2022年2月5日土曜日

落合陽一34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長

 「介護の世界で何がしたいのか?」
そう聞かれたとき、僕は必ず「介護を自動化するのではなく、介護を”補助“するためのテクノロジーを研究したいと思っている」と答えてきました。
(引用)落合陽一 34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長、発行所:中央法規出版株式会社、2021年、186-187

まず、本のタイトルに惹かれた。自分が34歳の時、「老い」と向き合った時間があったのだろうか。まだ、自分の子どもが小さく、夫婦共働きで、子育てと仕事に奔走していた。そんな34歳の落合陽一氏が「老い」と向きあった書籍を刊行した。我が国は、少子化が進展し、超高齢社会を迎えている。このような社会環境では、「老い」が身近になりつつある。その若き天才が「老い」について、どのように向き合うのか。また、なぜいま「老い」なのか。そして「老い」に対して、テクノロジーはどのように関わってくるのか。そのことに興味を抱き、拝読させていただくことにした。

まず、冒頭の養老孟司氏との対談が面白い。
この対談の印象として、テニスで言えば、落合氏は若さゆえにアグレッシブに攻め、養老氏はベテラン選手のように落ち着いて、的確にロブを返しているような問答であった。
その中で、不可避的な「老い」が迫る中、どのように時間を過ごしていくのか。養老氏は、「やっていることや周囲に対し切実な関心がないと、時間が無駄に過ぎていってしまいますよね(本文、54)」と言われる。
「切実な関心」という言葉に、私はハッとさせられた。いま、私たちの周りに存在する出来事や人々について、切実な関心を持って生きることは、人生の豊かさにつながっていく。いま、自分はどれだけ切実な関心を持って暮らしているのだろうか。私は、養老氏の一言から、地球上にいられる有限的な時間を無駄に使わないようにしようと思った。この対談では、「老い」に留まらず、「死生観」にまで迫る。いかに「第二人称の死」を「第三人称の死」に置き換えるか。養老氏の発する一言に重みを感じ、私も納得させられる内容であった。

高齢化が進み、生産年齢人口が減少していくのに伴い、介護現場においてもテクノロジーとの共存が求められてくる。落合氏は、「デジタルネイチャー」という言葉を用いる。「デジタルネイチャー」とは、コンピューターとそうでないものが親和することで再構築される、新たな「自然環境」のことだ(本書、9)。
デジタルネイチャーを考えていくうえで、何が重要であろうか。本書では、落合氏が関わっている様々な介護のための補助道具などが紹介されている。本ブログの冒頭では、落合氏が介護現場においてテクノロジーを導入する際の考え方を紹介した。
つまり、落合氏が、「介護を自動化するのではなく、介護を”補助“するためのテクノロジーを研究したいと思っている」ということ。この一文から、落合氏が実際に介護現場で働かれるかたに寄り添った開発を心掛けてみえるのだと感じた。

本書では、「介護が成長分野である」ことを主張する落合氏の意見に、我が国の将来に希望が持てる。我が国は高齢化社会を迎え、介護に対するニーズもより一層高まる。しかし、3K(きつい、汚い、危険)のイメージがつきやすい介護については、これから就職を目指す若者にとって、魅力ある職業分野でなければならない。
折しも2022年2月1日、NHK番組「クローズアップ現代+ AI搭載ロボが介護?デジタル介護最前線!」が放映された。番組の中では、AI搭載の介護支援ロボが夜間の見回りで活用したり、施設内のアルコール消毒をしたりしていた。また、各入所者のベッドのマットレス下にはセンサーが設置してあり、介護ステーション内のパソコンモニターでは入所者の睡眠状態が一目でわかる仕組みになっていた。さらには、各入所者の天井には「見守りセンサー」が設置してあり、利用者が転倒や転落などを検知すると、前後1分だけ自動録画すると同時に、介護する人に介助が必要なことを知らせていた。

その番組の中で印象的であったのは、介護する人のインタビューの中に「テクノロジーによって、私たちの業務が効率化され、時間に余裕が生まれた。その分、入所者に寄り添う時間が割ける」といった旨の発言があった。NHKの番組では、介護者が夜勤中、見守りセンサーに反応した入所者のところに出向くシーンが放映された。そして、介護者は、真夜中であるというのに、一緒に車いすで寄り添いながら施設内を”散歩”するシーンが放映されていた。それが本来の”人間しかなし得ない“介護者の姿”だと感じた。このことからも、テクノロジーは介護職が本来の業務を遂行するための補助すべきものであり、介護職は本来の業務である”人間らしく”介助者に寄り添うことが重要なのだと理解した。

そのほか、本書では、英語で分身や化身を意味するアバターのロボット。つまり、パソコンなどを操作し、離れた場所で作業や会話ができるロボットであるOrihimeについて触れられている。私は、アバターロボットを上手く活用することにより、介助者が「行きたくても行けない場所」の空間を共有できるなど、テクノロジーの無限性を知ることとなった。

一般的に、2030年の日本の社会におけるキーワードは、多様性(ダイバーシティー)といわれる。 多様性社会とは、人種・性別・年齢などに一切関係なく、すべての人々が自分の能力を活かし、生き生きと働けることが実現していることを指す。落合氏は、「多様性がある」から「多様性を受け入れる」という包摂的(インクルージョン)な社会の構築を目指す。

高齢化社会を迎え、生産年齢人口が減少する中、人種や性別、年齢にとらわれない多様な人間が集い、誰もが自然に豊かに暮らせる理想の社会を構築していくこと。そのためには、私たちの暮らしにテクノロジーを溶け込ませ、快適に、いつまでも人間らしく、豊かに生きていくことが求められる。落合氏の提唱されるデジタルネイチャーという考え方は、介護の分野のみならず、Society5.0の時代の根幹となる部分ではないだろうかと感じた。
本書を拝読し、誰にも等しく訪れる「老い」と向き合うことは、「人間」と「テクノロジー」が上手に関係性を築くことの重要性を再認識させられた。
超高齢化社会を迎え、ネガティブに捉えられがちな我が国の将来に、本書は一筋の光をもたらすものであった。