2021年10月30日土曜日

アフター・コロナの学校の条件

 提言3-1 小さな足で通える小さな学校の小さな学級をつくろう
(引用)アフター・コロナの学校の条件、著者:中村文夫、発行所:株式会社岩波書店、2021年、185

現在、学校を取り巻く環境については、大きく変化している。特に、学校の全国一斉休業や国により急速に進めた児童・生徒1人1台タブレット端末整備は、今後の学校のあり方を根本から変えるものであったと思う。

コロナを契機として、学校はどのように変化したのか。そして、新型コロナウイルス感染症を契機として、今後の学校は、どのようにあるべきなのか。そんな思いから、長年、学校事務員の立場から学校を見てきた中村文夫氏による「アフター・コロナの学校の条件((株)岩波書店、2021年)」を拝読させていただくことにした。中村氏による書籍では、学校の防災拠点、国によるGIGAスクール構想による教育情報化、学校の統廃合、学校給食、義務教育の保護者負担について論じている。その中で、自分の興味のあった部分は、教育情報化と学校給食、そして学校の統廃合であった。

まず、国によるGIGAスクール構想の実現は、主として、児童生徒1人1台タブレット端末の整備であった。この構想は、新型コロナウイルス感染症を契機として、前倒しされた。具体的には、当初、令和5年度までに段階的に整備するはずであったが、オンライン学習を見据え、一気に令和2年度中に整備を終えてしまうというものであった。これを受け、各市町の教育委員会は、昨年度、仕事に忙殺され、学校の通信インフラ整備とタブレット端末購入に明け暮れた。

中村氏は、本書において学校情報化の課題を5点に纏めている。その中で、ICTを活用した指導に対する教師の資質・能力を挙げている。タブレット端末自体は、スマホも含めて老若男女問わず使いこなしている。しかし、オンライン授業への活用となると、教師の負担(特に授業の事前準備)は計り知れないものだろうと感じた。そもそも、タブレット端末を導入する際は、どのようなビジョンを持ち、セキュリティ対策を含めた活用をイメージし、教師へのマニュアル作りも含めて導入しなければならない。ただ、「子供たちにタブレット端末を配備しました」だけでは、実際の授業現場で活用されない。タブレット端末を配備する際における教育委員会の「戦略」と「戦術」が何より重要であると感じた。

続いて、学校給食についてである。学校給食費は、学校給食法によって、食材費相当分は保護者負担とされている。また、学校給食は、世界でも珍しく、給食自体が食育の教材としての役目も果たしている。そのため、各給食センターなどには、栄養教諭が配置され、献立作成をはじめ、子供たちの成長・生育費必要な栄養バランス、地場産物の活用などに力を入れている。その学校給食の無償化についても、中村氏は提言をしている。教育行財政研究所による調査(2021年)によると、全国で1割近くの自治体が学校給食費の無償化を実施。さらに一部補助を含めると3割近くの自治体が独自の財政負担によって保護者負担を軽くしているという(本書、109)。
小規模自治体なら学校給食無料化は、実現がしやすいだろう。しかし、中核市以上の自治体は、財政負担が膨大なものとなり、遅々として無償化が進まないのが現状である。学校給食無料化であれば、現状の食材費相当は保護者負担であるという学校給食法の改正とあわせ、国の財源措置が求められる。子供たちの健康は、安全・安心で美味しい学校給食の実現で成り得るものだ。現在、子どもの貧困の問題も深刻化している。新型コロナウイルス感染症拡大により、貧富の格差はさらに拡大している。どのような生活環境であっても、国民は教育を受ける権利がある。学校給食が教材であるならば、中村氏が主張するように給食費を無料化するといった議論も盛んになるのだろうと感じた。

