2021年12月18日土曜日

戦略質問

 「戦略コンサルティングに3カ月もかけているが、そのうちの8割は、お客様の経営者にお会いして40分で浮かんでいた。」
(引用)戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく、著者:金巻龍一、発行所:東洋経済新報社、2021年、1

私たちは、戦略を練るとき、コンサルの力を借りることも多いのではないだろうか。しかし、本来ならコンサルの力を借りず、自分たちの手で戦略を練っていきたいものだ。どのようにしたら、戦略やビジネスモデルを発想するためのスタートにおいて「ひらめき」を得ることができるのだろうか。また、コンサルは、どのようにして戦略を顧客に提案していくのだろう。そんなことを思い描いていたら、一冊の本に出会った。その書籍は、「戦略質問 短時間だからこそ優れた打ち手がひらめく」である。著者の金巻氏は、アクセンチュア、PwCコンサルティング、IBM戦略コンサルティンググループなど、20年超にわたり、戦略コンサルティングに従事されてきた。とても興味が湧いたので、拝読させていただくことにした。

本書では、巻末にも纏められているが10のセントラルクエスチョンが登場する。書籍のタイトルにもなっている「質問」、つまりコンサルから顧客への問いかけが戦略を練り上げることにつながっていく。冒頭、戦略などには、「ひらめき」を得ることが大切だと書いた。本書には、金巻氏が「あなたの会社のあるべき姿はなんですか?」とポピュラーな質問をするのではなく、「(経営トップである)あなたの個人的な野心はなんでしょうか?」と言う問いかけをすることがあるという(本書、30)。私は、この「野心(アンビション)」と言う単語が気に入った。本書では、金巻氏自身の経験により、PwCコンサルティングが突如、IBMから買収を受けたときのエピソードを紹介している。その際、私は、日本のPwCコンサルティング代表だった倉重英樹氏が「この統合の野心を語ろう」と言われたことに感銘を受けた。その結果、IBM対PwCが「IBM+PwC」対「競合」という図式になったのかなと金巻氏は語っている。この「野心」という単語には、敵対すると思われる相手に対しても、ともに共通の思いを駆り立てるということに有効であると感じた。

冒頭に紹介したのは、金巻氏が事業会社の経営者からコンサルティング会社の代表に転身されたかたがふと口にされた言葉であるという。金巻氏も、かなりの衝撃を受け、心のどこかに同じような感覚を覚えたと言われる。

そこから本書はスタートしているのだが、本当にコンサルがそのように思っていたとしたら、クライアントからすれば高いフィーをコンサルに支払い、時間も無駄にしていることになる。このたび、金巻氏が本書では、惜しげもなく、コンサルの質問について披露してくれている。それぞれ、10のセントラルクエッションは、なぜこの質問をするのかと言った背景まで説明してくれている。本書で紹介されている質問にそって解を見つけていけば、戦略のコアにたどり着く。自社が競争優位に立つべきには、どのような発想、ひらめきが必要なのだろうかという戦略のコアに向かって。

さらに本書では、ビジョンと戦略は結びつかなければならないのか、また経営戦略と経営計画の違いなど、ベーシックな部分にも触れられている。また、当然ながら、それを実現させるためのミッシングパーツ(不足する機能や能力)を洗い出す質問も忘れていない。

本書の最後では、金巻氏が尊敬するという経営者から教えていただいた静止画と動画の話が登場する。これは、会社の野心とその道筋をシンプルに語る上で有効だと感じた。

金巻氏によれば、誰にでも「戦略策定の機会がある」と言われる。
本書は、立案された戦略が、本当に戦略になっているのか、また「選択と集中」が行われているかを問うことができる。そして、何かと膨張しやすい戦略は、少人数、短期決戦で戦略を立案するときに集中して討議していくことが重要だと理解した。

時に「戦略」という言葉が独り歩きし、なんのために「戦略」を立てているのか、また有効に機能しているのか分からなくなるときもある。しかしながら、ここに紹介された「戦略質問」によって、読者は、優れた打ち手がひらめき、真の戦略を手に入れることができると実感した。

今後、私も実際の仕事において、戦略質問を活用していきたいと思うに至った。


2021年12月4日土曜日

いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている

 行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。       大平正芳 

(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253

本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。

このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。

本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。

本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。

ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。

では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。

本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。

本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。

冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。

本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。

私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。

本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。

危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。


2021年11月23日火曜日

公民連携 まちづくりの実践

 自治体が失敗を許容できるかというマインドセットの転換が求められている。重要なのは、このマインドセットの転換を自治体職員のメンタリティの問題に帰着させるのではなく、失敗を許容できるシステムをつくることである。
(引用) 公民連携まちづくりの実践 公共資産の活用とスマートシティ、著者:越直美、発行所:株式会社学芸出版社、2021年、156-157

このたび、2012年から2020年まで大津市長を務められた越直美氏が本を出版された。越直美氏といえば、大津のいじめ問題が真っ先に思い浮かぶ。その後、いじめ再発防止として、2013年度から市立小中学校にいじめ対策担当教員を配置したり、いじめまたはその疑いを発見した場合には、24時間以内に「いじめ事案報告書」を24時間以内に教育委委員会に提出したりすることとした(本書、175)ことは記憶に新しい。そんな越氏は、市長最後となる記者会見において、「自己評価は100点で、やりきったという思いだ」と語っていた。その記者会見の中において、確か、民間を活用したまちづくりの成果についても触れられていたと思う。越氏は、なぜ公民連携のまちづくりを進めたのだろうか。またどのような成果をもたらしたのだろうか。さらには首長としてどのようなリーダーシップを発揮したのだろうか。疾風のごとく、2期8年という短い在任期間において、大津の市政に変革をもたらしたとされる越氏の行政手腕が知りたくなり、越直美氏による「公民連携まちづくりの実践 公共資産の活用とスマートシティ(学芸出版社)」を拝読させていただくことにした。

恐らくだが、地方自治体のトップの座に就くと、誰もが共通の課題に頭を抱える。

それは、人口減少、少子高齢化、施設老朽化という難問が立ちはだかるからだ。越氏も市長在任期間中は、この3点の課題解決のため奔走した。これらの課題解決には、当然、相応の予算確保をしなければならない。越氏は、その解決策を公民連携という形で見出した。

大津市では、1950年から続いていた「おおつびわこ競輪場」が2010年度末に廃止された。この広大な跡地の利活用については、自治体にとって頭が痛い課題である。特に、公共のみで単独予算を確保し、新たな公共施設を建設したり公園整備したりすることは、住民や市議会の同意が得られるかなど、ハードルが高い。そこで、大津市は、競輪場跡地について、定期借地による民間事業者主導の施設・広場整備を実施した。そして、2019年、公園と一体化した複合商業施設「ブランチ大津京」がオープン。「ブランチ大津京」では、まちづくりスポットやママスクエア、ボルタリング施設、スポーツと飲食の複合施設などを兼ね備える空間が創り出された。
この公民連携手法により、市民は賑わい・憩い・集いの場が得られ、大津市は解体費を支出せず、公園や借地料が得られ、事業者や社会も潤う構図が生まれた。これは、越氏も触れているが、近江商人の商売の心得、「売り手良し、買い手良し、社会良し」の「三方良し」に繋がる。この三方良しは、民間資金を用いるため、自治体の予算軽減が主目的に思えるが、そうでもない。行政の政策は、時として、独りよがりなものになってしまうこともある。そこで「民」と連携することにより、市民ニーズ(顧客ニーズ)に敏感な「民間ノウハウ」を「公の政策」として取り入れることが可能となる。つまり、行政思考の限界を突破し、新たなアイデアによってまちが創り上げられていく。公共だけでは成しえない、民間アイデアを公共政策に持ち込むことこそ、公民連携の醍醐味があるのだと感じた。

越氏が本気だなと思ったのは、リノベーションによるまちづくりである。リノベーションスクールは、かつて、私も仕事で関わったことがある。私は、その第一人者である木下斉氏が「補助金は麻薬」と言われたことが頭から離れない。つまり、地方自治体は、まちづくりをしようと地元と連携するために「補助金」を支出する。しかし、地元は、継続的な自治体からの補助金を当て込み、本格的なまちづくりに繋がらなくなる。その負のスパイラルを脱すべく、公共空間のリノベーションについては、民主導で実施し、行政は側面支援することが求められる。その中で、私が本気だと思ったことは、まちづくりの担当部署である都市再生課を、リノベーションが進む街中の町家に移転させたことだ。

これは、越氏がリノベーションに関する書籍で「まちづくりの部署は、街にあるべき」という見出しに触発されたことによる。自治体の首長が市の行政組織の一部を切り離し、空洞化した市の中心市街地に配置するのは相当の勇気がいる。その組織の管理はどうするのか、市として無駄な組織配置になっていないかなど、行政の一挙一投足について、住民や議会に対して説明責任を問われることになるからだ。幸いにも、大津市では、都市再生課を街中に配置したことは、功を奏したようだ。この件から私は、まちづくりについて、民に近いところにいることの重要性を教えていただいた。

最近、私は、「MaaSが地方を変える(森口将之著、学芸出版社)」を読んだばかりだが、大津市もMaaSや自動運転の取り組みをしていたのは、意外であった。MaaSとは、Mobility as a Serviceの略で、「地域住民や旅行者1人ひとりのトリップ単位での移動ニーズ対比に対応して、複数の公共交通やそれ以外の移動サービスを最適に組み合わせて検索・予約・決済等を一括で行うサービスである(本書、149-150)」。大津市も移動の利便性向上と地域経済の活性化を目的とし、MaaSアプリ「ことことなび」をリリースした。この事業ももちろん、民間である京阪バスなどとともにアプリを配信している。また、バス運転手の不足から、自動運転バスにも果敢に挑戦している。弁護士でもある越氏は、自動運転バスの事故が発生した際の許容をどのように定めていくのかと指摘する。高齢化社会を迎え、免許返納など、住民の「足」確保がより深刻な課題となってくる。限られた資源で、どのように公共交通(場合によっては自家用有償旅客運送登録制度等も含む)を確保していくのか、またストレスなく人々が移動できるようにしていくのかは、各自治体の喫緊の課題であろう。特に、高齢者は、街中に出向くと医療費が減少したという自治体もある。生活だけではなく、健康を維持させていくためにも、各自治体にとって、交通政策は、大きな課題と言える。その意味で、公民連携をしながら、新たな自動運転やMaaSにも力を入れた越氏の功績は大きいと感じた。

冒頭、越氏の言葉を引用した。行政は、税金を使う以上、失敗が許されない。しかし、松下幸之助氏など、民間の優れた経営者は、失敗を推奨する。最近では、後発ながらビール事業などを軌道に乗せてきたサントリーの「やってみなはれ」精神も注目されている。失敗して、次に活かす。また、チャレンジしてみないとわからないという精神が難局に立った自治体にも求められるのだろう。その意味で、滋賀県は、近江商人発祥の地ということもあり、行政のトップの資質にもよるが、民間的な感覚で行政運営しているようにも見受けられる。越氏は、行政が失敗しても説明できるような具体策も本書で紹介している。そのキーワードも「公民連携」である。

自治体の長として、2期8年で成果を出すことは難しい。それは、あまりにも行政の動きが遅いことも起因している。議会や住民説明など、スローに進む行政サイクルに抗し、民間による“スピード”を取り入れたことも「公民連携」の優れた点と言えるのではないだろうか。

市政を率いてきた越氏は、「公民連携」することの意義について、市長時代の実績をもとにエビデンスを示してくれた。今後、「公民連携」は、各自治体にとって益々広がりをみせていくのだろうと感じた。


2021年11月14日日曜日

MaaSが地方を変える

 どこがMaaSの本なんだ。本書を読んでいただいた方の中には、そんな感想を抱いた人がいるかもしれない。

(引用)MaaSが地方を変える 地域交通を持続可能にする方法、著者:森口将之、発行所:株式会社学芸出版社、2021年、198

私は、森口さんの「MaaSが地方を変える」を読んで、正直、MaaSの定義がわからなくなってしまった。MaaS(Mobility as a Service)の定義は、「ICTを活用して多様なモビリティをシームレスに統合し、単一のサービスとして提供すること(本書、198)」である。MaaSを語るなら、先進であるフィンランドなどの事例が参考となることだろう。しかし、本書にも先進自治体の事例が紹介されているが、我が国のMaaSは、未だ完全に定義を満たしていないものも存在する。

森口氏によれば、我が国のMaaSの先進事例は、富山市であると言われる。富山市のコンパクトシティと交通政策については、あまりにも有名だ。森雅志前市長の強力なリーダーシップのもと、「お団子(地域拠点)と串(公共交通)のまちづくり」をすすめ、2006年、日本初の本格的LRTとして運行を始めた。現在、富山市は、公共交通を基軸にコンパクトなまちづくりをすすめている。
2020年には、ハード整備が一段落したこともあり、公共交通のソフト整備に重きをおいている。ここで興味深いのは、筆者の森口氏が「アナログMaaSの代表『おでかけ定期券』」という言葉を使っていることである。MaaSとは、冒頭に述べたICTを活用して多様なモビリティをシームレスに統合することである。しかしながら、富山市の「おでかけ定期券」は、市内65際以上のかたが市内各地から中心市街地へおでかけになる際、公共交通期間を1乗車100円で利用できる定期券である。森口氏によれば、フィンランドでMaaSの概念が誕生する前から、複数の交通で割引が受けられ、沿線の商店や施設との連携を果たし、定額制を導入した富山市の事例は先進的であるとし、「アナログMaaS」と名付けた(本書、50)と言われる。

確かに、富山市の事例もMaaSに通じている。では、アナログでもMaaSを活用した事例から得られるメリットは何であろうか。その解も富山市から得ることができる。さきほどの富山市の「おでかけ定期券」によって、高齢者が外に出歩くことが増えたという。そして、「おでかけ定期券」を所持していたかたたちは、所持していないかたたちと比較して、約8万円、医療費が安く済んでいるという(本書、52)。

その後、富山市では、モビリティやまちづくり関連の政策として、「とほ活」というスマートフォンのアプリを開発した。現在、我が国は、高齢化社会を迎え、免許返納などの課題が生じている。しかし、自家用車を運転しなければ生活できないかたたちもいる。まず、まちづくりとは、高齢者にあまり負荷をかけず、必要な生活物資が揃うことが必要なのだろう。また、自然に街にでかけて生きたくなる仕掛け作りをする中で、人々の幸福と安心感、健康が実現できるのだろう。その結果として、中心市街地に人が集うようになることが必要なのだろうと感じた。富山市の事例から、私は、この正のスパイラルが公共交通政策を活用しながら生み出していくことが大事ではないかと考えるに至った。

そのほか、森口氏による「MaaSが地方を変える」には、様々な各自治体の取り組みが紹介されている。私が興味を持ったのは、京都府の最北端に位置する京丹後市の公共交通の取り組みである。こちらは、高速バスの運行などで知られるWILLER(ウィラー)グループが京都丹後鉄道の運行を始めたり、自家用有償旅客運送制度とUberのアプリを活用した「ささえ合い交通」を導入したりしている。外資の資金力やノウハウを取り入れ、それぞれ地方の特性にあったMaaSを構築していく。このたび、初めて私も知ったのだが、自家用有償旅客運送とは、公共交通の整備が行き届いていない過疎地域に自家用車を用い、一般ドライバーの運転で旅客の移動を支えるサービスのことだ。普通、乗客(旅客)を運ぶ目的で、旅客自動車を運転するときには、2種免許が必要となる。しかし1種免許保有+自家用有償旅客運送の種類に応じた大臣認定講習の受講により、他にも条件があるが、一般運転ドライバーの運転で旅客を乗車させることが可能になった。1)しかし、この自家用有償旅客運送についても、限定的なものしか認められないことに留意しなければならない。

京丹後市の事例は、WILLERやUberなどの外資とノウハウが上手く取り入れられた格好だ。本ブログの冒頭に記したが、著者は、「どこがMaaSの本なんだ」と思われる読者もみえることを想定していた。それは、MaaSの歴史が浅いこと、また必ずしも先進諸外国の事例を真似しなくてもよいことが理由として挙げられるのではないだろうか。我が国の、我が地域の公共交通政策があっていい。それが結果的に地方版のMaaSといえるようになっていくのだと感じた。本書では、先進自治体の事例も豊富に紹介されている。これらの事例を参考に、各自治体は、自分たちのまちに即したMaaSを構築してくことになるといえる。高齢化社会を迎え、どの自治体も交通政策は、早急に解決したい課題である。より一層、私たちの住むまちを便利であり、幸福であり、健康的であるものにしていくために各自治体は、知恵を絞って自分なりのMaaSを構築していかなければならないと感じた。

1)自家用有償旅客運送ハンドブック(平成30年4月、令和2年11月改定、国土交通省自動車局旅客課)


2021年10月30日土曜日

アフター・コロナの学校の条件

 提言3-1 小さな足で通える小さな学校の小さな学級をつくろう
(引用)アフター・コロナの学校の条件、著者:中村文夫、発行所:株式会社岩波書店、2021年、185

現在、学校を取り巻く環境については、大きく変化している。特に、学校の全国一斉休業や国により急速に進めた児童・生徒1人1台タブレット端末整備は、今後の学校のあり方を根本から変えるものであったと思う。

コロナを契機として、学校はどのように変化したのか。そして、新型コロナウイルス感染症を契機として、今後の学校は、どのようにあるべきなのか。そんな思いから、長年、学校事務員の立場から学校を見てきた中村文夫氏による「アフター・コロナの学校の条件((株)岩波書店、2021年)」を拝読させていただくことにした。中村氏による書籍では、学校の防災拠点、国によるGIGAスクール構想による教育情報化、学校の統廃合、学校給食、義務教育の保護者負担について論じている。その中で、自分の興味のあった部分は、教育情報化と学校給食、そして学校の統廃合であった。

まず、国によるGIGAスクール構想の実現は、主として、児童生徒1人1台タブレット端末の整備であった。この構想は、新型コロナウイルス感染症を契機として、前倒しされた。具体的には、当初、令和5年度までに段階的に整備するはずであったが、オンライン学習を見据え、一気に令和2年度中に整備を終えてしまうというものであった。これを受け、各市町の教育委員会は、昨年度、仕事に忙殺され、学校の通信インフラ整備とタブレット端末購入に明け暮れた。

中村氏は、本書において学校情報化の課題を5点に纏めている。その中で、ICTを活用した指導に対する教師の資質・能力を挙げている。タブレット端末自体は、スマホも含めて老若男女問わず使いこなしている。しかし、オンライン授業への活用となると、教師の負担(特に授業の事前準備)は計り知れないものだろうと感じた。そもそも、タブレット端末を導入する際は、どのようなビジョンを持ち、セキュリティ対策を含めた活用をイメージし、教師へのマニュアル作りも含めて導入しなければならない。ただ、「子供たちにタブレット端末を配備しました」だけでは、実際の授業現場で活用されない。タブレット端末を配備する際における教育委員会の「戦略」と「戦術」が何より重要であると感じた。

続いて、学校給食についてである。学校給食費は、学校給食法によって、食材費相当分は保護者負担とされている。また、学校給食は、世界でも珍しく、給食自体が食育の教材としての役目も果たしている。そのため、各給食センターなどには、栄養教諭が配置され、献立作成をはじめ、子供たちの成長・生育費必要な栄養バランス、地場産物の活用などに力を入れている。その学校給食の無償化についても、中村氏は提言をしている。教育行財政研究所による調査(2021年)によると、全国で1割近くの自治体が学校給食費の無償化を実施。さらに一部補助を含めると3割近くの自治体が独自の財政負担によって保護者負担を軽くしているという(本書、109)。
小規模自治体なら学校給食無料化は、実現がしやすいだろう。しかし、中核市以上の自治体は、財政負担が膨大なものとなり、遅々として無償化が進まないのが現状である。学校給食無料化であれば、現状の食材費相当は保護者負担であるという学校給食法の改正とあわせ、国の財源措置が求められる。子供たちの健康は、安全・安心で美味しい学校給食の実現で成り得るものだ。現在、子どもの貧困の問題も深刻化している。新型コロナウイルス感染症拡大により、貧富の格差はさらに拡大している。どのような生活環境であっても、国民は教育を受ける権利がある。学校給食が教材であるならば、中村氏が主張するように給食費を無料化するといった議論も盛んになるのだろうと感じた。

