2022年12月17日土曜日

悪魔の傾聴

 しゃべれなければ、聞けばいいーそれだけで、本当にあらゆることが好転するのです。 
                                   中村淳彦

(引用)悪魔の傾聴 会話も人間関係も思いのままに操る、著者:中村淳彦、発行所:株式会社飛島新社、2022年、260

よく、一流の人は、「話す」より「聴く」ことが大切だと言われる。確かに、私も実生活や職場においての経験からも「傾聴」することの重要性は、理解できる。
しかし、それでも「傾聴」を実践することは難しい。妻からも、「よく、相手が話していても、自分の話題にすり替えているよね」と注意されてしまう。自分では無意識?、もしくは自分のことを話して会話を盛り上げていこうという意識?が働くのか、妻からは傾聴することに対して(他の部分もあると思うが)、及第点をいただけていない。しかし、傾聴することは、家庭生活を送るにしても、ビジネスの世界でも有効であることは間違いなさそうだ。

では、傾聴することは、単なる人の話を真剣に聴くだけで達成できるのか?それとも、傾聴することに関してのスキルが存在するのか?そんなことを思いながら書店に立ち寄ったら、一冊の書籍に出会えた。タイトルは、「悪魔の傾聴」とある。しかも、サブタイトルでは、「会話も人間関係も思いのままに操る」とある。これは、もう読むしかないと思った。

「悪魔の傾聴」を読み、最初から私は、打ちのめされてしまう。本書で言う、「HHJ」の三大悪、つまり「否定する」、「比較をする」、「自分の話をする」の頭文字を取った「HHJ」は、傾聴の三大悪であるという。この三大悪を無意識のうちに実践してきた私は、奇跡的に家庭や職場生活が送れていることに感謝した。
いままで私は、傾聴することについて、相手の話を聞きながら、自分のありのままの姿を見せていくことだと信じ切っていた。しかし、真っ向から否定されたことに、本書の著者である中村氏から、さらに傾聴のスキルを学ばなければならないと感じた。

本書の著者である中村淳彦氏は、「職業としてのAV女優(幻冬舎新書)」や「新型コロナと貧困女子(宝島社新書)」など、現代社会が抱えているであろう課題に対して、果敢に取材されているイメージがある。本書でも、実際に取材されたときの実例も紹介されている。中には、自殺未遂をされた女性に対して、どう自殺を思い留まらせたかという、まさに傾聴の上級テクニックまで披露されている。その中で、自分から相手に初めて話しかける行為(ナンパも然りか)については、特にビジネスの世界でも参考になる。初対面の方に話しかけるとき、中村氏は、「こちらから相手を選べるメリットがあるので、こちらに主導権がある」とする。そして、どのように自分の好印象を与え、一言、二言会話を交わしただけで、話が続いていくのかというテクニックは、とても役に立った。

また、中村氏の仕事もそうだが、ビジネスの世界でも、相手の本音を聞きづらい場面に遭遇する。中には、相手が沈黙さえしてしまうこともある。そのような場合でも、どのように対処し、傾聴を続けていくかということは、とても参考になった。

本書を読み、ヒト(人)は、誰しも欲望があることを再認識させられた。それは、聴き手である私たちにとっては、邪悪なものになるという。いくら、自分の心がフラットな状態で傾聴をしているつもりでも、「相手に信頼されたい」という欲望が潜んでいるという。この欲望を完全に捨てなければ、ビジネスでも家庭でも、傾聴を実践することは不可能だということに気づかされた。改めて、私は、傾聴の奥深さを知ることになった。

本書を最後まで拝読し、傾聴とは、単なる人の話を聴くだけではないということを思い知らされた。そして、今までの自分の傾聴のスキルが全然違っていたことも認識した。傾聴を実践することは、相手との関係が深まり、本音を引き出せ、信頼関係が生まれる。まさに、サブタイトルの「会話も人間関係も思いのままに操る」レベルに達するものだと感じた。

本書を読んで、早速自分も中村氏から教えていただいた傾聴のスキルを実生活で実践しはじめた。その結果、この傾聴のスキルという武器を手にした私は、自分の周りの人たちも変わりはじめたような気がしてきた。

2022年12月11日日曜日

限りある時間の使い方

 「人生のすべては借り物の時間」なのだとしたらー何かを選択できるということ自体が、すでに奇跡的だと感じられないだろうか。
(引用)限りある時間の使い方、著者:オリバー・バークマン、訳者:高橋璃子、発行所:株式会社かんき出版、2022年、86

定年延長を考えなければ、私も仕事ができる時間が10年を切った。この歳になれば、どのような時間の使い方、そして生き方が良いのかを考える。例えば、私の尊敬する稲盛和夫氏によれば、”仕事に打ち込んで、世の中に役立ち、自分自身も幸せだった“(致知12月号、令和4年11月1日発行、発行所:発売所:致知出版社、11)という生き方は、とても共感できる。

一方、時間の使い方の改善によって、生産性の向上を図るため、「タイムマネジメント」という言葉をよく聞く。つい、ダラダラと過ごしてしまうと、すぐに時は過ぎ去り、あとで人生の中で無駄な時間を過ごしてしまったと反省することも多い。

しかし、私は、このタイムマネジメントという言葉が好きになれない。ヒト(人)は、自然を支配できないように、果たして時の流れも支配すべきなのであろうか。

私たちが地球上に生まれ、過ごせる時間は、仮に80歳まで生きたとして、4,000週間ほどしかない。この極めて短い、限られた時間をどう過ごすかは、至極当然であるが、各個人に委ねられている。そんなとき、一冊の書籍に出会った。タイトルは、「限りある時間の使い方(株式会社かんき出版、2022年)」である。

この本は、いままでのタイムマネジメント関連の書籍と一線を画す。一言で言えば、決して抗うことのできない時の流れに対して、肩の力を入れず、人間らしく生きなさいという感じである。つまり、時間は有限であるということを認識しながら、効率化を目指すのではなく、問題が発生してもその状態を楽しむ。それによって、一人ひとりの人生が完成するということだと理解した。本書を拝読し、このブログの冒頭の記した「人生のすべては借り物の時間」と考え、私の人生は、時間の経過と比例するように、人生の瞬間、瞬間に“奇跡”がもたらされているという考えで、生きていくことが望ましいのではないかと思うに至った。

本書の中では、スウェーデンの哲学者、マーティン・ヘグルンドの次の言葉が登場する。「もしも、人生が永遠に続くと考えるなら、自分の命が貴重だとは思わないだろう(本書、78)」。

多くの日本人が好きな桜の花は、一年のうちに咲くのは一瞬だ。また、夏の風物詩とも言える打ち上げ花火も、藍や黒色のキャンパスともいえる夜空に、鮮やかで美しい大輪の花を一瞬だけ咲かせてみせる。長い地球上の歴史において、ヒト(人)の一生も一瞬だ。その儚さ故の尊さに、命を、そして時間を愛おしく、貴重だと感じるのであろう。そう考えていけば、時間の使い方は、目先の効率性を優先するのではなく、自然の時の流れの中で、もっと大局的に見て、それぞれの人生を完成させていくことが必要ではないかと感じた。

ただ、本書は、何も哲学的な、時間の使い方の概念だけでは終わらない。具体的な”時間の使い方“にも言及している。例えば、タスクを上手に減らす3つの原則の一つに、『優先度の「中」を捨てる』がある。これは、かの有名な投資家、ウォーレン・バフェットの話だとされているそうだが、「人生のやりたいことのトップ25をリストアップする。そして、重要なものから並べる。そして、上位5つのものに時間を使う」というものだ。タイムマネジメントのような効率化の罠にハマり、時としてヒト(人)は、時間を操り、何でもこなせそうな気になってしまう。しかし、本書の別の箇所で指摘しているように、「どんな仕事であれ、つねに時間は予想以上にかかる」ものである。限られた時間を有効に使うため、真に重要なタスクを確実に実行していく(これは仕事に限ったことではない)必要があると痛感した。

また、本書には、忍耐を身につける3つのルールや、本書の巻末には有限性を受け入れるための10のツールも紹介されている。その10のツールのうち、「ありふれたものに新しさを見いだす」がある。歳を重ねてきた私にとって、このツールは、妙に納得してしまった。もっと、この瞬間に与えられている人生のギフトに深く潜り込み、日常の内側に新しさを見つけていきたいと思った。

私たちを宇宙レベルで考えると、本書では、「あながた限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていない(本書、240)」とされる。

いままで、自分の人生は、そして人生の成功とはこうあるべきというものに囚われ過ぎた感がある。また、“限りある時間を効率的に使いなさい”と、周りから潜在的に植え込まれてきた気がする。

そんな考えを払拭し、肩の力を抜いて、自分の人生を選択して、人間らしく生きて、充実したものにさせよう。

そんな人生の意義を思わせてくれる一冊であった。

2022年12月3日土曜日

ザ・マネジャー 人の力を最大化する組織をつくる 

 「マネジャーが、組織の成功のカギである。」これが、この本の一貫した主張です。
                               訳者:古屋博子

(引用)ザ・マネジャー 人の力を最大化する組織をつくる、著者:ジム・クリフトン、ジム・ハーター、訳者:古屋博子、発行:株式会社日経BP、日本経済新聞出版、発売:株式会社日経BPマーケティング、2022年、383

 私は、ドラッカーが企業の目的を端的に表した次の言葉が好きだ。「有効な定義はただひとつ、顧客を創造することである」。例えば、Apple社製のIpadなどは、顧客の要求を取り入れたのではなく、顧客を作り出す(創造する)という発想から設計されているとも言われる。しかし、このたび発刊された「ザ・マネジャー 人の力を最大化する組織をつくる(株式会社日経BP、日本経済新聞出版、2022年)では、新しい企業の目的、そして「これからの働き方」には、この「顧客の創造」というドラッカーの定義に加え、人間の潜在能力を最大限に発揮させることが含まれなければならない(本書、15)という。
では、ドラッカーの時代から何が変化し、これからの新しい企業の目的として何が求められるのか。私自身、大変興味が湧き、本書(ザ・マネジャー 人の力を最大化する組織をつくる)を拝読させていただくことにした。

まず、ドラッカーの時代と比較し、現代はどのように職場文化が変化したのだろう。本書の訳者である古屋氏が本書の「訳者あとがき」で指摘するとおり、著者のジム・クリフトン、ジム・ハーターは、ポストコロナを見据えている。本書は、新型コロナ前に書かれたというのにも関わらず。既に、今では働き方の主流となりつつあるリモートワークをはじめ、フレックスタイム制、ギガワーカー(伝統的な雇用主と従業員の関係ない人たち)、働く女性が直面する課題、そして定年を迎えてもなお働かれる再雇用社員に至るまで、本書は、新たな組織文化が求められている社会的背景を予見し、広くカバーしている。

本書では、現代の、そしてこれからの社会的背景をもとに、どのように新たに組織文化を変えていくかが試みられている。本書を読み、私が憂慮すべき点としては、日本人の94%が仕事に「エンゲージ(組織と従業員のつながり、「愛着心」の強さ)していない」または「まったくエンゲージしていない」という結果が出ている(本書、21)ということだ。これからは、従業員のエンゲージメントを高めるべく、我が国の企業文化や組織にも適合する、新たな時代に即したマネジャーが求められているのだと感じた。

本書は、CEO(最高経営責任者)、CHRO(最高人事責任者)、マネジャーに向けた参考書だ(本書、9)という。しかし、本書は、先ほどのエンゲージメントを高めるべく、我が国の管理職に広くオススメしたい内容であった。なぜなら、例えば本書では、「ボスからコーチへ」という章が登場する。その章のなかで、特に「コーチング 5つの会話」の中に登場する「クイックコネクト」は、重要ではないかと思った。このクイックコネクトは、メールや電話、廊下の立ち話でもいいのだが、マネジャーが様々な手段で短時間(1~10分)のやりとりを少なくとも週1回行うものだ。日本人の管理職は、部下などに対して、このような頻繁に「声がけ」することを苦手としているのではないだろうか。本書も触れているが、従業員は「自分が無視されている」と感じさせないためにも、クイックコネクトは有効であると感じた。ただ、私の尊敬する稲盛和夫氏は、部下から立ち話で報告を受け、その報告がおざなりになってしまった経験を活かし、それ以降、立ち話では、絶対報告を受けないようにしていたと言われる。クイックコネクトの手段については、真剣に部下と向き合うため、それぞれのマネジャーが自分のスタイルで、時間を確保していく必要があると感じた。

そして、部下との意思疎通については、マネジャーによる意思決定する際にもつながる。本書では、意思決定を下す場合の3つのポイントに触れられているが、私は、「自分の限界を知る」というポイントが好きだ。どうしても、自分の強み、弱みがある。そのなかで、部下なり、周りから意見を求めながら判断を下すのは、至極当然のことであろう。その際、部下とのコミュニケーション、そしてエンゲージメントが高い部下が周りにいなければ、的確な判断が下せず、マネジャーは裸の王様になってしまう。かつて私は、平成30年7月豪雨の際、総社市長として災害対応の最前線に立って指揮した片岡市長の講演を拝聴したことがある。そのなかで、片岡市長は、「決断は1分以内にすること」と言われていた。つまり、リーダーが迷って判断が遅れれば市民の命は失われると心に決めていたと言われる。その際の判断基準としては、「いま、自分の決断が市民のためになるかどうか」であった。危機管理においても、エンゲージメントの高い部下を周りに集め、そして意見を求め、最終的にリーダーは、自分の指針をもとに迅速に決断を下す。総社市がここまで災害対応で注目されたのは、片岡市長が企業で言うところのCEO的な役割を果たしたからであろう。

本書では、意思決定、コーチング、マネジャーの特性などが学べる。さらに本書では、自分や周囲の人たちの強みを活かすべく、能力開発の起点となる「クリフトン・ストレングス」が紹介されている。本書には、34の資質について概略が紹介されており、この資質は「実行力」「影響力」「人間関係構築力」そして「戦略的思考力」がわかるという。これを眺めているだけで、自分の強みや弱みが理解できる。

そして、優れたマネジメントを実現するため、チームを成功に導く12の質問が本書の途中と巻末に登場する。特に巻末では、12の質問の意図と、この質問を受けて最高のマネジャーは何をしているのかが詳細に解説してある。私は、12の質問中のQ4「この1週間の間に、良い仕事をしていると褒められたり、認められたりした」という問いが気に入った。我が国において、管理職は、部下を口に出して褒めたり、認めたりすることが苦手ではないだろうか。しかし,この行為は、冒頭の従業員のエンゲージメントを高めるためには有効であると感じる。あのディズニーでは、リコグニッション活動といって、キャストがお互いの良いところを認め、称えるメッセージをおくりあう活動があると聞く。また、キャストが自身を向上させる努力をしているときや、優れたパフォーマンスを発揮したとき、マネジメントの方が「Good Jobカード」を手渡しすると言う。このような習慣は、従業員のエンゲージメントを高めるために、とても有効な活動であると感じた。

本書の訳者の古屋氏は、『組織として本気で「マネジャーの成功」を後押しできているかが私たちに問われている』(本書、383)と言われる。それができなければ、ポストコロナにおける、新しい時代の組織文化は構築できず、マネジャーの役割も果たせなくなる。

ポストコロナも然りだが、我が職場においてもミレニアル世代(1980~1996年生まれ)やZ世代(1997~生まれ)が増えてきた。彼らの価値観を理解し、どのように潜在能力を発揮してもらい、人の力を最大化する組織をつくっていくのか。そのための解は、本書に書かれていた。現在の、そしてこれからのマネジャーに、是非本書をオススメしたい。特に、日本では、冒頭に記したとおり従業員のエンゲージメントが低く、新たなマネジャーの果たす役割が大きいと感じているから。

