2020年10月31日土曜日

シティプロモーション2.0

シティプロモーションとは、 私の定義では「地域を持続的に発展させるために、地域の魅力を創出し、地域内外に効果的に訴求し、それにより、人材・物財・資金・情報などの資源を地域内部で活用可能としてくこと」を指す。
(引用)「関係人口」創出で地域経済をうるおすシティプロモーション2.0 ーまちづくり参画への「意欲」を高めるためにはー、著者:河井孝仁、発行者:田中英弥、発行所:第一法規株式会社、発行年:2020年、5

私はシティプロモーションの理解を深めるべく、河井孝仁氏による前著、『「失敗」からひも解くシティプロモーション ーなにが「成否」を分けたのか』(2017年、第一法規)から連続して、河井氏が著された書籍を読ませていただいた。最新刊では、そこに実際住んでいる「定住人口」ではなく、「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(本書、33)である「関係人口」に焦点をあてている。この「関係人口」創出で地域経済を潤すことが可能になるという。ただ、河井氏が指摘するとおり、「関係人口」の捉え方が各自治体でマチマチだ。我が国も人口減少時代を迎え、定住人口の増加が見込めない。そこで、ある意味「ゆるい」定義である「関係人口」という言葉がこぞって使われるようになった。しかし、この「ゆるさ」は、行政の都合の良い方向へ進めてしまうことがある。河井氏は、関係人口という考え方を基礎において、多様性と定量化の二兎を追う関係人口ネクステージを定量化するため、河井氏が従来から指摘してきた修正地域参画総量指標(mGAP)を提示する。本書では、具体的なmGAPの定量化する手順が示されている。私は、このmGAPに「感謝意欲」が含まれていることに感銘を受ける。かつて私も地元小中のPTA役員を歴任したり、地元の祭りの世話役などをしてきた。そのとき、まちの行事に参加するためのモチベーションは、周りからの「感謝」であった。その感謝意欲までも定量化し、関係人口を定量化する手法には、私も賛成だ。

従来、各自治体のシティプロモーション戦略は、ブランド化、定住人口の増加を目指していたフシがある。恥ずかしながら、私もシティプロモーションとは、都市の知名度向上することだと思っていた。いや、実際にそのように考えられていた時代がある。これを河井氏は、シティプロモーション1.0の時代と呼ぶ。これは、2014年に元岩手県知事で現日本郵政取締役代表執行役社長の増田寛也氏が座長を務めた日本創成会議・人口減少問題検討分科会に起因する。この分科会は、「消滅可能性都市896のリスト」を発表した。そして当時、増田氏の編著により、「地方消滅 東京一極集中が招く人口急減」が発行され、話題を呼んだ。この「消滅都市」というセンセーショナルなキーワードは、我が国が人口減少時代を迎える中で、ヒトの「取り合い」が始まった。その救世主として、各自治体は、シティプロモーションを取り入れ、定住人口の増加を目指したのだろう。まさに、我が国におけるシティプロモーションの創成期ともいえるのではないだろうか。

河井氏の本を読み進め、私は、シティプロモーションが一過性のものでないということを知った。シティプロモーションはブランドを構築すれば良し、子育て世帯の定住人口が増加すれば良しではないのだ。河井氏が提案する関係人口を創り出すプラットフォーム、いわゆる「地域魅力創造サイクル」は、継続性を求める。ややもすると、打ち上げ花火的なシティプロモーションも存在する中で、その地域に根ざし、愛着心を育み、心からプロモートする。その「地域魅力創造サイクル」を回し続けていくことが重要であると思った。そのため、「いまここ」から未来に向け、河井氏は、シティプロモーション2.0を推奨する。定住人口から関係人口へ、単なる知名度向上から地域魅力創造やメディア活用へ、そして地域連携へとシティプロモーションは進化を遂げる。その理由として、私は自治体の独りよがりではない、そこに住む人達や関係している人たちが「主役」となることに気づいたからではないか思った。

