2020年8月29日土曜日

アフターコロナ

 新型コロナが収束した後を予測すると、「自由」であることが重視されるようになると考えます。「誰もが好きな場所で暮らし、好きな場所で働ける」といったことがテーマとなり、都市が再編されるでしょう。                    

                                 建築家 隈 研吾

(引用)日経BPムック 「見えてきた7つのメガトレンド アフターコロナ」、編者:日経クロステック、著者:島津翔、岡部一詩、谷川博、久米秀尚、山端宏実、高橋厚妃、東将大、坂本曜平、2020年7月、096

2020年8月20日付けの日経朝刊一面は、「未曾有の減収 企業窮地に」という見出しが躍った。新型コロナの影響で、特に外食や空運で負債依存度が高まっているという。

日経BPムック 「見えてきた7つのメガトレンド アフターコロナ」では、各界を代表する論客がアフターコロナの時代を予測している。そのうちの一人、星野リゾート代表の星野佳路氏は、「大変な短期的な需要の落ち込みは過去に経験がないくらいですし、2,3か月におきに波のように来るというのは経験したことはないが、経営の力の見せ所だと思っています」と言われる。1)

いま、星野リゾートが力を入れているのは、「マイクロツーリズム」だ。1~2時間圏内の地元観光客を改めて見つめ直し、需要を喚起する。都道府県で感染者数の増減がバラつく中、感染の多い場所から少ない場所へ移動するなど、県外への旅行を躊躇するかたもみえる。確かに、コロナ感染期は、地元が魅力にあふれていることを再認識する良い機会なのかもしれない。その星野氏がこだわるのは、新型コロナの感染対策として流行語にもなりつつある「3密回避」だ。「『3密回避』の施策にしても、もし反応が悪ければ理由を探って対処すればいい。仮説を立てて提案しないことには、改善すべき点もわかりませんから」と星野氏は言われる(同書、103)。

星野氏は、自社の倒産確率38.5%と予測して社員に知らしめた。社員は、この数字を真摯に受け止め、自分の愛すべき企業が倒産に追い込まれないよう、アフターコロナ対策に奮闘している。以前から星野リゾートで人気であったビュッフェスタイル形式の朝食は、コロナ後に取りやめた。しかし、利用客から再開を望む声が多く聞かれ、コロナ対策を万全にして再開したという。2)

私は、顧客の声や現場と経営者との距離をより短縮し、「3密回避」という制約がある中で、より顧客に満足をしてもらう方策を考えていかなければ、アフターコロナの時代においても「生き残れない」ということを実感した。

いま、不動産関係のホームページを見ると、アフターコロナを見据え、別荘が売れているという。3密を避けるため、テレワークなどの在宅勤務が急速に進む。そのため、自然豊かな郊外の別荘で、ネット接続環境が整い、テレワークの部屋を有して仕事をするスタイルが好まれつつある。建築家の隈研吾氏は、アフターコロナを「20世紀型『大箱都市』の終焉」とと位置づけた。「建設会社は大箱を作り、住宅会社は住宅をつくると二分化されていた建築業界の構造が変わると言えます」と隈氏は言われれる(同書、096)。新型コロナにおいて、人々の動きが鈍くなる一方、アマゾンなどの通販事業は大きく売上を伸ばしている。ネットさえあれば、仕事や生活必需品に困らない現代。アフターコロナは、人口密度の高い都市は終焉に向かい、郊外で快適に暮らす人々が増えることを予測させる。アフターコロナは、「人間らしさの追求」の時代になると感じた。

在宅勤務が増えるためには、再分配政策が必要だと立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏は言われる。ステイホームが増え、最初にダメージを受けるのは、社会的弱者であるという理由からだ。出口氏によれば、世界の指導者が直面している課題として、①まん延を食い止めるために、どうやって市民をステイホームさせるか、②エッセンシャルワーカーの支援、③再分配政策を掲げる(同書、138)。出口氏が指摘するとおり、再分配政策とあわせ、エッセンシャルワーカーの支援も急務だ。エッセンシャルワーカーは、いつも新型コロナの感染症集団発生の危機にさらされ、家に帰れば家庭内感染の恐怖に怯える。無症状も報告されている「小さな難敵」は、どこに潜んでいるかわからない。このように私達は、社会機能を維持させるため、最前線に立つ人々がいることを忘れてはならない。アフターコロナ到来に向かい、有効なワクチンや治療薬が存在しない現在は、星野リゾートのような企業の「生き残り」だけではなく、都市の「生き残り」も試されていると感じた。