最後は、学校の統廃合についてである。少子高齢化の進展に伴い、どの教育委員会も頭が痛い課題である。この学校統廃合の課題は、2015年に一つの転機を迎えたと考えられる。文科省は、2015年の通知で、1学年1学級未満の複式学級が存在する小規模学校は、へき地、離島などの特別な事情がない限り統合すべきだという見解を出した(本書、66)。また、通学範囲についても、小学校で4㎞、中学校で6㎞という従来の範囲に加え、概ね片道1時間以内という時間設定の目安がなされた(本書、68)。
ここで課題となるのは、学校統廃合が国や自治体の予算削減のためということである。
本来の目的は、中村氏が指摘するように子供たちのためであると思う。特に、小学校低学年の児童が片道1時間もかけて通学を余儀なくされるとなれば、それだけで体力が奪われてしまうだろう。また、学校とは、地域のコミュニティ的な役割を果たしている。子どもたちは、身近な存在の学校を失うことで、生まれ育った地において、将来の自分の姿を描くことができるのだろうか。学校の統廃合については、国や行政の都合だけではなく、慎重に議論していく必要があるのだと感じた。

本書の最後では、中村氏によるアフター・コロナの学校の提言が8つ並ぶ。冒頭に紹介したのは、そのうちの一つだ。繰り返すが、教育とは、次代を担う子供たちのためにあるべきである。中村氏による書籍は、そのことを再認識させていただくものであった。

2021年10月23日土曜日

福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法

 これからの時代は、「データ」と「感染症」が大きなキーワードとなります。そして残念ながら、この2つは、現在の日本が最も苦手とする分野であるといえます。
(引用)福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法、著者:高島宗一郎、発行:日経BP、発売:日経BPマーケティング、2021年、15

現在、地方公共団体は、少子高齢化や所得格差といった課題を抱え、一様に、福祉対策、教育、防災、スマートシティやコンパクトシティなどの政策に力点を置いていると見受けられる。しかしながら、人口規模が大きくなるにつれて、地方公共団体は、各部局のセクショナリズムが際立つようになってくる。その結果、行政組織特有の縦割り意識がより強固なものとなり、各々が自分の所属する部局の仕事だけに集中するようになる。その結果、地方公共団体の目指すべき姿が見失われ、都市としての魅力が薄れていってしまう。

では、各地方公共団体は、どのようなビジョンを持って、政策を実行していくべきなのか。このたび、福岡市長の高島氏は、「福岡市長高島宗一郎の日本を最速で変える方法」を著された。令和2年に人口160万人を突破した福岡市を率いる高島氏は、どのようなビジョンを持ち、都市戦略に挑んでいるのか。2010年以来、10年以上にわたり福岡市長を務めている高島氏の描く新たな地方公共団体のあり方を学ぶべく、本を拝読させていただくことにした。

高島氏による福岡市のビジョンは、明快であった。冒頭に紹介した「データ」と「感染症」である。このブログでは、「データ」に絞って感想を述べたい。
まず、「データ」といえば、国のデジタル庁創設が思い出される。デジタル庁は、2021年9月に発足。組織の縦割りを排し、国のデジタル化を推進するという。1)
なぜ、「デジタル化」の推進なのか。高島氏の本を拝読して、私は、デジタル化の意義を「スピード化」「エビデンス」「市民サービスの向上」と理解した。

まず、「スピード化」については、新型コロナ感染拡大の際、課題として露呈している。本書でも紹介されているが、新型コロナ感染拡大の際、台湾では、デジタル担当の閣僚オードリー・タン氏が個人番号とひもづいたマスク在庫管理システムを活用して、国民のマスク買い占めを防いだ。一方、我が国では、マスクを購入したい人たちが薬局・薬店の開店前から並び、混乱を招いた。また、我が国による10万円の給付事業においても、デジタル化の遅れにより、各自治体は混乱し、速やかな給付が叶わなかった。

また、「エビデンス」については、データを活用しながら地方公共団体の政策に反映させていくことが可能となる。例えば、保育所は、近年、福祉的な意味合いではなく、共働き世帯が増加しているのであれば、どのような政策が必要だろうかということになる。このようなデータ取得は、どの部局でも共通して取得することが可能である。

最後は、「市民サービスの向上」である。高島氏は、エストニア共和国の例を挙げ、申請主義からプッシュ型の行政を提案する。我が国の行政の手続きは、複雑・多様化しており、例えば「引っ越し」しただけでも、自分の力で、複数の公的機関を回らなければならない。そのほか、電話、ガス、電気などの各事業所にも変更手続きが必要となる。例えば自治体のHPに「引っ越し」というボタンをクリックし、必要事項を入力すれば、一気にすべての手続きが完了したらどうだろうか。当たり前だが、私は、とても便利で、随分楽になると感じた。

高島氏の口癖は、「支点・力点・作用点を見極めるべき」であるという(本書、55)。目的(作用点)を最小限のパワーで動かすために、アプローチするべきポイント(力点)を見定め、力を加える。この「てこの原理」で弱い力でも重いものを動かせるようになる。そのアプローチすべきポイントを見極めるには、データによるエビデンスを重要視することが何より大切であろうと感じた。

では、なぜ政策立案過程において、エビデンスを重要視することが必要なのか。それは、市民や県民ニーズが多様化していて、行政ニーズが把握しづらいこと。行政改革のもと、どの地方公共団体も職員が減少し、コロナ禍における税収減によって、資源が限られていること。さらには、変化が激しい現代社会において、スピードを重視した政策が求められることによるものではないだろうかと感じた。このような背景のもと、客観的事実に基づくデータを駆使することは、大変有用であると感じた。

そのほか、本書では、データ活用以外にも、魅力的な政策が数多く紹介されている。本書を拝読し、私は、高島氏の政策の根底において、市民に対して、「快適さ、便利さ、安全安心、チャンレジ精神」をもたらそうとしているのではないかと感じた。厳しい時代ではあるが、各地方公共団体は、リーダーがビジョンを示し、持続可能な都市戦略が求められている。その戦略に必要なビジョンである「データ」と「感染症」というキーワードは、今後、どの地方公共団体も最重要視していくテーマであると確信した。

1)首相官邸HPより。


2021年10月17日日曜日

危機管理広報

危機管理広報の要諦は、「初動が大切である」の一言に尽きる。

危機発生直後は、危機の全容が分かっていないことが多い。
しかし、なんとなく、断片的な情報や事実から、憶測が立ち始める。
そして、状況が判明するにつれ、当事者の不安が広がる。

では、危機の全容が明らかになる前に報道機関に公表すべきであろうか。
自分の答えは、絶対に「イエス」である。

なぜ、危機の全容が明らかになる前に報道すべきか。
それは、当事者の身を守ることにつながるからだ。
報道の第一報は、「いま、このような状況が発生しています」と伝えるだけでいい。
客観的な事実のみを伝え、「原因は今のところ不明です」でもよい。
そして、いま、私たちがどのような対処をしているのかを伝えるだけで、立派な危機管理広報と言える。

偶発的かどうかを問わず、危機に遭遇したとき、速やかに報道機関に公表することは、マスコミからの追撃を最小限に抑えることができる。そして、包み隠さずに早い段階で公表することは、「当事者側は紳士的に危機に対処していくんだな」という安心感にもつながり、ニュースを受け取る側の感情も和らいでいく。その後は、続報というかたちで、報道機関に公表すれば良い。

ここで間違いを犯しやすいのは、憶測と再発防止だ。
まず、第一報のときは、憶測を立てて報道機関に発表してはならないということだ。

「いまは、ここまでしか分かっていません」
「なんで、こんなことが発生したのか、現在調査中です」
第一報は、こんな感じで良い。
極力、憶測を排除して、客観的な事実のみ、報道機関に伝えることが肝要だ。

次に、再発防止についてである。
危機管理広報は、再発防止策とセットで考える人が多い。
しかし、原因も特定できていない段階では、再発防止策は必要ない。
再発防止策を考えて報道発表しようとすると、いたずらに時だけが流れていく。
また、もしかしたら当事者側に瑕疵がないのかもしれないのに、なぜ再発防止策が必要なのかといったマスコミ側の質問にもつながる。
再発防止策は、原因が明らかになった段階で、公表すれば良い。
ただ、普段からの対策で、危機が未然に防げた場合もある。
その際は、普段からの対策について、しっかりと報道機関にアピールすることが必要だ。

自分たちの組織を守ろうとして、報道機関へ公表することを躊躇うリーダーも多い。しかし、速やかに公表しないと、危機発生から現在に至るまで、自分たちの組織が隠蔽していたとも受け取れられかねない。

実際に危機が発生したときは、勇気がいる。しかし、リーダーは、勇気を振り絞って、適切な時期に適切な内容を公表しないことのほうが、ダメージが大きいと心得たい。
このことは、今までの私の経験から、そう言える。


2021年10月16日土曜日

モンク思考 自分に集中する技術

 愚かな者は自分の利益のために働き、賢明な者は世界の幸福のために働く。
                 『バガヴァッド·ギーター』第3章25節
モンク思考 自分に集中する技術、著者:ジェイ・シェティ、訳者:浦谷計子、発行所:東洋経済新報社、2021年、467

昨今、「マインドフルネス」という言葉をよく聞く。ウィキペディアによれば、マインドフルネスとは、「現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる」と書かれている。しかし、ストレスフルな社会において、どのような瞑想が良いのだろうか。そして、瞑想をすれば、本当に心が整っていくのだろうか。

最近、マインドフルネスをいち早く取り入れたGoogleやMicrosoft、さらにはNetflixなどの先進米国企業らが注目するモンク(僧侶)思考なる本が出版されたという。その本のタイトルは、「モンク思考 自分に集中する技術(東洋経済新報社刊)」である。この本は、著者のジェイ・シェティが大学時代に僧侶の話を聞いたことがきっかけで、僧侶への道を目指すようになった経緯とともに、瞑想などの実践的なメソッドが紹介されている。本のカバーには、「迷いや不安、ストレスが消える 正しいキャリアが描ける」とも書かれている。私は、正しい瞑想法なども知りたかったので、この本を読んでみることとした。

この本は、「手放す」、「成長する」、「与える」という3つのパートで構成されているが、その根底には、古代の教えである「バガヴァッド·ギーター」をもとにしている。この古代の貴重な教えがシェティによって分かりやすく解説されていることは、ありがたいと感じた。

まず、「手放す」では、恐怖との向き合い方が役に立った。私自身、最近緊張することも少なくなってきたが、それでも緊張する場面に遭遇することもある。その際、恐怖にも似た感情に襲われる。その恐怖とどう立ち向かい、自分の心を整えていくのか。その実践的なメソッドが紹介されており、私も実生活に取り入れていくこととした。

「成長する」のパートでは、「自分のダルマを生きる」ことに力点が置かれている。「ダルマ」とは、その人にとって大好きであり、得意なこと(ヴァルナ)が世の中のニーズを理解し、無私の心で奉仕する(セーヴァ)と結びついて人生の目的となったとき、自分のダルマを生きていると言えるという(本書、191)。シェティによれば、このダルマを生きることこそ、人生を充実させる確実の道であると言われる。このダルマを目指すべく、シェティは、朝や夜のルーティンについても紹介している。貴重な1日をどのように過ごすのかは、前日の夜から始まり、次の朝につながる。これらのルーティンついても、私の実生活に取り入れていこうと思った。

最後は、「与える」である。このパートでは、感謝や奉仕といった言葉が頻出する。人生の最高の目的は奉仕にいきることだとシェティは言われる(本書、471)。なぜ、人は、奉仕をすれば、人生の最高の目的に至るのか。シェティは、優しい口調で奉仕の大切さ、そしてモンクへの道を教えてくれる。このパートを読み終えるころ、私は、冒頭に紹介した『バガヴァッド·ギーター』の教えが心に染みていた。

「モンク思考 自分に集中する技術」は、500ページ以上の分厚い本である。この500ページにも及ぶモンクの旅を終えると、いよいよ「まとめ」に達する。最終到達点に達すると、読者は、「モンク・メソッド」と言われる瞑想法を授かることができる。モンク・メソッドの詳細は本書に譲るが、基本的には、4カウントで息を吸い、4カウントで息を吐く深呼吸によって、心を整っていく。また、パート3の最後でもマントラが紹介されており、マントラの意味を知るとともに、瞑想にも取り入れることができる。

仏教僧マチウ・リカールの脳をスキャンした研究者たちは、彼を「世界で一番幸せな人」と呼んだという。これは、集中、記憶、学習、幸福感に関連するガンマ波がこれまでに科学的に記録された中で最高の値を示したからだ(本書、19)。

瞑想のもつ魔法の力は、人間の心を整え、超越した存在へと向かわせることができる。モンク・メソッドは、忙しすぎる現代人にとって、必須のアイテムになるのだろうと感じた。情報科学技術が進展する現代社会だからこそ、モンク・メソッドを多くのかたにおすすめしたい。



2021年9月26日日曜日

ビジョナリー・カンパニーZERO 

 幸運は諦めない者に訪れる。
(引用)ビジョナリー・カンパニーZERO ゼロから事業を生み出し、偉大で永続的な企業になる、著者:ジム・コリンズ、ビル・ラジアー、訳者:土方奈美、発行:日経BP、発売:日経BPマーケティング、2021年、235

この「ビジョナリー・カンパニーZERO」は、読み手を選ばない。
「ビジョナリー・カンパニーZERO」は、主として中小企業経営者や起業されたかたを想定して書かれている。しかしながら、本書は、ビジョン、リーダーシップ、戦略と戦術、イノベーションに至るまで、「ビジネスの基本」を教えてくれる。このスキルは、個人事業主から会社員(従業員規模を問わない)、さらには公務員に至るまで、すべての勤め人までが参考になると感じた。

この本の著者であるジム・コリンズといえば、「ビジョナリー・カンパニー」シリーズでよく知られている。特に、「ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則」は、第5水準のリーダーシップが紹介されており、私も感銘を受けた一人である。そのジム・コリンズと、今は亡きビル・ラジアーの共著「ビジョナリー・カンパニーZERO」は、1992年発刊の「ビヨンド・アントレプレナーシップ」をバージョンアップさせたものだ。「ビヨンド・アントレプレナーシップ」は、かのNETFLIX創業者のリード・ヘイスティングスが若手起業家に対して「『ビヨンド・アントレプレナーシップ』の最初の86ページを暗記せよ」とアドバイスをしたことで知られる。

まず、本書で役立つことは、リーダーシップである。例えば、本書には、「真のリーダーシップとは、従わない自由があるにもかかわらず、人々が付いてくることだ(本書、78)」といったことが書かれている。まさにヘイスティングスが「86ページまで暗記せよ」と言われた箇所は、リーダーシップとビジョンの章(本書の第3章・4章)である。これらの章は、読めば読むほど、社会人として誰もが知っておくべき「仕事を遂行するための基本的な知識」が次々登場する。実際、私も何度も何度も読み返して、自分の「知識」として身につけていこうと思った。それだけの価値が本書にはある。

ヘイスティングスは、第3章・4章を最重要と捉えていたようだが、私は本書の後半部分に登場する「戦略」と「戦術」にも興味を惹かれた。ビジネスのみならず、意外と思われるかもしれないが行政の世界にも「戦略」や「戦術」という言葉が頻出する。「戦略」と「戦術」は、イメージ的に理解していても、実際の組み立て方の解はまちまちだ。本書で紹介されている「戦略」と「戦術」は、オーソドックスでありながら、実効性の高いものである。ジム・コリンズらが提唱する「戦略」と「戦術」の手法は、私にとって有力な解となった。

本書の面白いところは、「諦めないこと」にも力を入れて解説している。松下幸之助氏は、「失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで、あきらめてはいけないのである。」と言われているし、トーマス・エジソンも「失敗すればするほど、私たちは成功に近づいている」と言われている。

本書では、過去の企業のケーススタディから、「諦めない」ことの重要性を解く。そして、冒頭に記した「幸運は諦めない者に訪れる。」という一文で結論づけている。仕事を進めていく上において、外的要因などにより、プロジェクトを諦めてしまいそうなときがある。実際に今、私もその環境に置かれている。しかし、この一文に勇気をいただき、今のプロジェクトを進めていこうと思った。

私は、「ビジョナリー・カンパニーZERO」を読み終えて、久しぶりに良書に出会えたと思った。まさに、この書籍に出会えたこと自体が、私にとって「幸運」であった。


2021年9月12日日曜日

行動科学と公共政策

 ナッジは、人々の選択の自由を完全に保ちつつ、その行動に影響を与えるための民間や公共機関による介入として定義されている
(引用)入門・行動科学と公共政策 ナッジからはじまる自由論と幸福論、著者:キャス・サンスティーン、訳者:吉良貴之、発行所:株式会社勁草書房、2021年、16

まず、本書のタイトルに惹かれた。そのタイトルは、「行動科学と公共政策」である。確かに、公共政策は、人々の行動を促すことで成り立つ。その意味では、今まで行動科学の分野と公共政策を組み合わせた研究が乏しかったのかもしれない。なぜなら、政府や行政は、法や条例に罰則規定を設けることで、人々の行動を強制的にコントロールすることも可能だからだ。つまり、国や自治体は、人々を「自発的に」行動させるのではなく、法律などの「脅し」によって行動させる。しかしながら、従来の法や条例などの強制力だけでは、公共政策が成り立たなくなってきたと感じられる。例えば、本書でも触れているが、新型コロナウイルスの感染拡大がそうだ。度重なる国による緊急事態宣言の発令とともに、人々の危機意識は薄れ、第5波ともよばれる新型コロナウイルスの新規感染者は、多くの自治体において過去最高の記録を更新した。そこに、法や条例の限界を感じる。危機管理をはじめ、様々な公共政策には、人々の行動と密接に関係していることに着目しなければならない。どのように行動科学を公共政策に活かすのか。行動経済学の第一人者で、ハーバード大学ロースクール教授によって著された「入門・行動科学と公共政策」を拝読させていただくことにした。

この本では、「ナッジ」という言葉が頻出する。「ナッジ」とは、「肘でそっと押す」という意味である。公共機関の政策によって、肘でそっと押された人々は、新たな厚生(自由と幸福の社会)を目指し、行動を起こすようになる。「ナッジ」は、無意識のバイアスを利用し、人の行動をより良い方向に導く手段なのである。このナッジは、至るところにある。例えば、ソーシャルディスタンスを取るために一定間隔に引かれた線、印刷の初期設定ルールを「片面」から「両面」に変えるだけで、紙の総量が減少するなど、初期設定を変えるだけで、人々は、肘でそっと押されたように、望ましい方向に導かれる。

ナッジは、人々の自由を損なうことなく、低コストで人々の行動を変えることが可能だ。しかしながら、著者のサンスティーンは、ナッジが強制であってはならないと主張する。つまり、従わなくてもいいし、ひとたび従ったとしても簡単に元に戻せることが重要であるとしている。サンスティーンによれば、行動科学について、「FEAST」という頭文字を用いて整理する。FEASTは、EASTが母体になっており、簡単(Easy)、魅力的(Attractive)、ソーシャル(Social)、タイムリー(Timely)の頭文字をとったものだ。そして、F、つまりFun(楽しみ)が必要だとサンスティーンは付け加える。このことを聞いて、私は、台湾で新型コロナウイルスを封じ込めたと注目されたデジタル担当政務委員のオードリー・タンの施策を思い出した。