最後は、学校の統廃合についてである。少子高齢化の進展に伴い、どの教育委員会も頭が痛い課題である。この学校統廃合の課題は、2015年に一つの転機を迎えたと考えられる。文科省は、2015年の通知で、1学年1学級未満の複式学級が存在する小規模学校は、へき地、離島などの特別な事情がない限り統合すべきだという見解を出した(本書、66)。また、通学範囲についても、小学校で4㎞、中学校で6㎞という従来の範囲に加え、概ね片道1時間以内という時間設定の目安がなされた(本書、68)。
ここで課題となるのは、学校統廃合が国や自治体の予算削減のためということである。
本来の目的は、中村氏が指摘するように子供たちのためであると思う。特に、小学校低学年の児童が片道1時間もかけて通学を余儀なくされるとなれば、それだけで体力が奪われてしまうだろう。また、学校とは、地域のコミュニティ的な役割を果たしている。子どもたちは、身近な存在の学校を失うことで、生まれ育った地において、将来の自分の姿を描くことができるのだろうか。学校の統廃合については、国や行政の都合だけではなく、慎重に議論していく必要があるのだと感じた。

本書の最後では、中村氏によるアフター・コロナの学校の提言が8つ並ぶ。冒頭に紹介したのは、そのうちの一つだ。繰り返すが、教育とは、次代を担う子供たちのためにあるべきである。中村氏による書籍は、そのことを再認識させていただくものであった。

2021年10月23日土曜日

福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法

 これからの時代は、「データ」と「感染症」が大きなキーワードとなります。そして残念ながら、この2つは、現在の日本が最も苦手とする分野であるといえます。
(引用)福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法、著者:高島宗一郎、発行:日経BP、発売:日経BPマーケティング、2021年、15

現在、地方公共団体は、少子高齢化や所得格差といった課題を抱え、一様に、福祉対策、教育、防災、スマートシティやコンパクトシティなどの政策に力点を置いていると見受けられる。しかしながら、人口規模が大きくなるにつれて、地方公共団体は、各部局のセクショナリズムが際立つようになってくる。その結果、行政組織特有の縦割り意識がより強固なものとなり、各々が自分の所属する部局の仕事だけに集中するようになる。その結果、地方公共団体の目指すべき姿が見失われ、都市としての魅力が薄れていってしまう。

では、各地方公共団体は、どのようなビジョンを持って、政策を実行していくべきなのか。このたび、福岡市長の高島氏は、「福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法」を著された。令和2年に人口160万人を突破した福岡市を率いる高島氏は、どのようなビジョンを持ち、都市戦略に挑んでいるのか。2010年以来、10年以上にわたり福岡市長を務めている高島氏の描く新たな地方公共団体のあり方を学ぶべく、本を拝読させていただくことにした。

高島氏による福岡市のビジョンは、明快であった。冒頭に紹介した「データ」と「感染症」である。このブログでは、「データ」に絞って感想を述べたい。
まず、「データ」といえば、国のデジタル庁創設が思い出される。デジタル庁は、2021年9月に発足。組織の縦割りを排し、国のデジタル化を推進するという。1)
なぜ、「デジタル化」の推進なのか。高島氏の本を拝読して、私は、デジタル化の意義を「スピード化」「エビデンス」「市民サービスの向上」と理解した。

まず、「スピード化」については、新型コロナ感染拡大の際、課題として露呈している。本書でも紹介されているが、新型コロナ感染拡大の際、台湾では、デジタル担当の閣僚オードリー・タン氏が個人番号とひもづいたマスク在庫管理システムを活用して、国民のマスク買い占めを防いだ。一方、我が国では、マスクを購入したい人たちが薬局・薬店の開店前から並び、混乱を招いた。また、我が国による10万円の給付事業においても、デジタル化の遅れにより、各自治体は混乱し、速やかな給付が叶わなかった。

また、「エビデンス」については、データを活用しながら地方公共団体の政策に反映させていくことが可能となる。例えば、保育所は、近年、福祉的な意味合いではなく、共働き世帯が増加しているのであれば、どのような政策が必要だろうかということになる。このようなデータ取得は、どの部局でも共通して取得することが可能である。

最後は、「市民サービスの向上」である。高島氏は、エストニア共和国の例を挙げ、申請主義からプッシュ型の行政を提案する。我が国の行政の手続きは、複雑・多様化しており、例えば「引っ越し」しただけでも、自分の力で、複数の公的機関を回らなければならない。そのほか、電話、ガス、電気などの各事業所にも変更手続きが必要となる。例えば自治体のHPに「引っ越し」というボタンをクリックし、必要事項を入力すれば、一気にすべての手続きが完了したらどうだろうか。当たり前だが、私は、とても便利で、随分楽になると感じた。