都市の「生き残り」とはなんだろうか。私は、本書を読み、これからの都市は、最先端の情報科学技術を駆使し、郊外でも快適な暮らしが保障されると同時に、食やエネルギーなどの地産地消、教育や医療、福祉といった健康的で文化的な生活が実現できる空間になっていくのだろうと思った。

アフターコロナの暮らしに対する解は、まだ完全に得られていない。しかし、着実に、その解は人類の叡智によって得られようとしている。「一日生きることは、一歩進むことでありたい。」とは、物理学者でノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の言葉だ。いま、私達は、新型コロナを契機に、新たな時代の幕開けへと歩んでいく。


1) 2)  2020年8月20日 22時放映 テレビ東京 「カンブリア宮殿」 日本の観光 生き残り戦略 




2020年8月22日土曜日

自治体3.0のまちづくり

 本当のシティプロモーションとは、多くの人が見る動画を創ることではなく、生駒を愛する市民が、行政にすべてを頼ることなく、まちづくりを「自分事」にするための一連の取組のことです。その結果、市民が街に住み続けたくなったり、市外の人がその様子を見て生駒に移り住みたくなったりする、この流れこそが大切なのです。
(引用)市民と行政がタッグを組む! 生駒市発!「自治体3.0」のまちづくり、著者:小紫雅史、発行所:学陽書房、2020年、130

本書を読了して、私は、ジョン・F・ケネディの大統領就任演説(1961年)の一節を思い浮かべた。
「米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。」1)

生駒市長の小紫氏によれば、地方自治体は「お役所仕事」と呼ばれる「自治体1.0」から、改革派首長によるトップダウンによるまちづくりが実施された「自治体2.0」の時代を経て、現代は、「みんなの課題はみんなで解決」する「自治体3.0」の時代だと言われる。AIやIoTという情報科学技術の進展が著しいSociety5.0の時代を迎え、なぜ、今、「市民協働」なのか。その解を求めるべく、小紫雅史生駒市長の本を拝読させていただいた。

生駒市による市民協働のまちづくり(自治体3.0)は、非常に多岐にわたる。高齢者より若者に対しての施策を打ち出す自治体も多いが、生駒市は、シニア世代の活用が盛んであることに驚かされた。「市民による市民のための電力会社」を目指す「いこま市民パワー株式会社」では、大手電機メーカーのOBらが活躍する。また、要支援、要介護になった高齢者を可能な限り健康に戻し、元気になったらボランティアをするなどして恩返しをしてもらうという取組もおもしろい。どの自治体も「高齢化」がネガティブに捉えられ、「人口増加」がボジティブに捉えられがちだが、「すべての市民は貴重なまちづくりの資源」とする小紫市長の姿勢に感銘を受けた。

特に私が参考になったのは、冒頭に記したシティプロモーションの考え方である。市外に向けてばかりのプロモーションではなく、まず市民に対して愛着や誇りを持ってもらうという姿勢は、私も同感だ。私も広報部署に所属したとき、先輩職員から「広報のネタは、地元を歩けば、どこにでも落ちている」と聞かされてきた。事実、生駒市では、消防職員が日頃の訓練の様子をSNSにアップしたところ、市民にも防災意識が芽生えてきたとのこと。小紫市長は、「市民力=地域への愛・誇り+行動(同書、117)」と言われる。現代は、多種多様な情報媒体が存在し、それぞれの媒体には、得意不得意がある。しかし、それぞれの媒体の特性を活かし、市民と行政の間隔を縮めることがシティプロモーションの一歩になると感じた。