オードリー・タンは、台湾における新型コロナウイする対策として、3つのFを用いた。早く(Fast)、公平に(Fair),そして楽しく(Fun)である。台湾においても、新型コロナウイルス感染症拡大により、トイレットペーパーの不足というフェイクニュースが人々を惑わせた。そのとき、台湾の行政院長が「誰でもお尻は一つしかない(だから安心してください)」とのメッセージを発信した。まさに、「Humor over Rumor(ユーモアは噂を超える)」の言葉どおり、ユーモアで噂を防いだ。1)これこそ、まさにナッジではなかろうか。

ナッジは、日常生活にあふれている。このナッジの初期設定をしっかり定め、人々の厚生を実現する。その際、人々の自由を束縛してはならない。コストを掛けず、人々が気づくことなく理想な社会へ導かれる。これからの公共政策は、行動科学も重要な要素の一つであると感じた。

1)オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る、著者:オードリー・タン、プレジデント社、2020年


2021年8月29日日曜日

部活動の社会学

 「生徒が楽しんでいれば、大会・コンクール等の成績にこだわる必要はない」と認識している教員は60%程度存在している。その一方で、およそ75%の教員が「顧問をしている部の競技成績・活動成績を向上させたい」と認識している。
(引用)部活動の社会学―学校の文化・教師の働き方、編者:内田良、発行所:株式会社岩波書店、2021年、143

「部活動の社会学―学校の文化・教師の働き方」の編者である内田氏が言われるとおり、部活動に関する研究は驚くほど少ない。それは、部活動が「教育課程外」、すなわち「やってもやらなくてもいい活動であるから」である(本書、「はじめに」より)。
その部活動が、いま教育現場で問われている。教師の働き方改革のもと、学校から地域へ、そして縮小へという傾向にある。しかし、教師の中には、「自分は部活動にも関わりたい」と考える人達もいる。いま、教師は、部活動を排除し、働き方改革の流れに満足しているのか、また地域移行する際に課題はないのか。そんな疑問から、「部活動の社会学」を拝読させていただくことにした。

まず、本書の執筆に関わられたかたたちは、2017年11月から、全国22都道府県の計284校の中学校に勤務する全教職員8112名を対象に「部活動」に関しての調査を実施している。私が知る限り、2013年、文部科学省は「運動部活動の在り方に関する調査研究協力者会議」が「運動部活動の在り方に関する調査研究報告書~一人一人の生徒が輝く運動部活動を目指して~」を纏めている。しかし、この調査は、部活動時における教師の体罰を中心としたものである。現在の「教師の働き方改革」に伴う調査は、恐らく、本書の調査が初めてだろうと思われる。やはり、「はじめに」に記されていたとおり、貴重な調査結果と言えるだろう。

本書の調査結果を分析すると、大方、予想どおりであった。それは、まず、比較的若い男性教員が部活動立会時間について長時間化する傾向があげられる。次に、男性・女性の性差による部活動への参加日数・時間の違い、特に女性教員は、結婚の有無・年齢・共働きかどうかが部活動への参加意欲につながっていることなどが調査結果から浮かび上がる。そのほか、「保護者期待」の要因についても、教員を疲弊させている一要因であることがわかる。

その「保護者期待」につながるのであろうか。冒頭に引用した引用文は、教師のジレンマを感じた。つまり、働き方改革の一環で、「生徒が楽しんで部活をすれば良い」と考える教師が多いのではないだろうか。その一方で、保護者は、子供の大会に顔を出し、応援をする。その期待に応えるべく、教師は、「競技成績を向上させたい」と考える人が多いのではないだろうか。もちろん、子どもたちに「勝利する喜び」を体験させたい、また進学に有利にさせてあげたいと考える教師も多いことだろう。私の実体験からも「保護者期待」というプレッシャーは、教師を襲っているではないかと感じた。

中学生のころ、私の時代では、朝練習、土日の練習が当たり前であった。それが至極当然であったし、少しでも強くなりたいと思って中学時代を過ごした。おかげで、今でもテニスを楽しむことができる。いま、中学生になる自分の子供たちのテニスの試合を見ると、明らかに「打ち慣れていない」ことがわかる。一方、テニスの強い子達の保護者と話をしてみると、学校以外のクラブチームに属しているとのことだった。いまの学校の部活動時間だけでは足りない。本書の最後では、地域移行に関して、教師、生徒、安全性の観点から課題を投げかけている。いま、教師の長時間労働などのイメージから、教師のなり手が不足している。教師の働き方改革を進めることは、教員確保につながる。ただ、部活動の本質ともいうべき、生徒の健全な発育、チームプレーを通じた友情を育む大切さを忘れてはならない。本書の結果をもとに、各市町村の教育委員会では、最適で持続可能な部活動のあり方を模索していくことになる。


2021年8月21日土曜日

希望の未来への招待状

長いあいだ、人類はとても豊かな地球に少数で暮らしていましたが、今日、人類はますます多く、地球はますます乏しくなっています。人類が自身の破滅をまねきたくないのであれば、このたったひとつの星で、〈密な世界〉の限られた資源でやりくりしていくことを学ばねばなりません。これが〈新たな現実〉なのです。
(引用)希望の未来への招待状ー持続可能で公正な経済へ、著者:マーヤ・ゲーペル、訳者:三崎和志・大倉茂・府川純一郎・守博紀、発行者:中川進、発行所:株式会社大月書店、2021年、38

本書、「希望の未来への招待状」の冒頭は、枝廣淳子氏による「日本の読者への招待状」から始まっている。枝廣氏と言えば、「好循環のまちづくり!(岩波書店、2021年)」を著されたかたである。枝廣氏は、以前、私のブロクにも記させていただいたが、島根県海士(あま)町をはじめ、北海道下川町、熊本県南小国(みなみおぐに)町、徳島県上勝(かみかつ)町などのまちづくりに関わり、地域を活性化させてきた実績を持つ。まず、その枝廣氏がオススメする本とあって、私も本書に興味を惹かれた。

枝廣氏と「希望の未来への招待状」著者であるマーヤ・ゲーぺル氏との接点は、サステナビリティやシステム思考の研究者と実践家のブローバルなネットワークである「バラトン・グループ」のメンバーということだ(本書、003)。
私たちの住む地球が悲鳴をあげている。世界人口が急増し、環境と社会をめぐる世界規模の様々な危機が発生している。ここ数十年の間に、私たちが住む地球は、「持続可能な」取り組みが最優先課題となってしまった。
なぜ、急激にこのような事態が生じてしまったのか。また、私たちの住む地球の未来について、再び、「持続可能」という希望を見出すことができるのか。そのようなことを頭に思い浮かべながら、「希望の未来への招待状」を拝読させていただくことにした。

まず、本書の始まりから、マーヤ氏は、地球が危機に至った経緯について分かりやすく解説してくれる。アポロ8号が月へと旅立ったときは、地球上に36億の人間しかいなかった。しかし、2019年末、地球には77億以上の人間が住み、この50年の間に人口は2倍位以上に膨らんだと説明してくれる。そして、人々は経済的成功を収め、郊外にも進出し、より豊かな暮らしを求めるようになっていった。つまり、地球環境が急速に悪化した要因の一つとして、地球に住む人口の急増と経済的な豊かさが挙げられる。

社会学者で、政治経済学を専門とされるマーヤ氏は、市場原理主義の成長モデルについても切り込む。それは、国が経済成長をすれば、トリクルダウンを起こせるかと検証していることだ。トリクルダウンとは、富が富裕層から低所得層に徐々に滴り落ちるとする理論のことである。つまり、経済成長をし、富裕層がさらに豊かになれば、低所得者も恩恵にあずかるといったことだ。しかし、マーヤ氏は、統計的データを根拠に、国が経済成長すればトリクルダウンを起こせるということについて、真っ向から否定する。いや、反対に、世界人口が増加する中で、さらに貧困層が拡大しているとマーヤ氏は指摘する。これは、中国を例として、エビデンスに基づいた説明が本書でなされており、大いに納得させられた。振り返ると、我が国も経済成長を追い求める政治的傾向が見受けられる。これからの時代は、「経済成長」は、格差を広げ、地球環境にも大きな課題をもたらす(これは、科学技術のみでは解決できない)ということを認識しなければならないと感じた。

もう一つ、1987年、ノルウェーのグロー・ハーレム・ブルントラント元首相が発表した「ブルントラント報告書」についての記述については、感心させられた。この報告書では、その後のすべての環境に関する協定の基礎となった定義が記載されている。重要なのは、その補足項目である。貧しい人びとのニーズが優先されるべきである、という点と、社会や技術の発展 (開発) は、自然の再生サイクルを破壊しないよう、注意が払われるべきである、という点をマーヤ氏は紹介している(本書、49)。普段なら、補足項目は、飛ばして読みがちなのだが、私は、この報告書の定義である「持続可能な開発とは、将来世代が自分たちのニーズを満たせなくなるというリスクを冒さずに、現在のニーズを満たす開発」とする補足こそ、重要な意味を含んでいると感じた。持続可能性の社会を構築するためには、最大限に配慮すべき点であると思う。

冒頭に記した〈密な世界〉とは、現在のコロナ禍において、どうしても嫌なイメージが付きまとう。事実、私たちの住む地球も、人口増加によって、またより豊かな暮らしを求めて、密な世界へと誘われた。しかし、経済成長が無限に可能だとする、また経済成長こそがすべての解決策とする〈古い現実〉と訣別すべきときがきた。人々は、〈新しい現実〉を認知し、地球上の限られた資源を有効に活用し、持続可能なものにしていかなければならない。

マーヤ氏からの「希望の招待状」とは、私は、「公正」であることと理解した。公共財の確保、不平等是正のため、「公正」であるということが国家レベルで求められる。本書を読み、持続可能な社会を構築するためには、「公正」であることを鍵とし、地球規模で脱成長を図っていくことがマーヤ氏からの招待状だと認識するに至った。


2021年7月24日土曜日

理系なテニス

 予測>判断>動き>打ち方

(引用)新装版 勝てる!理系なテニス 物理で証明する9割のプレイヤーが間違えている“その常識”!、著者;田中信弥、松尾衛、発行所:株式会社日本文芸社、2021年、28

いま、私もテニススクールに通っている。そのスクールでは、コーチから「サービスは、下から上に向かって打つんだよ」という言葉をよく言われている。ただ、自分自身、なぜ、下から上に向かって打つのかが理解できなかった。中学校時代、私は、ソフトテニス部であった。そのとき、顧問の先生から「サービスは、高いところから下に向かって打つんだ」と言われて育ってきた。事実、スクールに通うまでは、そのように思っていて、硬式テニスにもチャンレンジしてきた。しかし、最近になって、スクールでも、テニス関連の書籍でも「サービスやストロークは、下から上に」というフレーズに頻繁に出会う。
そんな折、元オリンピック&日本代表コーチの田中信弥さんと、理論物理学者の松尾衛さんの共著による「新装版 勝てる!理系なテニス」が発刊された。テニスを理論的に知りたいと思っていた矢先であったので、迷わず、拝読させていただくことにした。

本書は、のっけから、「なぜサービスは『下から上に打つ』のか?」から始まった。この問いに対して、理論物理学者の松尾さんによる解説に納得させられた。松尾さんは、コートの広さなどをもとに、「打点の高さが約3メートルないと、上から下に打ち下ろしてサービスをボックスに入れることができないことがわかる(本書、18)」と言われます。その後、スクールでコーチのサーブを見た時、たしかに下から上に軌道を描いていた。本書の後半では、下から上に打つサービス練習の手法も掲載されていたので、実践しようと思った。

一方、冒頭に掲載させていただいた引用文は、私も衝撃を受けた。テニスは、不等式でできているという。この不等式によれば、まずは予測、次に判断、そして動き、最後に打ち方となっている。まずは、予測することが大切なんだということを改めて認識させられた。この予測は、自分のガットにボールが当たる感触、ここから予測が始まる(本書、33)と田中さんは言われる。ややもすると、自分は、いいショットを打つことだけに集中していたのではないだろうか。私は、コーチからも「打ったらすぐに構えて」と言われ続けている。今では、コートに立つと、自分で「予測、予測」と言い聞かしてプレーしている。

本書では、理論的にテニスを分析し、ウィークエンドプレイヤーでも楽しめるヒントが多くあった。欲を言えば、確実に入るスライスサーブの方法などについて、もうすこしページを割いてほしかったなという気がした。
しかしながら、本書は、どっぷり文系の私でも理解しやすい内容であった。そして、今後のテニスプレーに活かせそうなものばかりであった。ぜひ、私のようなウィークエンドプレイヤーにおすすめしたい一冊だ。


2021年7月17日土曜日

ビジネスの未来

人間であるということは、まさに責任を持つことだ。 おのれにかかわりないと思われていたある悲惨さをまえにして、恥を知るということだ。仲間がもたらした勝利を誇らしく思うことだ。 おのれの石を据えながら、世界の建設に奉仕していると感じることだ。
アントワーヌ·ド·サン = テグジュペリ「人間の大地」(引用)ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す、著者:山口周、発行所:プレジデント社、2020年、121-122

最近、「脱成長」社会を謳う書籍が多い。戦後日本の経済復興と高度成長は、人々の物質的不足の解消をもたらし、幸福感ももたらした(我が国では、低い満足度を感じる人を大きく減らすことには失敗したが)。
一方、経済復興と高度成長は、大量消費・大量廃棄を是とし、持続可能な世界を否定する。また、高度成長期にみられた会社が従業員の面倒を見るといった「終身雇用」や「年功序列」は崩壊しつつある。さらに、昨今の新型コロナウイルス感染拡大が拍車をかけ、「経済成長」というゲームが終わろうとしている。

山口氏は、経済成長が終焉した新たな時代について、「高原への軟着陸」のフェーズに入ったと表現する。「高原」という言葉を聞いて、私は、かつて訪れた宮崎県にある高原の風景が脳裏に浮かんだ。高原とは、標高が高く、連続した広い平坦面を持つ地形である。そこでは、緑が広がり、心地よい風が吹き、自然と一体になれる。「高原」では、人間として最も価値のあることを実現する。それは、人と人がふれあい、喜びや美しいものをみたときの感動を共感し合うような社会であると想像する。

いままさに時代転換のときを迎えている。それは、一層、新型コロナウイルス感染拡大で拍車がかかったように思う。東京一極集中していた“職場”は、テレワークの普及とともに、人が地方に流れている。また、政府による度重なる緊急事態宣言の発令により、多くの業種が疲弊している。人口減少社会や非正規雇用の増大などの社会環境の変化により、経済成長を追いかけるには無理がある。いまこそ、まず、自分の心に豊かさをもたらす「高原」へと誘われる時がきたのだと感じた。

本書の中では、様々な引用文が登場する。その中で、冒頭に紹介した言葉は、私の心の琴線に触れた。このテグジュペリの言葉は、「高原」辿り着いた世界を上手く表現しているように思える。人々が自分の行動に責任を持ち、助け合い、分かち合い、持続可能な世界を構築していく。この助け合い、分かち合いの精神は、山口氏が提案するユニバーサル・ベーシックへとつながる。そこには、衝動に根ざしたコンサマトリーな経済活動を促進するために、誰もが安心して「夢中になれる仕事」を探し、取り組むための補償となるものである。


これからの時代、なにを求めるのか。それは、人間性を最重要視した新たなエコノミーの幕開けということが実感できた。そして、本書を読み、これからは、心地よい環境で、人間らしく生きたいと思った。


2021年7月10日土曜日

WE HAVE A DREAM

 「命は贈り物。だから決してあきらめてはいけないよ。」
昔、父にそう言われたとき、私にはその意味が理解できませんでした。(引用)WE HAVE A DREAM 201カ国202人の夢×SDGs,編:WORLD DREAM PROJECT、Director:市川太一、Co-Director:平原依文、発行所:いろは出版、2021年、492


地球は、「命の惑星」である。
改めて、そう感じさせられる1冊に出会った。
その本の名前は、「WE HAVE A DREAM 201カ国202人の夢×SDGs」である。本書では、人種、言語、文化が異なる世界201カ国、202人の若者たちが夢を語っている。

“WE HAVE A DREAM”と聞いて、私は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説を思い出した。1963年8月28日、職と自由を求めた「ワシントン大行進」の一環として25万人近い人々がワシントンDCに集結し、デモ行進をした。この日最後の演説者であったキングの行った「私には夢がある」(I Have a Dream)の演説は、独立宣言にも盛り込まれている「すべての人間は平等に作られている」という理念を網羅するものだった。あらゆる民族、あらゆる出身 のすべての人々に自由と民主主義を求めるキングのメッセージは、米国公民権運動の中で記念碑的な言葉として記憶されることとなった。1)

未だ、人種平等と差別の終焉を訴えたキングの夢は実現していない。それどころか、気候変動により、海水温が上昇し、住むところが海に沈むかもしれないと脅かされている島国。貧困などの原因で、適切な教育の場が子どもたちに与えられていない国々。そして、内戦やデモによって平和が維持できていない国々など、私たちの住む「命の惑星」が危機に瀕している。2015年、国連サミットにおいて、持続可能な開発目標が採択された。この17のゴールを定めたSDGsは、参加国が史上最大の規模となり、全世界共通の目標となった。いま、世界は、SDGsに対して、どのように考え、行動しているのだろうか。

朧気ながら、そう考えていたときに、WE HAVE A DREAMの本を手にとった。この本では、若者たちが、持続可能な世界を構築すべく、将来の国に、そして世界に対して夢を語っている。多くの若者たちが真剣に自分の国や世界を考え、行動している。読み進めていくうちに、胸が熱くなるのを覚えた。

ウルグアイ代表のソル・スカビノ・ソラーリ(29)さんは、「あらゆる命が共感の上に成り立っている世界について学び、その実現を夢見ている」(本書、307)と語っている。私は、さりげない若者の一言であるが、とても意義深い言葉だと思った。彼女は、社会学者として、飢餓撲滅の取り組みなどもしてきた。彼女は、共感することにより、人々とつながり、憎しみと恐れを思いやりに変えるのを助けると考えている。そのことにより、世界は、心身ともに苦しむ人々が減少していくと主張する。まさに、そのとおりだと感じた。私は、経済成長を目指し、人々は競争社会に揉まれながらも、物質的な豊かさを求めるが故に、代償としてかけがえのないものを失ってきた気がしている。彼女の主張を聞いて、いま、人間のエゴを捨て、共感しながら、思いやり、配慮に基づいた行動をするときがきているのだと感じた。

冒頭に記したのは、北朝鮮代表のヨンミ・パク(27)さんの言葉だ。北朝鮮で生まれ育った過酷な環境を赤裸々に述べている。いま、彼女は、母になり、お父さんから言われた「命の大切さ」の意味が理解できるようになったと言う。彼女は、遠く離れた異国の地から、いまでも母国のことを思い、夢を語っている。一人の女性の夢に触れ、ここまで人間は、強くなれるのかと思った。

若者たちの夢を、単なる夢として終わらせてはいけない。キング牧師の演説では"I"であったが、この本は"WE"となった。彼ら、彼女らの夢は、一言で言えば、この地球上が持続可能なものであり、そこに住む人達が共感しあうものにすることではないだろうか。
国境を超えた若者たちの夢が共感しあうことで、再び、『命の惑星』の輝きを取り戻さなければならないと感じた。