2022年11月23日水曜日

考える人のメモの技術

 「どうすれば自分らしく考えられるようになるのか?」
これが、この本で考えていきたいテーマです。
(引用)考える人のメモの技術 ―手を動かして答えを出す「万能の問題解決術」、著者:下地寛也、発行所:ダイヤモンド社、2022年、2

最近、私は自分なりの知的生産術にハマっている。その知的生産術を試行錯誤する中で、どうやって日常に溢れるニュースや記事などを収集し、分析し、アウトプットするのか。そして、私はアウトプットする際、そのニュースや記事などから、どのように自分は考え、行動に移せるのかを探究していた。
そんなことを思っていた矢先、最寄りの図書館で「考える人のメモの技術(ダイヤモンド社、2022年)」に出会った。著者は、Campusのノートで有名なコクヨの社員であるという。私は、文房具を知り尽くした社員さんによる知的生産術とはどのようなものか、大変興味が湧いたので、図書館で借りることにした。

さすが文房具メーカーの社員さんだけあって、メモの技術は、大変役に立つものばかりであった。まず、なぜメモを取るのかといった基準から始まり、どう書くべきか、そしてどう使うのかといった話に及ぶ。そして、インプットメモとアウトプットメモの2種類を使い分け、単にインプットに終わらない技術が紹介されている。

まず、インプットメモで感心させられたのは、「気づきを加えると、自分ごとになる」ということである。本ブログの冒頭にも記したが、日ごろ私は、あるニュースや記事に接して、それを自分らしく考え、実行に移すことが大切であると感じている。これは、確か、大阪府知事や大阪市長を歴任された橋下徹さんも同様のことを言われていたと思う。また、私もよく携帯のアプリ「News Picks」を利用しているのだが、「News Picks」では、それぞれのニュースや記事に対して、専門家や著名人による解説や意見が寄せられてくる。その解説や意見によって、私たちは、そのニュースや記事の持つ意味や背景を理解することができ、世論を見据え、自分がどのように行動すべきかが見えてくるのではないだろうか。

また、アウトプットメモについては、「コピー用紙の裏側でもいい」と著者の下地さんは言われる。このようにアウトプットについては、メモの体裁にとらわれないが、下地さんが提唱する「ノート3分割法」は、とても役に立つ方法であると感じた。早速、自分自身の仕事にも活用していきたいと思った。

ここで、問題になるのが、手書きをする場合、紙によるメモか、Ipadかということである。私の大学生になる子どもは、Ipad派であり、Good Notesを駆使している。その息子の姿を傍から見ていると、自分も専用のIpadが欲しくなり、ノートやメモとして使いたくなる。

しかし、Ipadにもデメリットはある。下地さんも触れているが、私はIpadをノートとして活用することにより、一覧性(スクロールをしないと全体が見られないような場合がある)といったことやブルーライトの影響が心配だ。ただ、Ipadを使うメリットもある(携帯性や検索性)ため、引き続き、Ipadの活用も考えていきたいと思った。

とにかく、下地さんの本を拝読すると、すぐに実行したくなる。早速、私は、本書で紹介されていたCampusのメモパッド(A4横サイズ)を購入して活用してみた。今まで存在すら知らなかったメモパッドだが、思いのほか、使い勝手がよかった(余計にIpadの購入が遠ざかりそうな気もするが)。

また、下地さんの短期的・中期的なメモ基準を参考にして、自分なりの基準も考えてみた。この基準により、自分がこれから収集し、自分なりに活用していくためのテーマやカテゴリーが明確になってくる。これにより、今後は、プライベートのテニス技術習得のこともメモされていきそうだ。

たかがメモ、されどメモ。知的生産には欠かせない、メモの奥深さを知る一冊であった。

2022年11月12日土曜日

日本の消費者がどう変わったか

 実際コロナ禍において、規模はまだ小さいながらも生産者が消費者にダイレクトに新鮮な食材を提供するD2C(Direct to Consumer)ビジネスが伸びてきている。
(引用)日本の消費者はどう変わったか 生活者1万人アンケートでわかる最新の消費動向、著者:野村総合研究所 松下東子、林裕之、発行所:東洋経済新報社、2022年、              177

消費者トレンドは、どの企業、どの事業者にとっても必要不可欠なものであろう。また、国や行政においても、消費トレンドを知ることは、施策を考えていく上で有用なものとなる。野村総合研究所(NRI)の生活者研究・マーケティングコンサルティングチームが実施するNRI「生活者1万人アンケート調査」は、1997年を初回とし、以降3年ごとに実施してきた。このたび、最新の調査となる2021年調査では、コロナ禍ということもあり、日本の消費者の価値観や意識・行動について、これまでにない変化が生まれたという。

確かに、新型コロナウイルスを契機として、外出自粛、テレワークの推進など、今までにない大きな変容が私たちの暮らしを襲った。それに伴い、各家庭の消費傾向も大きく変わったと思う。いま、日本の消費者のトレンドは、どのように変わってきたのか。それを知ることは、今後の私たちのライフスタイルの主流を知ることにつながる。

「日本の消費者はどう変わったか(東洋経済新報社、2022年)」を拝読すると、「やはり」と思うことが多い結果になっていることに気づかされた。まず、テレワワークである。2020年は、テレワーク元年と言われている。総務省やNRIの推計によると、日本のテレワーク実施者は1500万人以上、年間120日以上の本格テレワークは340万人にも上るという。コロナ禍において、私もテレワークを実施したことがあるが、メリットとしては、やはり通勤時間が不要であるということだろう。このたびのNRIの調査においても、テレワーク導入による通勤時間の削減が、約8割の就業者に新たな自由時間を生み出したという。そして、コロナ禍においてテレワークの業務を実施した人は、余剰時間を活用した資格取得、副業への意向が高く、会社への貢献意識も高くなることがわかった。そして、就業への満足度はより高い結果が得られることにつながった。私は、就業への満足度が高い結果が得られたことに、驚きを隠せなかった。なぜなら、私のテレワークのメリットは、先ほどの通勤時間の短縮であったが、それ以上にデメリットも強く感じていたからだ。それは、まず同じ職場の仲間とのコミュニケーション不足がある。近くに上司や同僚がいれば、相談も容易にできる。しかし、テレワークとなると、基本、パソコンを介してのコミュニケーションとなる。日ごろ私は、文字によるコミュニケーションの難しさを感じている。それは、例えば微妙なニュアンスの報告書が文字のみで上がってきた場合、確認する術も文字で質問するしかないからだ。会話をすると、「これって、こういう意味だよね」と言い方を変えて、自分が納得して確認できるが、テレワークでは、それが叶わないことが多い。また、職場の人間関係自体も希薄化する気がしている。私のような古い人間には、テレワークの良さに気づけないということであろう。私は、多様な働き方が大規模な会社から受け入れられているという事実を受け入れていく必要があると感じた。

ただ、人間関係の希薄化でいえば、若者たちも感じていることがわかる。2018年から2021年にかけての動きの年代を見ると全体的に生活満足度・幸福度が高まる中、10代の若者だけは下がっているという。これは、学生生活を送る上で、友との語らいが減少し、旅行やテーマパークへ行けなくなったことが要因として考えられる。コロナ禍において、家族へ帰属する意識が高まる中、貴重な10代の楽しみが奪われている。その溝を埋めるためのツールなり、新しい楽しみなりが必要であると感じた。

新型コロナを契機として、「アウトドア・キャンプ」や「ドライブ」の余暇活動が伸びているという。「ソロキャンパー」という言葉にも象徴されるように、密を避け、一人、自然の中に入り込んでいく。このコロナを契機として自分を取り戻す、もしくは自分を見つめ直すというかたが増えてきたということであろう。実際、アウトドア用品は、ホームセンター等に出向いても増えてきた。また、都心では、キャンプ用品のメーカーが自社のチェアを使ったり、テントを店内に設置したりして、喫茶店を営業している。より身近にアウトドアを体験できる機会が着実に増えている。

50歳を過ぎた私が心配するのは、今後の日本の家族のあり方である。結果を見ると、結婚はしなければならないものと考える若者が減少していること、男性の収入減少が結婚を控えるといった相関関係が明らかになっていること、子供は持ったほうが良いという意識が近年急激に弱まわっていることに危惧を抱いた。

イーロン・マスクは、「当たり前のことを言うが、出生率が死亡率より高くなるような何らかの変化をもたらさない限り、日本は消滅するだろう」とTwitterに投稿した。これは、日本の人口が2021年、過去最高の64万4000人減少したという記事のデータに対するコメントになるが、私もイーロン・マスクの意見に賛成だ。どうしたら、若者たちが未来に希望が持てるのか。それは、私たち大人が環境を整えて行く必要があると強く感じた。

冒頭には、コロナによって、どのように消費者トレンドが変わったのかという一例を引用した。今まで、「動く」ことによって得られたものがインターネットによって繋がり、流通そして消費者の距離が生産者とより一層近くなった。

本書には、コロナ禍収束後に戻るもの/戻らないものについて予想も掲載されている。これは、今後の消費トレンドを知る上で、とても参考になる。一例を申し上げると、コロナ禍で「増えた」けど収束後に「戻る」ものは、デジタルでの映画・音楽鑑賞、収束後でも「戻らない」ものはオンラインショッピングであった。一方、コロナ禍で「減った」けど収束後に「戻る」のは外食やグルメ・旅行、収束後でも「戻らない」ものは人付き合いや“飲みニケーション”であった。

確かに、2022年4月19日、米動画配信大手ネットフリックスは、会員数が10年以上ぶりに減少に転じたと発表した。しかし、その後ネットフリックス第3四半期に241万人増加し、上半期のかつてない規模の減少から一転し、予想を上回る力強い回復を見せはじめた。NRIが予想したトレンドがどのように推移していくのか。今後のネットフリックスの会員数が気になるところだ。

NRIによる「生活者1万人アンケート」は、新型コロナウイルスを契機として、最新の消費者傾向は、大きく変化した。今回触れなかったが、スマートフォン保有が半数以上となっている70代でもデジタル活用が進んでいない。そのため、我が国でデジタル推進をしてくためには、より一層の高齢者のデジタル活用が求められる。渋谷区では、65歳以上のスマートフォン保有していない区民に対して、2年間無料で貸出をしているという。

小型パソコンといわれるスマートフォンを所有することは、ネットショッピングに代表されるように買い物難民対策にも、またコミュニケーションツールとしても、さらには災害発生時における情報入手手段としても、あらゆる面で私たちの暮らしを守り、豊かなものにしてくれる。

いま、新型コロナウイルス、デジタル化の波が押し寄せている。それらの社会的背景をもとに、私たちの暮らしは、大きく変貌している。しかし、その根底には、私たち日本人の価値観も変わりつつあることが理解できる。本書を拝読し、新しいステージにおける、新たな生き方が消費者トレンドとして表れてきているのだと感じた。





2022年10月30日日曜日

論語と孫子

 彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず(謀攻篇)
(引用)世界のビジネスエリートが身につける最高の教養 論語と孫子、著者:守屋洋、発行所:株式会社PHPエディターズ・グループ、2022年、191

著述家、中国文学者の守屋洋氏の最新刊が刊行された。私は、洋氏の息子、淳氏による「最高の戦略教科書 孫子(2014年、日本経済新聞出版)」を拝読したことがある。なぜ、孫子の兵法がビジネスに役立つのか。当時、感銘を受けたことを覚えている。

その淳氏も大いに影響を受けたであろう父親の洋氏による「論語と孫子(2022年、株式会社PHPエディターズ・グループ)」は、サブタイトルに「世界のビジネスエリートが身につける最高の教養」とある。今年90歳になられる洋氏(1932年生まれ)が、中国古典を通じて、私たち現役のビジネスマンに伝えたいこととはどんなことであろうか。私は、心して、拝読させていただくことにした。

本書は、そのタイトルどおり、「論語」と「孫子」のエッセンスを抜き出してまとめたものと言えるだろう。まず、「論語」とは、洋氏によれば、「あっさり言うと孔子という人物の言行録(本書、1)、」であり、「孫子」は、「孫武(そんぶ)という名将によってまとめられた兵法書(本書、2)」である。数ある中国古典から洋氏がこの2冊を選んだということは、大変興味深い。そして、本書の構成は、第1章として、「論語の人間学」、第2章として「孫子の兵法学」から成る。

本書は、すぐに読み終えることができる。それは、「論語」や「孫子」を読んだことがない人でも、まず、わかりやすい現代語訳が載っているからだ。

第1章の論語では、私の好きな言葉、「弘毅(こうき)」が登場する。これは、論語に登場するが、孔子の弟子である曾子(そうし)の言葉であり、あまりにも有名な「士は以って弘毅ならざるべからず」という一句である。洋氏は、「弘毅」という言葉を「広い視野と強い意志力」と訳す。この「弘毅」は、指導的な立場にある人物が持つべきものだ。なぜならリーダーは、「任重くして道遠し(責任が重いし、道も遠いからである)」と続いている。これは、徳川家康公の遺訓とされる「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。」を彷彿させる。

また、論語では、弟子たちが孔子について語っていることも興味深い。孔子は、1.主観だけで憶測していないか、2.自分の考えを押し通していないか、3.一つの考え方にこだわっていないか、4.自分の都合しか考えていないかという4つの欠点を免れていたという。この4つは、私も反省すべき点が多いと感じた。リーダーになればなるほど、自分の考えを求められる。しかし、私は、リーダーになっても、自分の考えを押し通そうとすると間違えることも知っている。そのため、私は、「自分はこう考えるが、どう思う?」と周りの人たちに聞くことが肝心だと思っている。また、自分の考えを押し通そうとすることは、どこかに私利私欲があるということだ。私の尊敬すべき、故稲盛和夫氏は、大きな役職を引き受けたり、また新たな事業を進めたりするとき、次の言葉を自問自答したという。「動機善なりや、私心なかりしか」。自分の都合ではなく、社会全体の公益を考える。そこに自分の都合(私利私欲)がなく、利他の心で行うこと。その考えのもとは、論語にあったのではないかと思うほど、世の中の成功法則は、長い間不変のものであり、共通しているものであると感じた。

第二部は、「孫子」である。本ブログの冒頭には、孫子の有名な句を引用した。この句は訳すまでもないが、守屋流に訳すと「敵を知り、己を知った上で戦えば、絶対に負けることはない」となる。では、敵を知り、己を知るとは、具体的にどのようにすることだろうか。守屋氏によれば、調査不足、希望的観測、思い込みなどの原因が重なり合って、判断を誤ることが多いと言われる。この句に触れるたび、私は、SWOT分析を思い浮かべる。SWOT分析は、自社の事業の状況等を、強み(Strengths)、弱み(Weaknesses)、機会(Opportunities)、脅威(Threats)の4つの項目で整理して、分析する方法である。これは、自社のみならず、自分自身、そして他社にも使えるものであり、「敵」と「己」を知るのに有効であると感じている。また孫子には、「敵も知らず、己も知らなければ、必ず敗れる」ともある。なにか物事を決断するとき、新規事業を立ち上げるとき、そして他社と競うとき、「敵」と「己」を事前に知っておく必要の大切さを改めて孫子は教えてくれる。

また、「孫子」には、武田信玄が好んで旗印として使用した「風林火山」が登場する。「疾(はや)きこと風の如(ごと)く、その静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し」。この風林火山について、守屋氏は、作戦行動における「静」と「動」の対比にほかならないと説く。つまり、「林」と「山」は「静」、「風」と「火」は「動」ということであろう。「孫子」では、短期決戦を目指せとある。その短期決戦の中においても、「天の時」と「地の利」を得る必要がある。まさに「天の時」という好機が訪れたとき、一気に疾風のように行動し、燃え盛る火のように攻撃をしかける。その「天の時」と「地の利」は、現在のビジネスにおいても、リーダーはしっかり見極めなければならない。かつて、私のリーダーであったかたも多数の前で挨拶をする時、「天の時」「地の利」という言葉を多用していた。なにごとにも「勝つ」には、時機があることを改めて認識させられた。

