逆境のなかで希望を抱くことは、ただの愚かな空想ではない。希望は、人類の歴史が、単に残酷なばかりではなく、コンパッション、献身、勇気、思いやりの歴史であるという事実に基づいているからだ。
(引用)Compassion(コンパッション) 状況にのみこまれずに、本当に必要な変容を導く、「共にいる」力、著者:ジョアン・ハリファックス老師(博士)、監訳者:一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート、訳者:海野桂、英知出版株式会社、2020年、176
Compassion(コンパッション)。私が大学受験のとき、英語の科目で頭に詰め込んだCompassionの和訳は、「思いやり」だ。Compassionと聞いて、それ以上の言葉の意味があるとは、お恥ずかしい話、私は知らなかった。
ジョアン・ハリファックス老師は、コンパッションを次のように定義する。すなわち、人が生まれつき持つ「自分や相手を深く理解し、役に立ちたい」という純粋な思い。自分自身や相手と「共にいる」力のこと。そして、コンパッションを育むことで、意思決定の質、対人調整力、モチベーションが向上するという。
ストレスフルな社会である。特に、現在、我が国では、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、緊急事態宣言が発出されている。このたびの新型コロナウイルスの感染拡大によって、私達の生活は、外出自粛要請、学校の臨時休業など、一変してしまった。連日、暗いニュースが流れ続け、これを執筆している段階では、新型コロナウイルスの終息の光が見えてこない。
そのような状況のなか、ジョアン・ハリファックス老師の書かれたコンパッションの本は、私たちに勇気と希望を与えてくれる。
冒頭に紹介した言葉は、本書に登場する公民権運動のリーダー、ファニー・ルー・ヘイマー氏のことを記したものだ。恐ろしい暴行を受けても立ち上がり、自身の苦しみを人類の利益に活かしたファニ・ルーから学べることは、国難ともいえる現在の状況下において、自分自身が社会の一員であることを再認識し、関係者と良好な関係を築き、一丸となって難敵に挑むことだ。いま、まさに一人ひとりが置かれた立場で、私はコンパッションの実践が求められると感じた。そうしなければ、希望の光が永遠に見えてこないことだろう。
ジョアン・ハリファックス老師は、ハーバードの名誉教授であり、禅僧であり、社会活動家だ。禅僧ということから、日本に対する造詣が深い。本書にも10世紀の日本の歌人、和泉式部の短歌や陶磁器の金継ぎなどが紹介され、そこから日本人が本来持つ、コンパッションが浮かび上がることも興味深い。
本書を読み進めていく上で、私の尊敬する京セラの創業者である稲盛和夫氏と共通する部分も多いことに気づかされた。これは、稲盛氏自身も京都の円福寺で得度していて、禅の大切さをビジネスに取り入れているからであろう。
人間本来の心の大切さを再認識すること。そして、自分を犠牲することなく、人の役に立つ実践的な方法を学ぶこと。これは、次代を担うリーダーに一番必要なスキルだと思う。
いま、私は、改めて一人ひとりがCompassionの実践が求められると強く思う。先ほど紹介したファニー・ルーが驚くべき勝利をしたように、私たちも新型コロナウイルスの脅威に立ち向かうために。
Compassion。私にとって、最高のリーダーシップの教科書となった。