2021年6月19日土曜日

なぜ、脱成長なのか

 脱成長は、「強欲なのは自然なこと」「多いほうがよいこと」という常識を受け継がない。「多くを分かち合い、不足を少なくする」「ほどほどで満足する」といった認識を、共通の分別(コモンセンス)として育てていきたいのだ。
(引用)なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える、著者:ヨルゴス・カリス、スーザン・ポールソン、ジャコモ・ダリサ、フェデリコ・デマリア、訳者:上原裕美子、保科京子、解説:斎藤幸平、発行所:NHK出版、2021年、38

 新自由主義的改革は、人々にウェルビーイング(幸福)をもたらしたのであろうか。世界各国では、未だ経済成長を競い、自分たちの力を誇示する傾向が見受けられる。我が国においても、経済成長を謳い、GDPの成長を目指してきた。事実、2016年に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」で打ち出した新三本の矢においては、「戦後最大の名目GDP600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」という強い大きな目標を掲げた。しかし、現状はどうだろうか。我が国の現状は、非正規雇用者が増加し、一段と格差が広がっている。また、2019年の人口動態統計によれば、出生率も1.36で4年連続減少している。さらに、世界的に見て後れを取っていた地球温暖化対策については、20201026日、第203回臨時国会の所信表明演説において、菅内閣総理大臣は、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言した。この本のテーマである、分断、格差、そして気候変動は、どれも地球に住む私たちにとって、待ったなしの状態となっている。これからも、「成長」を追求することが、正しいことなのだろうか。そんな思いから、「なぜ、脱成長なのか(NHK出版)を読ませていただくことにした。

私は、本書を読み進め、「幸福の逆説」という言葉を思い出した。米国の学者リチャード・イースタリン氏が「幸福の逆説」を唱えたのは1974年である。「幸福の逆説」とは、1人あたりの国内総生産(GDP)が増えても、国民の幸福感が高まるとは限らないという意味であった。新自由主義的改革では、トリクルダウンが期待された。トリクルダウンとは、長く経済学の世界で語られてきた言葉だ。経済成長することにより、水が上から下へと滴り落ちるが如く、経済成長の恩恵が富裕層である上層から下層へ、広く受けられることを意味する。

しかし、実際は、どうであっただろうか。

例えば、我が国では、子どもの貧困が進む。2019年国民基礎調査によれば、「子どもの貧困」は、2018年調査では13.5%にのぼる。つまり、7人に1人が貧困家庭という結果だ。そのため、我が国では、子どもの貧困対策の推進に関する法律まで存在する。また、最近、ヤングケアラーという言葉が新聞などに頻繁に登場する。厚生労働省によると、ヤングケアラーとは、法令上の定義はないが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされている。2021年、国の調査によると、ヤングケアラーは、中学校2年生の17人に1人、つまり中学生の約5%が家族の世話をしていることになる。

筆者らに言わせれば、1980年代から、英米をはじめとする様々な経済圏において、富裕層のために成長を活性化させることを意図した新自由主義的改革では、労働および資源の搾取・収奪量・市場における消費量、そしてGDPの成長維持を支えるようになった。利潤はもっぱら富裕層のなかで再分配され、国内及び国家間の不平等を広げた(本書、53)と指摘する。まさに、社会学者ロバート・マートンが言われた「マタイ効果」が起きているのではないだろうか。つまり、「もてるものはさらに与えられ、もたざる者はさらに奪われる」と記されている新約聖書マタイ福音書に倣い、政策や制度が格差を縮小できず、逆に広げてしまう現象が生じていると言えよう。

 では、なぜ、脱成長なのだろうか。筆者らは、脱成長には、互いのケア、そしてコミュニティの連帯が必要だと説く。本書では、主としてバルセロナの事例を掲げる。その中でも「連帯経済ネットワーク(XES)」の取り組みが興味深い。約11万人が加わり、6000人の雇用を創出し、400種類の活動を支援している。個々の事例は、本書に譲るが、バルセロナでは、20201月に「気候非常事態宣言」を発表している。その宣言において、「地球の生態学的バランスを危機に陥れているこの経済システムは、同時に、経済格差も著しく拡大させている(本書、206)としている。実質的な脱成長宣言により、XESは、ポストコロナをも見据え、世界的に注目される取り組みをしている。そこには、脱成長を基本とした、持続可能なまちづくりへの姿勢が見受けられる。そして根底には、新自由主義的改革で忘れ去られようとしている、バルセロナ市民の「分かち合い、助け合い」の精神があるのだと感じた。