また、本書では、関与者の成長にも言及しているところが面白い。その成長を促すため、野中郁次郎氏らが示したSECIモデルなるものが登場する。この9月、野中郁次郎氏らが新たに「ワイズカンパニー 知識創造から知識実践への新しいモデル(東洋経済新報社、2020.9)を発刊した。これには、新しいSECIモデルが示されているようだが、企業組織を成長させるこのモデルは、地域を成長させることにも有効だと思った。この河井氏によるシティプロモーション関連の本を読み終え、次に私は「ワイズカンパニー」を読ませていただこうと心に決めている。

河井氏による最新刊の「おわりに」に、新型コロナウイルスについても触れている。私は、新型コロナウイルスにより、地方がシティプロモーションを展開する絶好の機会だと考えている。それを裏付けるかのように、東京一極集中から、テレワークの推進などで地方への回帰が始まっている。ネットさえつながえれば、東京にいる必要はなくなりつつある。そのため、地方の自治体は、シティプロモーション2.0を展開することにより、関係人口を創出することが容易となってくる。このピンチをチャンスに変えられるかは、各自治体の取組みにかかっている。

「自助・共助」という言葉がある。近年、防災的な意味合いで「自助・共助」という言葉は多用されているが、そこに住む人々が支え合い、感謝しあい、自分たちのまちを愛し、人々にも推奨する。河井氏による一連のシティプロモーションの本を読ませていただき、この好循環こそが、シティプロモーションではないかと考えるに至った。

2020年10月24日土曜日

「失敗」からひも解くシティプロモーション

 まちに住む人たちの推奨意欲・参加意欲・感謝意欲に加えて、まちの外からまちに共感する人たちの推奨意欲、これらすべてを加えたものを「地域参画総量」といおう。
(引用)「失敗」からひも解くシティプロモーション ーなにが「成否」をわけたのか、著者:河井孝仁、発行者:田中英弥、発行所:第一法規株式会社、初版発行:平成29年10月15日、12

シティプロモーション。このカタカナの言葉は、時として、行政マンを悩ます。シティープロモーションをするため、各自治体は動画を作ればよいのか、またキャッチコピーを考えればいいのか、それとも市のシンボル的なロゴマークを製作すればよいのかなど。各自治体によっても、シティプロモーションの捉え方が違ってくると思う。そのことが起因して、ターゲットがずれ、施策がずれ、メディア戦略がずれ、各自治体の独りよがりな施策に陥り、「失敗」を引き起こすこととなる。

その「失敗」からの助け舟を出してくれるのが、河井氏による「『失敗』からひも解くシティプロモーション(第一法規株式会社)」だ。各自治体が”手探り”でシティプロモーションを展開し、「失敗」した事例も紹介してくれる。その中で、河井氏が主張するのは、冒頭に記した「地域参画総量」という言葉だ。河井氏によれば、「この地域参画総量を増加させることができれば、具体的な定住促進、産品振興、交流拡大の取組みにとっての、熱を持ったしなやかな土台になる(同書13)」としている。この地域参画総量という言葉に出会い、私は、今まで、曖昧だったシティプロモーションの定義、そして全容がクリアになっていった。

本書の後半には、各自治体のシティプロモーションの失敗を生かし、河井氏直伝による「シティプロモーションの成功法」が書かれている。その示されている手順通りに進めば、シティプロモーションは、最大の武器となってくる。その武器を携え、自治体職員とそこに住む人達がまちの「空気」や「雰囲気」を醸し出せるような戦略を実行していくことこそが、何より重要であることが理解できた。

本書では、神奈川県の「大学発・政策提案制度」も紹介されている。これは、神奈川県内においてシティプローモーションを的確に行いたいという目的を神奈川県と大学(研究室)が共有し、神奈川県が協働主唱者となり、大学(研究室)が協働呼応者となった取組み(本書、96)である。この取組みを知り、私は、慶應義塾大学飯盛義徳研究室による「KANAZAWA GENKI PROJECT」を思い出す。このプロジェクトでは、金沢の女子大生14人がグループを作り、”かなざわ娘”として、1年間にわたって金沢の魅力をPRしたり、企業と一緒に金沢の新しい名産品の作成に取り組んだりしているという。1)

