールを明確にイメージし、はじめの一歩を身軽に踏み出す。そして、手順を“限界まで減らす”ことを忘れない。そして、この章で参考になるのは、「早く着くために、ゆっくり進む」ということだ。よく知られたことわざに「急がば回れ」がある。このことわざの真意は、「物事は慌てずに着実に進めることが結果としてうまくいく」ということであろう。本書でも1911年イギリスとノルウェーのチームによる南極点到達レースの様子が描かれている。具体的には、天気が良い日は進めるまで進む、天候が悪ければ休むというチームと、天候に左右されず毎日正確に15マイル進むチームの特徴があった。私は、がむしゃらに働けるときは、しっかり働いてしまうため、前者のチームが優勢だと思っていた。しかしながら、毎日着実に、休息を取りながら進んでいったチームが最後には、勝った。これは、自分の仕事の進め方、つまりエフォートレスになっていなかったと、反省せざるを得なかった。この着実なペースを作るには、「下限値と上限値を決めると良い」という、グレッグ・マキューン氏のアドバイスにつながっていた。例えば、毎日読書をするには、「1日5ページ以上(下限値)、1日25ページを超えない(上限値)」といった目標を決めるのは、とても有効であると感じた。

そしてPART3は、「エフォートレスの仕組み化」である。
この仕組み化では、学習化して一生モノの知識を身につけることを勧める。独自の知識を持つものは、信頼され、人もチャンスも集まってくる。まさに、本ブログの冒頭に記したとおりである。この知識を身につけるといったとき、本書に紹介されているテスラ社等の創業者、イーロン・マスク氏の言葉が深い。知識を一種のセマンティック・ツリー(意味の木)として捉える。そして、枝葉や詳細を見る前に、まず幹や枝、つまり土台となる原理を理解することだと。いま、私たちが得ようとしている知識は、木の根幹部分であるのか、それとも枝葉なのか。枝葉ならば、まず、根幹(土台)を理解しなければ、知識となり得ないということであろう。

突然であるが、私は、テニスが好きだ。私が40代に差し掛かったとき、中学校時代から続けてきたソフトテニスを捨て、硬式テニスに完全に移行した。そのとき、私は、恥も外聞もなく、初心者向けのテニススクールに通った。そのとき、コーチからは、硬式テニスの基礎(土台)を嫌なほど叩き込まれた。現在も私はテニススクールに通っており、中級クラスも脱するレベルに達してきたが、当時の土台がなければ、ここまで硬式テニスも上達しなかったであろうと思う。このような実体験からも、私はイーロン・マスク氏の言葉について、妙に納得させられた。さらには、一生モノの知識を身につけるということは、マネジメントの父であるピーター・ドラッカーが言われていた「強みを生かすことにエネルギーを費やす」ことにもつながっていると感じた。

そのほか、仕組み化で大事なことは、「自動化」することである。勝手に回る仕組みをつくるには、「自動化」が大切だ。例えば、慣れた仕事でもチェックリストを作るなど、自身の健康管理や家庭においても、応用できる自動化が本書には書かれている。まさに、ローテクとハイテクとの融合によって、エフォートレスな仕組みは出来上がっていくと感じた。


最終章では、グレッグ・マキューン氏の娘であるイヴさんについて書かれている。彼女は、神経の病に侵され、マキューン氏も相当心配されたことであろう。発病から2年経っているが、まだ完治はされていない。しかし、マキューン氏は、どんな困難に遭遇しようとも、今何かを選択する力が大切であると説く。それがひいては、エフォートレス思考につながるとしている。

仕事において、そして家庭において、困難はつきものである。しかし、どんなに大きな困難に遭遇しようとも、私たちは選択によって、よりシンプルで簡単な道を選ぶことができる。

エフォートレス思考とは、単なる仕事の省力化させるためではない。もっと人間らしく思考し、行動し、成果を上げる。この本来の「人間らしく」成果を上げるために、私はエフォートレス思考について、これからのビジネスシーンにおいて、最大の武器になると思うに至った。

2022年10月8日土曜日

終止符のない人生 反田恭平

 チェーホフ(ロシアの劇作家)はこう言ったそうだ。
「芸術家の役割は問うことであり、答えることではない」
(引用)終止符のない人生、著者:反田恭平、発行所:株式会社幻冬舎、2022年、208

本書は、今をときめくピアニスト、反田恭平氏の自叙伝である。反田氏は、テレビの露出なども多く、クラシック音楽ファン以外にも幅広い支持を得ている。

2021年10月、反田氏は、第18回ショパン国際コンクール第2位を獲得したことも記憶に新しい。既に知名度の高い彼は、なぜ、敢えてショパン国際コンクールに挑戦したのか。なぜなら、コンクールへの挑戦は、入賞を逃すと、ピアニストとしてのダメージを負うかもしれないというリスクを負う。
そんな「反田恭平」という一人の人間としての素顔が知りたくなり、反田氏による「終止符のない人生(株式会社幻冬舎、2022年)」を拝読させていただくことにした。