高島氏の口癖は、「支点・力点・作用点を見極めるべき」であるという(本書、55)。目的(作用点)を最小限のパワーで動かすために、アプローチするべきポイント(力点)を見定め、力を加える。この「てこの原理」で弱い力でも重いものを動かせるようになる。そのアプローチすべきポイントを見極めるには、データによるエビデンスを重要視することが何より大切であろうと感じた。

では、なぜ政策立案過程において、エビデンスを重要視することが必要なのか。それは、市民や県民ニーズが多様化していて、行政ニーズが把握しづらいこと。行政改革のもと、どの地方公共団体も職員が減少し、コロナ禍における税収減によって、資源が限られていること。さらには、変化が激しい現代社会において、スピードを重視した政策が求められることによるものではないだろうかと感じた。このような背景のもと、客観的事実に基づくデータを駆使することは、大変有用であると感じた。

そのほか、本書では、データ活用以外にも、魅力的な政策が数多く紹介されている。本書を拝読し、私は、高島氏の政策の根底において、市民に対して、「快適さ、便利さ、安全安心、チャンレジ精神」をもたらそうとしているのではないかと感じた。厳しい時代ではあるが、各地方公共団体は、リーダーがビジョンを示し、持続可能な都市戦略が求められている。その戦略に必要なビジョンである「データ」と「感染症」というキーワードは、今後、どの地方公共団体も最重要視していくテーマであると確信した。

1)首相官邸HPより。


2021年10月17日日曜日

危機管理広報

危機管理広報の要諦は、「初動が大切である」の一言に尽きる。

危機発生直後は、危機の全容が分かっていないことが多い。
しかし、なんとなく、断片的な情報や事実から、憶測が立ち始める。
そして、状況が判明するにつれ、当事者の不安が広がる。

では、危機の全容が明らかになる前に報道機関に公表すべきであろうか。
自分の答えは、絶対に「イエス」である。

なぜ、危機の全容が明らかになる前に報道すべきか。
それは、当事者の身を守ることにつながるからだ。
報道の第一報は、「いま、このような状況が発生しています」と伝えるだけでいい。
客観的な事実のみを伝え、「原因は今のところ不明です」でもよい。
そして、いま、私たちがどのような対処をしているのかを伝えるだけで、立派な危機管理広報と言える。

偶発的かどうかを問わず、危機に遭遇したとき、速やかに報道機関に公表することは、マスコミからの追撃を最小限に抑えることができる。そして、包み隠さずに早い段階で公表することは、「当事者側は紳士的に危機に対処していくんだな」という安心感にもつながり、ニュースを受け取る側の感情も和らいでいく。その後は、続報というかたちで、報道機関に公表すれば良い。

ここで間違いを犯しやすいのは、憶測と再発防止だ。
まず、第一報のときは、憶測を立てて報道機関に発表してはならないということだ。

「いまは、ここまでしか分かっていません」
「なんで、こんなことが発生したのか、現在調査中です」
第一報は、こんな感じで良い。
極力、憶測を排除して、客観的な事実のみ、報道機関に伝えることが肝要だ。

次に、再発防止についてである。
危機管理広報は、再発防止策とセットで考える人が多い。
しかし、原因も特定できていない段階では、再発防止策は必要ない。
再発防止策を考えて報道発表しようとすると、いたずらに時だけが流れていく。
また、もしかしたら当事者側に瑕疵がないのかもしれないのに、なぜ再発防止策が必要なのかといったマスコミ側の質問にもつながる。
再発防止策は、原因が明らかになった段階で、公表すれば良い。
ただ、普段からの対策で、危機が未然に防げた場合もある。
その際は、普段からの対策について、しっかりと報道機関にアピールすることが必要だ。

自分たちの組織を守ろうとして、報道機関へ公表することを躊躇うリーダーも多い。しかし、速やかに公表しないと、危機発生から現在に至るまで、自分たちの組織が隠蔽していたとも受け取れられかねない。

実際に危機が発生したときは、勇気がいる。しかし、リーダーは、勇気を振り絞って、適切な時期に適切な内容を公表しないことのほうが、ダメージが大きいと心得たい。
このことは、今までの私の経験から、そう言える。