論語において、孔子は「年長者から安心され、友人からは信頼され、年少者からは懐(なつ)かれる、そんな人間に私はなりたい」と弟子に言っている。この一文に触れ、私は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出してしまった。孔子と宮沢賢治に共通することは、人に対して謙虚であり、尽くすことであり、信頼を得ることであると思う。「雨ニモマケズ」も最後は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と締めくくられている。私も、人生の行き着く先として、孔子のような人間に少しでも近づきたいと思った。

本書の「はじめに」に書かれているが、守屋氏は人生の締めくくりをつける時期にきたと言われる。その長きにわたる中国古典の研究のなかから守屋氏が選んだのは、「論語」と「孫子」であった。つまるところ、この洋氏がセレクトした2冊のエッセンスを学ぶことができることは、読者として、なんと幸せなことであろう。生き方、リーダーシップ、君主たるものの心構え、そして兵法から導き出される戦略。現代は、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムによって開かれるsociety5.0の時代と言われている。しかし、このたび「論語と孫子」を拝読して、AIとかIoT、メタバースといわれる現代社会においても、中国古典は私たちビジネスマンが身につけるべき最高の教科書であり、時代の流れに左右されることのない、不変の教えであると改めて感じた。

2022年10月16日日曜日

エフォートレス思考

 知識はチャンスの扉を開いてくれる。
自分だけのユニークな知識は、永続的なチャンスを与えてくれる。
(引用)エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する、著者:グレッグ・マキューン、訳者:高橋璃子、発行所:株式会社かんき出版、2021年、221

「エフォートレス」とは、直訳すれば「努力を要さない」ことである。マーケティングや経営戦略に精通している人ならば、「エフォートレス」とは、CX(顧客体験価値)を高め、顧客満足度を向上させる要素のひとつとして注目されているキーワードだと思うことだろう。例えば、お客様がパソコン関連の商品を購入した際、その購入者が専門知識を有さずとも、努力を要さず(簡単な手順で)、接続させて利用できることを指す。また、コールセンターの社員は、いかにお客様がエフォートレスに問題を解決するかが求められる。

しかし、このたび発刊された「エッセンシャル思考(かんき出版、2014年)」で有名なグレッグ・マキューンによる「エフォートレス思考(かんき出版、2021年)」は、私たち個人が努力を最小化して、成果を最大化することに焦点をあてる。昨今、「働き方改革」やコロナ禍における「リモートワーク」の推進など、ビジネスシーンでは、いかに労働時間を短縮させ、効率化が求められるように感じる。しかも、今までの質をキープし、いやそれ以上の質向上を求められる成果を意識しながら。この反比例とも言えるテーマは、ビジネスシーンにおいて、永遠のテーマともいうべきものであろう。
では、このグレッグ・マキューンが提唱する「エフォートレス思考」を身につければ、どのように自分自身が変化し、最小の努力で最大の成果が得られるのか。私は、惹きつけられるように「エフォートレス思考」を拝読させていただくことにした。

本書は、まず、PART1「エフォートレスな精神」から始まる。
戦後、我が国が奇跡的な経済成長を遂げたのは、私たちの祖父や父の世代の活躍。つまり、高度経済成長期には、会社への忠誠心が高く、私生活は二の次でガムシャラに働く社員、いわゆる「モーレツ社員」の存在が大きかったのではないだろうか。本書では、「頑張りすぎは失敗のもと」と言い切り、「もっといいやり方を探し、余裕で成果を出す」ことに終始している。

エフォートレスな精神は、「どうしたらもっと簡単になるのだろう?」と考えたり、仕事と遊びを共存させたりすることによって養われる。そして、「感謝」の力によって、ネガティブな感情から力を奪い、ポジティブな環境が広がりやすいとしている。不満を一つみつけたら、感謝を一つ見つけるといった、グレッグ・マキューンが提唱する手法は、とても実践的だ。さらには、彼の日課、すなわち1静かな場所を見つけ、2体の力を抜き、3頭を落ち着かせ、4心を解放し、5感謝の呼吸することは、マインドフルネス的な実践法にもつながる。以前、私が読んだある書籍では、感謝の心を持って瞑想すると、脳波がアルファ波になると書かれていた。我が国では、「平常心(びょうじょうしん)」という言葉がある。アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズが“禅(ZEN)”に魅せられたように、本書を読み勧めていくうちに、エフォートレスな精神とは、まさに「平常心」を養うものだと気づかされた。

PART2は、「エフォートレスな行動」である。ゴールを明確にイメージし、はじめの一歩を身軽に踏み出す。そして、手順を“限界まで減らす”ことを忘れない。そして、この章で参考になるのは、「早く着くために、ゆっくり進む」ということだ。よく知られたことわざに「急がば回れ」がある。このことわざの真意は、「物事は慌てずに着実に進めることが結果としてうまくいく」ということであろう。本書でも1911年イギリスとノルウェーのチームによる南極点到達レースの様子が描かれている。具体的には、天気が良い日は進めるまで進む、天候が悪ければ休むというチームと、天候に左右されず毎日正確に15マイル進むチームの特徴があった。私は、がむしゃらに働けるときは、しっかり働いてしまうため、前者のチームが優勢だと思っていた。しかしながら、毎日着実に、休息を取りながら進んでいったチームが最後には、勝った。これは、自分の仕事の進め方、つまりエフォートレスになっていなかったと、反省せざるを得なかった。この着実なペースを作るには、「下限値と上限値を決めると良い」という、グレッグ・マキューン氏のアドバイスにつながっていた。例えば、毎日読書をするには、「1日5ページ以上(下限値)、1日25ページを超えない(上限値)」といった目標を決めるのは、とても有効であると感じた。

そしてPART3は、「エフォートレスの仕組み化」である。
この仕組み化では、学習化して一生モノの知識を身につけることを勧める。独自の知識を持つものは、信頼され、人もチャンスも集まってくる。まさに、本ブログの冒頭に記したとおりである。この知識を身につけるといったとき、本書に紹介されているテスラ社等の創業者、イーロン・マスク氏の言葉が深い。知識を一種のセマンティック・ツリー(意味の木)として捉える。そして、枝葉や詳細を見る前に、まず幹や枝、つまり土台となる原理を理解することだと。いま、私たちが得ようとしている知識は、木の根幹部分であるのか、それとも枝葉なのか。枝葉ならば、まず、根幹(土台)を理解しなければ、知識となり得ないということであろう。

突然であるが、私は、テニスが好きだ。私が40代に差し掛かったとき、中学校時代から続けてきたソフトテニスを捨て、硬式テニスに完全に移行した。そのとき、私は、恥も外聞もなく、初心者向けのテニススクールに通った。そのとき、コーチからは、硬式テニスの基礎(土台)を嫌なほど叩き込まれた。現在も私はテニススクールに通っており、中級クラスも脱するレベルに達してきたが、当時の土台がなければ、ここまで硬式テニスも上達しなかったであろうと思う。このような実体験からも、私はイーロン・マスク氏の言葉について、妙に納得させられた。さらには、一生モノの知識を身につけるということは、マネジメントの父であるピーター・ドラッカーが言われていた「強みを生かすことにエネルギーを費やす」ことにもつながっていると感じた。

そのほか、仕組み化で大事なことは、「自動化」することである。勝手に回る仕組みをつくるには、「自動化」が大切だ。例えば、慣れた仕事でもチェックリストを作るなど、自身の健康管理や家庭においても、応用できる自動化が本書には書かれている。まさに、ローテクとハイテクとの融合によって、エフォートレスな仕組みは出来上がっていくと感じた。


最終章では、グレッグ・マキューン氏の娘であるイヴさんについて書かれている。彼女は、神経の病に侵され、マキューン氏も相当心配されたことであろう。発病から2年経っているが、まだ完治はされていない。しかし、マキューン氏は、どんな困難に遭遇しようとも、今何かを選択する力が大切であると説く。それがひいては、エフォートレス思考につながるとしている。

仕事において、そして家庭において、困難はつきものである。しかし、どんなに大きな困難に遭遇しようとも、私たちは選択によって、よりシンプルで簡単な道を選ぶことができる。

エフォートレス思考とは、単なる仕事の省力化させるためではない。もっと人間らしく思考し、行動し、成果を上げる。この本来の「人間らしく」成果を上げるために、私はエフォートレス思考について、これからのビジネスシーンにおいて、最大の武器になると思うに至った。

2022年10月8日土曜日

終止符のない人生 反田恭平

 チェーホフ(ロシアの劇作家)はこう言ったそうだ。
「芸術家の役割は問うことであり、答えることではない」
(引用)終止符のない人生、著者:反田恭平、発行所:株式会社幻冬舎、2022年、208

本書は、今をときめくピアニスト、反田恭平氏の自叙伝である。反田氏は、テレビの露出なども多く、クラシック音楽ファン以外にも幅広い支持を得ている。

2021年10月、反田氏は、第18回ショパン国際コンクール第2位を獲得したことも記憶に新しい。既に知名度の高い彼は、なぜ、敢えてショパン国際コンクールに挑戦したのか。なぜなら、コンクールへの挑戦は、入賞を逃すと、ピアニストとしてのダメージを負うかもしれないというリスクを負う。
そんな「反田恭平」という一人の人間としての素顔が知りたくなり、反田氏による「終止符のない人生(株式会社幻冬舎、2022年)」を拝読させていただくことにした。

本書では、冒頭からショパン国際コンクールのシーンから始まる。そこには、ショパンに出会えたという感謝の気持を持って、ステージに立つ反田氏の姿があった。サッカーが好きだった反田少年は、右手首の骨折をきっかけに、サッカー選手になる夢を断念してしまう。そして、まるで人生のシナリオが最初から描かれていたかのように、反田少年は、ピアノ道へと進むことになる。

日本音楽コンクールで1位を獲ってから、反田氏は、モスクワへ留学する。時々断水のあるモスクワ留学のエピソードは、若いからこそ乗り越えられたエピソードで綴られている。我が国のように、モスクワでは水や電気が当たり前に使えることが叶わない。極寒の異国の地においての経験は、反田氏がピアニストとしても、また人間的にも大きく成長していったのだと感じた。

本書での読みどころは、何と言ってもショパン国際コンクールについてであろう。やはり、気になることは、なぜ反田氏がハイリスクを負ってまで、ハイリターンのコンクールに挑戦したかである。

本書の中で、反田氏は、「誰もが生涯を通じて、真剣に対峙するべき大事な試練が10年に一度は訪れると僕は思っている(本書、80)」と記している。ちょうど、コンクールの時期は、反田氏が人間的に次のステージに進むべき時期と合致したということであろう。そして、亡き祖父の「人生でやり残したことがないように」といった言葉にも押され、反田氏は、ショパン国際コンクールという大舞台に果敢に挑む決意した。

面白かったのは、ショパン国際コンクールにおける反田氏の“戦略”である。審査員を飽きさせないようにするための秘策やプログラム構成は、単なる芸術家ではなく、反田氏のビジネス的センスをも感じた。

実は、私が人生で初めてクラシック音楽のCDを購入したのは、スタニスラフ・ブーニンである。1990年前半、私は、当時1万円もするブーニンのコンサートチケットを幸運にも入手でき、初めてクラシック音楽のコンサートに出向いた。そこには、1台のピアノと“弾き手”しか存在していない。しかし、圧倒的なテクニックと表現力、そして時に力強く、時に繊細なまでの音色。ブーニンの奏でるショパンの前奏曲作品28の第15番“雨だれ”では、静かに降り続く雨の音が次第に重くなり、ショパンが作曲時に抱えていた不安な心境を見事に表現していた。ブーニンのコンサート以来、私は、クラシック音楽も趣味の一つに加わった。

本書では、反田氏がショパン国際コンクールの第3次予選を通過した際、そのブーニンが反田氏にエールを送っているシーンが登場する。しかも、ブーニンのエールは、反田氏に20世紀最高のピアニストとも言われる「リヒテルの演奏を思い出した」という最高の賛辞も添えて。

また、反田氏の幼なじみであり、良きライバル的な存在のピアニスト小林愛実氏が本書にしばしば登場する。小林氏は、反田氏と同じショパン国際コンクールに出場し、第4位入賞を果たしている。本書を読むと、反田氏が幼なじみの小林氏をいかに尊敬しているかがわかる。それは、反田氏と違って、「小林さんは耳で聴いた瞬間たちまち譜面を記憶してしまう(本書、202)」という一文からも感じ取れる。そして、本書では、もう一人の天才、反田氏より一つ年上でパリのロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで2位、エリザベート王妃国際音楽コンクールで3位に輝いた務川慧悟氏も登場する。反田氏の凄さは、他人の才能を素直に認めるところにもある。

冒頭に記した一文は、クラシック音楽にも通用する。同じ演目であっても、それぞれの演奏者の曲の解釈によって、聞き手は演奏者の“問い”を知ることになる。

だから、芸術家は、いつもその作曲者に対して、そして聴衆者に対して“問うている”のではないだろうか。この”問い“があるからこそ、クラシック音楽は、同じソナタ、同じコンチェルト、同じシンフォニーでも、私たち聴衆者をいつまでも飽きさせることなく、現代に引き継がれている。私は、芸術の真価がまさに”問い”にあるのだと気づかされた。

本書は、反田恭平という一人の素顔に迫ったものであったと同時に、クラシック音楽への理解がさらに深まるものであった。そして何より、反田氏がショパン国際コンクールに挑んだように、挑戦することへの意欲を駆り立てる一冊であった。

ここにきて、今一度、反田氏の祖父の言葉が思い起こされる。

「人生やり残したことがないように。」

そう。一人ひとりの人生が、本書のタイトルにもなっている「終止符のない人生」だということの重みをも感じさせる一冊であった。

2022年9月7日水曜日

「生き方」 ~稲盛和夫氏を偲んで

 ですから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。
(引用)生き方、著者:稲盛和夫、発行所:株式会社サンマーク出版、2004年、15-16

2022年(令和4年)8月24日、また一人、偉大な経営者が天国へと旅立たれた。「経営の神様」と呼ばれ、京セラ・第二電電(現・KDDI)を創業された稲盛和夫氏である。

30年ほど前、私は大学でマーケティングや経営学を学んだ。当時、経営者(創始者)といえば現パナソニックホールディングスの松下幸之助や本田技研工業の本田宗一郎であった。

私が稲盛氏を知るようになったのは就職してからのことであり、2004年当時、書店の店頭で「生き方(株式会社サンマーク出版)を見つけたからだと思う。すぐに私は、ベストセラーになっていた「生き方」を購入し、貪るように何度も読みふけった記憶がある。

なぜ、私は、稲盛氏の世界に惹き込まれていったのか。
それは、今までの経営書とは、明らかに一線を画すものであったからだ。

では、何が違ったのか。
稲盛流の経営とは、利益を追求することを主眼に置くのではなく、「人間として一番大切なこと」を説いてあったからだ。

つねに前向きで建設的であること。感謝の心を持つこと。善意に満ち、思いやりがあること。努力を惜しまないこと。
学校の道徳の授業を受けているかのような稲盛流の経営学は、「これが上手くいく経営の本質であったか」といったものであった。

その偉大な「経営の神様」の訃報に接し、私は、稲盛和夫氏の「生き方」を改めて拝読させていただくことにした。当時、私は何度も拝読させていただいたので、内容はほとんど頭に入っている。しかし、改めて読ませていただくと、新たな発見が多いことに気付かされた。

