データ駆動型社会のポイントは二つあります。一つは、貨幣以外の多元的な価値を可視化できることであり、もう一つは、個別的なサービスや対応ができるようになったことです。
(引用)共鳴する未来 データ革命で生み出すこれからの世界、著者:宮田裕章、発行者:小野寺優、発行所:株式会社河出書房新社、2020年、170
本書を読んで、私は我が国におけるデータの適切な活用について考えさせられた。本書では、「データは誰のものか」、「多元的な価値を可視化する仕組みは根付くのか」といったことをテーマにしている。まず、「データは誰のものか」といった議論は、山本龍彦氏と宮田氏との対談で理解を深めることができる。折角収集したデータの活用が怖いから、予めデータの提供者から「同意」を得る。こうした、いわゆる「同意疲れ」の課題は、誰でも経験していることだろう。その中で、山本氏が言われるとおり、「『同意』の取得機会を増やすことではなく、誰とデータを共有するかに関する自己決定権の行使をどういうふうに実行的なものしていくのか(本書、106)」といった指摘は大変共感できた。
また、著者である宮田氏は、これからの時代、労働が富の源泉であるという労働価値説からデータが価値の源泉となるデータ駆動型社会を提唱している。なぜ、データ駆動型社会なのか。本書でも少し触れているが、私は、会津若松市のスマートシティの取り組みを思い出した。会津若松市では、ICT(情報通信技術)や環境技術など、健康や福祉、教育、防災、さらにはエネルギー、交通、環境といった生活を取り巻く様々な分野を活用してる。その会津若松市では、人口減少下においても、「魅力的な仕事のあるまち」や「生活の利便性が高いまち」を目指していくという。このスマートシティでは、宮田氏が言われるデータを共有材としてみなし、個々人の生き方を支援することに寄与するプラットフォームの設計思想が根付いているのではないだろうか。宮田氏は、「スマートシティだけでなく、スマートヴィレッジ、あるいはもう少し小さい単位としてスマートコミュニティがあってもいい(同書、194)」と指摘する。まさに地域に根ざした単位から始めるというところにも共感した。
さらに、宮田氏は、本書の冒頭で、「誰も取り残すことなく、一人ひとりが豊かな生き方を考え実現することを、支えるものであること(本書、3)」と言われる。その言葉は、データ駆動型社会の礎になっているのだと感じた。本書でも触れているが、その「誰も取り残すことなく」というのは、SDGsの理念と合致する。私も教育現場に携わっているが、国の進めるGIGAスクール構想により、小中学生の児童・生徒に1人1台端末を配備することが急速に進められている。実は、そのタブレット端末を使った授業では、「誰も取り残さないこと」が期待されている。先日、教育現場を視察したが、授業では、子どもたちがタブレット端末に各々の意見を書き込み、教室のディスプレイに瞬時に一覧として表示される。これにより、今まで、限られた授業時間で一部の意見しか拾えなかったものが、すべての子ども達の意見が出揃う。そこから私は、個々の多様性が生まれると同時に、学び合うことにより、子どもたちの理解が深まっていくと感じた。
本書を拝読し、個々のデータが共有財産として響き合い、多様性を持った新たな社会を創造していく。その新たな社会で人々は、貨幣で決して得られない、新たな「幸福感」を得られるのだと感じた。