 本書では、脱成長における改革案も忘れていない。脱成長のための5つの改革を提言しているが、その中で「所得とサービスの保障」は興味深い。生活を維持する基本的なサービスと所得を一律に保障することの重要性を説き、その原資として富裕税の導入を提案する。ゼロ成長時代には、経済成長でトリクルダウンさせるのではなく、意図的な制度(累進課税制度等)の導入でトリクルダウンさせることが必要なのだと感じた。

 本書を読み終えて、ブータンを思い出す。ブータンは、先代の第4代国王がGDPではなく、GNH(国民総幸福)を提唱した。今では、世界一幸せな国とも言われている。本書でも指摘されているように、「脱成長」を目標に掲げて行動することは、勇気のいることだ。しかし一方、成長によって、様々な課題がもたらされたのも事実だ。

いま、「脱成長」社会が到来している。新たな環境に適応すること、変化に対応できるものだけが、今後の世界を生き残ることができる。コロナ禍によって、一層、脱成長は加速すると思われる。新たな時代で、人々が幸福に暮らしていくためには、何が必要か。本書は、脱成長時代に、真の持続可能な社会を築き、人々にウェルビーイングをもたらす重要なヒントが記載されている。いま、私たちは、脱成長時代における新たな政策について、真剣に議論を始めるときがきているのだと思う。

 

LIMITLESS 超加速学習

 教育の真の目的は、絶えず問いを問う状態に人を置くことである。
                  マンデル・クレイトン主教
(引用)LIMITLESS 超加速学習 人生を変える「学び方」の授業、著者:ジム・クウィック、訳者:三輪美矢子、東洋経済新報社、2021年、89

「超加速学習」。
このタイトルに惹かれて、ジム・クウィック氏の本を拝読した。
まず、私が気にしたことは、「この本は、学生(受験生)向けのものなのか?」ということだ。つまり、社会人の私にも、本書は役に立つかどうかということだった。
次に私が気にしたことは、「この本は、本当に超加速で学ぶことができるのか?」ということだった。いま、ジム・クウィックさんの本を読み終えて、この2つの質問は、ともに「YES」と言える。

確かに、本書は、数多くの「学び方」について、触れられている。
例えば、ノートのとり方や、読書の仕方など。
確かに本書では、超加速学習をする上でのスキルを多く学ぶことができる。

しかし、本書のサブタイトルは、「人生を変える『学び方』の授業」となっている。
「人生を変える」とは、少し大袈裟な気もしたが、冒頭に引用した言葉に出会ったとき、私は、ハッとさせられた。
今まで私は、教育の真の目的について、考えたことがなかった。
確かに、人生は、「問い」の連続かもしれない。
いま、私が本を読み続けていることも、ほかの習慣についても、自分自身の「支配的な問い」が存在しているからに他ならない。
この「支配的な問い」を問い続け、実行することで、物事の理解が深まり、超加速学習が可能となる。人生の目的とも言うべき、「支配的な問い」は、学生や社会人に関係なく、学び続ける意義の根幹であると感じた。

本書では、3つのM、すなわちマインドセット、モチベーション、メソッドが存在する。この3つのMが重なるところに「リミットレス」があり、そこで初めて「統合」の状態、つまり全ての条件が満たされた状態になる(本書、37)。
その中で、私が重視したいのは、学習することによって、「その経験にやりがいを感じる」ことだ。本書では、瞑想や呼吸法についても触れている。まず、ストレスを排除し、気持ちを落ち着かせ、モチベーションを上げる。そして、自分の「支配的な問い」に基づき、学習することにやりがいを感じていくことが重要であると思った。このことは、社会人でも、大いに役に立つかということだ。