金沢の女子大生は、なにも地元の娘ばかりではないだろう。ただ、縁があって金沢に住み、金沢の魅力推奨し、まちづくりに参加し、まちへの感謝を増やしていく。そして金沢の外に住む人達の推奨意欲が高まれば、金沢の人たちは、持続的な幸せを実現できることになる。私は、まさにこのような取組みがシティプロモーションだと思うに至った。

本書は、シティプロモーションで悩める自治体職員、そして自分たちの住むまちに誇りを持ち、「何とかしたい」と考えている人たちにオススメしたい。

1)KANAZAWA GENKI PROJECT 慶應義塾大学 飯盛義徳研究室

2020年10月10日土曜日

LIFE SPAN 老いなき世界

 老化は1個の病気である。私はそう確信している。その病気は治療可能であり、私たちが生きているあいだに治せるようになると信じている。そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう。
(引用)LIFESPAN 老いなき世界、著者:デビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント、訳者:梶山あゆみ、発行者:駒橋憲一、発行所:東洋経済新報社、2020年、160

「LIFESPAN 老いなき世界」を読み終えて、私は、秦の始皇帝のことを思い浮かべた。中国全土を統一し、すべてを手中に収めた始皇帝は、唯一手に入れていない”不老不死”を求めるようになる。そのため、始皇帝は、秦の方士である徐福に命じ、不老不死の薬を探させる。しかし、始皇帝は、その甲斐もなく49歳で亡くなってしまう。いま、始皇帝がご存命なら、迷わず私は、この「LIFESPAN」の本を勧めたことだろう。最先端科学とテクノロジーが老化のメカニズムを解明し、老化防止で「今できること」が書かれているからだ。

本書は2部構成になっている。第1部では、老化を「病気」として捉え、それを積極的に治療することが簡単にできるだけではなく、そうすべきであることも示している。また、第2部では、老化に終止符を打つために、すぐにできる対処法や、現在開発中の新しい医学療法を紹介している。何よりもまず、老化を防止されたいかたは、第2部から購読して実践されても良いかと思う。私は、第1部から拝読させていただいたが、ハーバード大学ポール・F・グレン老化生物学研究センターの共同所長であるデビッド・A・シンクレア氏が分かりやすく老化のメカニズムを解説してくれる。本書には、「ゲノム」や「エピゲノム」を始め多くの専門用語が頻出してくる。これらの難解な専門用語についてシンクレア氏は、ゲノムをピアノに、エピゲノムをピアニストに例えて説明されているなど、誰もが理解しやすいように解説してくれる。まるで、高校の生物の授業を受けているかのように、世界最先端の老化のメカニズムがすんなりと頭に入ってきた。

第2部では、いよいよ老化を防止させるための実践編が登場する。なぜ、運動が良いのか、またなぜ少食がいいのかなど、こちらも科学的根拠(エビデンス)をもとに分かりやすく解説してくれる。さらに本書の474ページからは、シンクレア氏が日常行っている老化防止の実践例が紹介されている。これらは、今すぐに私達の生活にも取り入れられるものばかりだ。

ややもすると、私達の多くは、「老化すること」について、”諦め”や”恐れ”でしかなかったのかもしれない。しかし、この「LIFESPAN」を拝読すると、老化を防止し、この先も元気に生きようとする”希望”が記されている。1989年と比べて2019年の我が国の平均寿命は、女性5.68歳、男性5.5歳延び、女性87.45歳、男性81.41歳と過去最高になったという。1)
いよいよ「人生100年時代」も視野に入ってきた。多くの方が「LIFESPAN」に書かれていることを実践し、さらにシンクレア氏を筆頭とした老化医学も進化すれば、さしあたって「人生120年時代」も夢ではないだろう。本書を拝読し、これからも、私は、好きなテニスなどを楽しんで、人生を謳歌していきたいと思った。

