2018年12月1日土曜日

これは遠い千年紀の夢ではない。


これは遠い千年紀の夢ではない。これは我々自身の時代と世代において、達成されうるような世界の、確固たる基礎なのである。
アメリカ第32代大統領 フランクリン・デラノ・ルーズベルト

ルーズベルトが演説「四つの自由」の中で語った言葉である(演説は194116日)。

四つの自由とは、表現の自由、各人がおのれの仕方で神を崇拝する自由、欠乏からの自由、そして恐怖からの自由。四つ目の自由とは、すなわち、もっと一般的な言葉でいいかえれば、ある程度まで、そしてある徹底的な仕方で、全世界的な軍縮を行うことである。

ルーズベルトは、これらの自由を世界の至る所で実現しようとした。

普段、私たちの仕事には、常に課題が存在し、解決が求められる。そして、課題解決だけではない。ピーター・ドラッカーのいうところの、私たちの顧客に対して新たな創造をしていかなければならない。

しかし、私たちの普段の仕事は、ルーズベルトが立ち向かった四つの自由の実現より大きなものだろうか。しかも彼は、この四つの自由の実現は、「遠い千年紀の夢でない」とした。

まだまだやるべきことがある。そして、やらなければならない。
目の前の仕事も、そして、四つの自由を獲得するためにも。

ルーズベルトは、次のように言う。
恐れなければいけない唯一のものは、恐れそれ自体である。

もはや、恐れはない。
今を生きる私たちは、勇気を持って前へ進もう。
千年紀先まで待たない。
目の前の仕事の課題解決も。
そして、もうすぐ叶うであろう、ルーズベルトが描いた「四つの自由」を実現するためにも。


2018年11月30日金曜日

チャンス

むしろ、自分がいなくなったら悲しむであろう大切な人たちのために働くこと、自分で選んだ仲間にとって意味のある仕事をすることで、チャンスは得られる。

「型を破る人」の時代 ”ズバ抜けた結果”を出せる人は、何をしているか、セス・ゴーディン/神田昌典(監訳)、三笠書房、2014年、144-145

冬になると、管理職という立場にいる人たちは、少しの寂しさを感じると思う。
大方の事業所はそうだと思うが、この時期、各セクションの管理職は、人事当局から、来年度の人事ヒアリングを受ける。

その時に実感する。

来年4月からは、誰かが他の部署に移り、そして新たな人たちがやってくる。
いま、このメンバーで働けるのは、この時しかないと。

そして、いつか、自分もこのセクションを去る時が必ずやってくる。

まず、自分がいなくなったら悲しんでもらえるように働こう。
そして、仲間と意味ある仕事をしよう。

そうすれば、チャンスは自ずとやってくる。

そんなことをセス・ゴーディンは教えてくれた。


2018年11月24日土曜日

鍛錬

千日(せんじつ)の稽古を鍛(たん)とし、万日(まんじつ)の稽古を錬とす
宮本武蔵 「五輪書」

私は、この言葉が好きだ。しかし、私自身、このことを実践しているかと問われれば、反省すべき点も多い。

剣豪宮本武蔵でさえ、一つの道を究めるため、稽古の日々を送り、自分自身の技術を高めていった。
あのイチローも「努力とは、意欲ではなく、習慣の問題である」と言っている。
私たちが「天才」と認める人たちは、陰で鍛錬を積んできたからこそ、天才になり得た。

鍛錬を積むことを肝に銘じていきたい。

2018年11月18日日曜日

自動車過依存

自動車の過依存が進むと、自動車事故や大気汚染や自動車インフラ費用の拡大、都市空間の巨大化、買い物難民の増加、健康阻害や医療費の増大など多岐にわたる症状が現れる。
コミュニティによる地区経営、大野秀敏(編集委員会代表・執筆)、鹿島出版会、2018年、180

なるほどと思った。確かに私たちの生活には、都心に住まない限り、自動車による移動は欠かせない。
買い物難民の増加は、自動車に乗れなくなった高齢者のことを指す。今ではアマゾンでポチッとすれば宅配してくれるが、パソコンが苦手な高齢者は、自分で買い物にも行けないし、アマゾンなどのネットショップの便利さを享受することができない。