また、生駒市では、「令和のよろず処」として、市内に100箇所の複合型コミュニティを創ろうと計画している。やはり、どこの自治体でも課題になるのが、高齢者の公共交通機関の確保である。予算に限りがあり、どこの自治体も公共交通機関の存続には頭を悩ませる。生駒市は、逆転の発想で、高齢者でも歩いて健康教室や買い物できる場所を設ければよいのではと考えている。つまり、高齢者が通う健康教室の終了間際に、商売する人はその会場に行って食料品や日常雑貨を販売する。逆転の発想とは、その拠点を増やしていくということだ。そのほか、市の駅前広場では、市民団体の発案で、「つなげてあそぼうプラレールひろば」を定期的に開催している。これは、各家庭で不要となったプラスチィック製のレールを集めて広場に設置し、お気に入りの電車などを持ち寄って走らせる企画だという。この企画では、市民協働という観点を踏まえ、父親の育児参加、環境保護、多様な世代が集うなど、賑わいの創出以外に副次的な効果をもたらしているという。これらの取組の共通点として気付かされるのは、「市役所内の縦割りの打破」ではないだろうか。「令和のよろず処」の例で言えば、福祉(健康教室)と商業振興(販売)の部署が関係してくる。また、「プラレールひろば」では、市民協働、男女共同参画(父親の育児参加)、環境保護(再利用)などの部署が関係してくる。生駒市の強みは、小紫市長の「市民と行政のタッグ」の声がけのもと、部署間の意識醸成による相乗効果をもたらしていることも要因の一つではと感じた。

情報科学技術が進展し、Smart Cityなどの言葉もではじめている。私は、このSmart Cityの概念を否定する気は更々ない。しかし、生駒市の事例に触れ、私は、あくまでも情報技術は「手段」であり、「目的」でないと思うに至った。「目的」は、もちろん、そこに暮らす市民の満足度を高めることだ。生駒市の小紫市長は、市民アンケートによる「市民に動いてもらったほうが満足度が高くなる」というデータ結果を武器に、日本一ボランティアが多い街として、自治体3.0のまちづくりをすすめる。地方自治体は、その使命として、いつの時代も不変となる「その街に暮らす人間が主役である」という考えが根底にあることを忘れてはいけない。小紫市長の本を拝読し、私は、その解を得ることが出来た。

1)AMERICAN CENTER JAPAN 「国務省出版物 米国の歴史と民主主義の基本文書 大統領演説」

2020年8月14日金曜日

哲人 李登輝氏を悼む

われわれは人間には力の及ばない大自然の猛威を前にして、これを畏敬の念を持って受け入れるのはよいが、決して「運命だ」とあきらめてはいけない。このような信念をもってしてのみ、見渡す限り震災の傷痕が残る中で、汗と涙を同時にながしながらも、傷ついた大地や心の中に、復興に向けた希望の種を深く根づかせることができるのだ。
(引用)台湾大地震救済日記、著者:李登輝、発行所:PHP研究所、2000年、2

かつて危機管理に携わった身として、「危機管理のバイブルはなんですか?」と聞かれれば、私は間違いなく、次の2冊をあげる。
それは、元ニューヨーク市長であるルドルフ・ジュリアー二氏が著した「リーダーシップ」と、台湾初の民選総統となり、「台湾民主化の父」と言われた李登輝氏が著した「台湾大地震救済日記」だ。
1冊目は、ジュリアーニ氏がニューヨーク市長を務めていたときに発生したアメリカ同時多発テロ(2001年9月11日)、いわゆる「9・11」のときに陣頭指揮を執ったときのものだ。テロの脅威に立ち向かい、市民に寄り添いながら対処していくジュリアーニ氏の姿に感銘を受けた。
もう1冊は、1999年9月21日に発生した台湾大地震のとき、当時の李登輝総統が実践した危機克服の記録だ。震災発生以来、李総統はほぼ毎日といっていいくらい現地を訪れ、被災者らと対話を続けた。その現場主義を貫き、被災されたかたに安心感を与える姿に感銘を受けた。いや、それ以上に感銘を受けたのは、何より李登輝氏の人間性、いや危機管理時にもブレない哲学だ。

李登輝氏は、住民の苦しみや苦労を我が身と感じ、次の3原則を示した。
①再建に必要な資金と設備を充実させる。
②天災のために被災者を貧窮させない。
③地域社会がより進歩、繁栄するよう、再建は各地域の発展方針に合わせる。
(同書、84)
私は、現場主義だからこそ示せた立派な3原則であると感じた。