本書では、冒頭からショパン国際コンクールのシーンから始まる。そこには、ショパンに出会えたという感謝の気持を持って、ステージに立つ反田氏の姿があった。サッカーが好きだった反田少年は、右手首の骨折をきっかけに、サッカー選手になる夢を断念してしまう。そして、まるで人生のシナリオが最初から描かれていたかのように、反田少年は、ピアノ道へと進むことになる。

日本音楽コンクールで1位を獲ってから、反田氏は、モスクワへ留学する。時々断水のあるモスクワ留学のエピソードは、若いからこそ乗り越えられたエピソードで綴られている。我が国のように、モスクワでは水や電気が当たり前に使えることが叶わない。極寒の異国の地においての経験は、反田氏がピアニストとしても、また人間的にも大きく成長していったのだと感じた。

本書での読みどころは、何と言ってもショパン国際コンクールについてであろう。やはり、気になることは、なぜ反田氏がハイリスクを負ってまで、ハイリターンのコンクールに挑戦したかである。

本書の中で、反田氏は、「誰もが生涯を通じて、真剣に対峙するべき大事な試練が10年に一度は訪れると僕は思っている(本書、80)」と記している。ちょうど、コンクールの時期は、反田氏が人間的に次のステージに進むべき時期と合致したということであろう。そして、亡き祖父の「人生でやり残したことがないように」といった言葉にも押され、反田氏は、ショパン国際コンクールという大舞台に果敢に挑む決意した。

面白かったのは、ショパン国際コンクールにおける反田氏の“戦略”である。審査員を飽きさせないようにするための秘策やプログラム構成は、単なる芸術家ではなく、反田氏のビジネス的センスをも感じた。

実は、私が人生で初めてクラシック音楽のCDを購入したのは、スタニスラフ・ブーニンである。1990年前半、私は、当時1万円もするブーニンのコンサートチケットを幸運にも入手でき、初めてクラシック音楽のコンサートに出向いた。そこには、1台のピアノと“弾き手”しか存在していない。しかし、圧倒的なテクニックと表現力、そして時に力強く、時に繊細なまでの音色。ブーニンの奏でるショパンの前奏曲作品28の第15番“雨だれ”では、静かに降り続く雨の音が次第に重くなり、ショパンが作曲時に抱えていた不安な心境を見事に表現していた。ブーニンのコンサート以来、私は、クラシック音楽も趣味の一つに加わった。

本書では、反田氏がショパン国際コンクールの第3次予選を通過した際、そのブーニンが反田氏にエールを送っているシーンが登場する。しかも、ブーニンのエールは、反田氏に20世紀最高のピアニストとも言われる「リヒテルの演奏を思い出した」という最高の賛辞も添えて。

また、反田氏の幼なじみであり、良きライバル的な存在のピアニスト小林愛実氏が本書にしばしば登場する。小林氏は、反田氏と同じショパン国際コンクールに出場し、第4位入賞を果たしている。本書を読むと、反田氏が幼なじみの小林氏をいかに尊敬しているかがわかる。それは、反田氏と違って、「小林さんは耳で聴いた瞬間たちまち譜面を記憶してしまう(本書、202)」という一文からも感じ取れる。そして、本書では、もう一人の天才、反田氏より一つ年上でパリのロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで2位、エリザベート王妃国際音楽コンクールで3位に輝いた務川慧悟氏も登場する。反田氏の凄さは、他人の才能を素直に認めるところにもある。

冒頭に記した一文は、クラシック音楽にも通用する。同じ演目であっても、それぞれの演奏者の曲の解釈によって、聞き手は演奏者の“問い”を知ることになる。

だから、芸術家は、いつもその作曲者に対して、そして聴衆者に対して“問うている”のではないだろうか。この”問い“があるからこそ、クラシック音楽は、同じソナタ、同じコンチェルト、同じシンフォニーでも、私たち聴衆者をいつまでも飽きさせることなく、現代に引き継がれている。私は、芸術の真価がまさに”問い”にあるのだと気づかされた。

本書は、反田恭平という一人の素顔に迫ったものであったと同時に、クラシック音楽への理解がさらに深まるものであった。そして何より、反田氏がショパン国際コンクールに挑んだように、挑戦することへの意欲を駆り立てる一冊であった。

ここにきて、今一度、反田氏の祖父の言葉が思い起こされる。

「人生やり残したことがないように。」

そう。一人ひとりの人生が、本書のタイトルにもなっている「終止符のない人生」だということの重みをも感じさせる一冊であった。