稲盛氏と同じく、私は日本の実業家・思想家の中村天風氏の書籍も多く拝読している。その稲盛氏も中村天風氏を尊敬しており、例えば稲盛氏は「有意注意」の大切さを説く。「有意注意」とは、目的を持って真剣に意識や神経を対象に集中させることである。稲盛氏といえば、「一日、一日を『ど真剣』に生きなくてはならない」という言葉があまりにも有名だが、恐らく、その言葉は、中村天風氏の影響を受けていたのではないだろうか。

その中村天風氏も、「有意注意の人生でなければ意味がない」と言われている(本書、75)。このことは、後に稲盛氏が著した「京セラフィロソフィ(サンマーク出版、2014年、218)」にも触れられている。このことから、稲盛氏が「有意注意」について、いかにリーダーとして大切にしてきたかを窺い知ることができる。

それとあわせて、稲盛氏は、自分に起こるすべてのことは、自分の心が作り出しているという根本の原理を大切にされてきた。利他の心、愛の心を持ち、一日一日をど真剣に生きていければ、宇宙の流れに乗って、すばらしい人生を送ることができるとも言われている。そのために、稲盛氏は、「よい思い」をすさまじく思うことの大切さを説く。「生き方」の中では、「ひたむきに、強く一筋に思うこと。(本書43)」というフレーズが登場する。このフレーズからも、稲盛氏が中村天風氏の影響を受けていることが理解できる。

「新しい計画の成就はただ不屈不撓(ふとう)の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に(中村天風)」

中村天風、そしてその遺志を引き継いだかのように稲盛氏は、生涯を通じて、利他の精神を持って、事業家としての生涯を貫き通した。そして、この二人の生き様は、経営の本質、そして人間にとっての哲学を証明してみせた。

その証明の一つとして、日本航空(JAL)の再建がある。2010年1月、日本航空は、2兆3,000億円という事業会社としては戦後最大の負債を抱えた。日本航空を再生させるべく、稲盛氏は日本航空の会長職に就任する。高齢であった稲盛氏がこの大役を引き受けたのは、日本航空が破綻すると日本経済への影響が大きいこと、残された社員が路頭に迷うのを防ぐためだと言われている。そして、ここでも稲盛氏の哲学を日本航空の社員に叩き込み、見事、2012年9月、日本航空は再上場を果たし、復活を遂げた。

なぜ、日本航空は短期間で再上場を果たすことができたのか。それは、京セラ、そして日本航空の経営理念から読み解くことができる。

(京セラの経営理念)
全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する

(日本航空の経営理念)
JALグループは、全社員の物心両面の幸福を追求し、
一、お客さまに最高のサービスを提供します。
一、企業価値を高め、社会の進歩発展に貢献します。

これらは、どの事業所にも共通する経営理念ではないだろうか。まず、その企業で働く従業員の幸福を追求する。そして、社会の進歩発展に寄与する。そこに、企業として一番大切な「利益を追求する」という言葉はない。人間として、正しい行動をしていれば、利益は後からついてくる。まさに、稲盛氏の経営に対する考え方、そして人間としての生き方が、さらには哲学が、この短い経営理念に集約されている。

稲盛氏は、本書の中で、人間としての生き方が死生観についても触れられている。稲盛氏は65歳を迎え、真の信仰を得るべく、得度をして仏門にも入られている。稲盛氏は、死について、「現世での死とはあくまでも、魂の新しい始まり(本書228)」と言われている。
本ブログの冒頭でも『死』についての言葉を引用したが、稲盛氏は、自分の魂を来世につなぐべく、利他の心を持ちながら、「いま」を真剣に生きてこられた。

2004年に刊行された「生き方」は、稲盛氏の遺書であり、今を生きる私たちへのメッセージでもある。今後の人生において、今度は私たちが稲盛氏の哲学を実践し、よりよい社会を築いていなかければならないと感じた。

私の尊敬する稲盛和夫氏のご冥福を、心よりお祈りいたします。

2022年9月3日土曜日

何もない空間が価値を生む

 『道徳経』には、「粘土をこねて器を作る。そこに空洞があるから、器としての役目を果たす」とあります。
(引用)何もない空間が価値を生む AI時代の哲学、語り:オードリー・タン、著:アイリス・チュウ、文藝春秋、2022年、10

私は、新型コロナウイルス対策で一躍有名になった、台湾のIT相であるオードリー・タン関連の書籍について、今までに何冊か拝読させていただいた。しかし、今回刊行されたオードリー・タンの語りによる「何もない空間が価値を生む(文藝春秋、2022年)」は、その中でもベストといえる一冊であった。

それは、オードリー・タンが幼少の頃から培ってきた哲学を知ることができるからだ。オードリー・タンは、5歳のときに読んだ老子の「道徳経」に影響を受けている。通常、生まれてから6歳までとされる人間形成期において、オードリー・タンが老子の書籍を読みふけっていたというのも驚きである。しかし、それ以上にオードリー・タンが「道徳経」から得られた「知識」を持ち続け、現在の自身の仕事に生かしていることは、さらなる驚きであった。

この「知識」については、オードリー・タン氏も本書の中で触れている。「知識は必ず自分の創造の道のりを通して生まれたものである(本書、69)」と。知識は蓄積されるものでもなく、新しい状況に直面したときに「作られる」ものである。この一文に触れたとき、かの松下幸之助氏の言葉を思い出す。

「失敗することを恐れるよりも真剣でないことを恐れたい。」

失敗するということは、その新しい状況に対して挑戦したということだ。その挑戦によって、得られる知識は膨大であり、いつかは自分が創造した成功にたどり着く。

この書籍の良いところは、オードリー・タンの哲学と仕事の実践法がリンクしているところにある。本ブログの冒頭、私は、器の空洞について触れた。オードリー・タンによれば、「道徳経」を著した老子は、この器の空洞は一見無駄に見える。しかし、その一見無駄に思える空間感こそが価値を生み出すのであり、有用なものが生まれる(本書、10)としている。その教えをもとに、オードリー・タンは、20歳の頃、オンライン・コミュニティで一つの空間を作るなどしている。

また、本書で紹介されているオードリー・タンの読書術は、勉強になる。その読書術とは、自分に興味を持ったキーワードを絶えず理解、収集、点検を繰り返す。そして、効率化を図りながらも知識を増やし、それを実践していく。実際、自分も読書をしていて感じるのだが、読書をする際、自分に関心のある「キーワード」や心に残った文章が自分の知識になる。その効率的ともいうべき、オードリー・タンの読書術は、理にかなったものだと感じた。

さらに、本書では、会議の議長のあり方も参考になる。ビジネスの場では、会議の議長を務めることが多い。また、議長を意識して、会議の組み立てを考えることは、会議自体を意義あるものにすることができる。本書では、オードリー・タンがORID(オリッド)討論法を教えてくれる。このORIDは、会議のプロセスの頭文字をとったものだ。このORIDに従って会議を進めれば、参加者のコンセンサスが得られやすいのだろうと感じた。ぜひ、今後、自分の仕事に生かしていきたい。

そして、本書の真骨頂は、第5章「AI時代の哲学」であろう。オードリー・タンが「道徳経」の翻訳として、一番よく引用するアメリカの作家ル・グウィン氏のものを紹介している。
このル・グウィン氏の手にかかれば、老子の「道徳経」は、詩的で叙情的なものになる。読み手は、すっかり「道徳経」の世界に魅せられ、その奥深さ、謙虚さ、自分を律することの大切さ、優しさ、そして女性の強さを感じることができた。まさにトランスジェンダーとして生きるオードリー・タンに影響を与えた「道徳経」は、性別や人種を超えた、AI時代を生きる全てのビジネスマンにも通用する哲学であった。

そのほか、本書では、台湾の聖巌法師による12文字の箴言(しんげん)も紹介されている。物事を進める道理を説いた箴言は、逃げずに、困難を認め、行動したら最後に手放すといった、宇宙の力に任せるような表現で終わっている。確か、中国の「書経」には、天に代わって人間が政治を司るという言葉がある。人間は、全てやりきったあと、宇宙(天)の力に任せるように手放して委ねる。私は、オードリー・タンの哲学を通じ、壮大な宇宙に潜む無限の力、そして人間と宇宙の関係を感じざるを得なかった。

本書は、改めて、天才オードリー・タンの人間性に迫れるとともに、多くの知恵を授かる一冊であった。



2022年8月20日土曜日

ストレス脳

 彼らのライフスタイルの何が、うつから守ってくれているのか。(中略)。その「何か」とは、私は何よりも「運動」と「仲間と一緒に過ごすこと」だと思う。
(引用)ストレス脳、著者:アンデシュ・ハンセン、新潮新書、2022年、213

大ベストセラー「スマホ脳」の著者であり、精神科医のアンデシュ・ハンセンによる最新刊、「ストレス脳」が刊行された。ハンセンによると、私たちの4人に1人が人生において、うつや不安といった精神的な不調を経験しているという。この25%という数字は、我が国にも当てはまり、今もなお、多くのかたが苦しんでいる。

どうして、豊かになった我が国においても、うつなどを抱えるかたがみえるのか。それは、よく指摘される資本主義や競争社会における貧富の格差がもたらしているものなのだろうか。それとも、スマートフォンやタブレット端末の普及に伴う現代病ともいうべき現象なのであろうか。その要因はともかく、それよりもまず、私たちの身近となった精神的不安にどう立ち向かうべきなのか。いろいろなことが頭をよぎり、ハンセン氏による最新刊を拝読させていただくことにした。

ハンセン氏による話は、ヒトの起源に遡る。ヒトが狩猟採集民であった時代から、ヒトは「適者生存」を求めてきた。つまり、野獣に襲われることを防いだり、感染症から見を守ったりするということで、ヒトは強い警戒心を持っていると言える。そして、この警戒心によって、私たちの祖先は、生き延び、今を生きる私たちに生命を繋いだ。ハンセン氏によれば、高度文明社会を迎えた現在においても、ヒトは様々な脅威(ストレスなど)から身を守ろうとして精神的不安に陥ってしまうということだ。それは、脳が今でもまだサバンナにいるとの思い込みから、ストレスを感じると、感染リスクが高まったと解釈してしまうことに起因する。なぜなら、脳が最優先するのは、「健康で幸せ」に生きるためではなく、「生き延びること」が使命だからだ。その弊害によって、現代人も精神的不安にかられるのだと理解できた。

では、精神不安やうつになったとき、また予防するために、私たちはどのように行動すればよいのか。ハンセン氏は、その対処法についても、医学知識が全くない私たちに対して、わかりやすく解説してくれている。
その解は、一言で言えば、冒頭に記したとおり、「運動」することと、「孤独にならない」ことだ。そして、ハンセン氏による指摘で興味深かったのは、“スマホなどの使いすぎ”による警告ではなく、スマホの使用によってヒトとヒトとのコミュニケーションが不足することに対して警告を発している。いま、私たちの職場は、新型コロナウイルスによって、リモートワークが進む。しかし、リモートワークの欠点は、リモートワーク中でしかコミュニケーションが図られないということではなかろうか。フェイス・トゥ・フェイスが当たり前の時代、会議の前後には雑談をしたり、同僚に相談に乗ってもらったりした。しかし、リモートワークは、そうしたコミュニケーションの時間が“ムダ”とも捉えられているかのように排除され、上辺だけの人間関係の上に成り立ったものであるように思える。

以前、ある脳科学者の本を読んでいたとき、「うつ病は、本人がそう思いこんでいるから長引く」みたいな記述があった。確かにハンセン氏の書籍にも同様の記述があり、「診断内容に自分自身を見出し、『私は精神状態の悪い人』と自覚するようになる(本書229)」と指摘している。しかし、ハンセン氏は、そんな患者には必ず、「不安障害やうつは脳が正常に機能している証拠でもある」とフォローすることも忘れていない。こうした精神状態の悪いときに限らず、負のスパイラルに陥る時がある。そのとき、健全であれば、「うつ病は、あなたが思いこんでいるだけだよ」と、言いっぱなしのドクターの話でも納得できるときがあるだろう。しかし、負のスパイラルの最中にドクターからも冷たく言い放たれたとき、聞き手はどう思うのだろう。ハンセン氏によれば、精神状態が不安定なとき、睡眠と休養を優先すること、そしてリラックスして、いろいろな「やらなければならないこと」を最低限に抑えるようにするという指摘を忘れていない。一時期、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」のように、積極的思考を進める書籍が書店を賑わせたことがある。確かに、健全な心身状態であれば、ナポレオン・ヒルなどの書籍に書かれていることを実行すればよいのかもしれない。しかし、時に人はネガティブになるときもある。そのようなときは、精神論ではなく、休むことも必要ではなかろうか。そして、人間は、潜在的な回復できる力を持ち合わせている。そのために、睡眠や休養も必要であると、ハンセン氏に教えていただいた。

資本主義の進展による格差社会の歪は、「幸せでなければ人間ではない」という観念を人々に植え付けてきたように思う。競争社会にもまれ、人々は疲弊し、精神的不安を抱える人が一向に減らない。人々の意見に耳を傾けすぎたり、学校では成績アップだけを目標にしたりして、人生の意義に気づかない人が精神的な病に倒れていくようにも思える。

しかし、いちばん大切なことは、ハンセン氏も指摘するように「長期的に人生に意義を感じていられるかどうか」であると思う。幸福でなければならないという固定観念に縛られず、他人とも比較せず、自分の人生の意義を感じるように努めていくこと。そのほうが、結果的に幸せな人生につながっていくと思われる。

一人ひとりの人生は、他人のものでも、固定観念に縛られるものでもない。自分のペースで自分らしく、自分の人生に意義を感じるように生きる。そうすることで、豊かな時代においても人間らしく過ごしていくファクターであると感じた。

心が健全であれば、人生が充実する。そのための予防法を含めた処方箋が、ハンセン氏によるこの書籍、「ストレス脳」に書かれている。多くの現代人におすすめしたい一冊であった。

2022年8月7日日曜日

付加価値の法則

 本来なら国のリーダーは、「私はこれが正解だと思うからこれを実行する。その代わり、間違えたら責任をとる」と国民に宣言するべきなのです。
(引用)社長がブランディングを知れば、会社が変わる! 付加価値の法則、著者:関野吉記、発行所:株式会社プレジデント社、2021年、59

新型コロナ感染症の最初の患者が中国の武漢で原因不明の肺炎を発症した2019年12月から、早2年半という月日が経過した。未だ終息が見えない新型コロナウイルス感染拡大は、世界を一変させた。新型コロナウイルスの蔓延とともに、50歳を過ぎた私は、自分の新人時代と比較し、働き方やトップの考え方、そして企業のあり方を変えていかないと肌で感じている。つまり、リモートワークを導入する企業が増加しているが、社内のコミュニケーションが不足する中、これからの働き方とはどのようなものか。また、新たな環境下において、どのようにイノベーションを起こし、企業を創造していくのか。その解を模索すべく、株式会社イマジナの代表取締役社長であり、最近では地方自治体や伝統工芸にまで活躍の場を広げるブランドコンサルティングの第一人者、関野吉記氏の「付加価値の法則(株式会社プレジデント社、2021年)を拝読させていただくことにした。

著者の関野氏は、コロナ禍における世界の変容に対して、「ブランディング」という切り口で新たな時代の企業戦略を提案する。大学時代、私はマーケティングを学んできたが、「ブランディング」とは、言うまでもなく、その企業の商品やサービス、そして企業自体に対する消費者のイメージを高め、他社と差別化を図る戦略のことである。トヨタは、従来のブランドから脱して、新たに高級・革新的なレクサスブランドを立ち上げた。では、なぜ、いま「ブランディング」なのだろうか。