1)Website:AMERICAN CENTER JAPAN 


2021年7月3日土曜日

SXの時代

先入観にとらわれず、最前線の生の情報を知り、先々を見通すために、経営トップは社員とどんどん対話すべきだ。(中略)対話によって世界中の社員とサスティナビリティ経営に関する情報と危機意識を共有し、変化を先取りしていかないと変化の激しい時代に生き残ることはできない。サステナビリティこそ経営戦略そのものだ。
           新浪 剛史氏 (サントリーホールディングス 代表取締役社長)
(引用)SXの時代 究極の生き残り戦略としてのサステナビリティ経営、著者:坂野俊哉、磯貝友紀(PwC Japanグループ)、発行者:村上広樹、発行:日経BP、発売:日経BPマーケティング、2021年、328

私は、「SX」という言葉に初めて出会った。
SXとは、サステナビリティ・トランスフォーメーションのことだ。今、世界で急速に広がっているという。サステナビリティの先進企業は、次々とCO2(二酸化炭素)排出ゼロ(ゼロ・エミッション宣言)を目標に打ち出している。それは、取引先を含めたサプライチェーン全体で、事業ポートフォリオやビジネスモデルを根本から見直し、事業自体を再創造しようとしているという(本書、4)。
SDGsの動きなどもあり(「SXの時代」の筆者らは、SDGsが示唆する迫りくるリスクとその背後にある大きな機会を真剣に考えてみることが重要と説く)、サステナビリティ経営が注目されている。
では、なぜ事業者は、サステナビリティ経営を目指さなければならないのか。
また、サスティナビリティ経営を導入するだけのメリットが得られるのか、といった疑問が湧いてくる。
坂野氏と磯貝氏が所属するPwC Japanグループによる「SXの時代(日経BP,2021)」を読んでみることとした。

まず、そのとおりだなと感じたことは、本書の冒頭に紹介されている親亀、子亀、孫亀の話である。
親亀は、環境価値。
子亀は、社会価値。
孫亀は、経済価値を表す。
親亀の上に子亀が乗り、さらにその上に孫亀が乗る。必然的に、親亀(環境)がコケたら、みんながコケてしまう。特に孫亀だけを可愛がる企業は、親亀と子亀の過剰な負担を軽視しているため、長寿命化を図ることができないと感じた。

そのなかで、Appleを取り上げた事例は、非常に共感した。私も最近、iPhoneを買い替えたのだが、初めてiPhoneをネットで買うこととした。その際、Appleは、今まで使用していたiPhoneの下取りにも積極的であることに気づかされた(Apple社のサイトは、購入のみならず下取りの案内も親切であった)。事実、Appleは、「100%(完全循環型)リサイクルの実現」と「サプライチェーン全体でCO2排出量ゼロとすること」を宣言している。そのため、Appleは、将来的にすべての製品とパッケージを100%リサイクルされた素材と再生可能な素材を使ってつくる開発を進めている。それは、Appleが限りある資源を用いて製造している以上、サスティナビリティを無視して事業継続を行った場合、最後は自分で自分の首を絞めることを知っているからだ。少しなら環境に悪いことをしてもいいという考え方で事業を行った場合、最後は、ブーメランのように自分に返ってくる。サスティナビリティ経営をしていく上では、少しぐらいなら許されるだろうという気持ちを排除し、徹底的に地球に優しい経営をしていく心構えから始めなければならないと感じた。

また、サステナビリティ経営には、4つの型がある。その中で、本書で勧めているのが「ミッション・ドリブン型」と言われるものだ。これは、その企業が掲げるミッション・ビジョンそのものが「環境・社会に関わる課題の解決」であり、企業トップが「このような社会の課題を解決したい」という強い信念を持ち、トップのリーダーシップを原動力に、事業を推進している型のことだ(本書、148-149)。
しかし、目の前には、企業の”利益追求”という永遠の課題が突きつける。A(環境)を実現しようとするとB(利益)が犠牲になるという、いわゆる「トレードオフ」に囚われていては、前に進めない。本書では、トレードオンを阻む5つの壁も紹介されているが、例えばライトグリーン層を狙うなど、トレードオンに方向を変えていかなければならない。そのため、トレードオンに方向を変えるためには、事業者の発想の転換が求められる。目先の利益ばかり追求していれば、中・長期的な利益を損失することになると感じた。

そのために、本書では、事業者らが、自分自身の長期到達点である北極星を見つけることを提案する。もはや、環境や社会の問題は、地球に住む誰もが避けて通れない最重要課題に位置づけられる。事業者は、ビジネスの変革やイノベーション創出を成し遂げ、親亀と子亀と共存しながら利益を生み出す北極星へと向かう。それと同時に、消費者も、例えば、商品購入時に環境に優しい製品の選択をする。つまり、一人ひとりが「グリーンコンシューマー」であるという意識を持たなければならないのだと感じた。

本書では、各国の豊富な事例とともに、経営者らも登場する。冒頭に紹介したサントリーホールディングスの新浪代表取締役社長もその一人だ。新浪社長は、近年の世界各国による異常気象や自然災害の激甚化を危惧されている。そして、かつて在籍されていたローソンでは、気温の変化に連動して商品を販売することが難しくなったことから、「これは地球からのメッセージだと感じた(本書、322)」と言われる。これからの時期(2021年7月に本ブログを執筆)、梅雨も本格化し、出水期と言われる時期に突入した。毎年、各地で豪雨災害のニュースが流れる。すでに異常気象が当たり前という意識では、未来に地球を残せない。

そんな中、スズキをトップとして40年以上率いてきた鈴木修会長が2021年6月25日の定時株主総会後に相談役に退かれるというニュースが流れた。かつて、鈴木修会長も次のように言われていた。
「地球温暖化の問題は、差し迫った危機だ。スズキとしても脱炭素に向けて協力しなければならない。できるかどうか分からないが挑戦する。」1)
その後、鈴木会長は、限りある任期の中、脱炭素への対応を盛り込んだ中期経営計画づくりを急ピッチで推し進めた。
地球上で、なにか事業を行うには、地球に優しくしなければならない。また、地球からの恵みも無駄にしないことも必要だ。そうしなければ、サステナビリティな経営は不可能である。当たり前の答えだが、本書を読み終えて、そう、感じた。

最後に、かのレイチェル・カーソン女史の「沈黙の春」に登場するシュヴァイツァーの言葉を思い出す。

「未来を見る目を失い、現実に先んずるすべを忘れた人間。そのゆきつく先は、自然の破壊だ。」
このような警告を噛み締めながら、今を生きる私たちは、サステナビリティ経営を実践していく義務があるのだと思うに至った。

1)2021年6月25日付 日本経済新聞朝刊(取材は2021年2月)、中部経済 39面

「伝える力」

本書は、「伝える力」を世界で一番簡単に習得できることを目指しています。
(引用)1分で話せ、著者:伊藤羊一、発行所:SBクリエイティブ株式会社、2018年、9

職場では、常に「伝える」ことが求められる。
これは、職階が上がるにつれ、「伝えること」が減るかと言われたら、大間違いだ。逆に、歳を重ねるごとに、上層部に伝えなかればならない機会が増えてくる。
しかも、上層部は忙しい。短時間で、しかも的確に、論理的に伝えることが求められる。
中間管理職であれば、部下からの伝え方を参考に、自分は、上層部にこのように伝えようと学習する。しかし、それには、限界があることに気付かされた。そんなとき、一冊の本に出会った。ヤフー株式会社 Yahoo!アカデミア学長である伊藤羊一氏による「1分で話せ(SBクリエイティブ株式会社、2018年)だ。

まず、本書を読み終えて感じたことは、「読みやすい」ということだ。冒頭にも引用したが、伊藤氏は、本書で「伝える力」を世界で一番簡単に習得できることを目指していると言われる。読み始めたら、時間も経つのも忘れ、2時間もあれば全て読み終えてしまった。

そんなに早く読み終えてしまったならば、内容的にどうであろうか。
一言で言えば、「参考になった」ということだ。
世には、ロジカルシンキングの本も数多く出版されている。しかし、伊藤氏は、ピラミッドストラクチャーを用い、短時間で、しかも的確に、論理的に伝えることを提案する。簡単かつ実用的なこのピラミッドストラクチャーは、自分自身も”使える”と感じた。常にピラミッドストラクチャーを自分のフォーマットとして、頭に入れておこうと思った。

これだけではない。
ピラミッドストラクチャーは、さらに応用が効く。
よく、相手からの「予期せぬ質問」によって、頭が真っ白になることがある。
そのときにも、ピラミッドストラクチャーは、有効であると感じた。
この「予期せぬ質問」は、職階が上位になればなるほど、遭遇する機会が増える。
常に、自分の”武器”として、ピラミッドストラクチャーを活用していこうと感じた。

一方、伊藤氏は、プレゼンの仕方などの解説もしてくれる。
パワーポイントの作り込みの仕方などもわかりやすい。
また、実際にプレゼンするときの態度なども参考になる。
伊藤氏は、ほかにもプレゼン関連の書籍を出版されているようである。
後日、拝読させていただきたいと思った。

「1分で話せ」というのは、まさに的を得ている。
伊藤氏も「人は、相手の話の80%は聞いていない(本書、17)」と言われる。
私も経験上、部下は「上層部に話しておきました」と言っても、上層部からは「聞いていない」と言われることも多々ある。
短時間で、しかも的確に、論理的に。
本書を読み、伊藤氏から、その答えを得ることができた。



2021年6月19日土曜日

なぜ、脱成長なのか

 脱成長は、「強欲なのは自然なこと」「多いほうがよいこと」という常識を受け継がない。「多くを分かち合い、不足を少なくする」「ほどほどで満足する」といった認識を、共通の分別(コモンセンス)として育てていきたいのだ。
(引用)なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える、著者:ヨルゴス・カリス、スーザン・ポールソン、ジャコモ・ダリサ、フェデリコ・デマリア、訳者:上原裕美子、保科京子、解説:斎藤幸平、発行所:NHK出版、2021年、38

 新自由主義的改革は、人々にウェルビーイング(幸福)をもたらしたのであろうか。世界各国では、未だ経済成長を競い、自分たちの力を誇示する傾向が見受けられる。我が国においても、経済成長を謳い、GDPの成長を目指してきた。事実、2016年に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」で打ち出した新三本の矢においては、「戦後最大の名目GDP600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」という強い大きな目標を掲げた。しかし、現状はどうだろうか。我が国の現状は、非正規雇用者が増加し、一段と格差が広がっている。また、2019年の人口動態統計によれば、出生率も1.36で4年連続減少している。さらに、世界的に見て後れを取っていた地球温暖化対策については、20201026日、第203回臨時国会の所信表明演説において、菅内閣総理大臣は、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言した。この本のテーマである、分断、格差、そして気候変動は、どれも地球に住む私たちにとって、待ったなしの状態となっている。これからも、「成長」を追求することが、正しいことなのだろうか。そんな思いから、「なぜ、脱成長なのか(NHK出版)を読ませていただくことにした。

私は、本書を読み進め、「幸福の逆説」という言葉を思い出した。米国の学者リチャード・イースタリン氏が「幸福の逆説」を唱えたのは1974年である。「幸福の逆説」とは、1人あたりの国内総生産(GDP)が増えても、国民の幸福感が高まるとは限らないという意味であった。新自由主義的改革では、トリクルダウンが期待された。トリクルダウンとは、長く経済学の世界で語られてきた言葉だ。経済成長することにより、水が上から下へと滴り落ちるが如く、経済成長の恩恵が富裕層である上層から下層へ、広く受けられることを意味する。

しかし、実際は、どうであっただろうか。

例えば、我が国では、子どもの貧困が進む。2019年国民基礎調査によれば、「子どもの貧困」は、2018年調査では13.5%にのぼる。つまり、7人に1人が貧困家庭という結果だ。そのため、我が国では、子どもの貧困対策の推進に関する法律まで存在する。また、最近、ヤングケアラーという言葉が新聞などに頻繁に登場する。厚生労働省によると、ヤングケアラーとは、法令上の定義はないが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされている。2021年、国の調査によると、ヤングケアラーは、中学校2年生の17人に1人、つまり中学生の約5%が家族の世話をしていることになる。

筆者らに言わせれば、1980年代から、英米をはじめとする様々な経済圏において、富裕層のために成長を活性化させることを意図した新自由主義的改革では、労働および資源の搾取・収奪量・市場における消費量、そしてGDPの成長維持を支えるようになった。利潤はもっぱら富裕層のなかで再分配され、国内及び国家間の不平等を広げた(本書、53)と指摘する。まさに、社会学者ロバート・マートンが言われた「マタイ効果」が起きているのではないだろうか。つまり、「もてるものはさらに与えられ、もたざる者はさらに奪われる」と記されている新約聖書マタイ福音書に倣い、政策や制度が格差を縮小できず、逆に広げてしまう現象が生じていると言えよう。

 では、なぜ、脱成長なのだろうか。筆者らは、脱成長には、互いのケア、そしてコミュニティの連帯が必要だと説く。本書では、主としてバルセロナの事例を掲げる。その中でも「連帯経済ネットワーク(XES)」の取り組みが興味深い。約11万人が加わり、6000人の雇用を創出し、400種類の活動を支援している。個々の事例は、本書に譲るが、バルセロナでは、20201月に「気候非常事態宣言」を発表している。その宣言において、「地球の生態学的バランスを危機に陥れているこの経済システムは、同時に、経済格差も著しく拡大させている(本書、206)としている。実質的な脱成長宣言により、XESは、ポストコロナをも見据え、世界的に注目される取り組みをしている。そこには、脱成長を基本とした、持続可能なまちづくりへの姿勢が見受けられる。そして根底には、新自由主義的改革で忘れ去られようとしている、バルセロナ市民の「分かち合い、助け合い」の精神があるのだと感じた。

 本書では、脱成長における改革案も忘れていない。脱成長のための5つの改革を提言しているが、その中で「所得とサービスの保障」は興味深い。生活を維持する基本的なサービスと所得を一律に保障することの重要性を説き、その原資として富裕税の導入を提案する。ゼロ成長時代には、経済成長でトリクルダウンさせるのではなく、意図的な制度(累進課税制度等)の導入でトリクルダウンさせることが必要なのだと感じた。

 本書を読み終えて、ブータンを思い出す。ブータンは、先代の第4代国王がGDPではなく、GNH(国民総幸福)を提唱した。今では、世界一幸せな国とも言われている。本書でも指摘されているように、「脱成長」を目標に掲げて行動することは、勇気のいることだ。しかし一方、成長によって、様々な課題がもたらされたのも事実だ。

いま、「脱成長」社会が到来している。新たな環境に適応すること、変化に対応できるものだけが、今後の世界を生き残ることができる。コロナ禍によって、一層、脱成長は加速すると思われる。新たな時代で、人々が幸福に暮らしていくためには、何が必要か。本書は、脱成長時代に、真の持続可能な社会を築き、人々にウェルビーイングをもたらす重要なヒントが記載されている。いま、私たちは、脱成長時代における新たな政策について、真剣に議論を始めるときがきているのだと思う。

 

LIMITLESS 超加速学習

 教育の真の目的は、絶えず問いを問う状態に人を置くことである。
                  マンデル・クレイトン主教
(引用)LIMITLESS 超加速学習 人生を変える「学び方」の授業、著者:ジム・クウィック、訳者:三輪美矢子、東洋経済新報社、2021年、89

「超加速学習」。
このタイトルに惹かれて、ジム・クウィック氏の本を拝読した。
まず、私が気にしたことは、「この本は、学生(受験生)向けのものなのか?」ということだ。つまり、社会人の私にも、本書は役に立つかどうかということだった。
次に私が気にしたことは、「この本は、本当に超加速で学ぶことができるのか?」ということだった。いま、ジム・クウィックさんの本を読み終えて、この2つの質問は、ともに「YES」と言える。

確かに、本書は、数多くの「学び方」について、触れられている。
例えば、ノートのとり方や、読書の仕方など。
確かに本書では、超加速学習をする上でのスキルを多く学ぶことができる。

しかし、本書のサブタイトルは、「人生を変える『学び方』の授業」となっている。
「人生を変える」とは、少し大袈裟な気もしたが、冒頭に引用した言葉に出会ったとき、私は、ハッとさせられた。
今まで私は、教育の真の目的について、考えたことがなかった。
確かに、人生は、「問い」の連続かもしれない。
いま、私が本を読み続けていることも、ほかの習慣についても、自分自身の「支配的な問い」が存在しているからに他ならない。
この「支配的な問い」を問い続け、実行することで、物事の理解が深まり、超加速学習が可能となる。人生の目的とも言うべき、「支配的な問い」は、学生や社会人に関係なく、学び続ける意義の根幹であると感じた。

本書では、3つのM、すなわちマインドセット、モチベーション、メソッドが存在する。この3つのMが重なるところに「リミットレス」があり、そこで初めて「統合」の状態、つまり全ての条件が満たされた状態になる(本書、37)。
その中で、私が重視したいのは、学習することによって、「その経験にやりがいを感じる」ことだ。本書では、瞑想や呼吸法についても触れている。まず、ストレスを排除し、気持ちを落ち着かせ、モチベーションを上げる。そして、自分の「支配的な問い」に基づき、学習することにやりがいを感じていくことが重要であると思った。このことは、社会人でも、大いに役に立つかということだ。

ジム・クウィック氏も「世界の成功者は一生を通じて勉強している」と断言している(本書、265)。いま、私は、自分の仕事でも、学ぶことが多い。それは、一見、専門外と思われる仕事内容も、リンクしてくることも多い。また、最新の情報や知見を得るべく新聞や書籍を読み、さらに他の分野にも広げながら、応用し続けている。

学生の皆さんも忙しいとは思うが、社会人も多忙を極める。
私も知識や学ぶことは、休日の限られた時間になることが多い。
そのような状況において、超加速学習のスキルを学ぶことは、社会人にとっても意義のあることであった。

リミットレスな人になろう。

本書を読んで、そう、思った。






2021年6月12日土曜日

貧困・介護・育児の政治

 これからの社会民主主義がどのような普遍主義を実現するのか、人々に何を保障していくことを目指すのかと考えたとき、「ベーシックアセット」は有力な回答の一つとなる。
(引用)貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ、著者:宮本太郎、発行所:朝日新聞出版、2021年、299

 我が国においては、多様な福祉課題が存在する。その中においても、「貧困」「介護」「育児」といった3つの課題は、我が国において喫緊であり、最重要の課題として位置付けられるものであろう。

 先日、「アンダークラス化する若者たち(明石出版、2021年)」を拝読した。本書では、主として貧困家庭に育ち、まともな学校教育が受けられず、正規雇用に就くこともできない多くの若者の存在を知った。そこには、満足な収入が得られない中で、「新たな生活困難層」として位置付けられ、従来の家庭・会社・行政という三重構造で成り立っていた社会保障の狭間でもがき苦しむ若者たちの姿があった。「アンダークラス化する若者たち」を編著された宮本太郎氏は、同書の中で、「ベーシックアセット」の必要性を提言していた。ちなみに、アセットとは、ひとかたまりの有益な資源という意味である。その点では給付も公共サービスもアセットである(本書、22)。

 これからの福祉政策は、なぜ、いま、AIの進展により、再び注目されつつあるベーシックインカムでもベーシックサービスでもなくベーシックアセットであるのか。また、ベーシックアセットという考えをどのように福祉政策に取り入れていくのか。その解を得るべく、福祉政治論の第一人者である宮本太郎氏による「貧困・介護・育児の政治(朝日新聞出版社)」を拝読させていただくこととした。

 まず感じたことは、福祉政策は政治的影響を受けやすいということだ。本書では、我が国における、貧困政治、介護政治、育児政治を通して、「社会民主主義」、「経済的自由主義(新自由主義)」、「保守主義」の3つの政治潮流の対抗を明らかにする。

