やるべきことができなければ、別の日付の下に新たな希望を書き入れていく。4月のカレンダーにはまだ希望という言葉が見られなかったとしても、希望をかたちづくる「気持ち」「(大切な)何か」「実現」「行動」が刻まれていったのだ。余白一杯に書き込まれたカレンダーは、まぎれもなく震災1か月後の希望のカレンダーだった。
(引用)危機対応学 地域の危機・釜石の対応 多層化する構造、編者:東大社研・中村尚史・玄田有史、発行所:一般財団法人 東京大学出版会、2020年、390
「危機」、「釜石」という単語が並ぶと、私は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(以下、「東日本大震災」という。)のときの、あるエピソードを思い出す。それは、本書にも少し紹介されているが、片田敏孝氏(震災当時:群馬大学教授)が震災前から釜石市で防災教育に取り組まれ、「湾口防波堤」というハードで命を守ろうとしないことを子どもたちに教え込んだ。その結果、東日本大震災時、学校管理下にあった市内の小中学生が自主的に避難し、津波の脅威が尋常でないことを察知し、さらなる高台へと避難して難を逃れたという、いわゆる「釜石の奇跡」をおこした。その「釜石の奇跡」では、「率先避難者」という言葉が生まれた。この「率先避難者」とは、身近に危険の兆しが迫っているときなどに、自ら率先して危険を避ける行動を起こす人(例:海溝型地震が発生したらすぐに高台に避難するなど)のことをいう。そして、率先して避難した人に連れられ、周囲の人達も同様の行動をするようになり、危険回避行動を起こせる人のことを言う。まさに、現代は、各地で豪雨被害も多発する。特に今年の梅雨は、尋常ではなかった。また、大型台風の襲来時には、気象庁も早めの注意喚起をするようになった。以前と比較し、私達は避難する時間も多く与えられつつある。今一度、私達は、自然災害を対岸の火事と思わず、危機の兆しが迫ったとき、「率先避難者」になるという意識を忘れてはならない。
しかし、本書では、この「釜石の奇跡」について、あまり紙面が割かれていない。では、なぜ、東大社研は、「地域の危機」で釜石市を選んだのだろうか。釜石は、「鉄と魚とラグビーのまち。」だ。この3つの要素に共通して言えることは、釜石市にとって1970年~80年代が全盛期であったということだ。鉄は釜石製鉄所、魚は遠洋漁業を中心とした水産業、そしてラグビーは、「北の鉄人」と言われた新日鐵釜石ラグビーの活躍に起因している(同書、8)。今回の本書のテーマは、「多層化する構造」と副題がついている。私達は、危機といえば、まず自然災害を思い浮かべる。しかし、危機は、人口減少、環境問題から健康、家族地域、教育に至るまで、様々な事態が含まれ、多層化する。事実、東大社研と岩手県釜石市との関係は、2005年度から2008年度から始まる。つまり、2011年の東日本大震災の発生前からのお付き合いということだ。東大社研は、釜石市を日本の縮図として捉えたのではないだろうか。かつて、全盛を迎えた商工業や人口減少は、どの地方都市にとっても共通の課題だ。そこに、東日本大震災が襲い、さらなる危機が多層化した。
本書では、野田武則市長のインタビューを始め、市関係者などに膨大な聞き取り調査をしている。また、本書の研究テーマは、東日本大震災からはじまり、地方企業のフューチャー・デザイン、三陸鉄道をめぐる危機と希望、高校生人口の減少と高校生活、そして「まつり」を復興させる意味までと幅が広い。その中でも東日本大震災のときに陣頭指揮を執った野田市長の言葉が参考になる。自治体の責任者としての責務は、①国や自衛隊との連携、②超法規的措置をめぐる責任、そして災害時に首長は傷ついた人々に対して「自分たちは見捨てられていない」という安心感を与え、行政として責任ある対応を行っているという信頼感を創り出すことが求められる(同書、43-44)。いくつかの避難所を回って被災者に接し、防災行政無線で市民に語りかけた野田市長。常に市民に寄り添いながら、震災直後から復興という釜石の未来図を描くまで、野田氏の発言は、他自治体も参考にすべき点が多い。
本書には、2019年3月23日、東日本大震災の津波によって長期運休が続いてた岩手県三陸沿岸の鉄路が、再びつながった(同書、173)ことも書かれている。数年前、私は、東日本大震災発生直後に訪れた三陸の地を再び訪ねた。そのとき、遠く釜石まで足を伸ばすことは叶わなかったが、南三陸や気仙沼のあたりを周った。東日本大震災で気仙沼線、大船渡線も甚大な被害を受けた。そこで、私は、バス高速輸送システム(BRT)に乗って、気仙沼を目指した。途中、帰宅する高校生が大量にBRTに遭遇した。それまで、私は、BRTの車窓から、途中で断たれた線路を見ながら、復興の遅さに暗い気持ちになっていたが、車内は高校生たちの登場によって、活気づいた。
このたびの東大社研による釜石市における膨大な「地域の危機」に関する調査結果と検証は、同様の課題を有する他自治体にとっても、大いに参考となる。私は、その参考になる点を一言で言えば、「レジリエンス」ということだと思う。挫折や困難を味わい、絶望の中から這い上がる人達がいる。その数々の証言から、希望を見出すことができた。冒頭にも記したが、本書の執筆者の一人が東日本大震災1か月後に現地を訪れたとき、持参した品々のうち、避難所の人々に喜ばれたのは、大量の小さなカレンダーだったという(同書、390)。そこに、被災者は、絶望ではなく、未来の希望を書き込んだ。まさに、釜石は、そして三陸は、そこに住む人達によって危機に対応し、着実に、そして逞しく未来へと歩んでいることを証明してくれた。