一気に読み終えた感想として、本書は、社長向けに書かれた書籍であるが、企業や自治体の管理職が読んでも大いに役に立つ内容だと感じた。そして、この書籍は、単なるブランド戦略のものではないと気付かされる。なぜかというと、ブランドには社内に向けた「インナーブランディング」と、社外に向けて行う「アウターブランディング」がある。インナーブランディングといえば、本書でも稲盛和夫氏のエピソードなどが登場するが、稲盛流に言えばフィロソフィー(哲学)、つまり企業の「ビジョン」「ミッション」「バリュー」を構築し、社内に浸透させることが重要であると感じた。と同時に、全員が創業の原点に立ち返ったうえで、時代と社会に沿っていることが大切であると関野氏は指摘していたことは、同感であった。

時代に即したというのは、コロナ禍において、従来のように、会議室に集まり、「声の大きい」社員の意見が通る時代は、終焉を迎えつつある。かつて私は、小学校の授業参観に訪れた際、ある先生から次のようなことを伺った。「今までは、手を挙げる子の意見で授業が進んでいました。しかし、一人1台のタブレット端末が導入されたことにより、瞬時にクラス全員の児童の意見が端末上に出てきます。これにより、手を挙げられなかった子たちの意見も把握することができて、より子どもたちの理解力を知ることができるようになりました」。リモートワークも学校と同様であり、ただ「声の大きい」社員ではなく、「自ら価値を生まない」社員は、要らなくなる。

冒頭、リーダーのあるべき姿を引用した。失敗を恐れ、支持率が下がることばかり考えていれば、政権はもたない。コミュニケーションが取りづらく、大きな転換期を迎えた現代においては、トップの内外に向けた説明責任が重要になってくるのではないだろうか。そのためには、「ブランディング」を用い、「付加価値」作りを目指しながら、企業や自治体を進化させていく。本書の後半には、具体的なビジョンマップの作成手順も紹介されている。私は、本書にも登場する大前研一氏が指摘するように、「自分が社長であれば、この先どのように事業展開するか」といったことを踏まえながらビジョンを構築していきたいと思う。関野氏の書籍を拝読し、これからの時代は、「ブランディング」、そして「付加価値」づくりを意識した経営が求められるのだということを理解した。そして私は、日々の仕事でおざなりになりがちなブランディングについて、企業や自治体の“未来への投資”だと意識することから実践していこうと感じた。

2022年7月23日土曜日

国防/感染症/災害 リスク大国 日本

 日ごろからの防災・減災の取り組みが必要となる。加えて知災・備災も含めた「4つの災」(防災・減災・知災・備災)が、生命を守るうえでは必要となってくるだろう。

(引用)国防 感染症 災害 リスク大国日本、著者:濱口和久、発行所:株式会社グッドブックス、2022年、36

2022年の梅雨は、全国的に早く明けたが、その後の“戻り梅雨”は、全国で大気が非常に不安定になり、各地で浸水被害が多発している。この時期(7月上旬)の雨は、地球温暖化の影響からか、昨年の熱海市伊豆山土石流災害のとおり、各地で甚大な被害をもたらすようになってきた。
また、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、我が国においても対岸の火事ではなくなってきた。
さらに新型コロナウイルスについては、新規感染者が全国で5ヵ月ぶりに10万人を超すなど(2022.7.16)、第7波ともいうべき状況になっている。

これらの脅威をどのように理解し、私たちは行動すべきか。私たちの身に迫りくる3つの大きな危機(国防、感染症、災害)をどのように乗り越えていくべきなのか。そう考えていたときに、書店で拓殖大学大学院教授の濱口和久氏による「国防 感染症 災害 リスク大国日本(グッドブックス、2022年)」というタイトルの書籍に出会った。

私も仕事で防災に携わっている一人であるが、濱口氏による書籍の「はじめに」から感銘を受けた。「戦後、日本国内では戦争による日本人の犠牲者は1人も出していないが、自然災害による犠牲者は5万人を超えている(本書、2)」。

なるほど。

冒頭から説得力のある言葉であり、書籍では我が国のおかれた災害リスクとともに暮らしていかなければならないということが実感できる。
特に、戊辰戦争の敗北だけで徳川幕府が終焉したわけではなく、幕末期に日本を襲った地震や風水害、感染症の流行などのくだり(本書、26)は参考になる。我が国の歴史においても、国家を脅かす危機が一度に襲い、幕府の財政が逼迫してしまったことは、私たちも過去の歴史から学ぶべきことであろう。事実、本書では、平成30年に土木学会が公表した「首都直下地震や南海トラフ巨大地震が起きた後の長期的な経済被害の推計」の数字を紹介している。その経済被害は、最悪の場合1410兆円にものぼるという衝撃的な数字であった。

本書では、災害対策の分野に限っても、我が国のおかれた現状、災害の歴史から学ぶ行動原理、ハザードマップは万全か、消防団や自衛隊、そして政府・自治体の危機管理の現状など、多岐にわたる角度から学ぶことができる。この内容は、とてもベーシックなものであり、国民であれば最低限知っていなければならない内容であろう。

また、書籍は、自治体防災担当者にも役に立つものである。例えば、本書には、「日本の避難所環境は世界最低レベル」という項目が登場する。国では、平成25年8月に「避難所における良好な生活環境の確保に向けた取組指針」を公表している。しかし、近年の災害による避難所の実態は、どうであろうか。相変わらず、学校の体育館や公民館が圧倒的に多い。また、昨今の新型コロナウイルス感染拡大により、避難所における3密を避けなければならない(自治体によっては、新型コロナウイルス陽性者専用の避難所を設けているところもある)。この避難所の項目では、イタリアの事例とともに、国際基準の「スフィア基準」が紹介されている。この基準では、1人あたりの居住スペースは3.5平方メートル以上、天井の高さは2メートル以上などが示されている。

国家や自治体は、防災対策に予算を費やすことが少ない。しかし、これだけの災害大国日本において、避難所は、国による指針のみならず、ベッドやトイレを充実させたものにしていくべきではないだろうか。特に近年、災害が甚大化し、避難生活も中・長期化する傾向にある。たしかに、中・長期的には仮設住宅を建設すれば済む話かもしれないが、それよりも頻度の高い、短期の災害にも備えた、真の良好な避難所のあり方を国や自治体は真剣に考えていくべき時期が来たのだと感じた。

また、本書では、サブタイトルにあるように、自然災害のほか、国防、感染症についても話が及ぶ。特に国防については、中国の国防動員法の危うさが勉強になった。果たして、我が国は、国防を強化する近隣諸国に対して、守ることができるのだろうかと不安になった。

本書では、1854年の安政南海地震のとき、今の和歌山県で村の高台に住む濱口梧陵(はまぐちごりょう)は、海の遠方に見える津波の来襲に気づく。そして、村人たちに危険を知らせるため、自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明(たいまつ)で火を付けた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。この実話は、「稲むらの火」として有名である。本書の著者である濱口和久氏は、最終章においても濱口梧陵について触れており、その功績をたたえている。

濱口梧陵は、「稲村の火」にまつわるエピソードのみならず、ヤマサ醤油7代目当主ということもあってか、私財をなげうって堤防建設を行ったり、村の存亡をかけた救済策(人口流出対策、緊急雇用対策など)をしたりしている。そして、オールハザード型(自然現象や感染症、自己、紛争などすべてを含む概念)防災の先駆者として活躍された。

本書では、濱口梧陵が著した「支那経営論」についても紹介されている、平常時には、得意の地理学を活かし、あらゆるリスクに備え、そして先見性のある分析をして、その後の日本の行く末を分析していた。

いま、国や各自治体を始め、自主防災組織などの地域においても、濱口梧陵のような共助の精神を持ち、あらゆるリスクを予見し、我が国の進むべき道を示し、行動し続けた、オールハザード型のリーダーが求められていると感じた。

冒頭では、防災の4つの「災」。つまり、著者の濱口氏による防災・減災・知災(災害を知る)・備災(災害に備える)の言葉を引用した。この4つの「災」は、リスク大国日本に住む私たちに必要な「災」である。私たちヒトは、自然の脅威や感染症の発生を抑えることができない。しかし、これらのリスクに日頃から知って備えることで、リスクを減らすことができる。本書を読み終え、このリスクを減らすことは、私たち日本人の使命なのかもしれないということに、思い至った。






2022年7月10日日曜日

ディストピア禍の新・幸福論

 心はないー。心はすべて、幻想である。

(引用)ディストピア禍の新・幸福論、著者:前野隆司、発行所:株式会社プレジデント社、2022年、48

まず、本のタイトルに惹かれた。

「ディストピア禍」。そうか、今の時代は、ディストピアなんだということに、改めて気付かされた。ディストピアは、ユートピアの反対語であり、暗黒世界という意味がある。資本主義による格差拡大、新型コロナウイルス感染拡大、紛争、そして失敗が許されない(セーフティネットが用意されていない)社会の構築は、まさにディストピアともいうべきであろうか。「幸福論」といえば、私は真っ先にアランの「幸福論」を思い浮かべる。一見、不運に思えることも積極的に考えるといったアランの世界とは異なり、慶應義塾大学SDM教授の前野隆司氏が描くディストピア禍の新幸福論とは、どのような世界なのであろうか。早速、拝読させていただくことにした。

本書は、一気に読み終えることができる。そして、読んだ感想としては、「50歳を過ぎた私にとって、知りたかったことが書かれていた」ということだ。

まず、本書では、人間が避けて通れない「死」についても多くのページを割いて紹介されている。著者による深い死生観から得られるものは、死の不安を「生」のエネルギーへと反転させる手がかりを探るためである。そして、冒頭に記した著者の「心は全て幻想」ということから、過去も未来も全て「幻想」というこが理解できる。そのため、著者は言われる。「いまを幸せに生きると決めれば、幸せに生きることができる」と。その一言が、死を意識して今を生きる私たちに最適な言葉だと感じた。

著者、幸福学を提唱し、個人と人類の幸せを追求していると言う。その著者が発見した幸せの4因子は、実に興味深い。具体的に4因子とは、

第1因子「やってみよう!」自己実現と成長の因子、

第2因子「ありがとう!」つながりと感謝の因子、

第3因子「ありのままに!」独立と自分らしさの因子、

第4因子「なんとかなる!」前向きと楽観の因子

である。

人と自分を比べない、自己決定できる、楽観的である、なにかを成し遂げるなど、この4つの因子に全てが詰まっている。

幸福かどうかは、往々にして私たちを取り巻く人間関係で決まる。興味深かったのは、著者と著者の息子のエピソードである。これは、人間関係において必要となる手法、つまり相手を信じて「対話」するときに役立つ「アコモデーション」が紹介されている。ゲームばかりしている著者の息子に対して、著者は息子に対して「健康には悪いと思うが、それも自分の責任だ」と話し、息子に伝えていた。そして、息子の価値観を認めながら信頼関係を築き、人間関係を構築していく。このエピソードは、スティーブン・コヴィーによる名著「7つの習慣」でも似たようなことが論じられており、説得性のあるエピソードであった。

イギリスのシューマッハ・カレッジには、「Deep time walk」というワークがあるという。それは、地球が生まれてから46億年の歴史を4.6キロメートに例えて歩く活動だという。そうすると、私たちが100年生きたとしても、たった0.1ミリに過ぎないという。

壮大な宇宙の歴史の中で、私たち人間がそれぞれ一瞬しか存在しない。その儚き時間の中で、私たちは、いがみ合うのではなく、個人や世界が協調し、幸せを追求すべきではないだろうか。

本書の最終章には、Ikigai(生きがい)ペン図なるものが登場する。この円の中心に存在する「Ikigai」を全ての地球人が広げる活動をすれば、まさに世界で勃発する紛争などのリスクもなく、幸せな世界が築けることだろう。

奇しくも、このブログを書いているとき、安倍晋三元首相が選挙の応援演説中に銃弾で命を奪われたという報道に接した。安倍氏は生前、2007年に長崎市長が暴力団組員に拳銃で撃たれてなくなった際、「これは民主主義に対する挑戦であり、断じて許すわけにはいかない」と語った。まさに、我が国においても、本書で言う「すべての人を愛すること」はできていない。この本では、最後に最も述べたいこととして、「世界人類を愛そう」ということである。その前野氏の理想郷は、いつになったら到達できるのだろうか。

今を生きる私たちにとって、生きがいとはなにか。そして幸福とはなにか。ディストピア禍とも言える現代において、私たちがどのように幸福を追求して生きるべきかを教えてくれる一冊であった。今後は、この教えてに従い、私たちが生きがいを持って、真の幸福を掴む実践をしていかなければならないと感じた。

2022年6月16日木曜日

賢者の目は頭の中にあり

 『自助論』は「賢者の目は頭の中にあり」と言います。

(引用) ビジネスの名著を読む「リーダーシップ編」、著者:高野研一、編者:日本経済新聞社、発行:株式会社日経BP,日本経済新聞出版、発売:日経BPマーケティング、2022年、92

働き方改革、Z世代の採用、非正規雇用の増加…。私は、働き始めて30年が経過しようとしているが、その間、職場環境が激変したと思う。それに加え、新型コロナウイルスの感染症拡大による影響により、テレワーク、郊外への移住などにより、社会環境も激変した。

そのような不透明な時代だからこそ、新たなリーダーシップを謳った書籍が店頭に並んでいる。しかしながら、いつの時代においても、リーダーシップの考え方の根底にあるものは、古来より、不変ではないだろうか。その根底にあるものは何か。それが知りたくて、本屋に出向いたら、一冊の本に出会った。その書籍は、「ビジネスの名著を読む リーダーシップ編(株式会社日経BP、日本経済新聞出版、2022年)である。この本を数ページめくってみると、単なるビジネスの名著を紹介しただけではなさそうだ。本の「まえがき」には、「本書の中では、こうしたカリスマ経営者ならではのモノの見方や、そのカリスマ性が発揮された経営判断の場面を題材として取り上げ、エクササイズに仕立てています」とある。これは面白いと思い、早速、拝読させていただくことにした。

まず、目次を見ると、本書には、20冊のビジネス書が紹介されている。その中身は、デール・カーネギーの「人を動かす」や、サミュエル・スマイルズの「自助論」、スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」や稲盛和夫の「アメーバ経営」、松下幸之助の「道をひらく」に至るまで、贅沢とも言える名著がずらりと並ぶ。そういえば、私の大好きなトム・ピーターズも登場する。かつて、私は、この20冊のうち9冊を読んだことがある。

本書に登場するデール・カーネギー著の「人を動かす」は、PwC Japan 執行役常務の森下幸典氏が紹介している。本書では、「人を動かす3原則」から始まり、デール・カーネギーによる人を動かすための極意が森下氏の視点を踏まえて紹介されている。そしてケーススタディとして、「もし、上司が誤った発言をしたら」との質問が用意されていた。皆さんなら、この質問にどう回答されるのだろう。この回答は、「人を動かす」を何度も読んで見えたかたなら、すんなりとできるようになっている。このように本書では、ずらりと並ぶ名著の理解を深めるためにケーススタディが用意されているのみならず、20冊の名著を紹介する一流の経営者らがどのように読み、どのように理解し、どのように感じたのかといったことが理解できる。名著を紹介するカリスマ経営者の視点は、自分と異なっていたところもあり、さらに名著の奥深さを知ることになる。

冒頭の引用文は、英国の作家、サミュエル・スマイルズが著した「自助論」からである。「自助論」といえば、「天は自ら助くる者を助く」という序文があまりにも有名である。この序文の印象があまりにも強く、精神論的な意味合いが強い書籍だと思いがちである。しかしながら、本書で「自助論」を紹介しているベイン・アンド・カンパニー・ジャパンの日本法人会長である奥野慎太郎氏は、「自助論」をビジネスへの活用事例を組み合わせ、分かりやすく解説してくれる。その中で、私が印象に残った言葉は、冒頭に引用した言葉だ。奥野氏によれば、「賢者の目は頭の中にあり」とは、「思慮の浅い人間には何も見えなくても、聡明な洞察力を持つ人、独力で活路を開こうと努力を続ける人は、目の前の事物に深く立ち入り、その奥に横たわる真理にまで達し、好機を手にできる(本書、92)」と言われます。

