2018年11月30日金曜日

チャンス

むしろ、自分がいなくなったら悲しむであろう大切な人たちのために働くこと、自分で選んだ仲間にとって意味のある仕事をすることで、チャンスは得られる。

「型を破る人」の時代 ”ズバ抜けた結果”を出せる人は、何をしているか、セス・ゴーディン/神田昌典(監訳)、三笠書房、2014年、144-145

冬になると、管理職という立場にいる人たちは、少しの寂しさを感じると思う。
大方の事業所はそうだと思うが、この時期、各セクションの管理職は、人事当局から、来年度の人事ヒアリングを受ける。

その時に実感する。

来年4月からは、誰かが他の部署に移り、そして新たな人たちがやってくる。
いま、このメンバーで働けるのは、この時しかないと。

そして、いつか、自分もこのセクションを去る時が必ずやってくる。

まず、自分がいなくなったら悲しんでもらえるように働こう。
そして、仲間と意味ある仕事をしよう。

そうすれば、チャンスは自ずとやってくる。

そんなことをセス・ゴーディンは教えてくれた。


2018年11月24日土曜日

鍛錬

千日(せんじつ)の稽古を鍛(たん)とし、万日(まんじつ)の稽古を錬とす
宮本武蔵 「五輪書」

私は、この言葉が好きだ。しかし、私自身、このことを実践しているかと問われれば、反省すべき点も多い。

剣豪宮本武蔵でさえ、一つの道を究めるため、稽古の日々を送り、自分自身の技術を高めていった。
あのイチローも「努力とは、意欲ではなく、習慣の問題である」と言っている。
私たちが「天才」と認める人たちは、陰で鍛錬を積んできたからこそ、天才になり得た。

鍛錬を積むことを肝に銘じていきたい。

2018年11月18日日曜日

自動車過依存

自動車の過依存が進むと、自動車事故や大気汚染や自動車インフラ費用の拡大、都市空間の巨大化、買い物難民の増加、健康阻害や医療費の増大など多岐にわたる症状が現れる。
コミュニティによる地区経営、大野秀敏(編集委員会代表・執筆)、鹿島出版会、2018年、180

なるほどと思った。確かに私たちの生活には、都心に住まない限り、自動車による移動は欠かせない。
買い物難民の増加は、自動車に乗れなくなった高齢者のことを指す。今ではアマゾンでポチッとすれば宅配してくれるが、パソコンが苦手な高齢者は、自分で買い物にも行けないし、アマゾンなどのネットショップの便利さを享受することができない。

また、自動車の過依存により、健康阻害や医療費の増大まで引き起こすと指摘していることは、私も興味深い。
以前、テレビを見ていたら、都心部に単身赴任した男性は、歩く機会が増えて、体重がおちてキープできていると言っていた。
通勤が自動車の私は、以前、歩くことが極端に少なかったように思う。そのことを反省し、今では、昼休憩や帰宅後、時間が許す限り、歩くこととしている。
おかげさまで、半年間、毎日一万歩以上歩くように努め、体重も4㎏ほどおちた。健康診断も数値が改善された。何より、歩くことにより、ストレス解消になるのが一番うれしい。

自動車の過依存により、個人の健康からインフラ費用の拡大まで、大きな課題を引き起こす。これから、私たちのまちをどのようにしていきたいのか。その議論の一つに、自動車の過依存についてもテーマとして加えておくべきであろう。



2018年11月17日土曜日

コンパクトシティ

世界的にみるとコンパクトシティでは、単に郊外だけが批判の対象になっているわけではなく、中心部の再生も大きな課題として認識されています。
日本の場合は、これが人口減少や自治体財政の悪化などの問題とリンクして、都市の構造自体を変える動きにまで大きく結びついているところが特徴的だと思います。
コミュニティによる地区経営、大野秀敏(編集委員会代表) 姥浦道生(発言)、鹿島出版会、2018年、84

コンパクトシティの具体的な手段として、「立地適正化計画」が制度化された。コンパクトシティと言えば、単に、集約エリアと呼ばれる主要施設を中心部に移転することを想像する。事実、立地適正計画では、非集約エリアに対して具体的な施策が存在しない。
しかし、非集約エリアと呼ばれる郊外こそ、大型小売店舗の進出をはじめ、区画整理事業の推進、さらには若く元気な世代が住み着き、まちが活性化されているケースが多いように思う。

まちづくりは、あくまでもそこに住む住民が主役。本書では、地域の全住民で構成されるCMAによるまちづくりを提案している。

これからの人口減少の時代、それぞれの地方公共団体によって、持続可能させるための都市の形態というのは千差万別である。地方公共団体は、住民主役のまちづくりをするため、そこに住む住民らに権限を委譲するなどし、それぞれの実情を踏まえたまちづくりをしていかなければならないと感じた。









2018年11月14日水曜日

意思決定

決定が満たすべき必要条件を明確にしなければならない。「その決定の目的は何か」「達成すべき最低限の目標は何か」「満足させるべき必要条件は何か」を明らかにしなければならない。
決定が成果をあげるためには、必要条件を満足させなければならない。
必要条件を簡潔かつ明確にするほど、決定による成果はあがり、達成しようとするものを達成する可能性が高まる。

(引用)プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか、P・F・ドラッカー著、上田惇生編訳、ダイヤモンド社、2000年、151-152

自分の仕事の進め方で迷ったとき、私は、まずドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読み返す。そして、ドラッカーと対話し、自分の行動を反省する。
「必要条件を簡潔かつ明確」にすることは、上司にいかに明瞭に伝えるかということも意味するのだと思う。実は今日、私は、このことを実感した。

上司に決定を促すことは、必要条件を簡潔かつ明確に伝えなければならない。せっかく、膨大な資料を集め、分析し、自分たちはこのような結果になると認識していても、それが上手く上司に伝わらなければ、意味がない。

上司への説明資料は、例えばパワーポイントを使って、要点のみ記載した資料で足りる。そして、上司から質問があった際には、手持ち資料として集めた資料を差し出せばよい。

他にもドラッカーは、本書の中で、決定を行動に移すには、「誰がこの意思決定をしらなければならないか」ということも重要であると説く。このことも、仕事に夢中になっていると、案外、忘れがちである。

私たち知識労働者が成果をあげ、貢献し、自己実現するため、「プロフェッショナルの条件」は、ドラッカーの偉大さを再認識させられるとともに、読み返すたびに新たな発見がある。