また、自動車の過依存により、健康阻害や医療費の増大まで引き起こすと指摘していることは、私も興味深い。
以前、テレビを見ていたら、都心部に単身赴任した男性は、歩く機会が増えて、体重がおちてキープできていると言っていた。
通勤が自動車の私は、以前、歩くことが極端に少なかったように思う。そのことを反省し、今では、昼休憩や帰宅後、時間が許す限り、歩くこととしている。
おかげさまで、半年間、毎日一万歩以上歩くように努め、体重も4㎏ほどおちた。健康診断も数値が改善された。何より、歩くことにより、ストレス解消になるのが一番うれしい。

自動車の過依存により、個人の健康からインフラ費用の拡大まで、大きな課題を引き起こす。これから、私たちのまちをどのようにしていきたいのか。その議論の一つに、自動車の過依存についてもテーマとして加えておくべきであろう。



2018年11月17日土曜日

コンパクトシティ

世界的にみるとコンパクトシティでは、単に郊外だけが批判の対象になっているわけではなく、中心部の再生も大きな課題として認識されています。
日本の場合は、これが人口減少や自治体財政の悪化などの問題とリンクして、都市の構造自体を変える動きにまで大きく結びついているところが特徴的だと思います。
コミュニティによる地区経営、大野秀敏(編集委員会代表) 姥浦道生(発言)、鹿島出版会、2018年、84

コンパクトシティの具体的な手段として、「立地適正化計画」が制度化された。コンパクトシティと言えば、単に、集約エリアと呼ばれる主要施設を中心部に移転することを想像する。事実、立地適正計画では、非集約エリアに対して具体的な施策が存在しない。
しかし、非集約エリアと呼ばれる郊外こそ、大型小売店舗の進出をはじめ、区画整理事業の推進、さらには若く元気な世代が住み着き、まちが活性化されているケースが多いように思う。

まちづくりは、あくまでもそこに住む住民が主役。本書では、地域の全住民で構成されるCMAによるまちづくりを提案している。

これからの人口減少の時代、それぞれの地方公共団体によって、持続可能させるための都市の形態というのは千差万別である。地方公共団体は、住民主役のまちづくりをするため、そこに住む住民らに権限を委譲するなどし、それぞれの実情を踏まえたまちづくりをしていかなければならないと感じた。









2018年11月14日水曜日

意思決定

決定が満たすべき必要条件を明確にしなければならない。「その決定の目的は何か」「達成すべき最低限の目標は何か」「満足させるべき必要条件は何か」を明らかにしなければならない。
決定が成果をあげるためには、必要条件を満足させなければならない。
必要条件を簡潔かつ明確にするほど、決定による成果はあがり、達成しようとするものを達成する可能性が高まる。

(引用)プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか、P・F・ドラッカー著、上田惇生編訳、ダイヤモンド社、2000年、151-152

自分の仕事の進め方で迷ったとき、私は、まずドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読み返す。そして、ドラッカーと対話し、自分の行動を反省する。
「必要条件を簡潔かつ明確」にすることは、上司にいかに明瞭に伝えるかということも意味するのだと思う。実は今日、私は、このことを実感した。

上司に決定を促すことは、必要条件を簡潔かつ明確に伝えなければならない。せっかく、膨大な資料を集め、分析し、自分たちはこのような結果になると認識していても、それが上手く上司に伝わらなければ、意味がない。

上司への説明資料は、例えばパワーポイントを使って、要点のみ記載した資料で足りる。そして、上司から質問があった際には、手持ち資料として集めた資料を差し出せばよい。

他にもドラッカーは、本書の中で、決定を行動に移すには、「誰がこの意思決定をしらなければならないか」ということも重要であると説く。このことも、仕事に夢中になっていると、案外、忘れがちである。