私は、困難に出会ったとき、諦めるのではなく、しっかりと現実を見て、受け入れ、その出来事が起こった真理まで達したとき、解決策が見つかるといったことを過去に経験したことがある。奥野氏によって、自分の経験とスマイルズとの言葉を重ねたとき、私は「自助論」の理解がさらに深まったことを認識した。

不安定でありながら、世の中のスピードが加速していく現代社会。しかし、私も改めて読み直したが、過去の名著には、不変とも言うべきリーダーシップの原則が根底にある。いつの時代においても変わらない一流の教えは、現代を生きる私にも有益なものであった。私は、これからの時代を生き抜く、新しいリーダーたちにこそ、本書をおすすめしたいと思った。

2022年5月21日土曜日

だから僕たちは、組織を変えていける

 すべてのものにはクラック(ヒビ)があり、そこから光が差し込む。
There is a crack in everything and that's how the light gets in.
(引用)だから僕たちは、組織を変えていける、著者:斉藤徹、発行:株式会社クロスメディア・パブリッシング、2021年

長年、自分が働いて思っていることは、「チーム」の重要性である。特に、自分が管理職になるにつれ、「チーム」としての成果が求められるようになってきた。

なぜなら、私は、「チーム」の中に大谷翔平選手のようなスター選手がいても、他の球団に移籍(人事異動)してしまったことを経験している。その際、残されたメンバーで、今までどおりの水準を維持し、さらなる向上を目指していくために、何が必要だろうと考えたことがあるからだ。

私が考える良い「チーム」とは、
部下たちが自由闊達な意見を言ってくれること、
「チーム」内でメンバーが協力しあい、成果をあげていけること、
その「チーム」を率いていくリーダーは、トップダウン型ではなく、サーバントリーダーシップ型であることだと感じていた。

では、今までの経験から、良い「チーム」の条件は、これで良いのだろうか。また、より良い「チーム」を築き上げていくために、何が足りないのだろうと思い、斉藤徹氏による「だから僕たちは、組織を変えていける」を拝読させていただくことにした。

本を読み終えた感想としては、
著者の斎藤氏は、自分と嗜好が似ているなということ、
また斎藤氏は、とても親切な人だなということである。

まず、自分と嗜好が似ているということは、指揮者を置かないオルフェス管弦楽団からはじまり、サイモン・シネックの「WHYから始めよ!」、ガンジー、「7つの習慣」のスティーブン・コヴィー、さらには野中郁次郎のSECI(セキ)モデルに至るまで、幅広いビジネス書を読み、クラシック音楽に親しんでいることがわかる。これは、今までの自分の嗜好と合っていた。そして、斎藤氏はこれらの豊富な知見を、組織論のエビデンスとして用い、読者にわかりやすく解説してくれていた。
また、著者の斎藤氏が親切であるというのは、本書の巻末にQRコードが掲載されており、本書の章ごとのサマリーやイラスト・図などがダウンロードできることである。本書を振り返り、もう一度読み直すとき、サマリーなどは役に立った。

本書では、グーグルが発見した5つのチーム成功因子が紹介されている。その中で、「心理的安全性」というキーワードが登場した。この「心理的安全性」というタイトルの書籍も数多く存在している。良いチームを築き上げるには、メンバーが「心理的安全性」の上に置かれた状態にいることが重要であると再認識した。
そして本書には、このメンバーの「心理的安全性」の確保を前提として、リーダーはどうあるべきか、組織のモチベーションをどのようにあげていくのか、更には組織をどのように良い方向に持っていくべきなのかが書かれている。

そのためには、人と支えあいたいという関係性、自分自身の行動は自分で選択したいという自律性、そして最適な課題に挑戦し、達成感を味わいたいという有能感。これら3つの心理的欲求を同時に満たしていくことがメンバーの「意味のある人生」につながることを意識しなければならない。
そして、自分は1990年代にギャラップ社が実施した組織の生産性を測る「12の質問(本書245)」がとても役に立った。私は、自身の組織構築のため、この12の質問をメンバーの気持ちになり、そして投げかけ、組織を変えていきたいと感じた。

本ブログの冒頭の言葉は、カナダのシンガソングライター・レナード・コーエンの名曲「Anthem」の一節である。その言葉を新型コロナ対策で一躍有名になった台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンは大切にしていて、本書でも最初と締め括りに紹介されている。

もし、自分がなにかの正義に焦り、怒っているのなら、それを建設的なエネルギーに変えてみる。こんなおかしいことが、二度と起きないためにできることはなんだろうと自問自答を続ける。そうすれば、新しい未来の原型をつくる道にとどまることができる。自分たちが見つけたクラックに他の人達が参加し、そこから光が差し込む。


一見、理不尽と思える出来事にも意味がある。その出来事に、意味を置き換え、前向きに、そして建設的に取り組んで行けば未来が開ける。閉塞感に愚痴をこぼすのではなく、自分たちが組織を変えていき、社会を変えていく。本書を読み、私は、オードリ・タンが大切にしている言葉を噛み締めながら、組織を、そして社会を変えていこうと思うに至った。


本書は、自分が自身の仕事を通じて感じていた良いチームの考えについて、エビデンスを持って説明してくれた。今までの自分のメンバーに対する態度を振り返り、組織を見直す良い機会にもなった。


2022年4月30日土曜日

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

 オガールプロジェクトの斬新さは、「稼ぐインフラ」という異名をとるほどのファイナンスの構造にある。
(引用)町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト、著者:猪谷千香、発行所:株式会社幻冬舎、2016年、106

皆さんが町長なら、10年間も塩漬けにされ、一銭も生み出していない町有地をどのように活用していくだろうか。岩手県盛岡駅から電車に揺られること20分ほどで紫波中央駅に着く。まだ、自動改札機が導入されていない駅をくぐり抜け、目の前の信号を渡ると、眼前に「オガール」が広がる。

「オガール」とは、紫波(しわ)の言葉で「成長する」を意味する「おがる」と、紫波中央駅前(紫波の未来を創造する出発駅とする決意)とフランス語で駅を意味する「Gare」(ガール)を合わせた造語だ。私がオガールを知ったのは、10年ほど前になるだろうか。既にオガールの存在は、全国のまちづくり関係者に知られる存在であった。なぜ、オガールは、まちづくりの成功事例として注目されるのだろうか。当時、私は、オガールプロジェクトのキーパーソン、岡崎氏の講演を拝聴したことがある。講演の内容を聞いて、衝撃を受けたことは、「行政からの補助金に頼らない施設運営」であった。その衝撃から10年ほど経ったが、未だ、オガールは全国から注目されている。今一度、何故オガールが注目されているのか。改めて、猪谷氏による「町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト(幻冬舎)」を拝読させていただくことにした。

本書を読んで、まず気づかされるのは、「公民連携」である。行政は、公平性・公正性の立場から民間との連携に後ろ向きであった経緯がある。しかし、現在はPPP、つまり行政(Public)が行う各種行政サービスを、行政と民間( Private )が連携( Partnership )し、民間の持つ多種多様なノウハウ・技術を活用することにより、行政サービスの向上、財政資金の効率的使用や行政の業務効率化等を図ろうとする考え方や概念が主流となっている。

その公民連携の先駆けとして、当時の藤原町長をはじめ、オガールのキーパーソンである岡崎氏は、他の自治体に先んじて、いち早く行政と民間との連携に目をつけた。そして、紫波町の職員とともに、岡崎氏は東洋大学大学院経済学研究科に通うことになった。その東洋大学で、岡崎氏は、「恩師」と呼ぶ人物と出会うことになる。客員教授の清水義次(よしつぐ)氏である。そして、紫波町にオガールが誕生するに至ることになる。

以前、私は、清水氏にもお会いしたことがある。お会いしたのは、東京の千代田区にある3331 Arts Chiyoda。ホームページによると、この施設は、旧千代田区立練成中学校を改修して誕生したアートセンターである。2010年の開館以来、現代アートに限らず、建築やデザイン、身体表現から地域の歴史・文化まで、多彩な表現を発信する場として、展覧会やトークイベント、ワークショップなどを定期的に開催している。また、地域住民や近隣の子どもたちとのアートプロジェクトの実践や地域行事への参加なども当館の重要な活動のひとつとなっている。実際、3331 Arts Chiyodaを訪れてみると、中学校の手洗い場などを残しつつ、懐かしさと新しさが同居するような、新たな空間が誕生していた。その清水氏から、私は「リノベーション」という言葉を教わった。「リノベーション」とは、既存の建物に対して新たな機能や価値を付け加える改装工事を意味し、単なる「改築」とは異なる。清水氏は、リノベーションにこだわったまちづくりを進め、当時から行政の補助金に頼らない運営をしてきた。

当時、紫波町におけるオガールプロジェクトは、議会を始め、公民連携手法で町の広大な空き地を活用していくという理解が得られなかったという。しかし、潮目が変わったのは岩手県フットボールセンターの誘致ではなかろうか。当初、岩手県サッカー協会からは、盛岡市、遠野市などが手を挙げており、紫波町は5番目であった。しかし、岡崎氏と当時の藤原氏の戦略により、最終的に紫波町に誘致することができた。その誘致は、人を呼び込むことによって賑わいをもたらし、「エリア価値」を高めることにつながる。そう、清水氏や岡崎氏らは、「エリア価値を高める」ことを最重要視する。

冒頭、オガールが「稼ぐインフラ」と異名をとると紹介した。「稼ぐインフラ」とは、これまでの補助金ありきだった公共事業をファイナンス主導に切り替え、公共インフラに「稼ぐ機能」を付加して、公共サービスの充実を図るという新しい考え方だ。

本書では、ファイナンスのスキームについても一部紹介されているが、私が感心したのは、絶対家賃の考え方であった。絶対家賃とは、どんなに立派な建物を造っても、借り手側はこれだけしか払わないという基準だ。紫波町の絶対家賃は、市場調査により、共益費込みで坪単価6,000円であった。そこで岡崎氏らは、坪単価6,000円の家賃で10年以内に配当金を出せる投資額を見つけること。そして6,000円以内の家賃ではじき出される建設単価が税込で1坪38万円。つまり、38万円以内で建物を造ることを目指したという。よく公共の事例では、そこまで計算できていないケースが多々見受けられる。例えば、オガール紫波の隣の県、青森市の青森駅東口前に立地する複合施設「アウガ」の経営破綻は、私達の記憶に新しいところだ。公民連携とは、単なる民間資金を活用することではない。私は、民間マインドを取り入れ、民間スキームや資金を活用し、新たな公共的サービス価値を生み出すものだと再認識させられた。

以前、オガール紫波にも携わった日本の社会起業家、まちづくり専門家の木下斎氏に言われたことがある。その言葉とは、「補助金は麻薬」であるということだ。つまり、行政からの補助金頼みでは、まち全体が“甘え”に走り、上手くいかない。財政難で多くの自治体が苦しむ中、あまりにも先駆的な取り組みであったオガールプロジェクトは、まちづくりをする上で、他の自治体にも認知されはじめ、ようやく一つのスタンダードに成り得た。

実際、紫波中央駅の北上・一ノ関方面のホームに佇んでみると、八角形屋根の形をした駅舎のシンボル越しにオガールが見える。まさに、オガールの名の由来のとおり、ここから紫波の未来を創造し、出発するのだという決意を感じることができる。いつかまた、訪れてみたいと思った。

2022年4月9日土曜日

この国の危機管理 失敗の本質

 防災対策とは、人々の命や財産、地域を守る対策のことだ。議論の余地もないくらい自明のことだが、国や自治体の防災対策の実態を見ると、この自明のことがなされているとはとても言えない。
(引用)この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ、著者:柳田邦男、発行2022年3月、毎日新聞出版、309-310

不安定な国際情勢、新型コロナウイルスによる感染拡大、多発する自然災害・・・。我が国を取り巻く環境は、常に「危機」に晒されている。この危機に対して、私たちは、日頃から備えをすることができるのだろうか。その答えは、かつての寺田寅彦氏が指摘したとおり、私たちの祖先が経験してきた「過去の危機」から学ぶことができているかである。では、敗戦や東日本大震災における福島の原発事故など、我が国の危機管理は、過去の経験からどの程度、活かされてきたのだろうか。
このようなことを思っていたとき、私は一冊の本に出会った。災害や事故、戦争や生死、言葉と心の危機などの問題について積極的に発言している作家、柳田邦男氏による「この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ(毎日新聞出版)」である。手にとって見ると400ページを超える厚さの本であるが、一読の価値がありそうなので、拝読させていただくことにした。

本書は、序章から惹き込まれていく。そのタイトルは「欠陥遺伝子の源流-ミッドウェー海戦、虚構の戦略」である。私の尊敬する野中郁次郎氏らによる「失敗の本質 日本軍の組織論的研究(ダイヤモンド社、1984年)」なども紹介されているが、日米戦史研究をビジネスに活用していくことは、とても興味深い。序章では、ミッドウェー海戦における5つのシーンから、山本司令官を始めとした日本軍の”失敗の本質”に迫る。柳田氏によれば、ミッドウェー海戦における日本側の作戦失敗の要因として、情報戦の問題と慢心の問題を掲げる。特に、山本長官が自分たちの都合の良い想定をし、内なる慢心に勝てなかったところは興味深かった。大にして、危機管理の備えをするとき、私たちは、「自分たちは助かる」といった勝手な思いから、中途半端なものになっていないだろうか。このミッドウェー海戦の事例からも、危機管理の要諦をしっかりと学ぶことができる。

本書にて、柳田氏は、5つの危機管理の原理を掲げている。第一の原理は、「平常時において最悪の事態をリアルな形で想定し、その事態を乗りきる具体的な対策に全力をあげて取り組む」ことだ。この5つの原理は、危機管理をしていく上で、とても参考になる。第一の原理の中で、私は、この「最悪の事態」という表現を用いていることに着目した。先程のミッドウェー海戦における楽観論では、どうしても自分の都合の良いように解釈をしてしまう。東日本大震災では、「想定外」という言葉が使われた。しかし、東日本大震災は、本当に「想定外」であり、あの惨烈な福島の原発事故は避けられなかったのだろうか。

このことについて柳田氏は、様々な公的な議事録などから検証を試みている。そして、財政的理由や、(被害を矮小化して)国民を安心させることなどが優先され、東京電力福島第一原発に対して、日頃から万全な対策を講じてこなかったことが浮き彫りになる。つまり、科学者や学識有識者らが予見した甚大なる東日本大震災の被害想定が見事に消され、ご都合主義の防災対策になってしまったといっても過言ではなかろう。その結果、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う福島県外への避難者数は、2012年年5月時点で、16万4865人にまで上り詰め、多くの福島県民の方々が長期間、故郷を離れざるを得なくなった。

一方、本書では、様々な過去の危機事例とともに、m-SHEL(エム シエル)モデルなどの危機管理分析手法も紹介している。私も初めてm-SHELモデルを知ったのだが、このモデル分析方法では、わかりやすく、使いやすく、事故の構造的な問題点を浮かび上がらせるのに有効であると感じた。具体的に、本書では福島第一原発の発電所対策本部である吉田所長の判断と行動などについて、m-SHELモデルを用いて分析を試みている。そこから浮かび上がることは、福島原発事故が「組織事故」であるということだ。詳細は本書に譲るが、分析結果から、個人のヒューマンエラーというだけでは片付けられない事案であるということが理解できた。

