脱成長は、「強欲なのは自然なこと」「多いほうがよいこと」という常識を受け継がない。「多くを分かち合い、不足を少なくする」「ほどほどで満足する」といった認識を、共通の分別(コモンセンス)として育てていきたいのだ。
(引用)なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える、著者:ヨルゴス・カリス、スーザン・ポールソン、ジャコモ・ダリサ、フェデリコ・デマリア、訳者:上原裕美子、保科京子、解説:斎藤幸平、発行所:NHK出版、2021年、38
新自由主義的改革は、人々にウェルビーイング(幸福)をもたらしたのであろうか。世界各国では、未だ経済成長を競い、自分たちの力を誇示する傾向が見受けられる。我が国においても、経済成長を謳い、GDPの成長を目指してきた。事実、2016年に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」で打ち出した新三本の矢においては、「戦後最大の名目GDP600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」という強い大きな目標を掲げた。しかし、現状はどうだろうか。我が国の現状は、非正規雇用者が増加し、一段と格差が広がっている。また、2019年の人口動態統計によれば、出生率も1.36で4年連続減少している。さらに、世界的に見て後れを取っていた地球温暖化対策については、2020年10月26日、第203回臨時国会の所信表明演説において、菅内閣総理大臣は、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言した。この本のテーマである、分断、格差、そして気候変動は、どれも地球に住む私たちにとって、待ったなしの状態となっている。これからも、「成長」を追求することが、正しいことなのだろうか。そんな思いから、「なぜ、脱成長なのか(NHK出版)を読ませていただくことにした。
私は、本書を読み進め、「幸福の逆説」という言葉を思い出した。米国の学者リチャード・イースタリン氏が「幸福の逆説」を唱えたのは1974年である。「幸福の逆説」とは、1人あたりの国内総生産(GDP)が増えても、国民の幸福感が高まるとは限らないという意味であった。新自由主義的改革では、トリクルダウンが期待された。トリクルダウンとは、長く経済学の世界で語られてきた言葉だ。経済成長することにより、水が上から下へと滴り落ちるが如く、経済成長の恩恵が富裕層である上層から下層へ、広く受けられることを意味する。
しかし、実際は、どうであっただろうか。
例えば、我が国では、子どもの貧困が進む。2019年国民基礎調査によれば、「子どもの貧困」は、2018年調査では13.5%にのぼる。つまり、7人に1人が貧困家庭という結果だ。そのため、我が国では、子どもの貧困対策の推進に関する法律まで存在する。また、最近、ヤングケアラーという言葉が新聞などに頻繁に登場する。厚生労働省によると、ヤングケアラーとは、法令上の定義はないが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされている。2021年、国の調査によると、ヤングケアラーは、中学校2年生の17人に1人、つまり中学生の約5%が家族の世話をしていることになる。
筆者らに言わせれば、1980年代から、英米をはじめとする様々な経済圏において、富裕層のために成長を活性化させることを意図した新自由主義的改革では、労働および資源の搾取・収奪量・市場における消費量、そしてGDPの成長維持を支えるようになった。利潤はもっぱら富裕層のなかで再分配され、国内及び国家間の不平等を広げた(本書、53)と指摘する。まさに、社会学者ロバート・マートンが言われた「マタイ効果」が起きているのではないだろうか。つまり、「もてるものはさらに与えられ、もたざる者はさらに奪われる」と記されている新約聖書マタイ福音書に倣い、政策や制度が格差を縮小できず、逆に広げてしまう現象が生じていると言えよう。
では、なぜ、脱成長なのだろうか。筆者らは、脱成長には、互いのケア、そしてコミュニティの連帯が必要だと説く。本書では、主としてバルセロナの事例を掲げる。その中でも「連帯経済ネットワーク(XES)」の取り組みが興味深い。約11万人が加わり、6000人の雇用を創出し、400種類の活動を支援している。個々の事例は、本書に譲るが、バルセロナでは、2020年1月に「気候非常事態宣言」を発表している。その宣言において、「地球の生態学的バランスを危機に陥れているこの経済システムは、同時に、経済格差も著しく拡大させている(本書、206)としている。実質的な脱成長宣言により、XESは、ポストコロナをも見据え、世界的に注目される取り組みをしている。そこには、脱成長を基本とした、持続可能なまちづくりへの姿勢が見受けられる。そして根底には、新自由主義的改革で忘れ去られようとしている、バルセロナ市民の「分かち合い、助け合い」の精神があるのだと感じた。
本書では、脱成長における改革案も忘れていない。脱成長のための5つの改革を提言しているが、その中で「所得とサービスの保障」は興味深い。生活を維持する基本的なサービスと所得を一律に保障することの重要性を説き、その原資として富裕税の導入を提案する。ゼロ成長時代には、経済成長でトリクルダウンさせるのではなく、意図的な制度(累進課税制度等)の導入でトリクルダウンさせることが必要なのだと感じた。
本書を読み終えて、ブータンを思い出す。ブータンは、先代の第4代国王がGDPではなく、GNH(国民総幸福)を提唱した。今では、世界一幸せな国とも言われている。本書でも指摘されているように、「脱成長」を目標に掲げて行動することは、勇気のいることだ。しかし一方、成長によって、様々な課題がもたらされたのも事実だ。
いま、「脱成長」社会が到来している。新たな環境に適応すること、変化に対応できるものだけが、今後の世界を生き残ることができる。コロナ禍によって、一層、脱成長は加速すると思われる。新たな時代で、人々が幸福に暮らしていくためには、何が必要か。本書は、脱成長時代に、真の持続可能な社会を築き、人々にウェルビーイングをもたらす重要なヒントが記載されている。いま、私たちは、脱成長時代における新たな政策について、真剣に議論を始めるときがきているのだと思う。