2020年8月9日日曜日

排除の行政学

 為政者がなすべきことは、感染症への恐怖から他者を差別したり偏見を正当化しがちな社会において、排除を抑えることである。

(引用)「排除の行政学 COVID-19対策と国・自治体の姿勢 1)」 金井利之 東京大学法学部・大学院法学政治学研究科・公共政策大学院教授

未だに終息の兆しを見せない新型コロナウイルス感染症。我が国では猛暑が続く中、汗を拭いながらマスクを着用したり、手洗い・うがいをしたりして立ち向かう。もちろん、個人の取り組みだけでは、この小さな強敵に立ち向かえない。新型コロナの治療法が確立し、国民の安心が担保されるまで、国や自治体は、主として「排除」による施策を用い、その場を凌ぐ。

このたびの金井氏による「排除の行政学」を拝読し、国や自治体の施策について、一連の流れを整理をすることができた。その整理手法は、「排除」を基軸としている。金井氏からは、今までの国や自治体の施策について、「排除・鎮静を進めて経済を悪化させ、その結果として経済との両立を目指す、というマッチポンプになってしまった(同書、11)」と手厳しい意見をいただく。

4月に急増し、いったん収束に向かうと見られた新型コロナの感染者数増加がとまらない。特に沖縄県は、「7月末の連休以降、人の移動が活発化したことが一つの要因2)」とし、本格的な観光シーズンを迎えている中、経済との両立の難しさを改めて実感する。その沖縄県は、7月31日に県独自の緊急事態宣言を発出した。また、お盆時期の人の交流を抑制すべく、愛知県においても令和2年8月6日付けで、沖縄県同様、緊急事態宣言を発出(8月6日~8月24日までの19日間)している。

「排除」という施策は、様々な差別などの副作用をもたらすことがわかる。しかしながら、時として為政者は、正確な情報やエビデンスが得られない段階で、判断を求められる。その際においても、為政者は、「排除」を決断する際、様々な差別が生じることを念頭に置いておかなければならない。

先日、市内の小学校があるテレビ番組で取材に応じていた。内容は、道徳の授業で、コロナ感染者や感染多発地域のことをどう思うかというものであった。最初、子どもたちは、コロナに感染した人たちを敬遠するような発言を繰り返していた。しかし、授業が進むにつれ、子どもたちの気持ちにも変化がみられてきた。そして授業の最後には、「人の気持から、感染が広がると思った」という女の子の発言を聞くことができた。「排除」によってもたらされた副作用は、全力を挙げて打ち消していかなければならない。特に、小中学校に通う児童・生徒が陽性者になった場合、その子が「排除」されて不当な扱いを受けなくするために。

太陽光冠(コロナ)は、太陽の外層大気の最も外側にあるガス層のことをいう。夏の照りつける強い日差しとともに、新型コロナウイルスの勢いが増している。私たちは、終息の兆しが見えるまで、ヒトを差別しないように最大限の配慮をしながら、小さな強敵との闘いを粘り強く続けていかなければならない。

1)都市問題 第111巻 第7号、発行:公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所、特集1 コロナ禍で問われるもの、15

2)沖縄県知事コメント(令和2年8月7日)