冒頭、本書で印象に残った言葉を記した。この言葉は、今もなお、過去の災害からの反省が活かされていないことを意味する。そして、本書では、災害直後の危機管理のみならず、「災害関連死」についても多くのページを割いている。ややもすれば、災害関連死対策は、各自治体において希薄になっているのではないだろか。それは、各自治体の防災担当者は、震災発災時の対策に忙殺され、震災後の心のケア対策まで至らないことが考えられる。しかし、柳田氏が指摘するとおり、せっかく震災で助かった命が、その後のケアの悪さで亡くなっていく。私は、あまり防災対策として着目されにくい災害関連死対策について、これからの自治体の防災対策として、力を入れていくべきテーマであると感じた。

最後に、本書では、安倍元首相や菅前首相のなど、リーダーの言葉について触れている。私は、柳田氏が提唱した危機管理の5つの原理に加え、リーダーの“コトバ“を第6の原理としても良いのではと感じた。
それは、まさに今、世界に目を向けると、自国の民を救おうと、必死に声を上げ、国民を勇気づける若きリーダーが奮闘している。そして、そのリーダーは、自身の危険を顧みず、諸外国に向け、自国の現状を切実に訴えかけている。今もなお、終息の見えない危機に立ち向かい、ある時は防弾チョッキを着用しながら惨状と化した現場に出向き、またある時は世界に向けSNSで発信し続けるリーダーの姿に、国民は励まされ、世界中の多くの人たちが感銘を受けていることだろう。危機が発生した際、リーダーがどのように立ち振る舞い、周囲の人達と難局を乗り越えていくことができるのか。本書に書かれている、危機に立ち向かう真の政治家、真のリーダーのあるべき姿は、まさにこの若きリーダーのことを言うのだと思うに至った。勇敢に「危機」に立ち向かっていくために、本書では、危機管理の原理、そしてリーダーとしてのあるべき姿を学ぶことができた。

2022年3月19日土曜日

信念の奇跡

 あなた方の心の中の考え方や思い方が、あなた方を現在あるがごときあなた方にしてるんですぜ。
(引用) 信念の奇跡、述者:中村天風、発行所:日本経営合理化協会出版局、2021年、346


京セラ創業者の稲盛和夫氏やメジャーリーガーの大谷翔平氏らが心酔する中村天風。このたび、中村天風の講演録をまとめた「信念の奇跡(発行所:日本経営合理化協会出版局、2021年)」が刊行された。定価本体が一冊9.800円(税別)もする「信念の奇跡」は、本当に一読の価値があるのだろうか。それとも、巷(ちまた)にあふれる中村天風の書籍と同様のレベルだろうか。高価な本だけに、投資すべきかどうか迷う一冊である。しかし、読んでみなければ始まらない。そんなことを思いながら、「信念の奇跡」を拝読させていただくことにした。

「信念の奇跡」は、大きく3篇から成る。

第1篇は「何ものをも恐れず」

第2篇は「天命と宿命」

第3篇は「宿願達成」

である。


第1篇は、人間の一生の一大事、死生観から始まる。

私は、中村天風の書籍を数多く読破してきた自負がある。しかし、天風が死生観について語っている書籍は、希少であるように思う。一方、この「信念の奇跡」では、天風の死生観について、多く語られている。死は、誰にでも訪れる。そして、死は、生きている人間にとって恐怖でもある。しかしながら、天風が語る死生観は、今を生きる大切さを教えてくれる。そして、死への恐怖を拭い去ってくれる。


第2篇は、「天命と宿命」である。

この篇では、主として、天風が天風式坐禅法(安定打坐法:あんじょうだざほう)を教えてくれる。ブザーの音を用いた坐禅法は、とても分かりやすく実用的である。私もネットで調べてみたのだが、安定打坐法のYoutubeやアプリなどは、いとも簡単に利用できる。これらのツールを用いれば、天風式の坐禅を実践することができる。では、なぜブザーを用いた坐禅法が有効なのか、そして心をフッと霊的境地にもっていくべきなのか。なぜ、私たちの心のなかに煩悩や雑念妄念(ざつねんもうねん)があってはいけないのか。天風は、そんなことを分かりやすく解説し、宇宙にもつながる壮大な話の中に、安定打坐法から悟りを開く実践法を紹介してくれている。

第3篇は、「宿願達成」である。

天風は、宿願達成について、「ああなりたい」、「こうなりたい」と考えるだけでは駄目だと言われる。よく、宿願達成については、顕在意識と潜在意識との関係性が語られる。つまり顕在している意識で「ああなりたい」、「こうなりたい」と思っているだけで、宿願達成は成りえない。天風は、心の中に常にイメージすることや自己暗示の重要性を話される。そして、本ブログの冒頭に記した、絶えず心のなかでイメージする考え方や思いの結果が、今の自分であるということを思い知らされる。


「信念の奇跡」は、大きく3篇、11の章から構成されている。この一冊は、どの部分においても、人が生きていく上で大切な箇所ばかりである。

信念を強くし、いかなるときも感謝と歓喜の日々をおくること。そうした日々の積み重ねが、自分の運命を好転させ、創りあげていくということ。端的にいえば、私は天風の考え方をこのようなことだと理解した。

本書は、天風会の会員しか聞けなかった珠玉の講話集である。この講話集を読めば、巷にあふれる天風本では得られない、天風先生の真髄に触れることができる。その結果、読破して感じたことは、本書に10,000円を投資する価値はあるとの結論に至ったことだ。

巻末には、付録として「日常の心得」も掲載されている。人間は、順風にいっているときは、積極的思考になる。ただ、なにか病やら悲運なるものが訪れた際、私たちは「もうダメだ」と思ってしまうのではないだろうか。しかし、天風は、その病やら悲運なるものが訪れた際にどう対処すべきかを分かりやすく教えてくれる。

この「信念の奇跡」は、私たちの一生の宝になる。これからは、天風先生が言われるように、どんなことが起きようとも、恬淡明朗(てんたんめいろう)に溌剌颯爽(はつらつさっそう)と生きよう。この「信念の奇跡」は、これからの人生に希望と勇気を与えてくれる一冊であった。


2022年3月6日日曜日

「大学」に学ぶ人間学

 大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り。
民(たみ)に親(した)しむに在り。
至善(しぜん)に止(とど)まるに在り。
(引用)「大学」に学ぶ人間学、著者:田口佳史、発行所:致知出版社、2021年、16

私は、東洋思想研究家である田口佳史氏による前作、「『書経』講義録(致知出版社、2021年)」を拝読し、すっかり中国古典の世界に魅せられてしまった。特に、「書経」の世界では、現代でも十分通用するリーダ-シップ論や組織論、さらには政治の要諦が記されていた。また、中国の古典では、天の道義あるいは道理という宇宙観にも迫っており、スピリチュアル的というか、”宇宙の法則“を学ぶことができる。このたびの田口氏によって著された「『大学』に学ぶ人間学」にも登場するが、「書経」には、私も座右の銘としている「天工(てんこう)は人其(そ)れ之に代(かわ)る」との一文がある。この意味は、「本来、政治は天が行うべきなのだが、人間が天の代理として政治を司るポジションに就いている」と書かれている。まさに、リーダーとは、宇宙の法則に則って、天より選ばれた人たちなのであると感じることができる。そして、儒家の思想では、壮大な宇宙の摂理に従い、私たち人間は地球をより良いものにしていくという使命感を感ずることができる。ビジネスで成功に関する書籍は、書店に山積しているが、私たち日本人が学ぶのは、モチベーションアップを主目的とした西洋的なリーダーシップではなく、儒学にしたほうがしっくりくる。

さて、「大学」とは、孔子より46歳年下の曾子が著したとされ「論語」「中庸」「孟子」とともに「四書」として位置づけられている。そして「大学」は、江戸時代の小学校一年生の一学期の一時間目から学んだとされている。このように、昔から「大学」は、「初学徳に入る門」と言われてきた。つまり、儒学の入門書的位置づけが「大学」である。このたび、私も田口佳史氏による「『大学』に学ぶ人間学」を拝読させていただいたが、江戸時代の小学生がいきなり「大学」を学んでいたことに驚かされた。儒学の入門書といえども内容の濃い「大学」について、江戸時代の子どもたちは、どのように理解を深めていったのだろうか。私は、当時の「大学」を学ぶ意義とあわせ、どのように学校で教えていったのか、興味を抱いた。

四書は、巻頭の一文に重きを置いていると言われる。本ブログの冒頭、「大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在(あ)り」から始まる「大学」の巻頭部分を記した。この引用文は、三鋼領(さんこうりょう)と呼ばれ、人間が生きる上で最も大切にしなくてはならないものである。江戸時代の子どもたちは、この三鋼領、そしてその次に登場する八条目を徹底的に頭に叩き込まれていったと推察される。田口氏によれば、「徳」とは、宇宙の大原則に即して生きていくことであり、そのために言葉や立ち振舞として表現することが徳だと言われる。そして、自己の最善を他者に尽くし切ることが徳であると言われる。

江戸時代の寺小屋は異学年で構成されており、年上の子たちが年下の子たちを教えてきた。現在においても、例えば4人が1組となり「チーム学習」を取り入れる自治体もある。普段の授業の中で”チーム”を編成し、チーム内の”分かる子“が”分からない子“を教える。これにより、”分かる子“は、徳を明らかにし、自分の最善を出し切って”分からない子“に教える。”分からない子“は、友達から教えてもらうことにより、感謝の念を抱く。人と人との繋がりの中で、子どもたちは学び合い、自己肯定感が生まれ、社会が安定していく。江戸時代は一般的に「太平」とされ、治世期間がかなり長いことが特徴である。その長きに渡り、社会を維持・安定させたのは、小学校1年生のときに「大学」を学び、人々が儒学を実践していったからではないだろうかと思うに至った。現代の社会に忘れていた”人間としての心“の教育が、「大学」を通じて培われていたのではないだろうか。

田口氏による前作の「書経」といい、このたびの「大学」といい、名言の宝庫であり、読み進めるたびに新たな発見がある。「大学」では、「心誠(こころまこと)に之を求むれば」という一節が紹介されている。これは、「誠心誠意ほど強いものはない」ということを言っているのだが、田口氏による解説がなければ、それで終わってしまう一文である。しかし、田口氏は、本書の中で、官公庁のミドルクラスの職員の人事異動の例をあげ、責任ある地位のまま、新たな部署に配属されたリーダーには、誠心誠意で対応することの心構えを説いている。このように、古典からいただいた“知識”は、今を生きる多くのビジネスマンのワークスタイルに当てはめることにより、“知恵”へと変わっていく。

「大学」は、人間学のみならず、組織を繁栄に導くためのリーダー像、社会に秩序をもたらす政治的な思想、そして大宇宙の摂理に至るまで、人間の天命とは何かを明らかにしながら、私たちは地球上で(もしくは人間として)何を為すべきかを教えてくれる。孔子の「遺書」ともされた「大学」の貴重な教えは、江戸時代の小学校の必須科目であったとおり、コロナや海外情勢が不安定な今を生きる私たちにとっても必須科目になるのだと感じた。

「学び直し」という意味で、リカレント教育という言葉がある。かつて我が国の子どもたちが学んできた「大学」を学び直すことは、江戸時代のような安定した社会基盤を構築するのにつながる。つまり混沌とする現代社会において、「大学」を学び直すことは、とても意義があることだと感じた。まず個人が“徳”を明らかにし、社会を安定させ、国民全体に幸福をもたらす世界を創造していく。そのために必要な一冊が「大学」ではないかと思うに至った。



2022年2月20日日曜日

人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか

 最後に、私が国民の皆様にお伝えしたいのは、将来世代は、私たちが何を為すのかを見つめている、ということです。この将来世代とは、今はまだこの世に生を受けていない日本人も含めてです。
(引用)人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか、著者:山崎史郎、発行:日経BP 日本経済新聞出版本部、2021年、505

本の帯には、次の言葉が書かれている。
「本書はフィクションである、だが語られるのは、すべて現実だ。」
このたび、小説スタイルの新しい解説書が誕生した。その本のタイトルは、「人口戦略法案 人口減少を止める方策はあるのか(日本経済新聞出版)」である。人口減少問題は、我が国における最大の課題である。

日本の人口は、このままいけば、2110年には約5300万人になると推計され、今から約100年前と同水準の人口になる。
なぜ、人口減少が問題なのか。ただ、約100年前に戻るだけではないのか。

本書によると、今から約100年前の1915年頃の日本は、高齢化率5%の若々しい国であった。これに対して予想されている将来の日本は、高齢化率が40%に近い年老いた国になるという。では、高齢化率が高まるとどのような課題があるのか。これは、一般論として、高齢化率が高まると、経済成長や社会保障制度に大きな問題が発生することが容易に想定される。本書では、急速に人口減少が進む我が国の未来について、日本商工会議所の三村明夫会頭が政府の委員会において行われた議論の一部を紹介している。三村氏の主張する人口減少に伴う経済への悪影響については、私も納得させられる部分が多かった。「人口減少は、100年前の日本に戻るだけ」という楽観論は、いとも簡単に私の頭から吹っ飛んでいった。

本書では、多角的に人口減少問題に迫る。かつて、これほど人口減少問題を纏めた書籍があっただろうか。この「人口戦略法案」さえ読破すれば、我が国における人口減少問題のすべてを把握できると言っても過言ではない。具体的には、出生率低下の構造・要因の分析から不妊治療、若者たちのライフプランや結婚支援の現状と問題提起、若者の東京一極集中による課題の多い「移民政策」に至るまで、我が国の少子高齢化の現状と要因分析が本書一冊ですべて理解できる。我が国でなぜ少子化が進展しているのか。出生率低下の構造・要因分析は、国際比較を含めた豊富なデータに裏付けされている。そして、本書に登場する人口戦略検討本部事務局の百瀬亮太次長を始め、野口淳一参事官など、国の役人とともに我が国の人口戦略を練り、どうしたら我が国の出生率を向上させていかといった議論に、私たち読者は惹き込まれていく。まさに、小説スタイルの新しい解説書により、政策立案のプロセスに対する理解が深まっていく。

そのような中、百瀬らは、恒久的財源のある分配政策、「子ども保険」構想に辿り着く。私が勉強になったのは、各国の産休・育休制度のスタンスの違いである。スウェーデンでは、1974年に「両親保険」を導入した。この保険は、すべての親を対象に出産·子育てを支援するという『家族政策』の視点、さらに、父親にも育休取得を認める『男女平等政策』の視点も加えて、新たな制度として再構築したものだ。ここで、重要なのは、スウェーデンが社会保険方式、日本は広義で言えば社会保険方式だが、狭義で言えば労働政策の視点から実施されている「労働保険」であることだ。我が国では、労働保険であるが故に対象者が限定されてしまう。一方、スウェーデンでは、 就業の有無や形態を問わず、すべての親を育休制度の対象としていることだ。我が国においても非正規雇用が増加する中で、スウェーデンをはじめフランス、ドイツのように、少子化を克服してきた国が証明するように、すべての親を育休制度の対象とすることの意義は大きいと感じた。

また、男女協働という観点から、父親の育児参加を推進させる仕組み、さらに保育制度との連携·分担をしていることは興味深い。保育制度との連携分担とは、子どもが1歳までは育休で対応し、保育は原則として1歳児以降を対象とする。我が国では、「0歳児保育」による課題も指摘されている。例えば保育所であれば、0歳児の場合、保育士が配置されるべき人数は概ね子ども3人につき保育士1人以上と定められている。そして1歳児と2歳児の場合は子ども概ね6人につき保育士1人以上、3歳児は概ね20人につき1人以上、4歳と5歳児は概ね30人につき1人以上を配置しなければならないとされている。待機児童の課題とともに、保育士不足を解消させるため、保育は原則として1歳児以降を対象とする意義は大きいと感じた。このような先進的な諸外国の事例を踏まえ、本書の中で、百瀬らは「子ども保険」構想の精度を高めていく。