(資料)
1)nippon.com 2020.08.04 配信

2020年10月9日金曜日

ひるまないリーダー

 リーダーたらんとする人々が真剣に責任を取るのは、苦労するにもかかわらずではなく、苦労が伴うからこそであるということだ。 

(引用)ハーバード流 マネジメント講座 ひるまないリーダー、著者:ジョセフ・L・バダラッコ、訳者:山内あゆ子、発行人:佐々木幹夫、発行所:株式会社翔泳社、2014年、162

先行きが不透明な時代における新たなリーダー像が模索されている。特に現在、新型コロナ感染拡大による影響を受け、ビジネスモデルの方向転換を余儀なくされているケースも多々ある。例えば、旅行大手のエイチ・アイ・エス(HIS)は、オンライツアーにも注力し、家庭で旅行気分が味わえることなどを提案する。また、日本航空(JAL/JL)は、新型コロナウイルス感染症の影響で旅客需要が落ち込む中、客室乗務員約20人を「ふるさとアンバサダー」として公募し、地方の拠点に配置転換して、新たに地域の魅力を発信する事業を展開する。私は、このようなビジネスモデルの大転換期を迎えている今、読み返したい本があった。それは、ハーバード・ビジネススクールのジョセフ・L・バダラッコ氏によって著された「ひるまないリーダー(翔泳社)」だ。

近年、リーダーシップに関する書籍といえば、希望、夢、楽観的などのキーワードが散りばめられたものが多いように思う。しかし、本書は、リーダーシップの苦労や努力などについて論じれている。そこには、地に足がついた本来のリーダー像の姿が示されている。そして、本書に紹介されている先行きが不透明な時代にも通用する5つの質問(バダラッコ氏は、「時代を超える質問」としている)に回答していくことで、先が見通せない時代においても、リーダーシップを発揮することが可能となる。

この5つの質問の最初は、「自分は現状を取り巻く環境を十分に把握しているか(同書、15)」である。この最初の質問を見て、私はOODA(ウーダ)ループと似通っていると感じた。OODAループとは、アメリカの軍事戦略家のジョン・ボイド氏が発明したもので、先の読めない時代の意思決定手法である。よく、PDCAサイクルと比較されるが、OODAループは、Observe(観察)、Orient(状況判断)、Decide(意思決定)、Act(行動)の頭文字をとったものだ。このように、バダラッコ氏が示す5つの質問の最初は、Observe的なものとなっている。しかし、OODAループループは意思決定手法であるのに対して、バダラッコ氏による5つの質問は、リーダーに投げかけた質問であることから、2つめの質問から異なってくる。詳細は本書に譲るが、どのような時代においても、リーダーは、この5つの質問を答えることにより、先の見通せない時代にも、”ひるまずに”リーダーシップを発揮することができる。

本書の中に、「責任あるリーダーにできるのは、できる限りの分析をおこない、ある方向に進むと決め、次のステップを慎重に計画し、やったことや実験したことから学ぶ努力し、その途中でチャンスをつかみ、新しく現れる現実に合わせて組織の取り組みをたびたび調整し直せるよう準備を怠らないことだけだ(本書、99)」というフレーズが登場する。

私は、このフレーズがとても気に入った。いや、現代のリーダーシップは、この一言であらわれていると言ってもいいのではないかと思う。この言葉に出会い、私は、富士フィルムの構造転換を思い出した。富士フィルムは、写真フィルムの需要が減少する中、化粧品や医療品、再生医療等にコア事業を転換した。これは、写真フィルムの技術が化粧品と親和性が非常に高いことによって実現したものだ。まさに、本文中、「やったことや実験したことから学ぶ努力をし」ということと符合する。いままさに、どの業種、どの事業者も富士フィルムのような大胆な構造転換が求められているのではないか。その富士フィルムの古森重隆氏のようなリーダーシップを発揮するには、バダラッコ氏が提唱する5つの質問を自身に問うて実践していくしかない。

