2021年9月12日日曜日

行動科学と公共政策

 ナッジは、人々の選択の自由を完全に保ちつつ、その行動に影響を与えるための民間や公共機関による介入として定義されている
(引用)入門・行動科学と公共政策 ナッジからはじまる自由論と幸福論、著者:キャス・サンスティーン、訳者:吉良貴之、発行所:株式会社勁草書房、2021年、16

まず、本書のタイトルに惹かれた。そのタイトルは、「行動科学と公共政策」である。確かに、公共政策は、人々の行動を促すことで成り立つ。その意味では、今まで行動科学の分野と公共政策を組み合わせた研究が乏しかったのかもしれない。なぜなら、政府や行政は、法や条例に罰則規定を設けることで、人々の行動を強制的にコントロールすることも可能だからだ。つまり、国や自治体は、人々を「自発的に」行動させるのではなく、法律などの「脅し」によって行動させる。しかしながら、従来の法や条例などの強制力だけでは、公共政策が成り立たなくなってきたと感じられる。例えば、本書でも触れているが、新型コロナウイルスの感染拡大がそうだ。度重なる国による緊急事態宣言の発令とともに、人々の危機意識は薄れ、第5波ともよばれる新型コロナウイルスの新規感染者は、多くの自治体において過去最高の記録を更新した。そこに、法や条例の限界を感じる。危機管理をはじめ、様々な公共政策には、人々の行動と密接に関係していることに着目しなければならない。どのように行動科学を公共政策に活かすのか。行動経済学の第一人者で、ハーバード大学ロースクール教授によって著された「入門・行動科学と公共政策」を拝読させていただくことにした。

この本では、「ナッジ」という言葉が頻出する。「ナッジ」とは、「肘でそっと押す」という意味である。公共機関の政策によって、肘でそっと押された人々は、新たな厚生(自由と幸福の社会)を目指し、行動を起こすようになる。「ナッジ」は、無意識のバイアスを利用し、人の行動をより良い方向に導く手段なのである。このナッジは、至るところにある。例えば、ソーシャルディスタンスを取るために一定間隔に引かれた線、印刷の初期設定ルールを「片面」から「両面」に変えるだけで、紙の総量が減少するなど、初期設定を変えるだけで、人々は、肘でそっと押されたように、望ましい方向に導かれる。

ナッジは、人々の自由を損なうことなく、低コストで人々の行動を変えることが可能だ。しかしながら、著者のサンスティーンは、ナッジが強制であってはならないと主張する。つまり、従わなくてもいいし、ひとたび従ったとしても簡単に元に戻せることが重要であるとしている。サンスティーンによれば、行動科学について、「FEAST」という頭文字を用いて整理する。FEASTは、EASTが母体になっており、簡単(Easy)、魅力的(Attractive)、ソーシャル(Social)、タイムリー(Timely)の頭文字をとったものだ。そして、F、つまりFun(楽しみ)が必要だとサンスティーンは付け加える。このことを聞いて、私は、台湾で新型コロナウイルスを封じ込めたと注目されたデジタル担当政務委員のオードリー・タンの施策を思い出した。

オードリー・タンは、台湾における新型コロナウイする対策として、3つのFを用いた。早く(Fast)、公平に(Fair),そして楽しく(Fun)である。台湾においても、新型コロナウイルス感染症拡大により、トイレットペーパーの不足というフェイクニュースが人々を惑わせた。そのとき、台湾の行政院長が「誰でもお尻は一つしかない(だから安心してください)」とのメッセージを発信した。まさに、「Humor over Rumor(ユーモアは噂を超える)」の言葉どおり、ユーモアで噂を防いだ。1)これこそ、まさにナッジではなかろうか。

ナッジは、日常生活にあふれている。このナッジの初期設定をしっかり定め、人々の厚生を実現する。その際、人々の自由を束縛してはならない。コストを掛けず、人々が気づくことなく理想な社会へ導かれる。これからの公共政策は、行動科学も重要な要素の一つであると感じた。

1)オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る、著者:オードリー・タン、プレジデント社、2020年