いま、世界中の人々が新型コロナウイルス感染症の大流行に怯えている。一方、台湾は、新型コロナの封じ込めに成功したと全世界から注目されている。特に、「マスク供給システム」をわずか3日で開発したIQ180ともいわれる稀代の天才、IT大臣のオードリー・タン氏の活躍などが注目されている。しかし、新型コロナウイルスの封じ込めは、蔡英文総統によるリーダーシップによるものが大きいと思う。
1月中旬、台湾では国内で1人も感染者が出ていない状況で、新型コロナを法定感染症に指定した。2月27日、日本政府が全国小中高や特支に休校要請をした際、台湾では既に学校の休校は原則終了していた。そして、台湾では休校中に小学校児童の世話が必要になる保護者は看護休暇を申請できることとした。さらに、企業が有給休暇の取得を拒否した場合は処罰対象にするとした。ただ、事業者への支援も忘れない。2月25日には、600億台湾ドル(約2,200億円)を上限とする経済対策の特別予算を計上した。1)

このスピード感、透明性、そして国民に寄り添った施策の数々。いち早く新型コロナウイルスの危険性を察知し、住民に寄り添う姿勢を見せた蔡氏は、李氏のDNAを受け継いだかのようだ。その結果、国民の信頼を得て、政府は危機管理を成功に導くことが可能となった。

2020年7月30日、悲しいニュースが舞い込んだ。李登輝氏がご逝去された。97歳であった。冒頭に記したが、生前、李氏は「われわれは人間には力の及ばない大自然の猛威を前にして、決して『運命だ』とあきらめてはいけない。」と言われた。今は、この「大自然」を「新型コロナ」と置き換える。そうすれば、いつかは、人間の力が新型コロナを終息させる日がくるという深い信念が持てる。その信念のもと、終息するまでは、新型コロナで苦しみを味わっている方たちに寄り添っていきたいと思うに至った。
偉大なる哲人政治家・李登輝氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

1)2020年2月29日 07:00配信 AERA dot.「新型コロナ”神対応”連発で支持率爆上げの台湾IQ180の38歳天才大臣の対策に世界が注目」


2020年8月9日日曜日

排除の行政学

 為政者がなすべきことは、感染症への恐怖から他者を差別したり偏見を正当化しがちな社会において、排除を抑えることである。

(引用)「排除の行政学 COVID-19対策と国・自治体の姿勢 1)」 金井利之 東京大学法学部・大学院法学政治学研究科・公共政策大学院教授

未だに終息の兆しを見せない新型コロナウイルス感染症。我が国では猛暑が続く中、汗を拭いながらマスクを着用したり、手洗い・うがいをしたりして立ち向かう。もちろん、個人の取り組みだけでは、この小さな強敵に立ち向かえない。新型コロナの治療法が確立し、国民の安心が担保されるまで、国や自治体は、主として「排除」による施策を用い、その場を凌ぐ。

このたびの金井氏による「排除の行政学」を拝読し、国や自治体の施策について、一連の流れを整理をすることができた。その整理手法は、「排除」を基軸としている。金井氏からは、今までの国や自治体の施策について、「排除・鎮静を進めて経済を悪化させ、その結果として経済との両立を目指す、というマッチポンプになってしまった(同書、11)」と手厳しい意見をいただく。

4月に急増し、いったん収束に向かうと見られた新型コロナの感染者数増加がとまらない。特に沖縄県は、「7月末の連休以降、人の移動が活発化したことが一つの要因2)」とし、本格的な観光シーズンを迎えている中、経済との両立の難しさを改めて実感する。その沖縄県は、7月31日に県独自の緊急事態宣言を発出した。また、お盆時期の人の交流を抑制すべく、愛知県においても令和2年8月6日付けで、沖縄県同様、緊急事態宣言を発出(8月6日~8月24日までの19日間)している。

「排除」という施策は、様々な差別などの副作用をもたらすことがわかる。しかしながら、時として為政者は、正確な情報やエビデンスが得られない段階で、判断を求められる。その際においても、為政者は、「排除」を決断する際、様々な差別が生じることを念頭に置いておかなければならない。

先日、市内の小学校があるテレビ番組で取材に応じていた。内容は、道徳の授業で、コロナ感染者や感染多発地域のことをどう思うかというものであった。最初、子どもたちは、コロナに感染した人たちを敬遠するような発言を繰り返していた。しかし、授業が進むにつれ、子どもたちの気持ちにも変化がみられてきた。そして授業の最後には、「人の気持から、感染が広がると思った」という女の子の発言を聞くことができた。「排除」によってもたらされた副作用は、全力を挙げて打ち消していかなければならない。特に、小中学校に通う児童・生徒が陽性者になった場合、その子が「排除」されて不当な扱いを受けなくするために。