中曽根政権による「増税なき財政再建」や小泉政権による「聖域なき構造改革」において、筆者は、財政的制約を第一条件とする「磁力として」の新自由主義という表現を用いる。この「磁力としての経済的自由主義」は、政治が安定すると復調してくる。この「磁力としての経済的自由主義」では、例えば、介護保険については、低所得層が制度から排除される傾向が強まるなどが発生する。また、小泉政権を引き継いだ麻生政権が自民党政治の揺ぐ中、「例外的状況」として社会民主主義的な提起が制度として実現することとなった。本書では、準市場や社会的投資をとおして、人々を社会参加可能とする最低限のアセットとつなぐ。そして、ポスト「第三の道」として、社会民主主義の再生を試みているところに興味を惹かれた。

 政治潮流を背景とし、筆者は、ベーシックインカム、ベーシックサービスの対比を試みながら、ベーシックアセットへの道を提言する。このベーシックアセットという言葉を聞いて、次の言葉を思い出した。

Collective Impact

直訳すれば、「集まることによる力」となる。社会が抱える課題を、行政、企業、NPOなど役割の違う組織が、それぞれの特徴を生かして解決を探る考え方である。朝日新聞記事では、東京都文京区における児童扶養手当、就学援助を受ける世帯に「こども宅食」を届ける例が紹介されている。1)
ベーシックアセットの意義として、宮本氏は、一人ひとりに最適なサービスや所得保障のとの組み合わせについて、当事者が専門家とも相談し、協議しながら選択できて、場合によっては試行錯誤できる仕組みが必要であると説く。(本書306

 私は、「アンダークラス化する若者たち」と「貧困・介護・育児の政治」という一連の福祉政策の書籍からは、何よりも省庁や行政の縦割りの打破と関係機関との連携、そしてその考えを含めたベーシックアセットという考え方が必要であろうと思うに至った。それは、多様な支援機関の資源を活用するとともに、個々のニーズに即した、きめ細やかな施策が可能となることを期待するからだ。

現在、国では、こども庁の創設が進む。
新しく創設されるこども庁が情報を横断的に集約・分析し、強い総合調整機能を持ちながら、アンダークラス化する若者たちに対しての政策を展開してほしいと真に思う。そして、NPOや企業、各自治体とも連携しながら、国民に根差したものにしてほしいと思う。このことは、各自治体においても、同様のことが言えよう。

 コロナ禍において、さらなる分断な社会が進む。「貧困」は、さらなる複雑化・多様化する様相をみせる。政治潮流にも左右されやすい福祉政策であるが、「新たな生活困難層」が置き去りにされないことだけは、強く求められると感じた。例えば、「待機児童の解消」だけでは、少子化対策につながらない。ベーシックアセットという考えを常に意識し、福祉政策を進めるまちには、幸福感が増し、人々が集う。具体的なベーシックアセットの政策例については、本書においてはあまり触れられていないが、筆者によって、3つの重要性を示している。それらの重要性を考慮しながら、政策を立案していく必要があるのだろうと感じた。そして、少子高齢化や貧困化が顕在する現代において、新たなまちづくりは、まず、福祉政策の徹底にあるのではないだろうか。そうすることで、私たちのまちは輝きを取り戻し、少子高齢化や貧困といった社会課題の解決の糸口を探すことが可能となる。

いま、日本の、そして地域の”福祉力”が何より問われていると強く感じた。

1)朝日新聞、波聞風問「子どもの貧困対策 企業ノウハウ未来への投資」、編集委員:多賀谷克彦、2017年9月19日朝刊

2021年6月5日土曜日

アンダークラス化する若者たち

 アンダークラスとは、不安定な雇用、際立つ低賃金、結婚・家族形成の困難という特徴を持つ一群であり、従来の労働者階級とも異質なひとつの下層階級を構成する社会階層である。
(引用)アンダークラス化する若者たち ー生活保障をどう立て直すか、編著者:宮本みち子・佐藤洋作・宮本太郎、発行所:株式会社明石書店、2021年、15

我が国は、少子高齢化が叫ばれて久しい。内閣府の「少子化対策白書」による「令和2年度 少子化の状況及び少子化への対処施策の概況」によれば、2019年の出生数は、86万5,234人となり、過去最小(「86万ショック」)となった。また、同年の合計特殊出生率は、1.36と、前年より0.06ポイント低下している。さらに、2021年6月4日、厚生労働省が発表した2020年の人口動態統計調査によると、合計特殊出生率は1.34と、前年より0.02ポイント低下したことが明らかとなった。少子化対策白書では、少子化対策による重点課題として、まず真っ先に待機児童解消などの「子育て支援施策の一層の充実」を掲げる。次に、若者の雇用安定など「結婚・出産の希望が実現できる環境の整備」としている。

少子化の根本的な原因はどこにあるのか。男性の育児参加や待機児童をなくすことも勿論、大切なことであろう。また、昨今の新型コロナウイルス感染拡大の影響により、結婚が疎遠がちになりつつあることも拍車をかけているのだろう。しかし、最大の要因は、多くの若者たちが将来に希望を持てず、家庭や子どもを持つことを諦めてしまっているのではないかと思う。それは、私が2009年に「子ども・若者育成推進法」が成立した背景に興味を持っているからだ。
「なぜ、国は、子ども・若者の支援に力を入れるのか。」
「いま、子どもや若者たちに何が起きているのか。」
その真意を確かめるべく、私は、「アンダークラス化する若者たち(明石書店、2021年)」を読み始めた。

まず、「アンダークラス」という言葉が存在することに驚いた。アンダークラスとは、生活水準が下級階層であることを指す。子供の貧困が増大している背景には、家族の崩壊、親の長期の失業、一人親(特に母子家庭)の増加などがある。その結果、不登校や高校中退といった早期の学習機会が奪われ、就労に至らないケースが増加する。我が国では、雇用によって成り立っていた若者の生活が保障できなくなっている。それとあわせて、国家による古い生活保障制度が若者たちを排除することが浮かび上がってくる。
本書では、アンダークラス化が進む若者たちに、様々な観点から厳しい現実を突きつける。
では、現代を生きる若者たちに”救いの手”はあるのだろうか。悲観論が続くが、その中においても私が本書で見出した”希望”を3点述べたい。

1点目は、「つなぐ」ということだ。
「コミュニティー・オーガナイジング」という言葉がある。若者支援は、行政、民間事業所、地域、家庭などが関わってくる。その際、縦割り行政では、制度のはざまで生きる子どもたちに、支援の手が及ばない。まず、地域社会の資源を結集した「コミュニティ・オーガナイジング」というアプローチにより、各支援者を「つなぐ」ことが必要だと感じた。そのために、私はまず、子どもの抱えている”異常”は、学校で把握するなどの対策も必要ではと感じじている。そして、学校で把握した要支援の子どもたちは、福祉へと引き継がれる体制づくりが急務である。

また、若者を切れ目なく支援機関につなげる回路も必要だということを理解した。学校からの情報がサポステなどの若者支援機関に届くことは少ないため、来所者の捕捉率は低いという。その中で、高知県の「若者はばたけネット」に希望を見出した。高知県では、中学卒業時及び高校中退時の進路未定者をサポステにつなげ、就学や就労に向けた支援を行うことでひきこもりやニートにならないように予防している。各機関が連携をし、情報を「つなぐ」ことで、若者支援に対して強力なものになる。

2点目は、「生活保障を立て直す」ことだ。
我が国の社会保障制度は、一定期間の拠出履歴を前提とした失業保険に基づく社会保険が中心であることが前提となる。社会保険であることから、非正規雇用などの雇用歴が不安定になりがちな若者にとって、失業給付からの脱落に直結してしまう。そのほか、最後のセーフティネットと言われる生活保護においても、審査基準が厳しいと言われている。これらの古い社会保障制度からの脱却が問われる。本書の最後で、宮本太郎氏は、「若者にベーシックアセット」を提唱している。アセットとは、ひとかたまりの有益な資源であり、資源として重要になるのは、支援サービス、現金給付、そして帰属先のコミュニティであるとしている(本書、292)。本書では、ベーシックアセットについて詳述されていないが、宮本太郎氏は、「貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ(朝日選書、2021年)」を上梓されている。今後、読んで理解を深めたいと思った。

3点目は、まだ私たちの周りに「奉仕する心」、「福祉の心」を持ったかたがいることだ。
まず、各自治体では、再優先課題として、子ども・若者支援対策に取り組むべきではなかろうか。少子化の時代、一人ひとりの貴重な子ども・若者たちが希望を持てるまちづくりを進める必要があると感じた。
その上で、本書では、「静岡方式」が取り上げられている。静岡の取り組みは、国家、企業、家族でない第四の拠り所として「地域」を位置づけ、これを足がかりにして、若者のライフチャンスを高めようという取り組みである(本書、130)。静岡の事例を見ると、支援される側には、多様なサポーター(ボランティア)が登場する。NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡の取り組みは、地域全般の雇用のありようを変え、地域の「包摂力」をあげることに成功している。この地域の「包摂力」をあげることは、今後のまちづくりにおける根幹となるべき要素ではないだろうか。そのまちには、多様なサポーターたちの「奉仕する心」や「福祉の心」によって支えられていることが必須条件となる。そして、幸いにも、私達の周りには、特に国が危機的な状況(例えば大規模震災時など)に襲われたときに感じるのだが、そのような方が多く存在する。

アンダークラスの若者たちは、何も好んで、そうなった訳ではない。多くは、大人の理由によることも多い。
「人間」は「人間」でしか助けられない。
そのため、いま、私たちは、それぞれ”今いる場所”で、アンダークラス化する若者たちに寄り添い、結びつき、支援をしていく責務があるのだと感じた。それがひいては、少子化を克服する一つの処方箋にもなるし、自分たちのまちを持続可能なものにしていくことだろうと思った。

2021年5月22日土曜日

離島発 生き残るための10の戦略

いくら周りを動かそうと頑張っても、人の心を打たなければ動いてはもらえません。幸い、私たちの試みは、彼らに何かを伝えることができたのだろうと思います。
(引用)離島発 生き残るための10の戦略、著者:山内道雄、発行所:NHK出版、2007年、167

最近、私は、遠く離れた島々に思いを馳せている。

その島々とは、隠岐諸島。本土からの所要時間は、高速船で約2時間、カーフェリーだと3時間弱から5時間弱かかるという。
隠岐諸島は、島根半島の沖合60キロほどの日本海に浮かぶ島々である。その一つに中ノ島があり、海士(あま)町がある。
海士町は、地方創生のフロントランナーとして、全国に名が通る。
失礼ながら、交通アクセスが良いとは言えない海士町において、なぜ、「地方創生のトップランナー」とまで言われるようになったのか。
また、先日拝読させていただいた枝廣淳子氏による「好循環のまちづくり(岩波新書,2021年)」においても、海士町は地方創生のモデルとして紹介されている。
なぜ、人口減少が進む離島において、これほどまでに新たな産業を創出することに成功し、関係人口が増加し、好循環のまちづくりができたのか。
その秘密に迫るべく、電電公社からNTTに変革したときの経験を活かし、大胆な行政改革と産業創出の政策を実施した前町長の山内道雄氏の「離島発 生き残るための10の戦略(NHK出版,2007年)を拝読させていただくことにした。

本を読みすすめるうち、私は、すっかり、町の存亡の危機と戦った山内前町長の力強くも優しい言葉の数々に触れ、海士町の虜(とりこ)になってしまった。

私は、海士町の成功要因について、次の3点のことを思った。

1点目は、危機感を持って新たな環境に適応しようとしたことである。
まず私は、海士町の当時の現状に触れ、進化論を唱えたダーウィンの言葉とされる「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」を思い出さすにはいられなかった。
人口減少が進み、さらに離島ならではの課題を抱えていた海士町は、最初に町民と危機感を共有した。それは、従来の公共事業の繰り返しによる雇用創出に見切りをつけ、新たな産業を創出することであった。
いま、「変わらなければ、海士町が消滅しかねない。」という住民の危機感が高まり、民間出身の山内道雄氏に白羽の矢が立った。
新たな時代の環境に適応しようとして、山内氏を町長に導いた町民の意識共有が原点であろうと感じた。

2点目は、限りある資源を有効活用し、強みを活かしたことである。
限られた予算や人員などの資源配分、そして島民が真に必要としている政策の展開。私は、海士町の政策には、見事にマネジメントとイノベーションが組み合わさっていると感じた。
役場は、従来の管理的な役割から変化し、新たに産業振興を担う”産業3課”による取り組み  に予算や人員などを重点配分するようになった。
また、海士町には、海の恩恵により、豊富な海産物がある。この強みを活かし、海士町は、新たにCASフリージング・チルド・システムを導入し、イカやイワガキ、メバル、ヒラメなどを新鮮なまま本土に輸送できることを可能とした。そして、島内の恵まれた資源を強みに変え、”外貨”を稼ぐ。また、”島をまるごとブランド化”という政策は、新たな雇用創出などを展開していくこととなった。
一方、海士町は、人口減少を食い止める政策も展開する。「海士町すこやか子育て支援に関する条例」を制定し、結婚や出産祝金、離島ならではの妊娠・出産にかかる交通費助成などは、すっかり私も感心させられた。

3点目は、人づくりである。
商品開発研修生として全国の若者を募ったことである。給料は月額15万円。これでマクロ的な視点で新たな島の魅力を発掘することに成功した。
普段、島民が当たり前だと思っていることが、外の人が見ると魅力的に映る。そして、魅力が外に広がり、ひいては関係人口の創出にも繋がる。
本書の後半では、大学生や外国人との交流場面も登場する。
本書ではあまり触れられていないが、その後、山内町長らは、過疎で廃校寸前の高校を全国から志願者が集まる高校へと生まれ変わらせた。

そこに住む人が幸福であること。
それは、働くところがあり、人が集い、行政の政策がしっかりと住民とマッチし、外部との交流も盛んである。これが枝廣さんの言われた好循環なまちづくりなのだと感じた。

私は、海士町の山内道雄氏を富士フィルムの古森重隆氏と重ねた。
二人とも、危機感を抱き、自組織や地域の強みを活かしながら、強力なマネジメントとイノベーションを推し進めた。
そして、両者とも見事な復活劇を遂げたのは、言うまでもない。

山内道雄氏は、次の言葉を大切にする。
先憂後楽
行政というのは、「憂い」があれば住民より前に気づいて対処し、それがうまくいって「楽しみ」ができても、それを享受するのは住民より後でいい(本書、71)という意味だ。

行政に関わる人たちにとっては、貴重な言葉だ。いま、どの自治体も新型コロナウイルスのワクチン接種や感染拡大防止で忙殺されている。やりきれない行政マンも多い中、今一度、原点に立ち返って、「先憂後楽」という言葉を噛み締めたい。

まず、住民の幸せを第一に考える。
そんな、まちづくりをしている海士町の取り組みから、いろいろなことを教わる一冊であった。

2021年5月15日土曜日

取材・執筆・推敲 書く人の教科書

われわれは、書く人(ライター)である以前に、つくる人(クリエイター)なのだ。
(引用)取材・執筆・推敲ー書く人の教科書、著者:古賀史健、発行所:ダイヤモンド社、2021年、7

この本は、「書く人(ライター)」のための「教科書」である。
であれば、多くのビジネスマンは、「自分には関係ない」、と思ってしまうのではないだろうか。
しかし、この「教科書」は、普通に、書店のビジネスコーナで販売されている。しかも発行は、ダイヤモンド社だ。ライター専門の発行所でもない。
では、ライター以外のビジネスマンは、この「教科書」を必要とするのだろうか。
私の答えは、「イエス」である。

本書を読んで、「イエス」の理由を3つ、挙げることができる。
1点目は、多くのビジネスシーンで「書くこと」が求められるからだ。
書店では、”文章術”なる書籍がひっきりなしに出版されている。そして、私もその一人だが、実際に文章を書くことに悩むビジネスマンは多い。本書では、論文と小説との違い、論文的文章の基本構造、さらには文書技術(比喩の用い方)に至るまで、文章術の細かな部分まで紹介されている。本書を読みすすめると、時間が経つのを忘れ、中学校で古賀先生から国語の授業を受けているような感覚に陥る。古賀氏は、リズムの良い語り口で、生徒の私たちに分かりやすく文章術を教えてくれる。

また、古賀氏によれば、「ライターは、『空っぽの存在』で、取材を通じて『書くべきこと』を手に入れる。そして、取材を助け、取材に協力してくれたすべての人や物事に対する『返事』なのだ(本書、467)」と言われる。つまり、ライターは、「自分は、このように理解し、相手(取材を助け、協力してくれたかたたち)の思いをこのように伝えます」という役割を果たすということだ。
数多くのビジネスシーンでは、相手の立場に立って、「伝える」ことが多い。「伝える」ということは、プレゼンを真っ先に思い浮かべる。本書では、昔話「ももたろう」を用いて、構成力の鍛え方も紹介されている。場面ごとに用意された絵をピックアップし、どうつなげて話を読者に伝えていくかということは、ユニークな勉強法であると思うと同時に、プレゼン力を高めることにも繋がると感じた。

2点目は、読書の技術なども紹介されているからだ。
ライターには、「読む」技術も求められる。
古賀氏によれば、「取材者は、一冊の本を読むように『人』を読み、そのことばを読まなければならない(本書、50)」と言われる。
ライター的な視点で読書をすれば、一冊の本に書かれた著者の思いに迫ることができる。書いてあること、そして書かなかったことまでを「対話」しながら活字を読む。本書に紹介されている読書技法は、海で例えて言うなら、深海にまでたどり着けることを意味する。本当は、読み方次第で、著者の深層にまでたどり着くことができたはずなのに、少し海に潜った程度の理解で、息切れをして、読書を終えてしまっている。そんな、今までの自分の読書術を振り返り、猛省した。

3点目は、コミュニケーション術が学べることだ。
取材を通じて、古賀氏は、「聴く」こと、「訊く」ことについて触れている。
「話の脱線は大いに歓迎」と言われる古賀氏は、取材を通じて、コニュニケーション術をも教えてくれる。相手との会話のキャッチボールからはじまり、何気ない会話から、相手の本心が漏れた瞬間を聞き漏らさないことは、その人の考えを理解するのに役に立つ。まさに、「相手を知る」ためのコミュニケーション術、そのものだと感じた。

しかしながら、冒頭に紹介した、「書く人(ライター)は、つくる人(クリエイター)」という意味は、どう、理解すればよいのだろうか。

私は、写真を撮ることが趣味の一つだ。
本書を読み進めるうち、ライターとは、写真家にも似通っている部分があると感じた。
写真家は、撮影前に被写体を深く知ると同時に、いつ、どこから撮影すれば最高の瞬間が撮影できるのかを考える。つまり、ロケハンのことだ。これは、ライターによる取材の事前準備と似通っている。

また、撮影時には、フレーミングを考え、絞り、シャッタスピード、感度、レンズなどの組み合わせを考え、最高の瞬間にシャッターを切る。これは、ライターによる構成、書くときの技法(比喩を用いるなど)と似通っている。

さらに撮影後、作品を通して、本当に被写体の良さが伝わるものになっているかを見直す。これは、ライターによる推敲と似通っている。

言ってみれば、写真撮影もクリエイト的な仕事である。「自分は、こう被写体の魅力を最大限に引き出しました」と言って、被写体へ「返事」をする行為だ。

古賀氏によれば、
取材とは、一冊の本のように「世界を読む」ところからすべて始まる。
執筆とは、「書くこと」である以上に「考えること」。
推敲とは、原稿と二段も三段も高いところまでお仕上げていく行為であり、己の限界との勝負である。
と言われる。
まさに、ライターとは、写真撮影とも同じ、クリエイト的な仕事である。

もう一つ、本書がビジネスシーンに役立つことを加えるならば、古賀氏の仕事に対する「真摯な態度」だ。

このたびの古賀氏の書籍に対する、私の「返事」は、このようになる。
「書くことは、すべてのビジネススキルが凝縮されている。」

本書を読み終えたあと、自分の仕事のスキルが格段に向上したと感じた。これは、100冊の読書をして、1冊、出会えるかどうかの貴重な感覚だ。それは、本書が、とても実用的なものであることも意味する。