私たち知識労働者が成果をあげ、貢献し、自己実現するため、「プロフェッショナルの条件」は、ドラッカーの偉大さを再認識させられるとともに、読み返すたびに新たな発見がある。

2018年10月31日水曜日

文明の進化

しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。
寺田寅彦 「天災と国防」


寺田寅彦という人は、本当に未来を見据えていた人だと思う。
私たち人間は、文明の進化にあわせ、技術のチカラによって自然の脅威を封じ込めようとした。
しかし、過去の大規模災害において、”人間が自然の脅威に勝る”という幻想は、儚くも脆く、打ち消されてしまった。

そういえば、私の子供のころは、外で遊ぶことばかりで、家の中でインターネットやスマホなどのゲームに没頭することなんて考えられなかった。

現代は、圧倒的なスピードで、マネジメントの神様であるドラッカーが言うところの「顧客の創造」を各々の企業が実践してきたことにより、私たちの生活は、より便利に、より豊かになった。

”いままでこの世に存在しなかったもの”の登場により、私たち人間は、その”もの”に、期待し、頼り、そして生活の一部に組み入れて安心を得ようとしてきた。

しかし、いくら人間の叡智、技術力を結集させても、自然の脅威には、叶わない。

天災は忘れたころにやってくる。

寺田寅彦の警句を胸に、技術のチカラに頼るのではなく、いつの時代にも不変な、そして地道な防災対策をしていくことが肝要である。



危機管理

危機管理は、人間の根幹である。
危機管理教育研究所 代表 国崎信江氏

昨日、お久しぶりに国崎氏とお話しさせていただく機会に恵まれた。
その際、私は、「国崎先生にとって、危機管理とはなんですか」と聞いてみた。
国崎氏は、「危機管理は、人間の根幹である。」と即答してくれた。

その答えを聞いたとき、その言葉が、激しく、私の胸に突き刺さった。

人間が生きていく上では、様々な危機(crisis)にさらされる。
全く危機に出会わなく、一日を過ごす人間など、この世にいないと思う。

危機に出会ったとき、人間は、いかに管理(management)するかが求められる。
危機管理することにより、人間は、幸せに、そして豊かに過ごすことができる。

先のブログにも書いたが、幸福は天から与えられるもの。
その資格を得るため、私たちは、日々、危機管理をしていかなければならない。

危機管理は、人間の根幹である。

この言葉を胸に刻み、今後の人生を歩んでいきたい。


2018年10月28日日曜日

カタストロフィー

普通の地震が「リスク」だとすれば、次に起きるのは「カタストロフィー」、破滅です。
(引用)
次の震災について本当のことを話してみよう。,福和伸夫著、時事通信社、2017年、23頁

発生が懸念されている南海トラフ地震は、これまでの地震の延長線上で考えてはいけないと名古屋大学減災連携研究センター長の福和教授は言われる。

関東大震災の火災、阪神・淡路大震災の家屋倒壊、東日本大震災の津波。それらがすべてやってきた上で、新たな大都市の脆さが連鎖するという。

最大クラスの南海トラフ地震が襲ったとき、内閣府の想定による死者数は32万3000人に上るという。

しかし、日頃からの防災に対する意識を強く持つことにより、私は、迫りくる南海トラフ地震による被害を最小限に抑えることができると考える。

関東大震災のような火災を防ぐには、今後、行政と住民の対話により、災害に強い都市計画、まちづくりが求められるだろう。
また、阪神・淡路大震災のような家屋倒壊を防ぐには、個々の家庭で、耐震診断や家具の固定をしっかりすることが求められるだろう。
東日本大震災のような津波を防ぐには、「釜石の奇跡」のように、すぐに高台に避難するなど、日ごろから津波に対する避難経路を確認しておく必要があるだろう。

震災直後、我々は、生き残った被災者の声をテレビなどを通じて知ることとなる。
しかし、本当は犠牲になられたかたの声なき声を聞く必要がある。
なぜ、その人は亡くなられたのか。そのため、生前に何をすべきであったのか。

そこに、静かに、しかも確実に迫りくる南海トラフ地震への対策の答えがあるはずだ。