5つの最後の質問は、「自分はなぜこの人生を選んだか」で締めくくられている。時として、リーダーは、「なぜ自分だけがこんなに苦労しなければならないのか」と考えがちである。事実、その仕事から逃げることもできるし、愚痴を言うこともできる。しかし、この質問に出会ったとき、私は、ヌルシアのベネディクトゥス:聖ベネディクトの戒律の第64章の一節を思い出す。

「選ばれし者は心に留めなければならない。みずからが背負う責任の重さと、その権限を委譲する部下のことを。」

確かに、リーダーは、夢を語り、楽観的な態度で部下を安心させることが必要である。しかし、リーダーは、なぜ、この苦しい人生を選んでいるのかといった自覚が何より求められる。そして、苦難のときには構造転換をし、活路を見出すことができる。リーダーは、綺麗ごとでは済まされないのだ。

「苦労が伴うからこそリーダーである。」

バダラッコ氏に、そう、教えていただいた。

2020年10月1日木曜日

日本列島回復論

この列島の至るところで、人々はそうやって先人達から受け継いだものを引き受けて生きてきたのでしょう。その営みが郷土の風景を守り、恵み豊かな山水をつくりあげてきたのです。無数の無名の人々の引き受ける覚悟と努力がこの列島を支えてきたと言っても過言ではありません。
(引用)日本列島回復論ーこの国で生き続けるために、著者:井上岳一、発行:2019年10月25日、発行者:佐藤隆信、発行所:株式会社新潮社、263

山水郷。何と美しい日本語の響きなのだろう。この言葉は、日本列島回復論を著された井上岳一氏の造語である。我が国の7割が山に囲まれているため、都市部や平地農村を除けば、ほとんどが山水郷と呼ぶべき場所であると井上氏は言われる(同書、101)。大学で林業を学ばれた井上氏は、我が国の抱える社会的課題について、その解を”山水の恵み”と”人の恵み”に求めた。近年、その山水郷の多くが限界集落に近くなってきたと耳にする。では、なぜいま山水郷なのだろうか。昨年出版された本書を、改めて拝読させていただくこととした。

我が国では、人口減少、高齢化、グローバル化が進む。特に井上氏は、人口減少、高齢化が経済を直撃しているとし、生活保護受給者のデータなどを用い、日本は隠れた貧困大国であると指摘する。これらの課題は、社会構造的なものとも相まって、人間関係の希薄化や若者の低所得者の増加等が根底にあることがわかってくる。なぜ人々は、都市部を中心として働く場を得ているにも関わらず、幸せを感じられなくなったのだろうか。戦後、人々は、高度成長期において、こぞって都市を目指した。用地が限られた都市空間では、建物が大型化・高層化し、人々がひしめき合って暮らしている。確かに私も昭和、平成、そして令和と生きているが、子供のころ(昭和の50年代)は、地方都市に住んでいるせいか「向こう三件両隣」の世界があった。今でこそ、防災のキーワードで「自助・共助・公助」と言われているが、子供のころには、隣に誰が住んでいるのかを勿論知っていたし、冠婚葬祭等があればムラをあげての行事となった。無論、人とのコミュニケーション不足のみが「隠れた貧困大国」の要因にはならない。しかし、都会には、人としての温かさを喪失してしまった感があることは、誰も否めないことだろう。

井上氏は、山水郷を”天賦のベーシックインカム”としている。ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策である。確かに、山水郷がマイナーな存在になったのは、ここ60~70年である。本書を読み進めていくうちに、私は母の実家を思い出した。母の実家は豊かな自然が残るところで、祖父は農協(現JA)に務めながら、兼業で農業を営んでいた。うちの母は、早くから運転免許を取得していたので、実家に帰ると、まだ保育園児だった私をスーパーカブの後ろに乗せて、色々と連れ回してくれた。カブで牛舎の近くを通ると、田舎臭いというか、独特の匂いがしたことを覚えている。また、実家には、隣のお兄ちゃんらと三輪車や自転車に乗って走り回った。さらに夜には、現代人の殆どが知らないであろう”五右衛門風呂”に祖父と入るのが楽しみだった。そこには、複数の収入源を持って、自給自足に近い生活をしながらも、笑いに囲まれた幸せな空間があった。人と触れ合い、山水による恵みを享受し、精神的な豊かさがあったように思う。井上氏は、古来から人々が生活を営み、この日本の原風景とも言うべき山水郷こそが、我が国を”回復”させる特効薬であると見出した。私も母の実家を思い出し、井上氏の主張に賛成するところだ。