この本に「取材・執筆・推敲」の原理原則をすべて出し尽くしたという、古賀氏に感謝申し上げます。

2021年5月5日水曜日

好循環のまちづくり

 特に目的がなくても、人々が集まったり、ただたむろしたりできる場所を作ること。そして、いろいろな人たちが「自分にも出番がある」と感じられるような場づくりをすること。これらはこれからのまちづくりにとって大きなポイントになると思っています。
(引用)好循環のまちづくり!(岩波新書)、著者:枝廣淳子、発行所:株式会社 岩波書店、2021年、95

枝廣さんによる最新刊は、「好循環のまちづくり!(岩波新書)」だ。枝廣さんは、島根県海士(あま)町をはじめ、北海道下川町、熊本県南小国(みなみおぐに)町、徳島県上勝(かみかつ)町などのまちづくりに関わり、地域を活性化させてきた。その一つ、海士町は島根県の北に浮かぶ隠岐諸島の一つである中ノ島にある。例に漏れず、海士町も人口が激減し、財政破綻寸前まで陥った。そこから「島まるごとブランド化」「高校魅力化」などの取り組みを展開し、いまでは”地方創生のモデル”として全国に名を轟かす。広く知られる「海士町」というブランド化、地域の魅力づくりはもとより、なぜ海士町民が幸せに暮らし、島外からも人を呼び込むことができるのか。まさに本書のタイトルである”好循環”を生み出す秘訣を探るべく、枝廣さんの本を読み進めた。

枝廣さんによれば、まちづくりは、3ステップ(ホップ、ステップ、ジャンプ)であると言われる。この3ステップは、まちづくりのビジョンを定め、現状の構造を理解し、好循環を強めるプロジェクトを立案・実行する。具体的には、まず町全体で危機感を共有し、財政破綻を回避するべく、まちのあるべき姿(ビジョン)を策定する。次に、好循環を強めるプロジェクトを展開し、それが牽いては、そこに住む人の幸福度が増加する。結果的には、定住や関係人口の増加をもたらし、まち全体がブランド化し、活性されていく。何よりも枝廣さんの見事なまちづくりのステップに共感するとともに、行政の独りよがりなまちづくりにならないことに、成功の秘訣が隠されているのだと感じた。

枝廣さんによる一連のまちづくりのプロセスの中で、大きな役割を果たすのが、ステップに登場するループ図の作成ではなかろうか。例えば、人口が増加し、消費力が増える。そして地域経済の規模が拡大し、雇用が生まれる。そして、さらなる人口増加に繋がる。この相関関係を矢印で示し、ループ状に図式化する。ループ図を作成することは、正のスパイラルはもちろん、そのまま放置しておけば負のスパイラルに陥るところも見える化できるところにメリットがある。このループ図を住民とともに仕上げ、まちの課題を共有する。そして、正のスパイラルを生み出すべく、官民一体となって、ビジョンを現実のものにすべく政策を講じる。一般的に行政規模が大きくなればなるほど、地元の意見を踏まえたビジョンが政策に反映されづらいという課題があるといわれている。枝廣さんによるまちづくりの手法は、理想と現実とのギャップを埋めるべく、そこに住む人達と行政が一丸となって取り組み、きちんと政策に反映されていることに強さを感じた。

本書では、まちづくりに役立つ5つの基本形も掲載されている。その2つ目の基本形に「居場所と出番」がある。これは、冒頭に紹介したものである。私も地元のまつりや小中学校のPTAなどに積極的に参加している。これは、私も地元に愛着を持っているからであろう。地元に愛着を持つと、それが外に伝わる。そして交流が生まれ、その地域が活性化する。そのことを枝廣さんは、様々なまちづくりをお手伝いされ、目の当たりにしてきたのではないだろうか。私の住む街は、八幡宮を中心にまつりが盛んである。また、小売店や金融・医療機関などが存在し、とても住みやすいところである。そこに人と人との縁が生まれれば、他の人も自分のまちに住みたいと思うようになってくれる。事実、私も数人の友達から、そのような相談を受けたことがある。枝廣さんの本を拝読し、「そのとおりだ」と納得すると同時に、自分たちのまちについて、さらなる正のスパイラルを考えていきたいと思うに至った。

急速に進む少子高齢化は、どの地域にとっても喫緊の大きな課題である。その課題に真っ向から枝廣さんとともに挑んできたまちは、見事に持続可能な社会モデルを作り上げてきた。ただ、「人口を増やそう」というだけでは、政策とは言い難い。枝廣さんによる「好循環のまちづくり」は、いま多くの地域が求めている一つの解であると感じた。


2021年5月1日土曜日

2040年の未来予測

生き残るためには、幸せになるためには環境に適応しなければならい。生き残るのは優秀な人ではなく、環境に適応した人であることは歴史が証明している。

(引用)2040年の未来予測、著者:成毛眞、発行:日経BP、発売:日経BPマーケティング、2021年、270

確か、レオス・キャピタルワークス社長の藤野氏が「『2040年の未来予測(著者:成毛眞、日経BP、2021)』を読めば、今後の投資のヒントになる。」みたいなことを仰っていた。

なるほど。

当たり前の話だが、未来を予測することは、成長する産業分野などを知ることにも繋がる。日本マイクロソフト社長まで上り詰めた成毛氏が描く未来予想図は、投資のカリスマ藤野氏にどう映ったのか。それが知りたくて、私も本書を手に取ってみた。

以前、私はイーロン・マスクの盟友であるピーター・ディアマンディス&スティーブン・コトラーによる「2030年 すべてが『加速』する世界に備えよ(株式会社ニューズピックス、2020年)」を読んだ。この本のお陰で、これから10年先、20年先に私達の暮らしが激変することに対して免疫がついたのか、成毛氏による未来予測もすんなりと受け入れることができた。子供の頃憧れていた「ドラえもんの世界」が、近い将来、現実のものとなる。本書に登場した自動運転技術を始め、空を飛ぶ自動車、ドローンによる物流革命などが、今後5G、いや6G時代の到来にあわせ、私達の暮らしを根底から変えてしまう。それは、私達の暮らしに単なる”豊かさ”をもたらすだけでない。

ピーター・ディアマンディスと成毛氏による書籍は同じ類だが、決定的に違う点もある。それは、成毛氏が日本人であるということだ。我が国は、他国より少子高齢化が進展し、国の債務残高もワースト1になり、災害大国でもある。事実、成毛氏による本書でも、我が国の状態を悲観している記述が並ぶ。しかし、成毛氏は、その解決策の一つとして、テクノロジーの進化を掲げる。医療や介護には、ロボットやAIによる画像診断、また無人店舗ではアマゾン・ゴーの事例なども紹介しながら、成毛氏は生産年齢人口が減少する中、多くのものをインターネットで繋ぎ、テクノロジーを駆使することが必要であると説く。

我が国は、65歳以上を支える現役世代は1950年には12.1人に対し、2040年には1.5人になるという(本書、127)。この人口減少を打破すべく、移民政策を訴える論者もいるが、我が国では、なかなか進展が見られない。であれば、これからの社会は、成毛氏が言われるとおり、よりテクノロジーと共存することで、私達の暮らしを持続可能なものにしていく必要があると感じた。

やはり、私が一番気になるテーマは、脱炭素化と電力の安定供給の両立である。2021年4月28日、福井県の杉本達治知事は、運転開始から40年を超す県内の原子力発電所3基を巡り、再稼働への同意を表明した。それに先行する形で同月、国は、温暖化ガスの削減目標を2013年度比26%減から46%減へと引き上げた。しかし、原子力発電所を巡っては、日本人なら忘れてはならない出来事がある。2011年3月11日発生した東日本大震災だ。それから6年後の2017年3月、福島県浪江町では、一部地域の避難指示が解除され、一部地域での居住ができるようになった。しかしながら、現在も多くの町民が福島県内外での避難生活を余儀なくされているという(浪江町ホームページより)。

数年前、私も浪江町を訪れた。放射線量を測定しながら、浪江町の中心街をバスで走る。その車窓からは、自分の家だというのに立ち入れないよう、どこの家も頑丈な柵で塞がれていた。そのとき、私は改めて原発事故の恐ろしさ知るとともに、やるせない気持ちになった。いま、我が国では、脱炭素、電力の安定供給、そして原子力発電との向き合い方が問われている。このような状況において、成毛氏は、ネクストエネルギーとして核融合に着目する。具体的な説明は本書に譲るとして、核融合は、燃料が枯渇する恐れはほとんどないし二酸化炭素も排出しない。また、原発で懸念される高レベル放射性廃棄物も発生しないし、発電量も天候に左右されないとしている(本書、107)。持続可能な社会づくりは、地球環境に優しいだけでは成り立たない。やはり、自動運転技術などにも言えることだが、安全・安心ということが第一義的に存在しないといけないのではと感じている。成毛氏による核融合は、まだ実現するには時間を要すると思う。しかし、未来に向けて一筋の光を見た気がした。

冒頭の引用文は、成毛氏による言葉だが、進化論を唱えたダーウィンの言葉だと思われる。環境に適応するためには、いち早く未来を知らなければならない。そこにビジネスチャンス、持続可能な社会づくり、そして次代を担う子どもたちがどのように未来を創造していくかというヒントが埋もれているからだ。

もう10年前に米デューク大学のキャシー・デビッドソン氏は、このように語ったと言われる。
「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」。

「いま」を起点として今後10年は、過去の10年よりテクノロジーが飛躍的に進展する。このたび、ビジネス界で第一線を走ってきた成毛氏だからこそ描けた近未来の姿を知ることは、いち早く、新たな環境に適応することが可能となる。そして、子どもたちは、「いま」の暮らしに存在しない、未知のテクノロジー領域に興味を持ち始める。

いつの日か、私達は現役を退き、子どもたちにバトンを渡す日がやってくる。本書を読み、未来を生きる子どもたちには、少子高齢化などの社会的課題に立ち向かいながらも、新たな環境に適応してほしい。そして、希望を持ち続けながら、持続可能な社会を築き上げてほしいと思うに至った。


2021年4月24日土曜日

Numbers Don't Lie

 物事は深く、同時に広く、見なければならないということだ。たとえ、かなり信頼が置けるものであろうと、それどころか、申し分がないほど正確なものであろうと、数字はかならず多角的な視点から見なければならない。
(引用)Numbers  Don't  Lie 世界のリアルは「数字」でつかめ!、著者:バーツラフ・シュミル訳者:栗木さつき・熊谷千寿、発行所:NHK出版、2021年、332

私は、本書(Numbers  Don't  Lie)を読み始めていくうちに、世界的なベストセラーである「FACTFULNESS(日経BP社)」を思い浮かべた。FACTFULNESSのサブタイトルは、「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」とある。このたびの「Numbers  Don't  Lie」も「人々」「国々」「食」「環境」「エネルギー」「移動」そして「機械」という7つの分野について、ほぼ全て1次資料から引用した”数字”を根拠としている。本書では、その数字を基に、カナダのマニトバ大学特別栄誉教授であるバーツラフ・シュミル氏によって、「世界の今」と地球規模の「全体像」を知ることができる。

本書を読み進めていくうちに、どうしても私達が住んでいる日本のことが気になってくる。著者のバーツラフ氏は、日本にも縁が深い。この10年ほどは、年に1度必ず東京を訪問しているし、東京大学で客員教授を務めた経験もあると言われる(本書9)。本書では、15番目に「日本の将来への懸念」のトピックが登場する。我が国の課題が”少子高齢化”と言われて久しい。バーツラフ氏によれば、2050年には、日本の80歳を超える人口が子供の人口を上回ると予想されているとしている(本書85)。このようにバーツラフ氏によって、いままで漠然としか捉えていなかった課題が、数字をエビデンスとして姿を現す。本トピックの最後には、我が国の少子高齢化の課題解決が困難な理由を列記しているが、バーツラフ氏による指摘は的を得ていて何も返すことができない。私は、政府、自治体、そして我が国に住む誰もが、今すぐ、真剣に移民政策などについて考えていかなければならないと感じた。また、トピック26では、クロマグロについても触れられている。大量のクロマグロ消費国である我が国にとって、このトピックも頭が痛い課題である。本書でクロマグロ(我が国では本マグロと言われることが多い)の現実に触れるとき、私達は、今一度、食についても考え直さなければいけないと感じた。

しかしながら、我が国は、世界切っての長寿国だ。トピック30では、「長寿国日本の食生活の秘訣」が紹介されている。長寿国日本と食の相関関係については、フードバランスや糖(人工甘味料を含む)などについて比較している。数字を多角的に分析し、我が国の食と長寿の秘密に迫った本トピックは、日本人として納得できるものがあった。

あと個人的には、トピック57「電気自動車は本当にクリーンか?」が面白かった。現在、欧州車は、脱炭素化を謳い、積極的に電気自動車(EV)市場に攻勢をかけている。確かにEVは、クリーンなイメージが付きまとう。事実、私も今度車を買い換えるときは、EVにしようと思っていた。しかし、「本当に電気自動車はクリーンか?」というバーツラフ氏からの問いかけは、自分自身も考えさせられた。真に地球環境保護を進めていくためには、イメージに踊らされてはいけない。バーツラフ氏が言われるとおり、”数字”を多角的に捉え、物事を深く洞察していかなければならないと感じた。

このほかにも、本書では、増え続けるメガシティの課題などにも言及している。こちらも興味深い内容だ。新型コロナウイルス感染拡大により、世界最大のメガシティ東京の人口は、2020年7月から21年2月まで8ヵ月連続の転出超過である。昨年から、テレワークの推進などにより、都市の姿も変わりつつある。今後は、バーツラフ氏が着目しているメガシティの巨大化がコロナ禍においてどのように変化していくのか。そのことは、私自身も推移を見守っていきたいと思った。

本書では、「真のイノベーションとは」という71番目のトピックで終りを迎える。巷はイノベーションという言葉で溢れかえっている。しかし、イノベーションというのは、何も特別なものではない。私達の暮らしを少しでも豊かに、そして便利なものにしていくことがイノベーションではなかろうか。バーツラフ氏は、イノベーションの失敗を2つに分類し、本書では、真のイノベーションについて論じている。失敗は失敗と認め、世の中に役に立つ身近なイノベーションから取り組む。私は、このことが大切であろうと感じた。

本書で示された7つの分野による実像。信頼できる数字を多角的に分析していくことは、世界を知り、日本を知り、そして家庭を知ることである。そして、私は、現代の課題を正確に把握し、未来を創造していかなければならないと感じた。

そのことを教えていただいたバーツラフ氏に感謝を申し上げたい。

2021年4月10日土曜日

NEVER STOP

 ミネルバの梟(ふくろう)は黄昏に飛び立つ。
                                                ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

(引用)NEVER STOP イノベーティブに勝ち抜く経営、著者:フィリップ・コトラー、古森重隆、発行:日経BP、日本経済新聞出版本部、2021年、54

 これは、贅沢な本だ。”近代マーケティングの父”と呼ばれるフィリップ・コトラーと富士フィルムホールディングス代表取締役会長兼CEOの古森重隆氏がタッグを組み、イノベーティブに勝ち抜く経営について語ってくれる。富士フィルムといえば、やはり”写真”だ。私も写真撮影が好きで、フィルム時代からお世話になっている。緑の箱に入った富士フィルムのリバーサルフィルムである”ベルビア”や”プロビア”は、デジタル写真のように撮影後の露出変更ができない。そのため、同じカットの撮影でも、通常、マイナス1、プラス1といったように変更しながら最低3カットを撮影したことを思い出す。しかし、今やフィルムで写真を撮影する人たちは、殆ど皆無に近い。私も一眼レフカメラをデジタルに変えて、十何年経つ。

当時、世界で40社あったフィルム会社は、デジタル化の波に押され、4社となり、さらに2社となり、最後に1社だけが残ることとなる。この1社は、言わずとしれた富士フィルムである。すでに、チャールズ・A,オライリーやマイケル・L.タッシュマンらによる「両利きの経営(東洋経済新報社、2019年)によって、富士フィルムの勝ち抜く経営は、ハーバードビジネススクールでも高い評価を得ている。本書では、なぜ、富士フィルムが迅速に自社の技術を生かし、新たな医療画像診断事業、再生医療事業、化粧品事業へと多角的に展開して成功できたのか。また、コトラー教授が提唱してきたマーケティング4.0とは何なのかを知ることができる。さらに本書では、「ケイパビリティ」という単語が頻繁に登場する。ケイパビリティとは、直訳すれば「能力」や「才能」である。そして企業経営に当てはめると、一般的には、企業成長の原動力となる組織的能力や強みのことを指す。まさに、富士フィルムの多角経営は、本書にも登場する四象限マトリックスによって整理されている。これは、富士フィルムの古森氏が技術の棚卸しをし、強み×強みで新たな新規市場への参入を可能にした。これは、古森氏が正しい方向を示し、企業のケイパビリティがそれに応えたからできたのだと理解した。

かつて、ピーター・F・ドラッカーは、企業の成長には、イノベーションとマーケティングが必要だとした。コトラーによれば、このたびの富士フィルムの事例により、マーケティングとイノベーションは、別個の独立したものとみなすべきでないと結論づけている(本書240)。そして、私はリーダーシップ、マーケティング、イノベーションの根幹をなしているのは、「人間力」であると感じた。危機的状況を共有し、プライオリティをつけ、ダイナミックに、スピード感を持って、進化した。そこでは、危機を理解し、素早く進化を遂げることができた大きな要因の一つとして、人間力の総和によるものであると感じざるを得ない。

富士フィルムの先進研究所のシンボルは、ミネルバという女神と梟(ふくろう)だ。古森氏によれば、ローマ神話の女神ミネルバは、技術や戦の神であり、知性の擬人化とみなされた。そしてミネルバは一つの文明、一つの時代が終わるとき、梟を飛ばしたという。それまでの時代がどのような世界であったのか、そしてどうして終わってしまったのかを梟の大きな目で見させて総括させたと言われている(本書64)。

時代の流れは速い。イーロン・マスクの盟友ピーター・ディアマンディスが著した「2030年 すべてが『加速』する世界に備えよ(株式会社ニューズピックス、2020年)」では、情報科学技術の進展により、自動運転技術や家事ロボットなどが進展し、私達の生活が激変し、より豊かに暮らせるようになることを示唆している。特にこれからの時代、量子コンピュータの普及は、これからの私達の日常生活を覆すものになるだろう。それとあわせ、現在、第4波と言われる新型コロナウイルスの影響、持続可能な世界を構築するSDGsなど、私達を取り巻く社会変化も目まぐるしい。そのなかで、私達は、古森氏が言われる梟になって、まず何が起こっているのかという現状分析からスタートし、次の時代に備える。今の時代だからこそ、コトラー・古森ウエイが必要であると感じた。

二人の巨人が辿り着いた、どんな状況下に置いても勝ち抜く経営の奥義。本書では、この二人の巨人により、如何なる状況下においても勝ち抜くことができる経営の真実が明らかとなった。


2021年3月20日土曜日

書経(しょきょう)

 天工(てんこう)は人其(そ)れ之(これ)に代(かわ)る。

(引用)書経講義録、著者:田口佳史、発行者:藤尾秀昭、発行所:致知出版社、令和3年、141

東洋思想研究家による田口佳史さんの最新刊は、「書経講義録」だ。サブタイトルは、「組織を繁栄に導くためのトップと補佐役の人間学」である。まず、「四書五経」といえば、儒家の思想の典籍で特に重要とされる四書と五経の総称である。その五経の一つが「書経(しょきょう)」である。正直申し上げ、今まで私は「書経」と馴染みが薄かった。しかし、田口さんの「まえがき」には、「『書経』は、人生書にして経営書、歴史書にして、政治書、リーダーシップ論にしてフォロワー論、まさに『人間学』の教科書であります(本書1)と書かれている。この言葉に惹かれ、私は、田口さんから書経の世界へと誘(いざな)われた。

