人間であるということは、まさに責任を持つことだ。 おのれにかかわりないと思われていたある悲惨さをまえにして、恥を知るということだ。仲間がもたらした勝利を誇らしく思うことだ。 おのれの石を据えながら、世界の建設に奉仕していると感じることだ。
アントワーヌ·ド·サン = テグジュペリ「人間の大地」(引用)ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す、著者:山口周、発行所:プレジデント社、2020年、121-122
最近、「脱成長」社会を謳う書籍が多い。戦後日本の経済復興と高度成長は、人々の物質的不足の解消をもたらし、幸福感ももたらした(我が国では、低い満足度を感じる人を大きく減らすことには失敗したが)。
一方、経済復興と高度成長は、大量消費・大量廃棄を是とし、持続可能な世界を否定する。また、高度成長期にみられた会社が従業員の面倒を見るといった「終身雇用」や「年功序列」は崩壊しつつある。さらに、昨今の新型コロナウイルス感染拡大が拍車をかけ、「経済成長」というゲームが終わろうとしている。
山口氏は、経済成長が終焉した新たな時代について、「高原への軟着陸」のフェーズに入ったと表現する。「高原」という言葉を聞いて、私は、かつて訪れた宮崎県にある高原の風景が脳裏に浮かんだ。高原とは、標高が高く、連続した広い平坦面を持つ地形である。そこでは、緑が広がり、心地よい風が吹き、自然と一体になれる。「高原」では、人間として最も価値のあることを実現する。それは、人と人がふれあい、喜びや美しいものをみたときの感動を共感し合うような社会であると想像する。
いままさに時代転換のときを迎えている。それは、一層、新型コロナウイルス感染拡大で拍車がかかったように思う。東京一極集中していた“職場”は、テレワークの普及とともに、人が地方に流れている。また、政府による度重なる緊急事態宣言の発令により、多くの業種が疲弊している。人口減少社会や非正規雇用の増大などの社会環境の変化により、経済成長を追いかけるには無理がある。いまこそ、まず、自分の心に豊かさをもたらす「高原」へと誘われる時がきたのだと感じた。
本書の中では、様々な引用文が登場する。その中で、冒頭に紹介した言葉は、私の心の琴線に触れた。このテグジュペリの言葉は、「高原」辿り着いた世界を上手く表現しているように思える。人々が自分の行動に責任を持ち、助け合い、分かち合い、持続可能な世界を構築していく。この助け合い、分かち合いの精神は、山口氏が提案するユニバーサル・ベーシックへとつながる。そこには、衝動に根ざしたコンサマトリーな経済活動を促進するために、誰もが安心して「夢中になれる仕事」を探し、取り組むための補償となるものである。
これからの時代、なにを求めるのか。それは、人間性を最重要視した新たなエコノミーの幕開けということが実感できた。そして、本書を読み、これからは、心地よい環境で、人間らしく生きたいと思った。