本書では、小説スタイルの解説書というスタンスを取りながらも、真剣に「子ども保険」の是非について議論している。介護保険制度があるように、子ども保険制度は、現実的に我が国の人口減少問題の解決策に成りうるのではないかと感じた。本ブログの冒頭には、本書に登場する佐野内閣総理大臣の言葉を引用した。このまま、人口減少が続き、我が国の未来に希望が持てなくなった若者たちは、年上の世代への不満の矛先として高齢者に向かう。だからこそ、今、真剣に人口減少問題に取り組まなければならないとする佐野内閣総理大臣の言葉は、胸に響いた。

本書では、戦略立案に有効な「世代アプローチ」が紹介されており、指標としてコーホート合計特殊出生率を用いている。このアプローチでは、人口減少を解決する時間的猶予がないことを思い知らされる。国をはじめ、各自治体は、すでに千葉県流山市や福井県のような「仕事と子育ての両立支援」の成功事例も出始めている。特に、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でテレワーク化が進む中、地方都市への関心が高まっている。人口減少問題は東京圏のみの課題ではなく、地方創生の流れとも相まって、地方都市は人減少問題に向けた施策を本格的に進めていく必要があると感じた。

我が国の人口減少を食い止めるために残された時間は少ない。これはフィクションではないが、著者の山崎史郎氏は、2022年(令和4年)4月1日付で内閣官房参与(社会保障・人口問題)に任命された。いよいよ、本書の内容がフィクションからノンフィクションに変わる時がきた。ここで、我が国の人口減少を食い止めることができるかどうか。今一度、人口減少問題を最重要課題として掲げ、我が国は、国や自治体、そして国民が一体となって取り組んでいかなければならない。そのことを痛感させられる一冊であった。

2022年2月5日土曜日

落合陽一34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長

 「介護の世界で何がしたいのか?」
そう聞かれたとき、僕は必ず「介護を自動化するのではなく、介護を”補助“するためのテクノロジーを研究したいと思っている」と答えてきました。
(引用)落合陽一 34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長、発行所:中央法規出版株式会社、2021年、186-187

まず、本のタイトルに惹かれた。自分が34歳の時、「老い」と向き合った時間があったのだろうか。まだ、自分の子どもが小さく、夫婦共働きで、子育てと仕事に奔走していた。そんな34歳の落合陽一氏が「老い」と向きあった書籍を刊行した。我が国は、少子化が進展し、超高齢社会を迎えている。このような社会環境では、「老い」が身近になりつつある。その若き天才が「老い」について、どのように向き合うのか。また、なぜいま「老い」なのか。そして「老い」に対して、テクノロジーはどのように関わってくるのか。そのことに興味を抱き、拝読させていただくことにした。

まず、冒頭の養老孟司氏との対談が面白い。
この対談の印象として、テニスで言えば、落合氏は若さゆえにアグレッシブに攻め、養老氏はベテラン選手のように落ち着いて、的確にロブを返しているような問答であった。
その中で、不可避的な「老い」が迫る中、どのように時間を過ごしていくのか。養老氏は、「やっていることや周囲に対し切実な関心がないと、時間が無駄に過ぎていってしまいますよね(本文、54)」と言われる。
「切実な関心」という言葉に、私はハッとさせられた。いま、私たちの周りに存在する出来事や人々について、切実な関心を持って生きることは、人生の豊かさにつながっていく。いま、自分はどれだけ切実な関心を持って暮らしているのだろうか。私は、養老氏の一言から、地球上にいられる有限的な時間を無駄に使わないようにしようと思った。この対談では、「老い」に留まらず、「死生観」にまで迫る。いかに「第二人称の死」を「第三人称の死」に置き換えるか。養老氏の発する一言に重みを感じ、私も納得させられる内容であった。

高齢化が進み、生産年齢人口が減少していくのに伴い、介護現場においてもテクノロジーとの共存が求められてくる。落合氏は、「デジタルネイチャー」という言葉を用いる。「デジタルネイチャー」とは、コンピューターとそうでないものが親和することで再構築される、新たな「自然環境」のことだ(本書、9)。
デジタルネイチャーを考えていくうえで、何が重要であろうか。本書では、落合氏が関わっている様々な介護のための補助道具などが紹介されている。本ブログの冒頭では、落合氏が介護現場においてテクノロジーを導入する際の考え方を紹介した。
つまり、落合氏が、「介護を自動化するのではなく、介護を”補助“するためのテクノロジーを研究したいと思っている」ということ。この一文から、落合氏が実際に介護現場で働かれるかたに寄り添った開発を心掛けてみえるのだと感じた。

本書では、「介護が成長分野である」ことを主張する落合氏の意見に、我が国の将来に希望が持てる。我が国は高齢化社会を迎え、介護に対するニーズもより一層高まる。しかし、3K(きつい、汚い、危険)のイメージがつきやすい介護については、これから就職を目指す若者にとって、魅力ある職業分野でなければならない。
折しも2022年2月1日、NHK番組「クローズアップ現代+ AI搭載ロボが介護?デジタル介護最前線!」が放映された。番組の中では、AI搭載の介護支援ロボが夜間の見回りで活用したり、施設内のアルコール消毒をしたりしていた。また、各入所者のベッドのマットレス下にはセンサーが設置してあり、介護ステーション内のパソコンモニターでは入所者の睡眠状態が一目でわかる仕組みになっていた。さらには、各入所者の天井には「見守りセンサー」が設置してあり、利用者が転倒や転落などを検知すると、前後1分だけ自動録画すると同時に、介護する人に介助が必要なことを知らせていた。

その番組の中で印象的であったのは、介護する人のインタビューの中に「テクノロジーによって、私たちの業務が効率化され、時間に余裕が生まれた。その分、入所者に寄り添う時間が割ける」といった旨の発言があった。NHKの番組では、介護者が夜勤中、見守りセンサーに反応した入所者のところに出向くシーンが放映された。そして、介護者は、真夜中であるというのに、一緒に車いすで寄り添いながら施設内を”散歩”するシーンが放映されていた。それが本来の”人間しかなし得ない“介護者の姿”だと感じた。このことからも、テクノロジーは介護職が本来の業務を遂行するための補助すべきものであり、介護職は本来の業務である”人間らしく”介助者に寄り添うことが重要なのだと理解した。

そのほか、本書では、英語で分身や化身を意味するアバターのロボット。つまり、パソコンなどを操作し、離れた場所で作業や会話ができるロボットであるOrihimeについて触れられている。私は、アバターロボットを上手く活用することにより、介助者が「行きたくても行けない場所」の空間を共有できるなど、テクノロジーの無限性を知ることとなった。

一般的に、2030年の日本の社会におけるキーワードは、多様性(ダイバーシティー)といわれる。 多様性社会とは、人種・性別・年齢などに一切関係なく、すべての人々が自分の能力を活かし、生き生きと働けることが実現していることを指す。落合氏は、「多様性がある」から「多様性を受け入れる」という包摂的(インクルージョン)な社会の構築を目指す。

高齢化社会を迎え、生産年齢人口が減少する中、人種や性別、年齢にとらわれない多様な人間が集い、誰もが自然に豊かに暮らせる理想の社会を構築していくこと。そのためには、私たちの暮らしにテクノロジーを溶け込ませ、快適に、いつまでも人間らしく、豊かに生きていくことが求められる。落合氏の提唱されるデジタルネイチャーという考え方は、介護の分野のみならず、Society5.0の時代の根幹となる部分ではないだろうかと感じた。
本書を拝読し、誰にも等しく訪れる「老い」と向き合うことは、「人間」と「テクノロジー」が上手に関係性を築くことの重要性を再認識させられた。
超高齢化社会を迎え、ネガティブに捉えられがちな我が国の将来に、本書は一筋の光をもたらすものであった。

2022年1月22日土曜日

幸福なる人生

天風会説くところの心身統一法という教義のねらいは、万物の霊長としての本当に尊い生命を生かすのに必要な資格条件たる体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力という6つの力を現実につくりあげることだ。
(引用)幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録、著者:中村天風、発行所:株式会社PHP研究所、2011年、62-63

先日、中村天風真理瞑想録「力の結晶(発行所:PHP研究所、2020年)」を拝読した。前ブロクにも記したが、私は、天風といえば「誦句(しょうく)」で勇気づけられたこともある。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。・・・」
あまりにも有名なこの誦句は、あらゆる天風にまつわる書籍で紹介されている。しかし、なぜ天風の思想は人々を惹きつけるのか。また、なぜ積極的思考が必要なのか。誦句だけでは、その天風の真髄まで触れることができなかったが、「力の結晶」を拝読すると、天風会の会員しか許されなかったであろう、その誦句の意味する深い理解を得ることができた。

このたび、私は、大変感銘を受けた「力の結晶」と同シリーズの「幸福なる人生」を拝読させていただいた。こちらも中村天風の講演テープを書籍化したものである。
あの大谷翔平や稲盛和夫らが心酔する中村天風。どうすれば、幸福なる人生が送れるのか。人間としての永遠のテーマについて、中村天風は、どのような解をもたらしてくれるのか。とてもワクワクしながら拝読させていただくことにした。

まず天風によると、幸福なる人生を送るためには、冒頭に記した体力から始まる6つの力を豊富にすることが必要だと説く。この6つの力のところで感じたことは、新型コロナウイルスが猛威を振るう現代においても十分通用するということだ。本文中、天風は、「悪い風邪が流行って、ワクチンがないなんていうふうに生きてやせんか」と聴衆に語りかけている。まさにワクチンを奪い合い、有効な治療薬も存在しない。まるで、現在のコロナに怯える私達を見据えたかのような場面である。そして、天風先生は、"悪い風邪”に対しても、体力に自信があれば「びくともしない」と言われる。天風自身も大病を患い、克服した経験から、講演内容にも説得力が増す。まさに天風は、「新型コロナに怯えるな」と、私たちに語りかけてくれているようだ。

また、私は、ヨガのクンバハカ密法についても興味深く読ませていただいた。天風自身がインドで1年7ヶ月もかかって悟った密法だ。このクンバハカについては、天風関連の書籍で多く紹介されている。しかし、天風の講演を書き起こした本書では、クンバハカの目的、方法を分かりやすく説明してくれる。そして、クンバハカを実践することにより、肉体も精神も驚くべき強さを増してくる。ぜひ、天風直伝のクンバハカは、実生活に取り入れたいヨガの秘法であった。

本書を読んで、一番参考になったのは、第7章「正しい食事の基準」であった。私は、人間ドックを受けるたび、尿酸の数値が少し高いことが悩みの種である。かつて、医師にも勧められた方法で尿酸値の改善を試みたこともあったが、なかなか功を奏しない。これは、親からの遺伝なのかと諦めたこともあった。しかし、第7章の部分では、尿酸値を抑えることに多くのページが割かれている。「贅沢病」とも言える痛風にもならないため、尿酸値を抑える秘訣の部分は、多くの現代人にとって必読の箇所であると感じた。今後の食事バランスの考え方ついても、大変参考になるものであった。

この本の帯には、「人間は、この世に煩悶しに来たり、病を患いに来たりしたのではない。この世に生まれたのは、進化向上という偉大な使命を全うするためだ。心を積極化して、幸福を嘆美する人間になれ!」と書かれている。

私は、「力の結晶」そして本書、「幸福なる人生」を拝読して、この帯に書かれている意味が理解できるようになった。天風哲学、イコール積極的思考と捉えられがちだが、違う。ときに天風哲学は、壮大な宇宙根源にも迫る。宇宙のなかにおける人間の存在。そう考えると、自分の悩みすらちっぽけなものに思えてしまう。そして、人間は、宇宙の進化向上に寄与し、そのためには積極的思考をし、幸福なる人生を送ることが大切だということに集約されていく。

本書は、一部のかたしか知り得なかった天風の貴重な講演会記録であり、人生の指針と成りうるものであった。「力の結晶」、そして「幸福なる人生」を刊行したPHP研究所に感謝申し上げたい。

2022年1月8日土曜日

力の結晶

 常に何事にも歓喜し、何事にも感謝してごらん。宇宙の造物主の心がそのままあなた方の心になったことになっているのと同様になるんだ。
(引用) 力の結晶 中村天風心理瞑想録、著者:中村天風、発行所:株式会社PHP研究所、2020年、171

あの大谷翔平や稲盛和夫らが心酔する中村天風。
天風が亡くなってから50年以上経つのに、なぜこれほどまでに支持されているのだろうか。かつて私は、天風の「誦句(しょうく)」で勇気づけられたこともある。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。・・・」
この誦句は、あらゆる天風の書籍で紹介されている。

しかしなぜ天風の思想は人々を惹きつけるのか。また、なぜ積極的思考が必要なのか。誦句だけでは、その天風の真髄まで触れることができなかった。
このたび、中村天風真理瞑想録となる「力の結晶」が刊行された(以下、「本書」という)。多くの著名人を魅了して止まない天風の真髄に触れるべく、本書を拝読させていただくことにした。

この書籍は、中村天風の講演テープを書籍化したものである。今まで、「幸福なる人生(講習会編)」、「心を磨く(研修科編)」に続く第三弾として発刊された。本書は、過去2冊の講演とは異なり、まさに「積極的思考」を焦点にあてたものといえるだろう。講演テープを書籍化したとのことで、今まで一部のかたしか触れることができなかった貴重な資料とも言える。本書では、講演テープをそのまま書き起こしているため、あたかも天風先生の講演を聞いているような感覚を覚える。書籍を読み進めていくうちに、私はすっかり天風ワールドに惹き込まれていった。

積極的思考といえば、古くはフロイトやジョセフ・マーフィーによる潜在意識やナポレオン・ヒルによる「思考は現実化する(きこ書房、1999年)」などが有名である。私もこれらの書籍に触れたことがあるが、なぜ潜在意識が人生を一変させる力を持つのかが理解できなかった。しかし、天風は、心と宇宙との関係、宇宙と同化することの大切さを説く。そして、心の態度、心一つの置きどころというものが、人生をつくるという真理について、天風のユーモアや皮肉を交えた江戸っ子らしいべらんめえ口調で、分かりやすく解説してくれる。西洋の潜在意識の書籍も貴重であるが、私は、同じ日本人として、天風先生の教えが腑に落ちることが多かった。

また、天風は、言葉の力を大切にする。これは、実在意識から潜在意識に感化させるために必要である。言葉に生活を左右させる力があるということを教えてくれる。本書を読み進めていくと、私たちの生命が宇宙霊と結びついていることが理解できる。そこで天風は、宇宙霊の心である「真・美・善」を教えてくれる。美とか善とかは、漢字のイメージから意味を理解しやすいが、これらの漢字には、表層的な理解に留まらない意味があると天風先生は言われる。本書では12もの誦句が紹介されているが、私は、この「真・美・善」ということも意識して生活していこうと思うに至った(この真・美・善の考え方が含まれた誦句も本書で紹介されている)。

積極的、勇気、感謝、信念。本書では、人生どんなに困難に陥ろうとも、その心は断固として積極的に把持(はじ)しなければならないという人間に与えられた宇宙真理が紹介されている。本書では、11日間にわたる天風先生の講演を書き起こしたものである。そのライブ感をそのままに、読者は、深遠なる人生哲学を学ぶことができる。

誦句では、まず天風が読み上げ、そして聴衆者が一同についていく様子も伺える。まず、誦句を読み上げた天風が「さあ、これを一緒についておいで」と聴衆に誦句を唱えることを促すシーンも書き起こされている。天風先生についていけば、人生が一変する。そのことを確信させる一冊となった。

令和4年がスタートした最初の一冊として、本書を読んだ。まだ、新型コロナウイルスの完全なる終息がみえない。いや終息どころか、第6波とも言われるオミクロン株が猛威を振るいはじめてきた。しかし、私は心の持ちよう、そして日々の仕事に熱誠(ねっせい)を持って赴くことが何より大切だと考えるに至った。

私も中村天風に惹かれた一人となった。