ジム・クウィック氏も「世界の成功者は一生を通じて勉強している」と断言している(本書、265)。いま、私は、自分の仕事でも、学ぶことが多い。それは、一見、専門外と思われる仕事内容も、リンクしてくることも多い。また、最新の情報や知見を得るべく新聞や書籍を読み、さらに他の分野にも広げながら、応用し続けている。

学生の皆さんも忙しいとは思うが、社会人も多忙を極める。
私も知識や学ぶことは、休日の限られた時間になることが多い。
そのような状況において、超加速学習のスキルを学ぶことは、社会人にとっても意義のあることであった。

リミットレスな人になろう。

本書を読んで、そう、思った。






2021年6月12日土曜日

貧困・介護・育児の政治

 これからの社会民主主義がどのような普遍主義を実現するのか、人々に何を保障していくことを目指すのかと考えたとき、「ベーシックアセット」は有力な回答の一つとなる。
(引用)貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ、著者:宮本太郎、発行所:朝日新聞出版、2021年、299

 我が国においては、多様な福祉課題が存在する。その中においても、「貧困」「介護」「育児」といった3つの課題は、我が国において喫緊であり、最重要の課題として位置付けられるものであろう。

 先日、「アンダークラス化する若者たち(明石出版、2021年)」を拝読した。本書では、主として貧困家庭に育ち、まともな学校教育が受けられず、正規雇用に就くこともできない多くの若者の存在を知った。そこには、満足な収入が得られない中で、「新たな生活困難層」として位置付けられ、従来の家庭・会社・行政という三重構造で成り立っていた社会保障の狭間でもがき苦しむ若者たちの姿があった。「アンダークラス化する若者たち」を編著された宮本太郎氏は、同書の中で、「ベーシックアセット」の必要性を提言していた。ちなみに、アセットとは、ひとかたまりの有益な資源という意味である。その点では給付も公共サービスもアセットである(本書、22)。

 これからの福祉政策は、なぜ、いま、AIの進展により、再び注目されつつあるベーシックインカムでもベーシックサービスでもなくベーシックアセットであるのか。また、ベーシックアセットという考えをどのように福祉政策に取り入れていくのか。その解を得るべく、福祉政治論の第一人者である宮本太郎氏による「貧困・介護・育児の政治(朝日新聞出版社)」を拝読させていただくこととした。

 まず感じたことは、福祉政策は政治的影響を受けやすいということだ。本書では、我が国における、貧困政治、介護政治、育児政治を通して、「社会民主主義」、「経済的自由主義(新自由主義)」、「保守主義」の3つの政治潮流の対抗を明らかにする。

中曽根政権による「増税なき財政再建」や小泉政権による「聖域なき構造改革」において、筆者は、財政的制約を第一条件とする「磁力として」の新自由主義という表現を用いる。この「磁力としての経済的自由主義」は、政治が安定すると復調してくる。この「磁力としての経済的自由主義」では、例えば、介護保険については、低所得層が制度から排除される傾向が強まるなどが発生する。また、小泉政権を引き継いだ麻生政権が自民党政治の揺ぐ中、「例外的状況」として社会民主主義的な提起が制度として実現することとなった。本書では、準市場や社会的投資をとおして、人々を社会参加可能とする最低限のアセットとつなぐ。そして、ポスト「第三の道」として、社会民主主義の再生を試みているところに興味を惹かれた。

 政治潮流を背景とし、筆者は、ベーシックインカム、ベーシックサービスの対比を試みながら、ベーシックアセットへの道を提言する。このベーシックアセットという言葉を聞いて、次の言葉を思い出した。

Collective Impact

直訳すれば、「集まることによる力」となる。社会が抱える課題を、行政、企業、NPOなど役割の違う組織が、それぞれの特徴を生かして解決を探る考え方である。朝日新聞記事では、東京都文京区における児童扶養手当、就学援助を受ける世帯に「こども宅食」を届ける例が紹介されている。1)
ベーシックアセットの意義として、宮本氏は、一人ひとりに最適なサービスや所得保障のとの組み合わせについて、当事者が専門家とも相談し、協議しながら選択できて、場合によっては試行錯誤できる仕組みが必要であると説く。(本書306