本書では、AIやIoTに象徴される情報科学技術の進展により、その始まりの場所としても山水郷を推奨している。その後、この井上氏に著された本が出版された後に、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、テレワークの普及などで地方移住者が増加することとなった。内閣府による「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査(令和2年6月21日)」によれば、年代別では20歳代、地域別では東京都23区に住む者の地方移住への関心は高まっているとある。アフターコロナの時代について、建築家の隈研吾氏が「20世紀型『大箱都市』の終焉」1)と言われているとおり、人々は、再び、地方都市や山水郷に向かいつつある。本を出版した時点で井上氏が想像していた以上に、人々が再び山水郷に移動するスピードが速まっているのではないかと思う。

事実、株式会社パソナグループは、働く人々の「真に豊かな生き方・働き方」の実現と、グループ全体のBCP対策の一環として、主に東京・千代田区の本部で行ってきた人事・財務経理・経営企画・新規事業開発・グローバル・IT/DX等の本社機能業務を、兵庫県淡路島の拠点に分散し、この9月から段階的に移転を開始していくという。その数は、グループ全体の本社機能社員約1,800名のうち、約1,200名が今後淡路島で活躍するという。2)このように、”地方への回帰”は、新型コロナや情報科学技術の進展を契機として、様々なリスク分散を鑑み、個人のみならず、大規模な事業所単位のシフトさえも加速している。

「空き家は劣化が早い」とよく言われる。それと同じように、先人たちが築き上げてきた山水郷も同様のことが言えるのではないだろうか。人工林などの手入れも含め、豊かな自然を守っていくため、人々が住み続ける必要がある。私の住む都市にも、市街地から車で1時間ほど走れば、山水郷と呼ぶべきところが残っている。私の知り合いは、その地区で空き家になりそうな一軒家を借りて、週末に暮らしている。年に数度、私もお誘いを受けて行くのだが、同じ市に暮らしているとは思えないほど、空気も気温も違ってくる。美味しい空気を吸いながら、ホタルが飛び交う季節には、その淡い光を楽しむ。そこを訪れるたびに思うことは、山々で囲まれ、田園風景が広がり、ゆっくりとした人間らしい暮らし方が実現できているということだ。かと言って、スマホも圏外にもならず、ネット環境も整備されていて、快適で不自由がない。不自由がないどころか、山水郷では、贅沢な、ゆっくりとした時間が流れている。

行政による山水郷対策も進む。本書にも登場する愛知県豊田市は、「山村地域在住職員」を採用している。職員として採用されれば、豊田市が平成17年度に合併した町村のうち、旭、足助、稲武、小原、下山に在住し、主に地域の観光イベントの調整やツキノワグマの生息状況の把握と被害防止対策などの任務に当たるという。3)そのほか、井上氏は、本書の中で行政の役割についても複数提案している。

20世紀は、人間と自然が共生できなかったのかもしれない。しかし、21世紀は、再び、人間と自然が共生し、古より大切にしてきた貴重な資源の享受を受けるながれになる。本書を読み、自分たちの故郷が持続可能な社会となること、そして日本列島が回復するためには、再び”自然回帰”がキーワードになるのだと認識するに至った。

(資料)

1)アフターコロナ 20世紀型「大箱都市」の終焉、建築家・隈研吾氏が語る都市の再編成、坂本曜平、日経クロステック/日経アーキテクチュア、2020.05.27配信

2)株式会社パソナグループホームページ 2020.09.01配信 ニュースリリース

3)豊田市ホームページ 山村地域在住職員採用(2021年4月採用) 募集要項