彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず(謀攻篇)
(引用)世界のビジネスエリートが身につける最高の教養 論語と孫子、著者:守屋洋、発行所:株式会社PHPエディターズ・グループ、2022年、191
著述家、中国文学者の守屋洋氏の最新刊が刊行された。私は、洋氏の息子、淳氏による「最高の戦略教科書 孫子(2014年、日本経済新聞出版)」を拝読したことがある。なぜ、孫子の兵法がビジネスに役立つのか。当時、感銘を受けたことを覚えている。
その淳氏も大いに影響を受けたであろう父親の洋氏による「論語と孫子(2022年、株式会社PHPエディターズ・グループ)」は、サブタイトルに「世界のビジネスエリートが身につける最高の教養」とある。今年90歳になられる洋氏(1932年生まれ)が、中国古典を通じて、私たち現役のビジネスマンに伝えたいこととはどんなことであろうか。私は、心して、拝読させていただくことにした。
本書は、そのタイトルどおり、「論語」と「孫子」のエッセンスを抜き出してまとめたものと言えるだろう。まず、「論語」とは、洋氏によれば、「あっさり言うと孔子という人物の言行録(本書、1)、」であり、「孫子」は、「孫武(そんぶ)という名将によってまとめられた兵法書(本書、2)」である。数ある中国古典から洋氏がこの2冊を選んだということは、大変興味深い。そして、本書の構成は、第1章として、「論語の人間学」、第2章として「孫子の兵法学」から成る。
本書は、すぐに読み終えることができる。それは、「論語」や「孫子」を読んだことがない人でも、まず、わかりやすい現代語訳が載っているからだ。
第1章の論語では、私の好きな言葉、「弘毅(こうき)」が登場する。これは、論語に登場するが、孔子の弟子である曾子(そうし)の言葉であり、あまりにも有名な「士は以って弘毅ならざるべからず」という一句である。洋氏は、「弘毅」という言葉を「広い視野と強い意志力」と訳す。この「弘毅」は、指導的な立場にある人物が持つべきものだ。なぜならリーダーは、「任重くして道遠し(責任が重いし、道も遠いからである)」と続いている。これは、徳川家康公の遺訓とされる「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。」を彷彿させる。
また、論語では、弟子たちが孔子について語っていることも興味深い。孔子は、1.主観だけで憶測していないか、2.自分の考えを押し通していないか、3.一つの考え方にこだわっていないか、4.自分の都合しか考えていないかという4つの欠点を免れていたという。この4つは、私も反省すべき点が多いと感じた。リーダーになればなるほど、自分の考えを求められる。しかし、私は、リーダーになっても、自分の考えを押し通そうとすると間違えることも知っている。そのため、私は、「自分はこう考えるが、どう思う?」と周りの人たちに聞くことが肝心だと思っている。また、自分の考えを押し通そうとすることは、どこかに私利私欲があるということだ。私の尊敬すべき、故稲盛和夫氏は、大きな役職を引き受けたり、また新たな事業を進めたりするとき、次の言葉を自問自答したという。「動機善なりや、私心なかりしか」。自分の都合ではなく、社会全体の公益を考える。そこに自分の都合(私利私欲)がなく、利他の心で行うこと。その考えのもとは、論語にあったのではないかと思うほど、世の中の成功法則は、長い間不変のものであり、共通しているものであると感じた。
第二部は、「孫子」である。本ブログの冒頭には、孫子の有名な句を引用した。この句は訳すまでもないが、守屋流に訳すと「敵を知り、己を知った上で戦えば、絶対に負けることはない」となる。では、敵を知り、己を知るとは、具体的にどのようにすることだろうか。守屋氏によれば、調査不足、希望的観測、思い込みなどの原因が重なり合って、判断を誤ることが多いと言われる。この句に触れるたび、私は、SWOT分析を思い浮かべる。SWOT分析は、自社の事業の状況等を、強み(Strengths)、弱み(Weaknesses)、機会(Opportunities)、脅威(Threats)の4つの項目で整理して、分析する方法である。これは、自社のみならず、自分自身、そして他社にも使えるものであり、「敵」と「己」を知るのに有効であると感じている。また孫子には、「敵も知らず、己も知らなければ、必ず敗れる」ともある。なにか物事を決断するとき、新規事業を立ち上げるとき、そして他社と競うとき、「敵」と「己」を事前に知っておく必要の大切さを改めて孫子は教えてくれる。
また、「孫子」には、武田信玄が好んで旗印として使用した「風林火山」が登場する。「疾(はや)きこと風の如(ごと)く、その静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し」。この風林火山について、守屋氏は、作戦行動における「静」と「動」の対比にほかならないと説く。つまり、「林」と「山」は「静」、「風」と「火」は「動」ということであろう。「孫子」では、短期決戦を目指せとある。その短期決戦の中においても、「天の時」と「地の利」を得る必要がある。まさに「天の時」という好機が訪れたとき、一気に疾風のように行動し、燃え盛る火のように攻撃をしかける。その「天の時」と「地の利」は、現在のビジネスにおいても、リーダーはしっかり見極めなければならない。かつて、私のリーダーであったかたも多数の前で挨拶をする時、「天の時」「地の利」という言葉を多用していた。なにごとにも「勝つ」には、時機があることを改めて認識させられた。
論語において、孔子は「年長者から安心され、友人からは信頼され、年少者からは懐(なつ)かれる、そんな人間に私はなりたい」と弟子に言っている。この一文に触れ、私は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出してしまった。孔子と宮沢賢治に共通することは、人に対して謙虚であり、尽くすことであり、信頼を得ることであると思う。「雨ニモマケズ」も最後は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と締めくくられている。私も、人生の行き着く先として、孔子のような人間に少しでも近づきたいと思った。
本書の「はじめに」に書かれているが、守屋氏は人生の締めくくりをつける時期にきたと言われる。その長きにわたる中国古典の研究のなかから守屋氏が選んだのは、「論語」と「孫子」であった。つまるところ、この洋氏がセレクトした2冊のエッセンスを学ぶことができることは、読者として、なんと幸せなことであろう。生き方、リーダーシップ、君主たるものの心構え、そして兵法から導き出される戦略。現代は、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムによって開かれるsociety5.0の時代と言われている。しかし、このたび「論語と孫子」を拝読して、AIとかIoT、メタバースといわれる現代社会においても、中国古典は私たちビジネスマンが身につけるべき最高の教科書であり、時代の流れに左右されることのない、不変の教えであると改めて感じた。