 私は、「アンダークラス化する若者たち」と「貧困・介護・育児の政治」という一連の福祉政策の書籍からは、何よりも省庁や行政の縦割りの打破と関係機関との連携、そしてその考えを含めたベーシックアセットという考え方が必要であろうと思うに至った。それは、多様な支援機関の資源を活用するとともに、個々のニーズに即した、きめ細やかな施策が可能となることを期待するからだ。

現在、国では、こども庁の創設が進む。
新しく創設されるこども庁が情報を横断的に集約・分析し、強い総合調整機能を持ちながら、アンダークラス化する若者たちに対しての政策を展開してほしいと真に思う。そして、NPOや企業、各自治体とも連携しながら、国民に根差したものにしてほしいと思う。このことは、各自治体においても、同様のことが言えよう。

 コロナ禍において、さらなる分断な社会が進む。「貧困」は、さらなる複雑化・多様化する様相をみせる。政治潮流にも左右されやすい福祉政策であるが、「新たな生活困難層」が置き去りにされないことだけは、強く求められると感じた。例えば、「待機児童の解消」だけでは、少子化対策につながらない。ベーシックアセットという考えを常に意識し、福祉政策を進めるまちには、幸福感が増し、人々が集う。具体的なベーシックアセットの政策例については、本書においてはあまり触れられていないが、筆者によって、3つの重要性を示している。それらの重要性を考慮しながら、政策を立案していく必要があるのだろうと感じた。そして、少子高齢化や貧困化が顕在する現代において、新たなまちづくりは、まず、福祉政策の徹底にあるのではないだろうか。そうすることで、私たちのまちは輝きを取り戻し、少子高齢化や貧困といった社会課題の解決の糸口を探すことが可能となる。

いま、日本の、そして地域の”福祉力”が何より問われていると強く感じた。

1)朝日新聞、波聞風問「子どもの貧困対策 企業ノウハウ未来への投資」、編集委員:多賀谷克彦、2017年9月19日朝刊

2021年6月5日土曜日

アンダークラス化する若者たち

 アンダークラスとは、不安定な雇用、際立つ低賃金、結婚・家族形成の困難という特徴を持つ一群であり、従来の労働者階級とも異質なひとつの下層階級を構成する社会階層である。
(引用)アンダークラス化する若者たち ー生活保障をどう立て直すか、編著者:宮本みち子・佐藤洋作・宮本太郎、発行所:株式会社明石書店、2021年、15

我が国は、少子高齢化が叫ばれて久しい。内閣府の「少子化対策白書」による「令和2年度 少子化の状況及び少子化への対処施策の概況」によれば、2019年の出生数は、86万5,234人となり、過去最小(「86万ショック」)となった。また、同年の合計特殊出生率は、1.36と、前年より0.06ポイント低下している。さらに、2021年6月4日、厚生労働省が発表した2020年の人口動態統計調査によると、合計特殊出生率は1.34と、前年より0.02ポイント低下したことが明らかとなった。少子化対策白書では、少子化対策による重点課題として、まず真っ先に待機児童解消などの「子育て支援施策の一層の充実」を掲げる。次に、若者の雇用安定など「結婚・出産の希望が実現できる環境の整備」としている。

少子化の根本的な原因はどこにあるのか。男性の育児参加や待機児童をなくすことも勿論、大切なことであろう。また、昨今の新型コロナウイルス感染拡大の影響により、結婚が疎遠がちになりつつあることも拍車をかけているのだろう。しかし、最大の要因は、多くの若者たちが将来に希望を持てず、家庭や子どもを持つことを諦めてしまっているのではないかと思う。それは、私が2009年に「子ども・若者育成推進法」が成立した背景に興味を持っているからだ。
「なぜ、国は、子ども・若者の支援に力を入れるのか。」
「いま、子どもや若者たちに何が起きているのか。」
その真意を確かめるべく、私は、「アンダークラス化する若者たち(明石書店、2021年)」を読み始めた。