太陽光冠(コロナ)は、太陽の外層大気の最も外側にあるガス層のことをいう。夏の照りつける強い日差しとともに、新型コロナウイルスの勢いが増している。私たちは、終息の兆しが見えるまで、ヒトを差別しないように最大限の配慮をしながら、小さな強敵との闘いを粘り強く続けていかなければならない。

1)都市問題 第111巻 第7号、発行:公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所、特集1 コロナ禍で問われるもの、15

2)沖縄県知事コメント(令和2年8月7日)

2020年8月1日土曜日

GIVE&TAKE

ギバーとして信用を得ると、ちょっと大胆で挑戦的なアイデアを出しても、まわりに特別に認められてしまうことが、研究で明らかになっている。
(引用)GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代、著者:アダム・グラント、監訳者:楠木健、発行所:株式会社三笠書房、2014年、136

本書を読む前に、私はタイトルを見て、聖書の一節を思った。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます(ルカの福音書6章、38節)。」
そして本書を読んで、こう思った。
本書のサブタイトルどおり「与える人」こそ成功する時代であると。

本書では、人間を
ギバー(人に惜しみなく与える人)
テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)
マッチャー(損得のバランスを考える人)
と3つのタイプに分ける。
本書では、人間の特性について豊富なデータや事例を通して、ギバーの成功の秘訣を探っていく。私は、自分自身、これほどGIVE&TAKEについて考えたことがなかったので、興味深く読まさせていただいた。

読み進めていくうちに、私は、身近なあの人はテイカー、あの人はギバーと思い浮かべる。ギバーは、テイカーに比べて収入が平均14%低く、犯罪の被害になるリスクは2倍、人への影響力も22%低い(同書、31)とある。やはり、与えるだけでは損するのみかと思いがちだが、アダム・グラント氏は、成功を収めるのもギバーであると証明しているところが面白い。

ギバーには、いくつもの有益なことが起こる。
冒頭に記したとおり、ギバーは、ちょっとした大胆で挑戦的なアイデアを出しても、周りに特別に認められるという。私は、仕事場とは、自己実現の場であると思う。そのとき、今、与えられた職場環境からアイデアを導き出し、予算を獲得し、大きな成果を得る。そのためには、自分自身がギバーとなり、周りの人に認めてもらわなければ成し得ることが出来ないということも多々経験してきた。これは、フランクリン・コヴィーの名著「7つの習慣」の考えにも通じると思った。「7つの習慣」では、「信頼残高」という言葉を用いている。コヴィー博士は、信頼残高があれば多少の失敗なら簡単にみんなが許してくれるという。この信頼残高を高める人のこともギバーということだろう。

そのほか、ギバーは、自己成就予言(他人から期待されると、それに沿った行動をとって、期待通りの結果を実現すること)が働く(同書、166)としているところも面白い。これは、家庭でも十分に使えるものだと感じた。普段、親は、勉強をしない子どもたちに「勉強しろ」と言いがちである。しかし、子どもたちに「期待しているよ」と一言言えば、自主的に勉強するようになる。最近、私は、自分の子供に対しても勉強のことをうるさく言わなくなった。子どもの居やすい環境づくりが親の務めということだろうか。

また、ボランティアの「100時間ルール」なるものも登場する。かつて、私も地域ボランティアに多くの時間を割いたときがあった。しかし、「100時間ルール」を意識すれば、週わずか2時間与える計算になる。これからも気負うことなく、地域の社会活動にも参加できると感じた。これからも自分のライフスタイルに合わせ、地域の発展にも与えることを意識しようと感じた。

冒頭にも記したとおり、ギバーは、成功から程遠い存在だと信じられている。しかし、他者利益への関心が高いと同時に、自己利益への関心も高い人は、「他者志向の成功するギバー」となる。監訳者の楠木健氏は、「自分にとって意義のあることをする」「自分が楽しめることをする」。この条件が満たされれば、ギバーは他人だけではなく、自分にも「与える」ことができる(同書、10)と言われる。

このブログを書いているとき、台湾の元総統である李登輝氏の訃報にふれた。李登輝氏は、台湾大地震の際、「他人を助ければ、支援が必要なときに助けられる」と言われていた。台湾の民主化と経済発展に尽力され、日本の政財界とも親交の深かった李登輝氏こそ、真のギバーであったのではないかと思った。
アダム・グラントの「GIVE&TAKE」は、与えることの大切さを改めて感じさせてくれる一冊となった。