書経を読んで感じたことは、田口さんが「まえがき」で書かれていたとおりであったということだ。書経の世界においても、例えば王となった舜が何をしたのか。そして、民の心をつかみ、どのようにリーダーシップを発揮したのか。書経の中で展開されるストーリーから、私たちは、舜と一緒になって行動するなかで、政治やリーダーシップ、フォロワーシップについて学ぶことができる。こうした王の振る舞いは、長い年月を経ても色褪せることなく、現代でも通用することばかりだ。

その書経の中で、一番心に残った言葉は、冒頭に記した言葉だ。本来、政治は天が行うべきことなのだが、人間が天の代理として政治を司るポジションについている。つまり、リーダーは、天の代理人であることを忘れてはいけないという戒めの言葉である。では、天はどのような人間を代理人として選ぶのか、また選ばれた人間は、どのように行動すべきなのか。書経では、宇宙域にも達する壮大なスケールの中、王たちの物語を通じて、具体的に分かりやすく教えてくれる。今一度、いまを生きる私たちは、リーダーとして、どれほどの人が天の代理人として仕事をしているのだろうかと考えたい。この言葉は、私の座右の銘となった。

書経を読み、政治であり、企業であり、リーダーであり、フォロワーであり、最後問われるのは”人間力”であると感じた。書経は、その”人間”の本質に迫り、人間に寄り添い、地球における幸福な社会を築くための手法を教えてくれる。現在、モノがあふれ、情報科学技術が進展している。豊かな時代だからこそ、今一度、人間にとっての幸福、本来の政治やリーダーとしてのあり方を考え直すときがきているのではないだろうか。その意味で、今この時代に書経に触れることは、大変意義があることだと思えた。私自身、久しぶりに、学ぶべきことが多い一冊に出会えた。私たちに書経を分かりやすく御講義いただいた田口佳史氏に感謝申し上げたい。

2021年3月6日土曜日

地域創生と未来志向型官民連携

 DBJでは、3年ほど前に、水道料金の将来シミュレーションを実施し、「約30年後には、日本全体の水道料金を、現状よりも6割以上値上げしなければならないこととなる可能性がある」という試算結果を公表した。

(引用)日本政策投資銀行Business Research 地域創生と未来志向型官民連携、 PPP/PFI20年の歩み、「新たなステージ」での活用とその方向性、編著:日本政策投資銀行、日本経済研究所、(一財)日本経済研究所、価値総合研究所、発行:ダイヤモンド・ビジネス企画、発売:ダイヤモンド社、2020年、37

「もう、20年以上が経ったのか」というのが、今の私の心情である。1999年にPFI法が施行され、2019年は20周年という節目を迎えた。PFI法が施行されてすぐ、私も自治体の立場から、法に基づいたある施設建設・運営の案件に携わった。現在のような解説本もなく、全てが手探りであったように思う。その当時、私がPFIや官民連携で思ったことは、財政の平準化であった。民間資金を活用し、建設後に施設整備費を割賦払いする。従来の公設公営であれば、建設整備の前段階から一気に自治体予算が膨らむ。しかし、民間資金を活用できるということは、自治体財政の平準化がはかられ、単年度予算主義のデメリットを解消することができる。もう一つ、黎明期のPFIに携わって感じたことは、民間ノウハウの活用だ。言い換えれば、公共サービスがより”民”に近づいたことである。行政だけでは決して考えられないことが、行政サービスとして提供が可能となる。そこに、今までタブーとさえ思われた部分にまで、民間事業者が入り込んでくる。当時から、私はPFI手法が画期的なものに思えた。

このたび、ダイヤモンド社から、「地域創生と未来志向型官民連携」という書籍が刊行された。この書籍のサブタイトルには、「PPP/PFI 20年の歩み、『新たなステージ』での活用とその方向性」とされている。PFI法が施行されてから20年を振り返ると同時に、今後のPPPのあり方を提言しようと試みているものだ。

特に、本書では、東洋大学経済学部教授・PPP研究センター長の根本祐二氏が「インフラ老朽化問題とPPPの役割」について論じているのが興味深い。根本氏の話は、インフラ老朽化の処方箋から人口減少時代のまちづくりまで話が及ぶ。特に学校プールを廃止して市内の民間スポーツクラブを利用して水泳授業を実施したり、昼は学校、夜は地域住民のための施設として複合化し、タイムシェアの発想で「共用化」することなどの事例は参考になる。学校施設は、公共施設の4割近くを占めるといわれている。そのため、公立小中学校の集約・複合化は、主要なターゲットになってくると思う。そのプロセスに官民連携手法を加えると、新たな解決策が導き出されるようになることが理解できた。

PFIの大きな転換期は、2011年の法の改正だ。このPFI法改正によるコンセッション方式(公共施設等運営権)が導入されたことが大きい。昨今、各自治体は、インフラ長寿命化や公共施設等総合管理計画策定などにより、経営・マネジメント力が問われてくる。莫大なコストがかかるインフラを維持していくためには、本書で指摘するとおり、「トップラインの伸長」と「ボトムライン悪化」の緩和が求められてくる。冒頭に記した水道料金の値上げについては、まさに「ボトムライン」の悪化だ。そこに至らないようにすべく、民間の新しいアイデア・技術導入による新たな取り組みなどが必要となる。

総務省のホームページによると地方公務員数は、令和2年4月1日現在、276万2,020人で、平成6年をピークとして対平成6年比で約52万人減少しているという。また、これからの時代は、コロナ禍におけるまちづくり、AIやIoTなどの情報科学技術の進展など、さらに住民ニーズは多様化し、急速な社会構造変化をもたらす。公務員が減少する中、新たな情報技術革新に対応し、ますます多様化する行政ニーズに応えていくには限界がある。本書を読み、”官民連携”は大きな解をもたらすと感じた。

今後の課題を一つあげるとすれば、全地方公共団体1,788団体のうち、約85%の1,527団体でPFIが実施されていない(本書、70)ということだ。とりわけ、人口20万人未満の市区町村は、その9割が未実施である。私も感心させられたことがあるのだが、比較的人口規模の小さい自治体職員は、一人で何役もこなすことが多い。今後、その多忙を解消し、民間による専門性を取り入れ、多様化・複雑化する行政サービスを提供する。そのために、”官民連携”は大きなキーワードになると感じた。

PPP/ PFIは20年という節目を迎えた。また、未来志向型官民連携も理解できる。しかし、一方で課題もある。「どうすれば、地方公共団体をマネジメントし、多様化する住民サービスに応えることができるのだろうか。」この問いに対して、これからはどの地方公共団体も新たなステージに突入した”官民連携”手法を視野に入れて、政策を展開していかなければならないと感じた。

2021年2月21日日曜日

1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書

 マザーは即座に、「あの人たちは乞食ではありません」とおっしゃるので、私は驚いて「えっ、あの人たちが乞食でなくていったい何ですか?」と聞くと、「イエス・キリストです」とお答えになったのです。私の人生を変えるひと言でした。

          マザー・テレサへの質問 上甲晃 志ネットワーク「青年塾」代表

(引用)1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書、監修者:藤尾秀昭、発行所:致知出版社、2020年、82

私が「致知」を読みはじめて、もう何年経つだろう。「致知」は、一代で一兆円企業を築き上げた京セラ名誉会長の稲盛和夫氏らが推薦する月刊誌だ。稲盛さんがご推薦されている雑誌ならと購読し始めたが、今では月初に「致知」が郵送されてくるのが待ち遠しくなった。「致知」では、登場されるかたの”人生ドラマ”を見ながら学ばさせていただくことが多い。

このたび、致知出版社から「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」が出版された。監修された致知出版社代表取締役社長の藤尾秀昭氏によると、「ここに『致知』42年の歴史を振り返り、その出会いの中から365人の言葉を選び出し、1冊の本にまとめさせていただいた(本書410)」と言われる。私は、書店で本書に出会ったとき、「なんて贅沢な本だ」と感じた。「致知」は書店で販売されていない。そんなプレミアム感が漂う「致知」のベストアルバムともいうべき本書が気軽に書店で手に入る。本書をパラパラめくってみると、登場される人物は稲盛和夫氏をはじめ、茶道裏千家前家元の千玄室氏、指揮者の佐渡裕氏、ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏、京都大学IPS細胞研究所所長山中伸弥氏など錚々たる顔ぶれが出揃った。当時、月刊誌で読んだことのある記事も多かったが、本書を読んで、逆境の乗り越え方、人生哲学、リーダーシップ、そして運命の師から学んだことなどのエピソードが鮮やかに蘇ってきた。これを”贅沢”と呼ばずになんと言うべきだろう。

また、「致知」では、マネジメントの神様ピーター・F・ドラッカーの教えも数多く登場する。本書では、ドラッカー本の翻訳で有名であり、ドラッカー自身からもっとも親しい友人、日本での友人とされてきた上田惇生氏やドラッカー学会理事の佐藤等氏らが登場する。本書の中で、上田氏は、ドラッカーによる7つの教訓を紹介している(本書、31)。その教訓の一つ、「何を持って憶(おぼ)えられたいか」を考えることについては、私も地元中学校のPTA会長を務めたとき、卒業生への餞(はなむけ)の言葉としたものだ。ドラッカーの名著「非営利組織の経営」の中に、このエピソードが登場する。1)

かつてドラッカーも13歳のとき、宗教の先生が、「何によって憶えられていたいか」と聞かれた。そのとき、ドラッカーを始め、周りの友人達は誰も答えられなかったという。すると、宗教の先生は、「答えられるとは思っていない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」といわれたという。そしてドラッカーは、いつもこの問い「何によって憶えられたいか」を自らに問いかけてきたと言われる。また、運の良い人は、宗教の先生であったフリーグラー牧師のような導き手に、若い頃そう問いかけられ、一生を通じて自ら問いかけ続けていくことになるとドラッカーは言われる。「何によって憶えられていたいか」という質問は、私の人生においても、常に問いかけていきたい重要なものだ。改めて、本書は、そのことを思い出させてくれた。

また、職場などには、自分と合わない人も多数存在する。私の尊敬する一人の(株)ブリヂストン元CEOの荒川詔四氏は、「『人間関係は悪いのが普通』と達観する」と言われる。2)当然のことだが、職場の中では、育った環境も、年代も、考え方も異なった人たちが共存し、所属している企業や公的機関などのミッションを遂行する。私も歳を重ねるにつれ、荒川氏がおっしゃるとおり、自分に合わない人に対しても「相手の生き方、考え方を変えようとしない」と思うに至った。つまり、自分が変わるしかないと思うようになっていった。

そんなことを思いながら本書を読んでいたら、冒頭に紹介した志ネットワーク「青年塾」代表の上甲晃氏の言葉が掲載されていた。タイトルは「マザー・テレサへの質問」となっていて、上甲氏がマザー・テレサに会いたいと思い、インドのカルカッタ(現コルカタ)へ渡ったときのエピソードが綴られている。そして、上甲氏はカルカッタの礼拝堂でマザーに面会したとき、「どうしてあなた方は、あの汚い、怖い乞食を抱きかかえられるのですか?」と聞いたという。そのときのマザーからの回答は、冒頭に記したとおりだ。この言葉のあとにマザーテレサが「なぜイエス・キリスト」と仰ったのか、本書ではその理由が述べられている(詳しくは本書をご一読あれ)。このマザー・テレサの言葉には、正直、”やられた”と思った。マザーの言葉は、私の想像を遥かに超えたものだったからだ。そして、マザー・テレサは、なぜそこまで人間を愛し、貢献してきたのかという理由の一端が理解できたように思えた。上甲氏を通じてマザー・テレサの言葉に触れたとき、まだまだ私は未熟であると思うに至った。これからは、私に関係する人たちは、どんな人でもすべて「イエス・キリスト」であると思えるよう、私も努力していきたいと思った。

このように、本書で紹介されている”偉人”たちの珠玉の言葉たちは、私たちに勇気と希望を与えてくれる。本書のタイトルの一部に「読めば心が熱くなる」という言葉がある。まさにそのとおりだと感じた。私は、いつも本書を手元に置いておきたい。久々にそう思える一冊であった。

1)ドラッカー名著集4 非営利組織の経営、著者:P.F.ドラッカー、訳者:上田惇生、発行所:ダイヤモンド社、2007年、219-220

2)参謀の思考法 ートップに信頼されるプロフェッショナルの条件、著者:荒川詔四、発行所:ダイヤモンド社、2020年、246

2021年2月11日木曜日

2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ

 これからの10年が劇的なブレークスルーと世界を一変させるようなサプライズに満ちたものになるのはまちがいない。(中略)私たちの想像を超えて加速する未来、かつてないほどの勢いで空想が現実化する世界が到来する。

(引用)2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ、著者:ピーター・ディアマンディス&スティーブン・コトラー、訳者:土方奈美、発行所:株式会社ニューズピックス、2020年、18-19

この本を読み終えて、私は、台湾デジタル担当政務委員のオードリー・タンの言葉を思い出した。「『社会におけるAIの普及』について想像するのであれば、ドラえもんがいい例だと思います。ドラえもんはAIの一つであると言えます。1)」そして、オードリー・タン氏は、のび太君(人間)とドラえもん(AI)との関係を説明し、これからの私たちの生活におけるAIの役割というのを考える場合、一つの好例であるとしている。例えば、「空飛ぶ車」が現実になったり、「老化」が克服されたりする。また、「買い物」や「教育」のスタイルが劇的な変化を遂げる。まさにドラえもんの世界で起きていたことが現実になりつつある。あのイーロン・マスクの盟友、ピーター・ディアマンディスらが描く10年後の世界(2030年)は、私が子供のころに憧れていたドラえもんの世界が現実になるのだと感じた。ディアマンディス氏らは、進化するテクノロジー(たとえば人工知能、AI)が、同じく進化する別のテクノロジーと合わさったとき、ビジネス、産業、ライフスタイルに大きな変化が起こるといわれる。まさに、シュンペーターが唱えた「創造的破壊」だ。現在、このコンバージェンス(融合)が加速度的に起きている。そして、今後10年以内に、かつてないほどの勢いで空想が現実化する世界が到来する。

著者のディアマンディス氏らが示す2030年の世界は、空想だけで終わらない。本書ではそれぞれ広告やエンターテイメント、教育、食料などの”近未来”について述べている。この”近未来”については、私の想像していたものより遥かに先を行くものだった。ディアマンディス氏らは、”最先端のテクノロジー”をもとに”近未来”を予測している。そのため、本書は単なる絵空事ではなく、10年後の世界の到来を正確に示してくれる。

例えば、ウーバーの目標として、「2023年にはダラスとロサンゼルスで空のライドシェアを完全に事業化すること(本書25)」としている。空であれば、交通事故も減少し、渋滞に悩まされることもない。既に中国では、ドローンを駆使して、喫茶デリバリーや医療現場(郊外の診療所)で検体を採取して都心の検査機関に運んでいる。現在、日本では、ドローンについて200グラム未満の小型機なら航空法の申請が不要である。しかし、ドローンを飛行させる場合、航空法に基づき、人口集中地区は規制対象になる。また同様に、高さ150メートル以上についても規制対象となり、特別な許可が必要となる。さらに私有地であれば、その上空にも所有権が発生する。そのため、他人の敷地にドローンを飛ばすときは、その土地所有者の許可が必要となる。我が国では、物流など”空の道”を作る際、個々に土地所有者から空中権の許可を取得し、”空の道”としてつないでいかなければならない。一方、先ほどの中国においては、人口密集地域においてもドローンの操縦が可能である。また、中国において不動産は所有者に権利があるが、空中の権利は国が管理している。そのため、ドローンを飛ばす際、国に許可を申請するだけで良いとされている2)。以上により、テクノロジーの融合によって、”空の道”が実現に向かいつつあるが、我が国では、その整備に伴う規制緩和が必要であると感じた。

特に私が興味をもった”近未来”は、「食の未来」である。本書では、近未来の各家庭のキッチンの姿を紹介されている。それは、食材をアマゾンのドローンが運んできて、ロボシェフが調理をするといったものだ。ディアマンディスらは、「2020年の時点で、ここに登場する技術要素はすべて実現している(本書299)」としている。総務省による「平成28年社会生活基本調査」では、6歳未満の子供を持つ夫・妻の家事関連時間として、夫は1時間23分、妻は7時間34分(いずれも週全体)としており、女性の家事関連時間は20年前とほぼ変わっていない(20年前の平成8年は7時間38分)。ちなみに家事関連とは、家事、介護・看護、育児、買い物から構成されている。また、内閣府による「平成30年版男女共同参画白書」によれば、平成9年以降は、共働き世帯数が男女雇用者と無業の妻からなる世帯数を上回っているとしている。家事関連時間を減少させることは、女性の社会進出につながり、労働生産人口を確保するための有効な手段になる。その意味で、食の未来、そして家事負担軽減は、未来の私達の暮らしに希望が持てるものだと感じた。

本書のタイトルとなっている2030年といえば、2015年9月の国連サミットで採択された持続可能な開発目標(SDGs)の達成期限である。本書においても地球温暖化などのテーマにも踏み込んでいる。そのSDGsの達成期限である2030年まで、あと10年を切った。また、今後10年は、テクノロジーの融合によって、さらに世界の進化が加速していく。ディアマンディスは、少々荒っぽいドライブであったが、本書を通じて10年後の新たな世界へと誘ってくれた。そして、たどり着いた新たな世界は、ドラえもんとのび太との関係のとおり、私たち人間の暮らしを豊かにしてくれるのと同時に、持続可能な世界を築いていくものであった。

1)オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る、著者:オードリー・タン、発行所:株式会社プレジデント社、2020年、58
2)テレビ東京系 2021年1月26日放映 「ガイアの夜明け」



2021年1月31日日曜日

デザイン思考の教科書

 毎朝目を覚ますたびに、世界が変わりつつあるという健全な不安を抱きます。そして「競争に勝ち抜くには誰よりも早く変化を遂げ、機敏にならなければならない」という信念を胸に刻み込むのです。

                       ペプシコ会長兼CEO インドラ・ヌーイ
(引用)ハーバード・ビジネス・レビュー デザインシンキング論文ベスト10 「デザイン思考の教科書」、編者:ハーバード・ビジネス・レビュー編集部、訳者:DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部、発行所:ダイヤモンド社、2020年、214

この「デザイン思考の教科書」の表紙カバーには、「デザイン・シンキングの真髄を『ハーバード・ビジネス・レビュー』の名著論文で習得する!」と書いてある。本書を読み終えて、そのとおりだと実感した。本書には、IDEOのデイビッド&トム・ケリー、「Jobs to Be Done」の論文を書き上げたクレイトン・M・クレイトン・M・クリステンセン、ペプシコ 会長兼CEOのインドラ・ヌーイなど、錚々たるメンバーが登場する。

クリステンセンといえば、「イノベーションのジレンマ」が有名だ。先日、拝読させていただいた「両利きの経営」にもクリステンセンが登場する。イノベーションのジレンマとは、巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業理論である。1)この「デザイン思考の教科書」では、偉大な企業は、すべて正しく行うがゆえに失敗する」と提唱したクリステンセンによる「Jobs to Be Done」という論文を拝読することができる。このクリステンセンの論文と接することができるだけでも、私にとって、大変刺激的なことだった。何十年にもわたり、いわゆる”大企業病”を観察してきたクリステンセンらは、本当に狙いを定めるべきこととして、ある状況下で顧客が進歩を遂げようとしていること、つまり、彼らが達成したいと望んでいることとしている。これをクリステンセンらは、”Jobs to Be Done”(片付けるべき用事)と呼んでいる(本書、107-108)。この、「片付けるべき用事」というキーワードは、非常に的を得ているものだと感じた。人々は商品などを購入する際、その動機として「片付けるべき用事」がある。この「片付けるべき用事があるか」ということを問い続け、「顧客が求める進歩を支援する」ことを実践していく。そうすることによって、真のイノベーションが生まれる。クリステンセンは、「片付けるべき用事」が万能のキャッチフレーズではないとしながらも、”大企業病”に立ち向かうべく武器を与えてくれる。その武器を使いこなすためには、デザイン思考が大いに有効だということが理解できた。