まず、「アンダークラス」という言葉が存在することに驚いた。アンダークラスとは、生活水準が下級階層であることを指す。子供の貧困が増大している背景には、家族の崩壊、親の長期の失業、一人親(特に母子家庭)の増加などがある。その結果、不登校や高校中退といった早期の学習機会が奪われ、就労に至らないケースが増加する。我が国では、雇用によって成り立っていた若者の生活が保障できなくなっている。それとあわせて、国家による古い生活保障制度が若者たちを排除することが浮かび上がってくる。
本書では、アンダークラス化が進む若者たちに、様々な観点から厳しい現実を突きつける。
では、現代を生きる若者たちに”救いの手”はあるのだろうか。悲観論が続くが、その中においても私が本書で見出した”希望”を3点述べたい。

1点目は、「つなぐ」ということだ。
「コミュニティー・オーガナイジング」という言葉がある。若者支援は、行政、民間事業所、地域、家庭などが関わってくる。その際、縦割り行政では、制度のはざまで生きる子どもたちに、支援の手が及ばない。まず、地域社会の資源を結集した「コミュニティ・オーガナイジング」というアプローチにより、各支援者を「つなぐ」ことが必要だと感じた。そのために、私はまず、子どもの抱えている”異常”は、学校で把握するなどの対策も必要ではと感じじている。そして、学校で把握した要支援の子どもたちは、福祉へと引き継がれる体制づくりが急務である。

また、若者を切れ目なく支援機関につなげる回路も必要だということを理解した。学校からの情報がサポステなどの若者支援機関に届くことは少ないため、来所者の捕捉率は低いという。その中で、高知県の「若者はばたけネット」に希望を見出した。高知県では、中学卒業時及び高校中退時の進路未定者をサポステにつなげ、就学や就労に向けた支援を行うことでひきこもりやニートにならないように予防している。各機関が連携をし、情報を「つなぐ」ことで、若者支援に対して強力なものになる。

2点目は、「生活保障を立て直す」ことだ。
我が国の社会保障制度は、一定期間の拠出履歴を前提とした失業保険に基づく社会保険が中心であることが前提となる。社会保険であることから、非正規雇用などの雇用歴が不安定になりがちな若者にとって、失業給付からの脱落に直結してしまう。そのほか、最後のセーフティネットと言われる生活保護においても、審査基準が厳しいと言われている。これらの古い社会保障制度からの脱却が問われる。本書の最後で、宮本太郎氏は、「若者にベーシックアセット」を提唱している。アセットとは、ひとかたまりの有益な資源であり、資源として重要になるのは、支援サービス、現金給付、そして帰属先のコミュニティであるとしている(本書、292)。本書では、ベーシックアセットについて詳述されていないが、宮本太郎氏は、「貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ(朝日選書、2021年)」を上梓されている。今後、読んで理解を深めたいと思った。

3点目は、まだ私たちの周りに「奉仕する心」、「福祉の心」を持ったかたがいることだ。
まず、各自治体では、再優先課題として、子ども・若者支援対策に取り組むべきではなかろうか。少子化の時代、一人ひとりの貴重な子ども・若者たちが希望を持てるまちづくりを進める必要があると感じた。
その上で、本書では、「静岡方式」が取り上げられている。静岡の取り組みは、国家、企業、家族でない第四の拠り所として「地域」を位置づけ、これを足がかりにして、若者のライフチャンスを高めようという取り組みである(本書、130)。静岡の事例を見ると、支援される側には、多様なサポーター(ボランティア)が登場する。NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡の取り組みは、地域全般の雇用のありようを変え、地域の「包摂力」をあげることに成功している。この地域の「包摂力」をあげることは、今後のまちづくりにおける根幹となるべき要素ではないだろうか。そのまちには、多様なサポーターたちの「奉仕する心」や「福祉の心」によって支えられていることが必須条件となる。そして、幸いにも、私達の周りには、特に国が危機的な状況(例えば大規模震災時など)に襲われたときに感じるのだが、そのような方が多く存在する。

アンダークラスの若者たちは、何も好んで、そうなった訳ではない。多くは、大人の理由によることも多い。
「人間」は「人間」でしか助けられない。
そのため、いま、私たちは、それぞれ”今いる場所”で、アンダークラス化する若者たちに寄り添い、結びつき、支援をしていく責務があるのだと感じた。それがひいては、少子化を克服する一つの処方箋にもなるし、自分たちのまちを持続可能なものにしていくことだろうと思った。