2021年10月16日土曜日

モンク思考 自分に集中する技術

 愚かな者は自分の利益のために働き、賢明な者は世界の幸福のために働く。
                 『バガヴァッド·ギーター』第3章25節
モンク思考 自分に集中する技術、著者:ジェイ・シェティ、訳者:浦谷計子、発行所:東洋経済新報社、2021年、467

昨今、「マインドフルネス」という言葉をよく聞く。ウィキペディアによれば、マインドフルネスとは、「現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる」と書かれている。しかし、ストレスフルな社会において、どのような瞑想が良いのだろうか。そして、瞑想をすれば、本当に心が整っていくのだろうか。

最近、マインドフルネスをいち早く取り入れたGoogleやMicrosoft、さらにはNetflixなどの先進米国企業らが注目するモンク(僧侶)思考なる本が出版されたという。その本のタイトルは、「モンク思考 自分に集中する技術(東洋経済新報社刊)」である。この本は、著者のジェイ・シェティが大学時代に僧侶の話を聞いたことがきっかけで、僧侶への道を目指すようになった経緯とともに、瞑想などの実践的なメソッドが紹介されている。本のカバーには、「迷いや不安、ストレスが消える 正しいキャリアが描ける」とも書かれている。私は、正しい瞑想法なども知りたかったので、この本を読んでみることとした。

この本は、「手放す」、「成長する」、「与える」という3つのパートで構成されているが、その根底には、古代の教えである「バガヴァッド·ギーター」をもとにしている。この古代の貴重な教えがシェティによって分かりやすく解説されていることは、ありがたいと感じた。

まず、「手放す」では、恐怖との向き合い方が役に立った。私自身、最近緊張することも少なくなってきたが、それでも緊張する場面に遭遇することもある。その際、恐怖にも似た感情に襲われる。その恐怖とどう立ち向かい、自分の心を整えていくのか。その実践的なメソッドが紹介されており、私も実生活に取り入れていくこととした。

「成長する」のパートでは、「自分のダルマを生きる」ことに力点が置かれている。「ダルマ」とは、その人にとって大好きであり、得意なこと(ヴァルナ)が世の中のニーズを理解し、無私の心で奉仕する(セーヴァ)と結びついて人生の目的となったとき、自分のダルマを生きていると言えるという(本書、191)。シェティによれば、このダルマを生きることこそ、人生を充実させる確実の道であると言われる。このダルマを目指すべく、シェティは、朝や夜のルーティンについても紹介している。貴重な1日をどのように過ごすのかは、前日の夜から始まり、次の朝につながる。これらのルーティンついても、私の実生活に取り入れていこうと思った。

最後は、「与える」である。このパートでは、感謝や奉仕といった言葉が頻出する。人生の最高の目的は奉仕にいきることだとシェティは言われる(本書、471)。なぜ、人は、奉仕をすれば、人生の最高の目的に至るのか。シェティは、優しい口調で奉仕の大切さ、そしてモンクへの道を教えてくれる。このパートを読み終えるころ、私は、冒頭に紹介した『バガヴァッド·ギーター』の教えが心に染みていた。

「モンク思考 自分に集中する技術」は、500ページ以上の分厚い本である。この500ページにも及ぶモンクの旅を終えると、いよいよ「まとめ」に達する。最終到達点に達すると、読者は、「モンク・メソッド」と言われる瞑想法を授かることができる。モンク・メソッドの詳細は本書に譲るが、基本的には、4カウントで息を吸い、4カウントで息を吐く深呼吸によって、心を整っていく。また、パート3の最後でもマントラが紹介されており、マントラの意味を知るとともに、瞑想にも取り入れることができる。

仏教僧マチウ・リカールの脳をスキャンした研究者たちは、彼を「世界で一番幸せな人」と呼んだという。これは、集中、記憶、学習、幸福感に関連するガンマ波がこれまでに科学的に記録された中で最高の値を示したからだ(本書、19)。

瞑想のもつ魔法の力は、人間の心を整え、超越した存在へと向かわせることができる。モンク・メソッドは、忙しすぎる現代人にとって、必須のアイテムになるのだろうと感じた。情報科学技術が進展する現代社会だからこそ、モンク・メソッドを多くのかたにおすすめしたい。