そもそも、「デザイン思考」とはなんだろうか。うん十年前、当時、大学の商学部に在籍してた私は、デザインといえば、商品のパッケージングの一部ぐらいしか考えられていなかった。しかし、近年、「デザイン思考」なるものが流行ってきた。この「デザイン思考の教科書」に掲載されている、IDEOによる「デザインシンキング」、「創造性を取り戻す4つの方法」、「実行する組織のつくりかた」などの論文を拝読すると、おぼろげながら「デザイン思考」の輪郭がはっきりしてくる。私は、「デザイン思考」の必要性として、大きく3つあげれると思う。まず、現代は、あらゆる商品やサービスの市場が飽和状態になりつつあり、人々はモノやコトに満たされ、豊かな生活を享受できつつある。そのような状況下において、いかに人々の感性に訴えることが必要かが問われる。その感性に訴えることは、まさにデザインの力を駆使した「デザイン思考」が有効であると言えるだろう。2点目は、機能や性能だけでは、顧客に選んでもらえなくなったということだ。これは、ペプシコの会長兼CEOのインドラ・ヌーイ氏も言われている。より「顧客の視点に迫る」ことは、デザイン的要素が必要不可欠なものになる。3点目は、従業員や職員の働き方にもデザイン思考は有効だということだ。働く人たちも、当然ながら人間である。非効率的でルール化されていなかった仕事の仕組みがデザイン思考によって効率的なものになる。そこには、新しいサービスやプロセス、IT技術などを駆使した総合的なデザイン力によって、全体最適化を目指し、働く人達に快適さをもたらす。本書を読んで、私はデザインについて、従来の”戦術的”な一つの役割に過ぎなかったものではなく、もはや”戦略的”な役割を果たす、その戦略的なポジションの中でも、さらに上位に位置づけられるものだと感じた。

今回の論文では、HBSのエドモンドソン教授による「失敗に学ぶ経営」も掲載されている。少し、デザイン思考とかけ離れている気もしたが、この”失敗学”に触れるとき、いつも私は、松下幸之助氏の次の言葉を思い出す。

「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。」

それよりもひどいのは、最初から”チャレンジ”しないことである。私の尊敬する武田信玄は次のようにいう。

「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業(わざ)を成らぬと捨つる 人の儚(はかな)き」

デザイン思考では、プロトタイプ(試作)という言葉がよく登場する。「片付けるべき用事」をプロトタイプしていくことで、関係者同士の具体的なイメージがしやすく、モチベーションを上げていくという。ただ、気をつけなければならないのは、本書では触れていないが、集団の意思決定は、極端な方向に振れやすいということだ。集団が堅実さを忘れてリスクをとる方に大きく振れるときは、リスキー・シフトが起きたといわれる。2)リスキー・シフトが起きる原因の代表的なものが「責任の分散」である。事業の規模が大きくなればなるほど、集団での意思決定がなされ、責任の分散がなされ(集団でいるとリスクに鈍感になる)、リスキー・シフトが起きやすくなる。事業化には、健全な失敗が必要だが、リスキー・シフトに注意しつつ、エドモンドソン教授がいわれる「フロンティア領域での知的失敗」を繰り返していくことこそが、偉大なイノベーションの誕生につながっていくのだと感じた。

その意味では、冒頭に紹介したペプシコ会長兼CEO インドラ・ヌーイの言葉を胸に刻みたい。「両利きの経営」では、進化論を唱えたダーウィンの言葉、「唯一生き残ることができるのは、変化できるものである」が紹介されていた。インドラ・ヌーイも同じことをいわれている。生物の進化と深化、そして企業等の深化と探索は、スピードが勝負だ。変化を遂げるには、誰よりも早く着手することだ。そこには、失敗がつきものである。その失敗を乗り越えるため、私達が従来より考えていた「デザイン」が持つ潜在的な能力を最大限に生かし、顧客や従業員のために変化を遂げ、イノベーションを生み出して行く必要があると感じた。

1)出典:フリー百科事典「ウィキベディア(Wikipedia)」

2)2021年1月21日 朝日新聞「経済季評」危機の時代の意思決定 責任の分散が招く鈍感さ 竹内幹

2021年1月21日木曜日

両利きの経営

成熟事業の成功要因は漸進型の改善、顧客への細心の注意、厳密な実行だが、新興事業の成功要因はスピード、柔軟性、ミスへの耐性だ。その両方ができる組織能力を「両利きの経営」と私たちは呼んでいる。
(引用)両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く、著者:チャールズ・A・オライリー/マイケル・L・タッシュマン、監訳・解説者:入山章栄、解説者:冨山和彦、訳者:渡部典子、発行所:東洋経済新報社、2019年、29
 
20年ほど前、私は、フィルムで写真を撮るのが好きだった。フィルムには、ネガとポジがあり、私は、お気に入りのコンタックス一眼レフに富士フィルムのベルビアというポジフィルムを突っ込み、プロカメラマン気分でよく風景写真を撮影した。
しかし、時代の変遷とともに、写真の世界では、フィルムからデジタルへと大きく移行し、フィルム写真は忘れられつつある。この写真が本業であったコダックと富士フィルムは、急速に襲ってきたデジタル化という大きな波に対し、明暗を分けることとなった。なぜ、本業である写真事業に固執したコダックは破綻し、富士フィルムは、今まで培った技術資源や経営資源を武器に、新しい製品・サービスに応用する新たなビジョンを打ち出せることができたのだろうか。その解は、この「両利きの経営」に書かれている。

両利きの経営とは、知の「探索」と「深化」によって成り立つ。知の深化とは、自身・自社の持つ一定分野の知を継続して深堀りし、磨き込んでいく行為だ。先ほどのコダックにもあったとおり、一定の成果を収め、技術や経営資源が充実してくると、企業は、さらなる知の深化を求めるようになる。一方、知の探索とは、自身・自社の既存の認知の範囲を超えて、遠くに認知を広げていこうとする行為である。これは、富士フィルムのように、時代の流れを察知し、新たなイノベーションを創出し、企業を発展的に存続させることを意味する。現在、富士フィルムでは、医薬品、化粧品、半導体材料、再生医療等の分野まで展開している。写真フィルム市場の縮小という逆風の中、従来の科学技術や人的資源を生かし、富士フィルムは、古森重隆氏の采配下で見事に息を吹き返した。本書では、チャールズ・ダーウィンの有名な言葉、「生き残るのは、最も強い種でも、最も賢い種でもない。最も敏感に変化に対応する種である」を掲載している。まさに、富士フィルムは、イノベーションを創出し、変化することで、新たな活路を開いた。

なぜ、コダックと富士フィルムは、明暗を分けたのだろう。成功している企業ほど知の深化に偏って、つまるところイノベーションが起こらなくなるとする。これを本書では、「サクセストラップ」としている。では、このサクセストラップから抜け出すためには、どのようにしたら良いのだろうか。本書の後半では、富士フィルムの古森氏のようなリーダーシップにおける5つの原則について触れている。
そのリーダーシップの5原則の中で、私は第4原則「『一貫して矛盾する』リーダーシップ行動を実践する」が気に入った。詳細は、本書に譲るが、両利きの経営のリーダーは、あるユニットでは利益と規律を求め、別のユニットではベンチャー的な要素を求める。言い方を変えれば、「安定」と「挑戦」の二面性を有していることがリーダーには求められるということだと理解した。
この第4原則に触れたとき、私は、P.F. ドラッカーの次の言葉を思い出す。「集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである」1)
ドラッカーの書籍を読むたび、「廃棄」という言葉を多く目にする。事業は立ち上がった瞬間に陳腐化する。そして、企業は事業の陳腐化に気づかず、その事業にしがみついたり過去の成功にとらわれたりして、そこから抜け出せなってしまう。そのため、各企業は、現在行っている事業に「価値はあるのか」を問い、常に「廃棄」を念頭において置かなければならない。これは、何も企業に限ったものではない。公的機関にも言えることだろう。そのうえで、次の「挑戦」に集中し、イノベーションを創出する。まさに、両利きの経営は、ドラッカーの考えにも通づるものだと思った。

本書には、触れていないが、現在、あのトヨタも変わろうとしている。「自動車メーカーからモビリティカンパニーへ」ということで、従来のモノづくり企業からの脱却を試みる。一例として、静岡県裾野市で展開しようとするウーブンシティの取り組みがあげられる。このウーブンシティでは、ロボットやAI、自動運転、MaaSなど、先端技術を駆使し、人々のリアルな生活環境の中に導入、検証できる実験都市を立ち上げることを目的とする。まさに、これは、「両利きの経営」ではないかと感じた。トヨタの豊田章男社長は、近年、「100年に一度の大変革期」ということを口にすると言う。これは、アマゾンやグーグル、アップルといったデータ産業が自動車メーカーを飲み込むかもしれないという危機感があるからだと言われている。車は誕生して日が浅いため、100年に一度というのは、自動車が誕生して初めての大きな危機が到来していることを意味する。

「両利きの経営」は、危機に立ち向かう経営手法である。「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざがある。しかし、「二兎追わなければ」未来を切り拓くことはできない。本書を読んで、二兎を追いつづけるリーダー、そしてイノベーションを創出しつづける組織が求められていることを理解した。

1)プロフェッショナルの条件 ーいかに成果をあげ、成長するかー、著者:P.F.ドラッカー、編訳者:上田惇生、発行所:ダイヤモンド社、2000年、139

2021年1月9日土曜日

ネゴシエーション3.0

問題の内側からは問題を解決できない、ということである。アイデンティティの戦いに”勝つこと”から、人間関係を再構築することへと目標を変えなければならない。
(引用)決定版 ネゴシエーション3.0 ー解決不能な対立を心理学的アプローチで乗り越える、著者:ダニエル・L・シャピロ、監訳者:田村次朗/隅田浩司、訳者:金井真弓、発行所:ダイヤモンド社、2020年、242

コンフリクト(対立)は、どの世界にも存在する。家族や友人をはじめ、ビジネスや政治、そして国際的な紛争に至るまで、コンフリクトに悩まされている人は多い。事実、私も仕事上でコンフリクトを抱えている。本書では、なぜコンフリクトが起こるのかという根本的なアプローチから始まる。これは、人間がアイデンティティ的な存在であり、そのアイデンティティを構成する5つの柱のうち、どれかが危険にさらされるとコンフリクトが激化すること明らかにしている。多くの書店の棚には”問題解決法”なるものが多く並ぶ。それだけコンフリクトによる問題解決の解を求める人たちは多い。しかし、本書のようにコンフリクトの発生要因まで迫ったものは少なく、テクニカル的なものに走っているものが多いように思う。なぜコンフリクトが起こるのかというところまで辿り着けるのは、シャピロ博士が心理学博士ということもあり、人間の潜在的なところからのアプローチを試みているからだと思った。

著者であるシャピロ博士は、ハーバード大学准教授であり、ダボス会議のGlobal Agenda Councilにおける「交渉と紛争解決委員会」の委員長を務められていた。そのため、国際的な難題をも解決に導く最高峰の「コンフリクト・マネジメント」が本書で学べることは、大変ありがたく思う。ややもすると、シャピロ博士が提唱される「コンフリクト・マネジメント」は、国際的な紛争解決などに通じるもので、私たちの身近なコンフリクトに役立たないと思われるかたもみえるかもしれない。事実、私もそう思いながら、自身の抱えるコンフリクトを思い浮かべ、今後どのように解決に導いていくかを考えながら、本書を読み進めていった。

本書で一番面白かったのは、第14章「人間関係を再構築する(本書、241ページ~)である。ここでは、読者自身がニューヨーク市長から電話をもらい、「パーク51の論争(ワールド・トレード・センター跡地の近くにイスラム教のモスクを建設する可否についての論争)を解決する方法を見つけてほしい」と依頼されたと仮定したところから始まる。9.11(イスラム過激派がワールドトレードセンターのビルに2機の飛行機を衝突させた)を知っている人なら、自分自身がニューヨーク市長からそのようなオーダーをいただいたと想像してみると、あまりにもコンフリクトの壁が高く、尻込みしてしまいそうだ。しかし、このような難題もシャピロ博士は、”解決できる”とする。実際、シャピロ博士は「SASシステム」というフレームワークを用いながら、この難題を乗り越えていくことを提案する。この「SASシステム」は、私たちの日常にも活用できるものだ。特に、企業におけるマーケティング・リサーチや、行政機関における市民ワークショップなどにも活用できるフレームワークだと感じた。

私も仕事や私生活で、多くの交渉をしてきた。そして、コンフリクトを乗り越えてきた。シャピロ博士の本を読了し、大部分間違っていなかったように思う。それは、例えば「もし、相手が対話を拒んだら」といった際、「コンフリクトのみ焦点を当てない」ことや、「対話に加わるように働きかけてくれる共通する協力者を探す」ことなどは、大変共感できた。実際に今、私も部署間を超えて、共通する協力者にコンフリクトの仲介役をお願いしている。

自分の最も根本的な価値観が危機にさらせているとき、見解の相違にどうやって折り合いをつけるか。その解は、シャピロ博士によって明らかにされている。
これからも、私は仕事上で抱えているコンフリクトに立ち向かおうと思う。このシャピロ博士の教えは、実践しなければ意味がないからだ。そして、この本を通じて、コンフリクトに立ち向かう私たちの背中を、シャピロ博士が押してくれるような感覚に陥ったからだ。
個々の人間、そしてトライブ(部族)によってもたらされるコンフリクトは、常に私たちの身近に存在する。しかし、シャピロ博士からいただいた”武器”を手にし、私たちのコンフリクトへの”挑戦”は続けていけると確信に至った。
シャピロ博士自身が室内実験を行い、何千もの調査記事に目を通し、何百人もの専門家にインタビューするなどして到達した「ネゴシエーション3.0」をビジネスパーソンに限らず、多くのかたにオススメさせていただきたい。

2021年1月3日日曜日

地域公共交通の統合的政策

 本書の基本的な問いは、地域公共交通に対してどのような制度や政策が必要なのか、というものである。
(引用)地域公共交通の統合的政策 日欧比較からみえる新時代、著者:宇都宮浄人、発行所:東洋経済新報社、2020年、240

 地域公共交通に対してどのような制度や政策を講じていくのか。これは、国や自治体にとって、悩ましい課題となっている。本書でも触れているが、まず、地域公共交通政策に対して、国の財源措置が乏しい。このことは、各自治体の政策にも影響を及ぼすことを意味する。本書でも分析を試みているが、地域公共交通の確保は、その地域の住民や事業者のQOL(生活の質)を最大化することに繋がる。宇都宮氏によって著された「地域公共交通の統合的政策」では、海外の事例や我が国における動向などを踏まえて、新たな時代の地域公共交通のあり方を探っている。

我が国においては、2013年に交通政策基本法が施行された。この法律は、交通政策に関する基本理念やその実現に向けた施策、国や自治体等の果たすべき役割などを定める基本法である。また、2014年には、改正都市再生特別措置法が施行された。我が国の地方都市では、今後30年間で2割から3割強の人口減少が見込まれる。これにより、国土交通省によれば、医療や福祉、商業施設や住居等がまとまって立地すること。また、高齢者をはじめとする住民が自家用車に過度に頼ることなく、地域公共交通により医療・福祉施設、商業施設にアクセスできるなど、「多極ネットワーク型コンパクトシティ」を目指すとしている。

ただ、地域公共交通に先進的な取り組みをしているのは欧州である。我が国でも地域「公共」交通と「公共」の文字が入っているが、各輸送事業者の独立採算制となっている。一方、欧州では、地域公共交通を「公共サービス」として位置づけており、公的資金で支えられている。また、2013年、我が国において交通政策基本法が施行されたが、同年EUでは、アクセシビリティの改善と質の高い持続可能なモビリティ交通を提供することを目的として、SUMP(持続可能な都市モビリティ計画)を提示した。本書においてもSUMPの各項目が紹介されているが、我が国における地域公共交通政策にも多いに役立つものであると感じた。

一方、2020年、我が国においても改正地域公共交通活性化再生法が施行されることとなる。ここで特筆すべき点は、新モビリティ事業の創設によるMaaS(Mobility as a Service)の推進であろう。MaaSは、世界で初めて、フィンランドのヘルシンキで導入されたが、我が国においても「一元的なサービス」であり、「自家用車を利用する生活と対等あるいは同等以上の利便性を感じられるようにすること」1)と定義されている。現在、静岡県伊豆地域では、東急とJR東日本が手を組み、MaaSの実証実験を開始している。今後、日本版MaaSの展開も含め、地域公共交通を確保させ、利用者の利便性の向上や運送事業者の効率化を図っていくことが重要であると感じた。

また、本のタイトルに「統合」という文字が入っていることから、著者の宇都宮氏が「統合」することに、次代の地域公共交通への希望を見出していることが理解できる。事実、本書も1章分のページを割き、地域公共交通の「統合」について述べられている。そして本書では、統合を4つのカテゴリーに分類し、モードや運輸業者を超え、より緊密で効率的な相互作用をもたらすことについて力説している。統合においての意義は、まず、利用者の利便性向上に繋がることだと思う。利用者は容易に複数の運輸業者の情報を得ることが可能となり、運賃統合されて初乗り運賃を支払わずに済むなどの恩恵を受ける。また、「統合」することは、都市計画や社会政策にも良い影響をもたらしていく。新しい時代における地域公共交通の幕開けとして、「統合」は大きな効果をもたらすものだと感じた。

さらに本書では、CBA(費用便益分析)についても触れている。CBAとは、社会的便益と社会的費用と貨幣換算し、その差額によって投資プロジェクトの採否の参考となる指標を提供するものである。我が国では、CBAが多く使われているが、社会的便益には、ソーシャル・キャピタルのような社会的効果が考慮されていないという課題もある。先日、日本経済新聞に「自動運転バス 地域の足に」という記事が掲載された。2)人口減で地方の公共交通が縮小する中で、人手がかからない新たな地域の足として、バスの自動運転が期待されるという。既に茨城県境町では,全国で初めて公道で定常運行する自動運転バスを運行させた。高齢化が進む我が国において、バス路線を維持するには、今後自動運転バスも大きな選択肢の一つになる。これは、まさに社会的効果を考慮した政治判断ではないだろか。しかし、自動運転バスについては、車両費等の導入コストや維持管理がかさむなどが課題としてもあげられる。自動運転バスが地域公共交通の救世主だとしても、各自治体が旗振り役となる以上、財政面での限界がある。国や都道府県、運送事業者や民間事業者、住民が一体となって、地域公共交通の維持を感がていく必要があると感じた。

宇都宮氏は、本書の最後で、欧州との比較分析を踏まえ、我が国における地域公共交通における抜本的な変革を提言している。地域公共交通には、地域住民の移動手段の確保にとどまらず、まちの賑わい創出や健康増進、人々の交流など、様々な役割がある。この地域公共交通を確保すべく、どのような制度や政策が必要なのか、また住民や事業者のQOLをどのように高めていくのか。本書を読了し、今後の地域公共交通を考える一つの重要なきっかけを掴むことができた。

1)国土交通省:都市と地方の新たなモビリティサービス懇談会(2019)

2)2020年12月28日付 日本経済新聞朝刊記事 25面 「自動運転バス 地域の足に」